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第1章 異世界での目覚め
7 出会いと初めてのたたかい Ⅰ
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異世界と思われる大地に立った椿井は自分が何故この世界にいるのか、その理由を探すため、一人、深い森の中を進んでいた。
蠢くツタ、銀色の雪のような浮遊物、跳ね回る赤い光の塊、急成長し種をばらまく植物。
森の中を歩き始めるとすぐにそういった今までの世界では見たことのない植物や現象を目にし、椿井は強く警戒していたのだが……。
「……さっきの赤い塊こっちを認識してたよな。けど何かをしてくるわけでもなく、うにょうにょ動く変な植物も襲ってくる気配はなかった。この森、全体的に俺が変なことをしなければ害はなさそうだな」
見るからにヤバいモノに自分から触れにいかなければ、なんか大丈夫っぽい。ということを感覚で理解した椿井は少し肩の力を抜き、森の中の美しい景色を眺めながら足を進めた。
「……綺麗な森だな。本当に妖精とかが出てきそうな……あ、こういう木の上からエルフが弓矢で主人公を狙ってるシーンとかあったな」
そして近くにある大きな木を見て映像化した自分の好きなネット小説の名場面を思い出し、椿井は小さく笑みを浮かべた。
「学生の頃は貧乏でソシャゲに課金どころかスマホが古すぎてプレイできず、ゲーム機も買えなかった俺がバイトとバイトの間の暇つぶしや友達との共通の話題になるかなと思って読み始めたのがネット小説だったんだよな。それが30歳越えても続く趣味になるなんて当時は思いもしなかったし、まさか異世界に来ることになるなんてな」
ほんと、何が起きるかわからないもんだな。人生って。と、学生時代から読み続けているネット小説の一大ジャンルを実際に体験している現状を椿井が少し楽しいかもしれない、と思い始めた。
そんなときだった。
「……ん?」
遠くから、大きな音が聞こえてきた。
「……」
一瞬、椿井はまた森の不思議な存在達が出している音だろうかと考えたが。
……違う。
初めて聞く音ではあったが、よく似た音を知っていると椿井はその考えを否定した。
木をチェーンソーで伐採する時のような切断音。石を削岩機で砕く時のような破砕音。
そして。
「……重機か?」
時折、重機が動くときの低重音のような音までも響いており、椿井はこの先に伐採か建築の現場があるのではないかと推測した。
そう、この先に人がいるのではないかと椿井は考えたのだ。
「……!」
人がいる。そう思った次の瞬間には椿井は駆け出していた。
自分が半ば無意識のうちに駆け出したことに何だかんだで心細かったんだな、と椿井は苦笑しつつも足を止めることなく音の発生源へと近づいていった。
そして少し開けた場所が視界に入り、その辺りでモゾモゾと動く小さな人影を見つけた椿井は、すみませーん! と大声で呼びかけようと息を大きく吸い込み。
「────!!」
椿井は、この場所で嗅ぐことは絶対にないと思っていた異臭を吸い込み、驚愕と共に口を閉ざした。
「……っ」
……なんで、どうしてこのニオイがするんだ?
少なくとも伐採や建築の現場では絶対にすることがない、あるニオイを嗅ぎ取った椿井はこの森に入ってから一番の警戒心を抱きながら、静かに足を進めた。
草木に触れず、足音を立てず、気配を殺し。
「……!」
そして、その場所に辿り着いた椿井は、自分が人だと思った人影の正体を目にし、絶句した。
それらは、人ではなかった。
体躯は1メートルもなく、異様に尖った耳と鼻があり、小さな体躯に不釣り合いな棍棒を持ち、人の眼球とはまったく作りの違う細い目が虚ろに輝いていた。
……ゴブリン、だ。
その存在達は椿井の読むネット小説でよく出てくるゴブリンに特徴が似ていた。だが、椿井の知るゴブリンは全身緑色で理性の欠片もなく常に叫んでいるイメージのものが多かったが、このゴブリン達は濃い青色で何も喋らず、生気のない表情を浮かべ、しかも体の一部が腐っているように見えた。
……ゴブリンのゾンビ、なのか……?
そういった存在ならこの死のニオイも納得がいく、と木の陰に隠れながら椿井は一人頷いた。
この世界で初めて目にしたモンスター、ゴブリン。
ゴブリンは極めて凶暴な種族で人間と敵対し、見つかったら最後、手に持つ棍棒で嬲り殺される。それが椿井のゴブリンに対する基本知識だ。
もちろん人間に友好的だったり、温和な性格のゴブリンの存在もネット小説で多く書かれていたがこのゾンビのようなゴブリン達から感じる不穏な雰囲気から話しかけるのは危険だと椿井は判断した。
……しかし、ゴブリンか。毒蛇とかとは全然違うのが出てきたな。
ここが異世界であるという認識がまだまだ足りていなかった。と、椿井は森に入る前に心配していたことがこの世界では的外れなものであったと反省しつつ、この場から脱出するために10体ほどいるゴブリン達の動きを注意深く観察し始め。
……ん?
椿井は、あることに気がついた。
ゴブリン達が全員、同じ方向を向き、同じものに視線を向けていたのだ。
「……?」
ゴブリン達はいったい何を見ているのだろう。と椿井は周囲を警戒しつつ、ゴブリン達と同じ方向に視線を向けて。
「────」
その存在を見つけた。
……なっ……!
椿井の視線の先。そこには椿井が望み続けた存在、人間がいた。
全身を覆い隠す大きなフード付きのマントを身に纏っていたため、椿井のいる位置からではその人物の年齢や性別はまったくわからず、せいぜい小柄な人物であるということぐらいしかわからなかった。
そして、その小柄な人物は丸い水晶のようなものが付いた杖を持ち、フードの奥で輝く瞳がゴブリン達を睨み付けていた。
「……」
その人物とゴブリン達が敵対関係にあるのは一目瞭然で、おそらく戦闘中であるということまで把握した椿井は。
……マズいな。
今のこの状況はかなり危険だと判断した。
椿井がそう考えた最大の理由はフード付きのマントで全身を隠している人物の見事なまでの消耗っぷりからだ。
その人物は遠目からでもわかるほどひどく疲労していた。
肩で息をし、疲れと緊張から膝がカクカクと笑っていた。
その人物のすぐ側の地面には体を真っ二つに切断された巨大な虫と倒れたまま痙攣している2体のゴブリンがいた。おそらくそれらはその人物が倒したモンスターなのだろうが、まだその5倍近い数のゴブリンがこの場には存在し、既に疲労しきっているその人物が残りのゴブリン全てを倒せるとは椿井にはどうしても思えなかった。
……どうする。
ゴブリンの意識がフードの人物に向いている今、1人で逃げることは容易い。熊に襲われている人を見捨てて逃げたとしても責められることがないように、異世界とはいえ、この場から1人で逃げたところできっと責められることはないだろう。
けれども。
……それじゃあ、あの人は死んでしまう。
話したことがないどころか、異世界の顔も知らない人であっても助けられるのならば助けたいと椿井は思った。
……この青色のゴブリン達、動く様子がないな。あのフードの人物の攻撃を警戒しているのか? もしそうなら今のうちに茂みの中からあの人に近づいて、疲れ果ててるあの人を抱いて、そのまま一気に────
そして、椿井がフードの人物と一緒にこの場から逃げる方法を考え始めた。
その時だった。
「……!」
ゲッ、ゲッと、カエルの鳴き声のような音が辺りに響き渡り、椿井が音の発生源の方を慌てて向くと。
……あれは、普通のゴブリン、か?
椿井やフードの人物からはかなり離れた場所にある岩場の上で2匹のゴブリンが声を上げていた。そのゴブリン達は近くにいる青色のゴブリンと違い、椿井がよく知る緑色のポピュラーなゴブリンのように見えた。
そして、その緑ゴブリン達が何故唐突に声を上げたのか、その理由について椿井が考え始める前に、状況に変化が現れた。
「……っ!」
今までフードの人物の方向を向いて待機しているだけだった青色のゴブリン達が一斉に動き出したのだ。
……あの緑ゴブリンがこの集団を指揮してるのか……!
「くっ……!」
緑ゴブリンの指示を受けた青ゴブリン達はゾンビのような生気のない表情を変えることはなかったが、その動きは椿井がイメージするゾンビの動きとはまったくの別物だった。
棍棒を振りかざした青ゴブリン達はまるで猟犬と見間違えるような俊敏な動きで走り出し、フードの人物との距離を一気に縮め、もし、何もしなければ後数秒でゴブリン達の棍棒がフードの人物に振り下ろされるのは確実だった。
……マズい……!
もうこうなってしまったらゴブリン達の不意を突いてフードの人物と一緒に逃げることは不可能と椿井は考え、せめて、ゴブリン達の注意をフードの人物から逸らすために隠れることをやめ、ゴブリン達の前に姿を見せるために動き出そうとした。
しかし。
────ここで無策で飛び出したら確実に死ぬ。
「っ……!」
そんな、車に轢かれた時のように実感のない死の恐怖よりも、考える余裕があるが故の恐怖が椿井の体を硬直させ、行動を遅らせる。
それは僅かな逡巡だった。しかし、その一瞬で青ゴブリン達は杖を構えるフードの人物のもとに辿り着き、数体の青ゴブリンが大きく跳び上がって勢いよく棍棒を振り下ろした。
「しまっ……!」
その光景を目にした椿井は後悔の叫びをあげた。
ゴブリンの膂力が椿井の想像通りのモノであるのならば、それは人の頭蓋を容易く粉砕する一撃。それが振り下ろされてしまった。椿井の行動は、この命を奪い合う戦いの場では遅すぎたのだ。
だが。
「────!」
それは戦いに慣れていない椿井だけの話だった。ゴブリン達に襲われているフードの人物はボロボロの状態でも即座に体を動かし、諦めることなくゴブリン達に抗った。
「……っ!?」
そしてフードの人物が戦うために構えた杖の先端部分とゴブリンの棍棒がぶつかった瞬間に、まばゆい閃光が迸った。
杖から発生した閃光が光の玉となり、次の瞬間にはその光の玉がシャボン玉のように弾け、その際に出た衝撃波がフードの人物に接近していた青ゴブリン達を全て吹き飛ばした。
「……すごい」
……今の、魔法だよな?
杖から放たれた光と衝撃波が10メートル近く青ゴブリン達が吹っ飛ばした光景を目にした椿井は感嘆の息を零したが。
……けど、これだけじゃ……。
それと同時に青ゴブリン達はただ吹っ飛んだだけでダメージは殆ど無いように見えたため、これでは少しの時間を稼いだだけで、フードの人物は依然、窮地に立たされたままだと椿井は考えた。
……これからどうするんだ。
次の一手がこの窮地を乗り越えられるものなのかと椿井はフードの人物に尋ねるように視線を向け。
「ハァッ、はぁっ……!」
ゴブリンとの衝突の衝撃でフードが取れ、肩で息をするその人物の顔を椿井は初めて目にし。
「────」
言葉を失った。
跳ねた泥を被っても美しく輝く金色の髪に透き通った碧色の瞳。そして、女性らしさが僅かに出てきた幼くも整った顔立ち。
そう、フードの人物は可愛らしい少女だったのだ。
「なっ……」
その十代前半と思われる少女の姿を見て、椿井は。
……子供……!? 子供が1人で戦ってたのか!?
髪と瞳の色や美人であることはどうでもよく、その人物が子供だったことに凄まじい衝撃を受けた。
……この世界でのゴブリンの危険度なんて全然わかんないが熊に襲われているか、それ以上のことじゃないのか……!? そんなのを子供1人に戦わせるなんて、この世界の大人達は何をしているんだ……!!
大きなフード付きのコートを着ていて性別も年齢もわかっていなかったが、子供であるということを全く想定していなかった椿井はその事実に混乱し、思考が乱れた。
そして、丁度その時、離れた岩場で少女と青ゴブリンの戦いを見ていた緑色のゴブリンが体を僅かに動かした。
先ほどのように声を上げはしなかったものの、何かに指示を出すような動きだったが椿井はそのゴブリンの動作に気づけなかった。
「……!」
だが、椿井とは違い緑色のゴブリンが何かをしようとしていることに気づいた少女はそちらに杖と視線を向けながら、呼吸を整え、体に力を入れた。
そして。
「リアはまだ死ねないんです……!」
少女が、1人の子供が叫んだ。
死ねないと。その碧の瞳に涙を浮かべながら、ここで命が尽きるなんて絶対に嫌だと、強く叫んだ。
その瞬間。
「────」
その声を、その叫びを聞いた椿井の心に変化が起きた。
「……何をやってるんだ俺は」
……子供が泣いてるのに、子供が死ぬかもしれないのに、大人の俺が何でぼーっと突っ立ってるんだよ。
椿井が抱いていた恐怖も動揺も、全てが一瞬で消失した。それらを遙かに上回る、子供を助けたい、という強い思いが椿井の心を埋め尽くしたのだ。
……ああ、そうだ。この世に死んでいい子供なんて、1人もいない。
例え、世界が違っても。例え、どんなに理不尽な道理が支配する環境であったとしても、子供が死んでいい世界なんてあってはいけない。
そして、どんな世界でも、子供を見捨てる大人なんていない。
……いては、いけないに決まっている……!
「……!」
椿井は先ほどの魔法が青ゴブリン達にダメージを与えていなかったことや少女の余裕のない状態などから少女が1人でこの場を乗り切ることは不可能と判断し、少女を助けるために参戦することを一瞬で決めた。
そして少女を襲っている青ゴブリン達だけでなく、遠くにいる緑ゴブリンの様子などを見て、考え。
……これなら……!
青ゴブリンの特性、緑ゴブリンの指示方法から1つの勝機を、この場から彼女と脱出する算段を立てた椿井が駆け出そうとした。
その時だった。
「──っ!」
椿井が立っているすぐ側の木から何かが落ちてきた。
こちらに気づいたゴブリンが自分の近くに現れたのかと思い、自分にできる限りの戦闘態勢を取った椿井だったが、草むらに落ちた物が動く気配がなく、一体何なのかと椿井は警戒しながら近づき────
「…………は?」
それを視認した。
木の上から草むらに落ちたそれを椿井は知っていた。それは日本人の大人なら実物は見たことがなくても知らない者は一人もいない、それ程の知名度を誇る武器だった。
だが、それが異世界の木の上から落ちてくるというのは明らかに異常なことだった。
なんで、こんなモノがここに? と、椿井がそれを手に取った、その瞬間。
「────きゃっ……!」
少女の短い悲鳴が森の中に響いた。
「……!」
その声が聞こえた次の瞬間には椿井は少女の方に体を向け、状況を把握した。
ゴブリン達を警戒する少女の死角から現れた巨大な虫が少女に体当たりをし、彼女が手に持っていた杖を奪って緑色のゴブリン達のいる岩場へと飛んでいったのだ。
……虫……!?
体長50センチを越えるその巨大な虫は少女の近くに真っ二つになって落ちている虫と同じ種類の昆虫のように見えた。
真っ二つになっているその虫の死体を椿井はここに来たときに見つけていたが、ゴブリン達とは種族が違うため直接の関係はないだろうと考えていたのだが。
……あの巨大な虫も緑ゴブリンが使役してるのか……!?
椿井は緑色のゴブリンが青ゴブリンだけでなく、虫までも操っているということを今、ようやく理解した。
そして、それと同時に魔法を発生する道具と思われる杖を奪われた少女が完全に丸腰になったという絶望的な状況も把握した椿井は。
「くそっ……!」
もう一刻の猶予もないと木の上から落ちてきたそれを手に持ったまま、全速力で駆け出した。
蠢くツタ、銀色の雪のような浮遊物、跳ね回る赤い光の塊、急成長し種をばらまく植物。
森の中を歩き始めるとすぐにそういった今までの世界では見たことのない植物や現象を目にし、椿井は強く警戒していたのだが……。
「……さっきの赤い塊こっちを認識してたよな。けど何かをしてくるわけでもなく、うにょうにょ動く変な植物も襲ってくる気配はなかった。この森、全体的に俺が変なことをしなければ害はなさそうだな」
見るからにヤバいモノに自分から触れにいかなければ、なんか大丈夫っぽい。ということを感覚で理解した椿井は少し肩の力を抜き、森の中の美しい景色を眺めながら足を進めた。
「……綺麗な森だな。本当に妖精とかが出てきそうな……あ、こういう木の上からエルフが弓矢で主人公を狙ってるシーンとかあったな」
そして近くにある大きな木を見て映像化した自分の好きなネット小説の名場面を思い出し、椿井は小さく笑みを浮かべた。
「学生の頃は貧乏でソシャゲに課金どころかスマホが古すぎてプレイできず、ゲーム機も買えなかった俺がバイトとバイトの間の暇つぶしや友達との共通の話題になるかなと思って読み始めたのがネット小説だったんだよな。それが30歳越えても続く趣味になるなんて当時は思いもしなかったし、まさか異世界に来ることになるなんてな」
ほんと、何が起きるかわからないもんだな。人生って。と、学生時代から読み続けているネット小説の一大ジャンルを実際に体験している現状を椿井が少し楽しいかもしれない、と思い始めた。
そんなときだった。
「……ん?」
遠くから、大きな音が聞こえてきた。
「……」
一瞬、椿井はまた森の不思議な存在達が出している音だろうかと考えたが。
……違う。
初めて聞く音ではあったが、よく似た音を知っていると椿井はその考えを否定した。
木をチェーンソーで伐採する時のような切断音。石を削岩機で砕く時のような破砕音。
そして。
「……重機か?」
時折、重機が動くときの低重音のような音までも響いており、椿井はこの先に伐採か建築の現場があるのではないかと推測した。
そう、この先に人がいるのではないかと椿井は考えたのだ。
「……!」
人がいる。そう思った次の瞬間には椿井は駆け出していた。
自分が半ば無意識のうちに駆け出したことに何だかんだで心細かったんだな、と椿井は苦笑しつつも足を止めることなく音の発生源へと近づいていった。
そして少し開けた場所が視界に入り、その辺りでモゾモゾと動く小さな人影を見つけた椿井は、すみませーん! と大声で呼びかけようと息を大きく吸い込み。
「────!!」
椿井は、この場所で嗅ぐことは絶対にないと思っていた異臭を吸い込み、驚愕と共に口を閉ざした。
「……っ」
……なんで、どうしてこのニオイがするんだ?
少なくとも伐採や建築の現場では絶対にすることがない、あるニオイを嗅ぎ取った椿井はこの森に入ってから一番の警戒心を抱きながら、静かに足を進めた。
草木に触れず、足音を立てず、気配を殺し。
「……!」
そして、その場所に辿り着いた椿井は、自分が人だと思った人影の正体を目にし、絶句した。
それらは、人ではなかった。
体躯は1メートルもなく、異様に尖った耳と鼻があり、小さな体躯に不釣り合いな棍棒を持ち、人の眼球とはまったく作りの違う細い目が虚ろに輝いていた。
……ゴブリン、だ。
その存在達は椿井の読むネット小説でよく出てくるゴブリンに特徴が似ていた。だが、椿井の知るゴブリンは全身緑色で理性の欠片もなく常に叫んでいるイメージのものが多かったが、このゴブリン達は濃い青色で何も喋らず、生気のない表情を浮かべ、しかも体の一部が腐っているように見えた。
……ゴブリンのゾンビ、なのか……?
そういった存在ならこの死のニオイも納得がいく、と木の陰に隠れながら椿井は一人頷いた。
この世界で初めて目にしたモンスター、ゴブリン。
ゴブリンは極めて凶暴な種族で人間と敵対し、見つかったら最後、手に持つ棍棒で嬲り殺される。それが椿井のゴブリンに対する基本知識だ。
もちろん人間に友好的だったり、温和な性格のゴブリンの存在もネット小説で多く書かれていたがこのゾンビのようなゴブリン達から感じる不穏な雰囲気から話しかけるのは危険だと椿井は判断した。
……しかし、ゴブリンか。毒蛇とかとは全然違うのが出てきたな。
ここが異世界であるという認識がまだまだ足りていなかった。と、椿井は森に入る前に心配していたことがこの世界では的外れなものであったと反省しつつ、この場から脱出するために10体ほどいるゴブリン達の動きを注意深く観察し始め。
……ん?
椿井は、あることに気がついた。
ゴブリン達が全員、同じ方向を向き、同じものに視線を向けていたのだ。
「……?」
ゴブリン達はいったい何を見ているのだろう。と椿井は周囲を警戒しつつ、ゴブリン達と同じ方向に視線を向けて。
「────」
その存在を見つけた。
……なっ……!
椿井の視線の先。そこには椿井が望み続けた存在、人間がいた。
全身を覆い隠す大きなフード付きのマントを身に纏っていたため、椿井のいる位置からではその人物の年齢や性別はまったくわからず、せいぜい小柄な人物であるということぐらいしかわからなかった。
そして、その小柄な人物は丸い水晶のようなものが付いた杖を持ち、フードの奥で輝く瞳がゴブリン達を睨み付けていた。
「……」
その人物とゴブリン達が敵対関係にあるのは一目瞭然で、おそらく戦闘中であるということまで把握した椿井は。
……マズいな。
今のこの状況はかなり危険だと判断した。
椿井がそう考えた最大の理由はフード付きのマントで全身を隠している人物の見事なまでの消耗っぷりからだ。
その人物は遠目からでもわかるほどひどく疲労していた。
肩で息をし、疲れと緊張から膝がカクカクと笑っていた。
その人物のすぐ側の地面には体を真っ二つに切断された巨大な虫と倒れたまま痙攣している2体のゴブリンがいた。おそらくそれらはその人物が倒したモンスターなのだろうが、まだその5倍近い数のゴブリンがこの場には存在し、既に疲労しきっているその人物が残りのゴブリン全てを倒せるとは椿井にはどうしても思えなかった。
……どうする。
ゴブリンの意識がフードの人物に向いている今、1人で逃げることは容易い。熊に襲われている人を見捨てて逃げたとしても責められることがないように、異世界とはいえ、この場から1人で逃げたところできっと責められることはないだろう。
けれども。
……それじゃあ、あの人は死んでしまう。
話したことがないどころか、異世界の顔も知らない人であっても助けられるのならば助けたいと椿井は思った。
……この青色のゴブリン達、動く様子がないな。あのフードの人物の攻撃を警戒しているのか? もしそうなら今のうちに茂みの中からあの人に近づいて、疲れ果ててるあの人を抱いて、そのまま一気に────
そして、椿井がフードの人物と一緒にこの場から逃げる方法を考え始めた。
その時だった。
「……!」
ゲッ、ゲッと、カエルの鳴き声のような音が辺りに響き渡り、椿井が音の発生源の方を慌てて向くと。
……あれは、普通のゴブリン、か?
椿井やフードの人物からはかなり離れた場所にある岩場の上で2匹のゴブリンが声を上げていた。そのゴブリン達は近くにいる青色のゴブリンと違い、椿井がよく知る緑色のポピュラーなゴブリンのように見えた。
そして、その緑ゴブリン達が何故唐突に声を上げたのか、その理由について椿井が考え始める前に、状況に変化が現れた。
「……っ!」
今までフードの人物の方向を向いて待機しているだけだった青色のゴブリン達が一斉に動き出したのだ。
……あの緑ゴブリンがこの集団を指揮してるのか……!
「くっ……!」
緑ゴブリンの指示を受けた青ゴブリン達はゾンビのような生気のない表情を変えることはなかったが、その動きは椿井がイメージするゾンビの動きとはまったくの別物だった。
棍棒を振りかざした青ゴブリン達はまるで猟犬と見間違えるような俊敏な動きで走り出し、フードの人物との距離を一気に縮め、もし、何もしなければ後数秒でゴブリン達の棍棒がフードの人物に振り下ろされるのは確実だった。
……マズい……!
もうこうなってしまったらゴブリン達の不意を突いてフードの人物と一緒に逃げることは不可能と椿井は考え、せめて、ゴブリン達の注意をフードの人物から逸らすために隠れることをやめ、ゴブリン達の前に姿を見せるために動き出そうとした。
しかし。
────ここで無策で飛び出したら確実に死ぬ。
「っ……!」
そんな、車に轢かれた時のように実感のない死の恐怖よりも、考える余裕があるが故の恐怖が椿井の体を硬直させ、行動を遅らせる。
それは僅かな逡巡だった。しかし、その一瞬で青ゴブリン達は杖を構えるフードの人物のもとに辿り着き、数体の青ゴブリンが大きく跳び上がって勢いよく棍棒を振り下ろした。
「しまっ……!」
その光景を目にした椿井は後悔の叫びをあげた。
ゴブリンの膂力が椿井の想像通りのモノであるのならば、それは人の頭蓋を容易く粉砕する一撃。それが振り下ろされてしまった。椿井の行動は、この命を奪い合う戦いの場では遅すぎたのだ。
だが。
「────!」
それは戦いに慣れていない椿井だけの話だった。ゴブリン達に襲われているフードの人物はボロボロの状態でも即座に体を動かし、諦めることなくゴブリン達に抗った。
「……っ!?」
そしてフードの人物が戦うために構えた杖の先端部分とゴブリンの棍棒がぶつかった瞬間に、まばゆい閃光が迸った。
杖から発生した閃光が光の玉となり、次の瞬間にはその光の玉がシャボン玉のように弾け、その際に出た衝撃波がフードの人物に接近していた青ゴブリン達を全て吹き飛ばした。
「……すごい」
……今の、魔法だよな?
杖から放たれた光と衝撃波が10メートル近く青ゴブリン達が吹っ飛ばした光景を目にした椿井は感嘆の息を零したが。
……けど、これだけじゃ……。
それと同時に青ゴブリン達はただ吹っ飛んだだけでダメージは殆ど無いように見えたため、これでは少しの時間を稼いだだけで、フードの人物は依然、窮地に立たされたままだと椿井は考えた。
……これからどうするんだ。
次の一手がこの窮地を乗り越えられるものなのかと椿井はフードの人物に尋ねるように視線を向け。
「ハァッ、はぁっ……!」
ゴブリンとの衝突の衝撃でフードが取れ、肩で息をするその人物の顔を椿井は初めて目にし。
「────」
言葉を失った。
跳ねた泥を被っても美しく輝く金色の髪に透き通った碧色の瞳。そして、女性らしさが僅かに出てきた幼くも整った顔立ち。
そう、フードの人物は可愛らしい少女だったのだ。
「なっ……」
その十代前半と思われる少女の姿を見て、椿井は。
……子供……!? 子供が1人で戦ってたのか!?
髪と瞳の色や美人であることはどうでもよく、その人物が子供だったことに凄まじい衝撃を受けた。
……この世界でのゴブリンの危険度なんて全然わかんないが熊に襲われているか、それ以上のことじゃないのか……!? そんなのを子供1人に戦わせるなんて、この世界の大人達は何をしているんだ……!!
大きなフード付きのコートを着ていて性別も年齢もわかっていなかったが、子供であるということを全く想定していなかった椿井はその事実に混乱し、思考が乱れた。
そして、丁度その時、離れた岩場で少女と青ゴブリンの戦いを見ていた緑色のゴブリンが体を僅かに動かした。
先ほどのように声を上げはしなかったものの、何かに指示を出すような動きだったが椿井はそのゴブリンの動作に気づけなかった。
「……!」
だが、椿井とは違い緑色のゴブリンが何かをしようとしていることに気づいた少女はそちらに杖と視線を向けながら、呼吸を整え、体に力を入れた。
そして。
「リアはまだ死ねないんです……!」
少女が、1人の子供が叫んだ。
死ねないと。その碧の瞳に涙を浮かべながら、ここで命が尽きるなんて絶対に嫌だと、強く叫んだ。
その瞬間。
「────」
その声を、その叫びを聞いた椿井の心に変化が起きた。
「……何をやってるんだ俺は」
……子供が泣いてるのに、子供が死ぬかもしれないのに、大人の俺が何でぼーっと突っ立ってるんだよ。
椿井が抱いていた恐怖も動揺も、全てが一瞬で消失した。それらを遙かに上回る、子供を助けたい、という強い思いが椿井の心を埋め尽くしたのだ。
……ああ、そうだ。この世に死んでいい子供なんて、1人もいない。
例え、世界が違っても。例え、どんなに理不尽な道理が支配する環境であったとしても、子供が死んでいい世界なんてあってはいけない。
そして、どんな世界でも、子供を見捨てる大人なんていない。
……いては、いけないに決まっている……!
「……!」
椿井は先ほどの魔法が青ゴブリン達にダメージを与えていなかったことや少女の余裕のない状態などから少女が1人でこの場を乗り切ることは不可能と判断し、少女を助けるために参戦することを一瞬で決めた。
そして少女を襲っている青ゴブリン達だけでなく、遠くにいる緑ゴブリンの様子などを見て、考え。
……これなら……!
青ゴブリンの特性、緑ゴブリンの指示方法から1つの勝機を、この場から彼女と脱出する算段を立てた椿井が駆け出そうとした。
その時だった。
「──っ!」
椿井が立っているすぐ側の木から何かが落ちてきた。
こちらに気づいたゴブリンが自分の近くに現れたのかと思い、自分にできる限りの戦闘態勢を取った椿井だったが、草むらに落ちた物が動く気配がなく、一体何なのかと椿井は警戒しながら近づき────
「…………は?」
それを視認した。
木の上から草むらに落ちたそれを椿井は知っていた。それは日本人の大人なら実物は見たことがなくても知らない者は一人もいない、それ程の知名度を誇る武器だった。
だが、それが異世界の木の上から落ちてくるというのは明らかに異常なことだった。
なんで、こんなモノがここに? と、椿井がそれを手に取った、その瞬間。
「────きゃっ……!」
少女の短い悲鳴が森の中に響いた。
「……!」
その声が聞こえた次の瞬間には椿井は少女の方に体を向け、状況を把握した。
ゴブリン達を警戒する少女の死角から現れた巨大な虫が少女に体当たりをし、彼女が手に持っていた杖を奪って緑色のゴブリン達のいる岩場へと飛んでいったのだ。
……虫……!?
体長50センチを越えるその巨大な虫は少女の近くに真っ二つになって落ちている虫と同じ種類の昆虫のように見えた。
真っ二つになっているその虫の死体を椿井はここに来たときに見つけていたが、ゴブリン達とは種族が違うため直接の関係はないだろうと考えていたのだが。
……あの巨大な虫も緑ゴブリンが使役してるのか……!?
椿井は緑色のゴブリンが青ゴブリンだけでなく、虫までも操っているということを今、ようやく理解した。
そして、それと同時に魔法を発生する道具と思われる杖を奪われた少女が完全に丸腰になったという絶望的な状況も把握した椿井は。
「くそっ……!」
もう一刻の猶予もないと木の上から落ちてきたそれを手に持ったまま、全速力で駆け出した。
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そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。
備蓄スキルで異世界転移もナンノソノ
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久しぶりの早帰りの金曜日の夜(但し、矢作基準)ラッキーの連続に浮かれた矢作の行った先は。
見た事のない空き地に1人。異世界だと気づかない矢作のした事は?
異世界アニメも見た事のない矢作が、自分のスキルに気づく日はいつ来るのだろうか。スキル【備蓄】で異世界に騒動を起こすもちょっぴりズレた矢作はそれに気づかずマイペースに頑張るお話。
鈍感な主人公が降り注ぐ困難もナンノソノとクリアしながら仲間を増やして居場所を作るまで。
クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました
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「クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました」
気がつけば、クラスごと異世界に転移していた――。
しかし俺のステータスは“雑魚”と判定され、クラスメイトからは置き去りにされる。
「どうせ役立たずだろ」と笑われ、迫害され、孤独になった俺。
だが……一人きりになったとき、俺は気づく。
唯一与えられた“使役スキル”が 異常すぎる力 を秘めていることに。
出会った人間も、魔物も、精霊すら――すべて俺の配下になってしまう。
雑魚と蔑まれたはずの俺は、気づけば誰よりも強大な軍勢を率いる存在へ。
これは、クラスで孤立していた少年が「異常な使役スキル」で異世界を歩む物語。
裏切ったクラスメイトを見返すのか、それとも新たな仲間とスローライフを選ぶのか――
運命を決めるのは、すべて“使役”の先にある。
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※表紙のイラストはAIによるイメージです
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