恨み買取屋

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第一章・首吊り少女の怨念

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 あの世があるとするならば、それは一体如何様な場所なのでしょうか。
 案外、それらしい天使も鬼も神も仏もいないのかも知れません。 
 天国も地獄もそう変わらないのかも知れません。
 天国に飽きた亡者達が、地獄で刑期を終えた亡者達が、商いをしているかも知れません。 
 そうして発展したあの世は――現世と似たような場所かも知れません。

 少なくとも、現世ここより遙かに居やすく優しい場所でありましょう。

   ▽ ▲ ▽ ▲ ▽

「と、言うわけで、君は死んでしまったのだけれど」
 開口一番、その男はそう言った。
 私は何をしていたんだっけ。目の前にはその男の不健康そうな青白くも整った顔面と、お世辞にも綺麗とは言えないような私の部屋の風景が広がっている。
 あぁ、そうだ。
 私はふいっと後ろを振り返った。
 一番に視界に入ってきたのは――
 私の、足。
 ぶら下がってゆらゆらと揺れている、大して筋肉のついていない足。美脚だと褒められたこともあった気がする。何年前の話だったろうか。
 急に現れたこの男を笑えないぐらい青白い肌の色をした、私の死体が…ぶらんとてるてる坊主のようにぶら下がって、洗濯物のように揺れている。
「…君の死因は……あー…説明、いらないよね?」
 青白い顔の彼は、バツが悪そうに頭を掻きながら私に問いかける。
 私はろくに返事もせず、自分の体をぺたぺたと触った。
 特に透けていると言うこともなく、服は首を吊る前と完全に同じ。頭に光るわっかもないし、足は普通についていた。
「…死んだという実感が湧かないわ」
「何言ってんの。僕が見えてるなら、それは死んでしまったということさ」
 青白い男はへらへらと笑った。
 今更だが、彼は上下逆向きの姿勢であぐらをかき、空中に浮いている状態で話をしていた。成る程確かに、これが見えるのならば例え生きていようと今すぐ死ぬと断言できるだろう。
 でも私は、既に死んでいるのか。 
 そうか。
 私は自分の手を握ったり開いたりしてみた。
 特に何も変わっていないと思ったのだが――
「温度がない」
 暖かさも冷たさも感じることができない。
 完全に無に取り残されたような感覚だった。
 それでも、まだ――
「ねぇ。私は本当に死ねたのかしら?やっぱり信じられないわ、証明して見せてよ。ねぇ」
 青白い男に突っかかる。正直この男は信用に値する人物ではないが、本当にないが、今頼れるのはこの男しかいない。
「おや、急に饒舌になるじゃないか君。そんなに自分が死んだか否かが重要かい?」
 男は再びへらへらと笑った。鼻につく笑顔だ。
「そもそも、君の後ろに君の死体があるじゃないか。それは君が死んだことの証明になりはしないのかい?」
 確かに先程確認したように、私の後ろにはまだ少し揺れている自分の死体がある。
 だけど、それでも、まだ意識があって温度以外の感覚もあったらなんだか――
「まだ死ねていない気がするのよ」
「…ふぅん」
 男はにっと笑った。
「じゃあこのまま死体の足でも引っ張っとく?それとも首を刎ねておこうか?」
「えぇ、お願いするわ」
「そこは止めるところじゃない?」
「何よ、貴方が言ったくせに」
「自分の死体だよ、もっと丁重に扱って欲しかったりしないのかい?」
 男は逆さになっているにも関わらず形状を保っていた前髪を、面倒くさそうにかきあげた。
「……どうせもうその体を使う機会はないわ」
「生き返る気はないってコト?まぁそうだろうね、首吊りなんて、自殺以外の何物でもないもの」
 そう言うと男はようやく逆さの体をぐるんと回し、正常な方向に体の向きを変えた。
 既に私は、正常がなんなのか、よくわからなくなっていたけど。
 つま先で軽く着地した男は、私の横を通り過ぎ、私の死体をまじまじと眺める。
「死後数時間ってトコかな。瞳孔は開ききってるし、脈なんか当たり前にないし、ほら糞尿垂れ流し。目玉も飛びでかけてるねー、出なくてラッキーだったじゃん。ほら君も見てみなよ、完ッ全に死んでるって一目瞭然。そのよくわからない葛藤とオサラバしようよ」
「…年頃の乙女の死体をそんなにつらつらと細かく説明するものではないわ。これでも見た目には気を遣っていたほうなのだから」
「へぇー?そんなボサボサ頭で何を…いや、何でもない」
 デリカシーのかけらもない発言に、少し男に睨みを効かせると意外にもすぐ黙った。
 男はまだ私の死体を見つめている。
 一体何がそんなに面白いのかと、半分は怒りから、半分は興味から、私は立ち上がって男と同じように自分の死体を眺める。
 ひどい顔だった。自分とはいえ気持ち悪い。これでも一応美人だと言われていた方なのだが、こうなってはもう美人もブスも関係ない気がする。
「………」
 なのに。
 どうしてだろう、目が離せない。
 決して美しくなどないのに、むしろ醜い、醜悪な姿をした自分から――目が離せなかった。
「綺麗だろう?」
 不意に隣に立っていた青白い男が呟く。
 つい先程あれだけ言ったというのに、そんなことを言えるのかと少し不機嫌になりながら横を向いた。
 そこにはやはり、先程と変わらずまじまじと死体を見つめている彼の姿があった。
 …こうしてみると、普通の青年のように――思える。
「見た目はそりゃ、まぁ…よくないけど。でも、魂の抜けた躰ってのは、魂のある状態よりずっと、そして人間の中で一番綺麗なものなんだよ。君なら…わかるだろう?」
 私はその言葉には返事をせず、男の横顔に向けていた視線を自分の死体に戻した。
 窓の外ではもうすぐ日が昇ろうとしている。朝がくるのだ。
 そうしたら、きっと――
「こうやって眺めていられるのも、今のうちね」
「朝になったらバレるだろうしね。一応葬式とかでならまだ見られるよ」
「違うわ。こうやって、首を吊って死んでいる私を見ていたいのよ」
「ふぅん。やな趣味」
 そう言いつつも、男は私と同じく登り始めた朝日に淡く照らされながら、親が部屋に入ってくるまでそうして死体を眺め続けた。

   ▽ ▲ ▽ ▲ ▽

「一番大事なことを聞いていない気がするわ」
 私達は今、病院のロビーに二人、並んでいた。
 恐らく私は幽体なのだろうからどこにいても邪魔にはならないとは思うが、なんとなく、自分の体をすり抜けられるのが嫌で端っこに寄っている。
 私の死体は、とっくに親に見つかって医者に散々いじくり回され、結局死んだということで話は落ち着き、死体安置所に運ばれていた。つまり、時間はかなり経っていて、今は昼過ぎである。
「……随分とまぁ、落ち着いてるね」
「えぇ。もうここまで来たら驚かないわ」
「…無理してるんじゃないの?そう急いで僕について聞き出そうとしなくても、僕は逃げたりしないよ」
「勝手に私の限界を決めつけないで頂戴。平気って言ったら平気よ」
「そんなこと言うけど、君さぁ…」
 そこまで言って男は言葉を口の中で転がした。
 その言葉は飲み込むには大きく、吐き出すにはいささかしんどかったようで、多少沈黙を作った後観念したように男は口を開いた。
「…君の自殺の原因って、親御さん?」
「それは必要条件であって十分条件じゃないわ。確かに両親は憎かったけれど、それだけなら私は自殺なんて馬鹿げたことしなかったでしょうね」
 男がそう聞くのも、無理はないと思った。
 中々起きてこない私を叩き起こして学校に行かせるべく、母が私の部屋のドアをノックもなしに無遠慮に開けたとき――
 第一声は「だるっ」だった。
 大して慌てた様子もなく、深くため息をついて頭をぼりぼりと掻き、ゴミを見るような目で私を――私の死体を見た。
 それだけならいつもと変わらない。違うのは私が本当にゴミと同じ様なものになっていること。
「迷惑しかかけないガキだな」
 母はそう言って私の部屋から踵を返した。
 去り際に一言、「もう少し綺麗に死んでくれたら楽だったのに」と吐き捨てて。
「――そういう親だったのよ。世間体ばかり気にしていたから、外面はよかったけれど」
 そう、実際両親は私の死を悼む様子は全くなかったけれど――むしろ保険金が入るのを喜んでいたけど――医者の前では泣き崩れて見せた。
 どの口が、と言うような私に対するペラペラの謝罪の言葉やらなんやらを涙混じりに叫び、その姿に医者も同情して目を伏せた。
 もはや俳優になるべきだと思う。
「でも、君の死体には指一本触れなかったね」
 男は半笑いでそう言った。
「えぇ。気持ち悪かったのでしょうね」
 私も淡々と返す。今はこんな話で盛り上がっている場合ではないからだ。少なくとも私にとっては。
「それで。貴方は一体何なの?」
 私の横で腰掛けている彼をまっすぐに見つめて私は問うた。
 彼は何も答えずに、目も合わせずに、ロビーをゆく人の波を何気なしに眺めている。
 …自分で答えてみろ、ということか。
「状況から考えて、死神と言ったところかしら。少なくとも現世の人間ではないわよね。正直死後の世界だなんて信じていなかったけれど、今こうして私は動いているのだから信じる他ないわ」
「ん~中々鋭い。でも、残念。死神なんてちゃちなもんじゃないよ、あんな現世に広く知れ渡ってる浅はかなもんじゃない」
 随分死神に対して毒舌だ。何か死神に恨みでもあるのだろうか。
「…そうだよ、あんなクソ女たらし野郎と一緒にされちゃ困る…僕はあんなのよりよっぽどまとも……」
 明らかに不機嫌そうに顔を歪め、ぶつぶつと悪態をつく彼を横目で見つめる。意外と表情豊かなのか…と面白がっているだけだが。
「なら、貴方は何?私大して知識のある方ではないの。死んだあとに私のところに来る何かなんて…死神以外思いつかないわ」
「ん~…ま、そうか、そうだよね。多分君の知識が人並みを超えてても僕が何者かはわからないと思うよ」
 ていうか、天使って選択肢はないの?と少し頬を膨らませる彼にそれはないと返事をしつつ、彼の発言の意について考えてみた。
 …現世に伝わっていないモノ。 
 あの世があるとするならば、そこの確実な情報を手に入れる術は生きている人間には無い。奇跡的に伝承されている、神様、天使、死神、悪魔、妖怪…多少そういうものがあれど、その最深部、いや、例え知識の手前のあの世の住民なら皆知っているようなことでさえ、現世の人間は知らないことばかりなのだ。 
「そろそろ答えをお願いしたいのだけれど」
「ん~?降参ってこと?」
「……癪だけど、そうよ。降参よ。教えて頂戴」
「仕方ないなぁ、じゃあ自己紹介タイムだ。でも先に君の名前を教えてくれよ。いつまでも『君』ってのもなんだしさ、ほら、交換条件ってことで」
 悪意のない顔でへラっと笑うと、彼は私に促すように掌を向けた。
「…真田。真田さなだ香澄かすみ
「へぇ、あの親にしては良い名前じゃん。それにしても、真田ねぇ…」
 彼は顎に手を当てて少しぼそっと何かを呟いたが、すぐにへらへらした笑顔に戻った。
「よし!約束だ、僕が何なのか教えてあげる」
 そう言うと彼は勢いよく立ち上がって、私の方を向いて告げる。逆光が、どこか神々しい雰囲気を醸し出していた。

「僕は恨み買取屋。名前は――かつら夜狐やこだ」

 まぁよろしく、と彼――夜狐は右手を差し出した。
 恨み買取屋。
 聞き覚えのないその言葉にどう返したらいいかわからず彼の次の言葉を待つと、彼はそれを見越したかのようにへらっと笑った。
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