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東部連合編

相合傘

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 十返舎卿は、背後に対して、何の行動もとれなかった。身を伏せ、杖は手から落ちた。左内は、とうとう彼を討ったのだ。

 世界は大きな一歩を踏み出した。不思議と、純粋な喜びは実感できない。歴史の重みが悠久を作り出すのか。生暖かい感情を胸に、その場に立ち尽くすしかなかった。
 
 左内は、横たわる十返舎卿のもとに駆ける。死を確認し、身構えていた杖を下ろした。私も、その姿を見て、本当の意味で、胸を撫で下ろすことができた。

 彼は言葉で報告をくれる前に、奥の書斎机に向かっていく。何かやり残した事があるようで、後ろ姿は、重荷を下ろしていないように見えた。
 彼は十返舎卿の定位置で、荷解きでもするかのように、体を低くした。身をかがませ、感極まっている。十返舎卿の亡き骸と幾分の空白を挟んで眺めても、体が小刻みに震えているのが分かった。

 何かがおかしい。
 東の空と南北を走る山脈を越えた。敵の本拠地に忍び込んだ。そのてっぺんで領主を討った。そして、今がある。  
 左内は、腹を押さえてくすくす笑っているが、感情の源にあるのが、私達と同じものなのか、疑問に思えた。

「やっとだ」彼は、しゃがみ込んだまま、言葉を吐き出す。「やっとこの時が来た。どれだけ待ち望んだか」

 魂の訴えは、地面と壁を伝って、私にも届いた。ただ、共感には繋がるかどうかは別だ。東部連合として共に歩んで来たからこそ、目標を達した時の反応として、違和感がある。気味が悪く、一緒に喜べなかった。

 彼は、立ち上がると、影の落ちた机に手を触れていく。手つきは、何かを探すというより、愛でる時のものだ。そして、満足したのか、気がはやるのか、しばらくで杖を取り出した。
 机上の叩くのを合図に、奥の壁に穴が空いた。彼は何の驚く様子もないまま、中を見上げた。階段がそこに隠されていたのを知っていたかのように。

「この先は、塔の頂きだ。旗を下ろして、魔法界の新しい時代を知らせよう。玲禾、こっちに」
 彼は手招きしたが、私の足は一歩も動かない。大地に根を張れる高さではないが、足に力が入った。理由は分からなくとも、理由があるのは明確だった。
「ここを俺たちのものに。私と君なら、手を取り合える」
「なんで、てっぺんへの道を知ってるのよ?」
「そうか」彼は、楽しむように間を空けた。視線を私に置き直してから続ける。「私が、ここに来たのは、初めてではない。君よりいくらか上の頃、ここは私の家だった。ブルーホークスの一員として、東部で任を受けるまでは」
「どういうこと?ふざけた真似はよしてよ」
 そう言いながら、一歩後退りする自分がいる。彼が頂上への道を知ってること。山道の旗軍が、私達を青鷹軍だと勘違いしてたこと。すべて繋がる。
「君が知らなければいけない事は、もう一つある。老木では、君のことだったが、今日は私の事だ。隠れることなく、堂々と聞いてくれ」彼は、真夜中の盗み聞きに気付いていた。もしかして、私に聞かせるように、語っていたのかもしれない。
「時代は、青鷹軍と正義軍が各地で争いを繰り広げていた時。ミズミア基地の奇襲攻撃の後、私は南部の州からミズミア正義軍の残党探しに出た。予想通り、正義軍は疲弊していたが、軍員の数が少なく、たどり着いても先着がいた。私はそこで、独自のルートを作り、僅かな敵を炙り出すことにした。正義軍の家族の動きを追い、そこから仲間の軍員にたどり着く方法だ。ミズミアの青鷹軍から手に入れたのが、君の父さんのものだった」
 彼は、自分の言葉に酔ってから、続けた。
「ただ、間違っても、私はお父さんに手をかけちゃいない。もし、そうなら、保護魔法に入れていないから」
「保護魔法?」
「そうだ。お母さんは玲禾を対象に保護魔法をかけたが、隠れていたのは君だけではない。私も保護魔法の傘に隠れていた」言葉の真意は、すぐに分からなかった。母が親で、私が子。左内がその中にどう入ろうというのか。ただ、同時に、魔法界に舞い戻って来た時の感情を覚えていた。お母さんと左内は、何とも形容し難いような距離にいた。最初、彼らが同じ家族なのかと勘違いしたほどだ。

「ちょうど老木を見つけたくらいの時に、旗軍が青鷹から塔を奪い、私が追われる側になった。同時に、君たちは追われる側ではなくなった。私の仕事が、生き延びることに変わったのに合わせてね。親子の気持ちは何よりも強い。そして時に、無私なる愛は、隣人にも注がれる。私は、玲禾と同じように、生命の危機に瀕し、保護を求めていたから、傘に逃げ込む事ができた。娘の無事を思う度に、その恩恵を私も授かった。彼女は、常に私の味方でいてくれた。時代も、私に背を向けるばかりじゃない。旗軍は私達青鷹だけでなく、正義軍ともやり合っていた。戦争の継続が、地下の整備を必要としたんだ。私がミズミアに貢献をして、信頼を得る機会になった。その成果は、玲禾も知る通りだ」
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