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第5話 過去
しおりを挟む「私、風俗店で働いてるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、母が脳裏に浮かんだ。
〝幼少期から私は母と団地で暮らしていた。
物心着いた頃から母が家に居ることは少なく、
帰ってきても疲れていたり、毎回違う男性が一緒に部屋に入ってきていた。
一人きりの部屋でお絵描きをしたりテレビを見たりなど一人で時間を潰すことが日常だった。
父はいないと教えられていたが、男性が家に居るということはこの人が父なのではないか?
と思い、お父さん?と部屋にいた男性に聞いて母を困らせていたことを覚えている。
ドアの隙間から覗き見た母と男性のキスがその当時から目に焼きついていた。
小学生になると、いつも机の上にお金が置いてありそのお金を使ってご飯を食べていた。
クラスメイトの子達は家に帰れば家族がご飯を作ってくれて食卓を囲んで食べることが当たり前らしいが、私の中では一人で食べることが当たり前だったしある種の特別な感じがして不満には思わなかった。
母が一日中、家に居る日はショッピングモールに連れていってもらい、生活用品を買った後は外食をするという流れが常であった。
母は特に私が着る服装にこだわりがあり、母が選定したものを身に纏うことで機嫌が取れると思っていたので文句を言うことは一度もなかった。
そして母は私の学校生活について一切興味がなかった。
ある日、クラスメイトの子がテストで高得点を取ると親がとても喜んでくれたと教室内で小耳に挟んだ。
母を笑顔にしたい、喜ばせたい、どうすれば私に興味を持ってくれるだろう?と考えていた私には朗報だった。
テストで高得点を取って母に報告したが、
「そうなんだ」と一言のみで褒めようとはしなかった。
そこで初めて周りの子達の母と自分の母はなにかが違うのでは?と考えるようになり
母にどんな仕事をしているのか聞いたが曖昧な返答で濁された。
母は自分のことについて私に教えてはくれなかったが、険悪な仲ではなく一緒に居る時はそれなりにコミュニケーションを取っていたと思う。
そしてこの頃から他人の視線に敏感になっていった。
中学生で思春期に入ると、母が風俗店で働いているのだと察しがついた。
依然として部屋に入って来る男性はよく変わっていたが頻度は少なくなっていた。
ある日、母とショッピングモールに行って買い物をしてから外食をしていると母は唐突に切り出した。
「あんた、学校で好きな男とかいないの?」
「えっ??いるわけないじゃん!笑」
「綺麗な顔に産んであげたんだから、活かしなさいよ~ってまだ中学生には早いか笑」
この時、初めて学校生活について聞かれた私は嬉しくて浮かれていたことを覚えている。
ご飯を食べながら美味しい!と笑顔を溢す母を見て私も笑顔を溢した。
それ以降、男女の関係について興味を持ち始めて調べるようになった。
思春期になると性的欲求が強くなっていくらしい。
だから最近になって男子からの視線が強くなったことも理解できたし、母が気にかけたことも合点がいった。
性行為をすると安心感を得たり、異性と繋がることで幸せを感じるとウェブサイトに載っていた。
幸せというものに疎く、どういう感覚がそれにあたるのか分からなかったので興味を持った。
欲望の視線が強いが、自分に害を与えなさそうな同学年の男子と初めて肉体関係を持った。
好奇心が勝っていたので相手は誰でも良かった。
初体験の感想は少しの痛み以外は何も感じず拍子抜けして、母はこんなことを何年もしてなにがそんなに良いのだろうか?と困惑した。
母に金銭的な負担をかけたくなかったので公立の高校に進学した。
進学した直後に、母は電話で誰かに
「最近、お金に困っている」と話しているのが聞こえそれ以降、家に居ない日が増えた。
我が家は思っていたよりも貧困に陥っているのだと察しがついた。
高校の先生からはアルバイトよりも今しか体験できない、かけがえのない思い出になるからと部活を強く薦められたが、
そんなくだらないことに割く時間があればアルバイトをして生活を支えようと考えていた。
実際にアルバイトを経験すると、お金を稼ぐ事は時間と手間が掛かることや、人間関係が本当に煩わしいものだと思い知らされた。
そして母はシングルマザーとして弱音を吐かずに今まで育ててくれたことに感謝し、
誇らしく思えるようになっていった。
アルバイトはファストフード店や居酒屋などを転々として冷蔵倉庫でのピッキングをする仕事に落ち着いた。
今まで業務内容が嫌で辞めたことは一度もない。
様々な欲望を持った者達が邪魔をするからだ。
バイト終わりに待ち伏せされて男性から食事に誘われたり、女性からは敵視されて仕事を教えてもらえないこともあった。
高校生になって決定的に分かったことがある。
それは他人と折り合いをつけて共存することがとても苦手だということ。
小学生の時からクラスメイトの女子とは程々に話せていたが、協調性がないとかなにを考えてるか分からないとか陰で言われていることは知っていた。
昼食は弁当を持参してクラスメイトの美月達とご飯を食べていたが、いつもそのグループに混ざっているわけではなかった。
教室の中で一人でいる時はクラスメイトの男子や他のクラスの男子が声をかけてくることはたまにあった。
その度に美月達は茶化しにきたが、
女子からも男子からも冷やかされているような感じがして、好奇心と嫉妬と性欲が混ざった視線が突き刺さって気持ちの良いものではなかった。
そんな中でも他クラスでたまに話す男子がいた。とは言っても学校内では話さないが、
通学路が同じで学校の行き帰りで一緒になった時は話す程度の仲だった。
彼からは欲望の視線がちらついていたが、他の男子に向けられるものに比べれば全然不快ではなかった。
母からは連絡手段として携帯を持たせてもらっていたのでその内、連絡先を交換して夜更かししてまで彼とメッセージのやりとりをしたいと思えるような仲に変わっていった。
「家がすぐそこなんだけど……涼んでく?」
学校が終わった帰り道に誘われて、彼がいるほうに身体を傾けると、陽炎がゆらゆらと立ち上がっていた。
猛暑日だから視界にそう映るのは当然のことだが、彼から溢れ出る熱量も重なりくらっとくるほど揺らめいて涼しいところに行きたくなって首を縦に振った。
彼の家には私と彼の二人きりで、彼の部屋に入った瞬間に芳香剤の濃い匂いがした。
きっと新品を部屋に置いたばかりだとすぐに分かったが、ベッドの上で交わった二人のむせかえる汗の匂いが部屋に充満して芳香剤の匂いはすぐにかき消されていった。
クーラーは動いていたが、涼むどころか暑くなり肌がべたついて逆効果だ。
それから覆い被さって密着する彼と話して家に帰った。
それ以降、彼から家に誘われることが何度かあったが以前した時と同じようになにも感じなかったので断った。
それから彼の態度があからさまに冷たくなった。メッセージの返信速度も極端に遅くなって、目と目を合わせて話しても、欲望の視線は感じられなくなっていた。
美月達が彼氏が出来てもすぐにやったらダメ
男はやったらそれで満足して急激に冷たくなるとガールズトークをしていたが、こういうことなんだと身を持って体験した。
彼とは自然に会話することも連絡することもなくなっていった。
元々、告白されて付き合っていた訳でもないから結局どういう関係だったのか曖昧だが
世間一般的にこれは失恋に当てはまるのだろう。
大学に進学する為には有利子の奨学金を借りる必要があった。
母にはこれ以上、金銭的負担をかけたくなかったし、進学する明確な理由がなかったので就職することにした。
これからは、一人で稼いでいた母を支えていこうと心に決めて就職活動を始めた。
今まで生きる理由を持っていなかったが、これからは母が生きる理由になる気がした。
<社会>という監獄に囚われて、<その日>が来るまで働いて生き続ける。
絶望しかないのに、皆はどうやって生きているのだろう。なにが幸せなんだろう。
そうやって問いかけても答えは出ないのに考えてしまう。
就活の末、上場企業の一般事務に受かる事が出来た。母に報告すると、驚くほど喜んでくれた。
自分より喜んでいるのでは?と思うほどに。
無事に入社したがすぐに人事部の女性から営業部に部署移動して欲しいと話があった。
嫌な予感がしたが、一時的な移動でありもし適正が無ければ元に戻すと言われたので受け入れるしかなかった。
嫌な予感は的中して、営業部のほとんどは男性で構成されていて彼らが向ける視線は俗物のそれであった。
研修や歓迎会もあったが彼らのセクハラに近いノリについていけず苦痛でしかなかった。
歓迎会で上長から「この後は二人で会わないか?」と耳打ちされて断った時が苦痛の最高潮だった。
私が都合の良い女にならないことを知ってからは社内では冷やかしや業務の過大な要求が増えていった。
勿論、入社してすぐなので対応出来るはずもなく彼らに助けを乞うしかなかった。
我慢が限界を迎えたので人事部に部署移動したい事とその理由を伝えた。
だが担当の女性からは「へぇ~モテモテじゃん」と一蹴され、まともに対応してもらえなかった。
入社から二ヶ月で退職して、自宅で転職先を探していた。
すぐに仕事を探して、家にお金を入れるからと母に伝えた。
母はなにも言わなかったが怒りを纏っているようにみえた。
ある日、母が男性と携帯で話しているのが聞こえてきた。
最近出入りしている男性は厳つくて生理的に受け付けない身なりをしている。
恐らくその人と電話してるのだろう。
「お金さえちゃんとくれるなら娘はあげるって言ってんの。
その後はどうしようが私には関係ないから気にしないで。それで、今から家に来るのよね?」
母は私を男に売ろうとしているのか?
あり得ない会話に理解が追いつかなかった。
でも、この耳にはっきりと聞こえたので疑いようがなかった。
母が通話をしたままトイレに入った隙に荷物をまとめて慌てて家を出た。
それ以降、母とは会っていない。〟
彩華は静かに質問をした。
「なんで風俗で働いてるの?お金に困ってるの?」
「最初は金欠で働いてたんだけど、お客さんから笑顔でありがとう!って言われて喜ばれると
なんか辞めづらくなって、それでずるずるとやってる……
でもたまにしか出勤してないよ?」
「いつから掛け持ちしてたの?」
「彩華と会う前からだよ。風俗店を辞める為に、別の仕事を掛け持ちしようとして警備員の面接を受けたの。
入ってみたら全然、人と関わらないし喜ばれないから面接の時と話が違うなぁって思って結局元の生活に戻ったって感じかな。
でも、警備の仕事をしたから彩華に会えたし、
そう考えたらラッキーだったかな!」
「いや……どこから突っ込めばいいのか……」
風俗店で働く女性に偏見はあるか?と莉愛に聞かれた時に母の事と家出のするまでの出来事を話し、母が風俗嬢だったので偏見は無いと伝えた。
母の事について莉愛は色々聞きたいことがあったみたいだが真夜中で眠気もあったので後日に持ち越すことになった。
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