1+nの幸福論~蒸気の彼方より愛を込めて

うたかね あずま

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1章:魔力なしのニナ・アルエ

ガレネル・フェーケルに馳せる思い 4

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「どっちにしても、ブランモワ卿にはそれなりに練習はしてもらわないといけないようだな……。アレックス、やっぱりお前も一緒に来い」
「そう言われるかと思って、準備はしておいた」

 重圧感のあるゴーグルを装着し、まるで甲冑の鉢金みたいに頑丈そうな帽子を頭に被っているアレックスの隣には、これまた奇妙な乗り物が鎮座していた。
 2つしかない車輪、馬の鞍みたいな座席、水をくみ上げるポンプの取っ手みたいなハンドル。王都で見かけた自転車とつくりは似ている感じだけれど、あれよりもっと重厚で、さらにややこしそうな装置がたくさんついている。
 スチームビークルと同じような蒸気とエンジンの音がしているから、たぶん動かし方は一緒なんだろう。

「わあっ! アレックス、すごくカッコイイね!」

 私には妙な出で立ちにしか見えないその恰好に、リュカがかなり好意的に食いついて興奮気味に声を上げた。
 今日一日で初めて気づいたことだけれど、私とリュカはこういう美意識的な趣味や嗜好は全く合わないらしい。

「ああ、私はガレネル・ロハの方を操縦するからね。しっかり装備は整えておかないと」
「ガレネル・ロハって……?」
「こっちのスチームバイクのことだよ。ビークルと動力の原理は同じで、よりコンパクトに、小回りが利く設計になっている。馬力、トルク、持久力全てにおいてビークルよりは劣るが、ウェイトレシオをかなり小さく抑えてあるからスピードは段違いに速いぞ」

 再び始まったアレックスの講釈。知恵熱が出そうな言葉の羅列からそっと離れようとしたところで、紙たばこに火を点けようとしているカルロさんと目が合った。

「お前、大丈夫か?」
「え、何が」
「顔色おかしいぞ。悪いわけじゃないけど赤いって言うか……熱でもあんのかな」

 くわえたたばこをそのままポケットにしまい、カルロさんが私の額に手を当てる。これはちょっとメソメソした名残なだけで、特に体調に悪い変化があるわけじゃない。だから、大丈夫、そう言えばいいことは分かっているのだけれど、この感触と言うか、空気感がなんだか懐かしくて、私はされるがままになりながらカルロさんをぼんやりと見上げた。

「熱はねえか……。でもあんま無茶すんなよ。さっき俺らと一緒にドックにいた時も、リュカがめちゃくちゃ心配してたぞ」
「リュカ、何か言ってたの?」
「もうずっとお前のことばっかり話してたわ」

 たぶんカルロさんもキアンやアレックスと同じく、敬語だったり敬称だったりを嫌うタイプの人だろう。いちいちそこを指摘されるのもなんだし、自ら砕けた口調で話してみると、とくに違和感なく受け入れられたようだ。

「体調崩してから縁起でもないことしか言わねえから、どうしても元気づけたいってよ。ほら、お前も気付いただろ、3日後までにシーフルを渡すだのなんだのって話」
「えーと……誕生日プレゼントを用意してくれるんだろうなっていうのは、何となく察してはいるかな」

 そう、3日後は実は私の誕生日だったりする。だから、さっきキアンとリュカがこそこそと相談していたことが何なのか、私にはすぐに分かってしまったのだ。

「せっかくのサプライズ計画があいつのせいで台無しになっちまって、ホントにリュカが気の毒だよ。そういうところは気が利かねえっつうか……」

 スチームビークルの計器を確認し、何か記録をとっているキアンを振り返りながら、カルロがため息をつく。

「カルロが気に病むことないよ。私はリュカがお祝いをしようとしてくれているだけで感動できたから。それに、本人たちは私が気付いてるってことに気付いてなさそうだし」

 私がリュカの誕生日……と言っても正確な日は分からないから、リュカが私の家にやって来た日を誕生日に設定しているだけなんだけれど、まあとにかくその日をささやかに祝うことはあっても、リュカが私を祝ってくれたことなんてこれまで一度もなかった。そもそも、パーティーだのプレゼントだのを用意できるような余裕のある生活なんてさせてあげられなかったから、当然と言えば当然だろう。
 だから、サプライズなんていうオプションがなくたって、そんな思い付きができるくらいに落ち着いた環境で穏やかに暮らせているんだということが分かっただけでも、私は充分すぎるぐらいに嬉しかった。

「そう言ってもらえると助かるよ。キアンの気の利かなさはマジで国宝レベルだから」

 続けざまのため息に、カルロがそのとばっちりを受けて気苦労を重ねているんだろうということを察した私は、同情だけでなく共感の意味も込めて苦笑いを浮かべた。

「そういや……キアンから聞いたんだよな、バルジーナを追い出されたって話」
「ああ……うん、まあ」
「自分の事情を話したってことは、たぶんお前のことかなり信頼してるんだと思う。こんな根無し草みてえな生活してると、なかなかそういう人間とは出会えないんだ。だから、俺が言うこっちゃねえんだろうけど……いろいろ面倒くせえやつだけどさ、こっちにいる間だけでも仲良くしてやってくれよ」

 何かと迷惑を被りながらも、カルロはカルロなりにキアンを慕っていて気に掛けているんだろう。ちょっと困ったように微笑むカルロの様子にそんなことを思いながらうなずいて見せると、カルロはまた私の頭をまるで犬か何かみたいに撫で回した。







 日はほとんど沈み、空に群れていた青は黒味を帯び始めていた。
 すっかりひとけのなくなった暗い街道を、馬車の2倍以上の速さで駆け抜けるスチームビークル。前方に取り付けられた2つのガス灯が、道の脇に立ち並ぶひょろりと背の高い落葉樹の影を、普段では有り得ない速さでかき分けていく。
 私はその後部座席で、馬を駆る時とはまた違った爽快さを感じながら、夕日の残り火がうっすらと照らし出す風景を楽しんでいた。
 この辺りは住居はほとんどなく、収穫時期をそろそろ間近に控えて頭を垂れる小麦がどこまでも立ち並んでいるだけだ。おつかいでこの道はよく通るからこの景色は見慣れているはずなのに、速さが違うだけでこんなにも印象が変わるのかと、私はちょっとした感動すら覚えていた。
 初めにフォルムを見た時は不安しかなかったけれど、思ったより揺れは少ないし、分厚いガラスの風防がついているお陰で強い風を真正面から受けることもない。意外と快適な乗り心地、そして何よりこのスピード感がたまらなく良くて、晴れた朝にこれに乗って広い草原を走り抜けたらとても気持ちいいだろうなと思った。
 リュカは助手席に座り、目の前に並ぶ計器を覗き込んで指さしたりしながら、隣で操縦しているカルロと何か話をしている。たぶん、スチームビークルの詳しい仕組みなんかを説明してもらっているんだろう。
 こんな騒音の中なのによく話を理解できるなあと感心していると、ふと手に何かが触れた感覚を覚えてそちらの方に顔を向けた。

「……!」

 隣に座っているキアンが、私に何か話しかけている。私が景色に夢中になって声に気付かないもんだから、手に触れて注意を向けさせたらしい。ただ、地面を削っているかのような車輪の音とエンジン音で何を言っているのかさっぱり聞こえない。
 首を傾げて聞こえていないことをジェスチャーで表してから、体を傾けてキアンの方に耳を寄せると、

「怖くないか?」

 そんな言葉が聞こえた。大丈夫、の意味を込めて大きめにうなずいて見せる。

「すごいな、君は。このスピードで走ると、女性はみんな怖がって騒ぐんだが」
「みんなって、一体何人くらい乗せたのよ」

 別にそういった女性関係の事情を聞き出したかったわけじゃない。会話の流れ上、ちょっと茶化すような感じでそう言っただけなんだけれど、

「えっ、いや……どうだったかな……。正確には覚えていないよ」

 そんな答えが返ってきた。覚えきれないくらい、たくさんの女性と一緒にスチームビークルでのデートを楽しんだらしい。ハイハイおモテになるようでよろしゅうございますね、と本人には聞こえないくらいの小声で言ってから、キアンににっこり微笑みかけた。
 と、その時。

「わっ!」

 ガタン、と車体がひときわ大きく揺れ、思いがけないその衝撃はキアンの方に傾けていた私の体をさらに押し倒してしまった。

「大丈夫か?」

 キャビンの外に放り出されなくて良かったけれど、こうしてキアンの胸元に倒れこむことになってしまったのは、何と言うか、あまりよろしくない展開のような気がする。

「だ、大丈夫。ありがとう」

 そう言いつつ、距離を取るために私は慌てて腕を精いっぱい伸ばし、上半身をややのけぞらせた。

「おい、あまり不安定な姿勢を取るなよ」

 離れかけた手を強く握られ、さらに引き寄せられる。

「整った道じゃないんだ。注意しないと車外に飛び出してしまうぞ」
「分かってるよ、ちゃんと気を付けるから」
「俺の腕に掴まってろ」

 握られた手を、そのままキアンの腕に絡ませられてしまう。
 うん、まあ……それなりに思うところはあるっちゃある。でもここで抵抗するのは流れ的におかしいし、そもそもこれは安全対策のためだ。だから何も気にする必要はない、そう納得した私は、キアンの指示通りに大人しく腕に掴まっておくことにした。

「……」

 会話を続けようにも、この騒音だ。体が密着している状態で顔を近づけ合って話すのはなんだか気が引けてしまい、私は黙ってキアンとは反対側の方向に視線を向けた。
 少しずつ、さっきより確実に夜の闇は濃くなっていて、ふと見上げた空にはポツリポツリと小さな星が煌めき始めていた。

「いいところだな、ここは」

 まるで独り言かのようなその言葉に振り返る。キアンは風になびく黒髪をかき上げ、私と同じように空を見上げていた。

「背の高い密集した建物も、空を走る飛行艇の影も、機械が出す蒸気の霧も……視界を隔てるものは、ここには何一つない。世界はこんなに広いものだったんだということを思い出させてくれる、本当にいい場所だと思う」

 その横顔は、深まる宵闇に埋もれてはっきりとは見えない。そのはずなのに、なぜかキアンが寂し気な表情をしているように思えてならなかった。

「ブランモワ伯領に来てからは特にそう感じるよ。ここに住む人はみんな大らかで明るくて、何より進歩的だからな。フランメル王国は階級至上主義の、小さく縮こまった閉鎖的でつまらない国だと思っていたのに」

 清々しいくらいの低評価に、思わず笑ってしまった。
 階級至上主義は間違っていないし、名誉だとか体裁を守ることしか頭にない人間ばかりだし、新たな風を取り入れようとする者がいれば全力で排除しにかかる。今の国王に代替わりしてからは、そういった流れはさらに偏向的になっていったらしいから、よそから来た人にしてみれば息苦しさしか感じないだろう。
 ただ、その傾向は保守派エリート層で固められた王都から離れれば離れるほど弱まっていて、国王の一声が届くまでに数日かかるような辺境ともなれば、そういった国の意向の影響をほぼ受けることなく、領主がおのおの独自のスタイルを確立させていた。
 このブランモワ領はそのスタイルにおいてひときわ異彩を放っており、王都のギスギスした閉塞感に辟易した地位ある人間の避難場所にもなっているそうだ。

「バルジーナ皇国は、どんな国なの?」

 ふと湧き上がった好奇心に任せて、そう尋ねてみる。

「独裁政治を民主主義と嘯く輩が皇帝として君臨している国だ」

 冷たく切り捨てるキアン。やっぱり皇帝に対してはかなりの恨みを抱いているらしい。

「でも、まあ……昔ほどではないにしても魔術においてはどの国にも引けを取らないし、機械技術の進歩は目覚ましいものがあるからな。世界の最先端を行く素晴らしい国だという評価は、過ぎたものではないとは思うよ」
「……」

 皇帝は憎い。でも、祖国は恋しい。
 そんな思いがひしひしと伝わってくる。
 さっきキアンの横顔が寂しそうに見えたのは、募る望郷心が言葉の端々に滲み出ていたせいなんだろう。

「バルジーナ皇国がたった十数年でここまで発展を遂げられたのは、旧世界の技術をこうして今の時代に再現しようと皇帝が声をあげたお陰でもあるというのが、何とも腹立たしいところだがな」
「旧世界の、技術?」

 旧世界、というのは、今のこの世界が成り立つ前の、別の文明が栄えていた時代のことを指す。でもその頃の文献はほとんど残っていなくて、あったとしても、世界の誰とでも一瞬で繋がれただとか、空に浮かぶ月に降り立つことができただとか、まるで夢物語のような内容しか記されていなかったから、そもそも旧世界という概念すら誰かの作り話だったのでは、という見解がなされていたはずなんだけれど。

「それじゃこのスチームビークルは……」
「空白地から持ち帰った遺物の中に、これの設計図があったんだ。発見されたのはずいぶん昔だが、それを精査して国のために役立てようと言い出したのが……ああ、この話はやめよう。事実とは言えあいつを賛美するのはごめんだからな」

 驚いた。空白地には旧世界文明の名残がたくさん眠っていると聞いたことはあったけれど、まさかそれがただのおとぎ話なんかじゃなかったなんて。

「なんだ、そんなにバルジーナ皇国に興味があるのか?」
「えっ……」

 思いがけない事実をとつぜん知って黙りこくっていると、キアンが不意に私の顔を覗き込んできた。
 自分が考えていたよりも近いその距離に動揺したせいで、何を聞かれたのか分からず、とりあえずうなずいて答える。

「なら近い内に皇都を案内しよう。あそこに行けば、バカでかいアナリーシャ・エニョールを拝めるぞ」
「アナリーシャ……え、何?」
「解析機関のことだ。何十段も重なった歯車それぞれに数字が書かれてあって――」
「ちょ、ちょっと待って」

 機械についての詳しい説明は勘弁してほしい、そんな思いもあってキアンの言葉を遮った。

「皇都を案内するったって、キアンは今バルジーナ皇国には入れないでしょ」
「それも時間の問題だよ。俺にはリュカという救済者がついているからな」
「僕が、なに?」

 自分が話題に上がったことに気付いたらしく、ふとこちらを振り返ったリュカと目が合う。
 リュカはしばらく私とキアンを交互に見比べた後、なぜ自分を話題に出したのかと聞くことも、そのほかの特別なリアクションを見せることもなく、ただ黙って再び前を向いてしまった。そんなリュカの妙な態度に私はがっくりと項垂れて、しまった、と呟いた。いま自分はキアンと腕を組んでいて、かなり密着した状態であることを思い出したのだ。
 リュカにとっては何の感慨もないことだろう。男女の親密なふれあいとか、特別な距離感とか、そういう事象に関してまだ興味や関心を抱くお年頃ではない……はずだし。何度も繰り返すようだけれど、私がキアンにこうして体を寄せているのは特別な何某があるわけじゃない。急な階段を上り降りする時に手すりを掴んでいる、それくらいの感覚だ。だからこんな場面を見られたからと言って動揺するはずも、そんな必要もないわけで、そう、うろたえなくたっていいはずなのに。

「なんて言い訳しよう……」

 自然とそんな言葉が零れていた。

 



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