恨み買取屋

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第一章・首吊り少女の怨念

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 家の中に足を踏み入れると、どんよりした空気は倍になって私にのし掛かってきた。
 小学四年生の頃から住み始めた家だから…かれこれ七年。
 七年間住み続けた家だというのに、まるで初めて足を踏み入れた場所のような…
 そんな気がする。
 ――気がするだけ、なのだけれど。
「…行くよ?」
 夜狐が私に確認するかのようにそう言った。…そんな気遣いを受ける程、気持ちが表に出ていただろうか。
 いけない、ダメだ。怖いなんて感情は押し殺さなくては。たとえ押し殺せずとも表に出さないようにしなくては。
『…どうして?』
 だって。
 いちいち傷ついていたら、どうしようも――
「ええ。行きましょう」
 返事を長いこと溜めてしまった。そのせいで夜狐は余計に私を心配したようだ。それでも、それ以上私に何か言うことはなく歩き出した。
「さーてと、気配はこっちから……」
 そう言って夜狐が目線を向けたドアは、リビングに繋がるドアだ。確かにここから、とんでもない威圧感と重圧を感じる。
「……から……どう…」
「でも……の…費用が……」
 話し声が聞こえる。両親だ。まぁ、両親以外にいないのだけれど。
 何の話をしているのかはもう、どうでも良かった。これ以上あの人達に関わることすら嫌で仕方なかった。
 しかし。
「…まずい」
 その話し声を聞いた夜狐は、その余裕そうな表情を崩して勢い良くドアを開け――
 違う。すり抜けた。
 …そうだった、さっきからドアを開けて建物内に入ったり出たりした記憶がない。
 死んでいることに慣れるのも楽じゃない。
 ってそんなことを言っている場合じゃない。聞き間違いじゃなければ、夜狐は「まずい」と言った。…一体何が?
 不安に刈られた私は思いきってドアを開け――違う、すり抜けた。
 と、同時に思わず息を呑む。
「……っ」
 
 一目でそれとわかる異質なオーラと外見。――例えるなら、不細工な人面魚だろうか。出目金のように目は飛び出していて、鱗は光に反射して禍々しく不規則に光っている。 
 そいつはまるで品定めでもするかのように私の両親をじろじろ見ていた。今すぐ殺すつもりはないらしい。
 夜狐は腰の日本刀を今にも抜こうとしている。その目付きは先程までのそれとは別物で、真剣に、そして明確な殺意を持っていた。
「香澄ちゃん、大丈夫だから。下がってて」
 声色も急に真剣味を帯びた1オクターブ下がった声になり、私は素直にその言葉に従った。
「うぼろぼぼ」
 不細工な人面魚はまるで水中にいるかのような声をあげて、両親にへばりつくように空中を泳いでいる。
「……チッ」
 夜狐が舌打ちをした。…アイツが私の両親の近くから離れないせいで、迂闊に刀を振れないのだろう。おそらく刀が生きている人間にもろに当たってもそのままスパンといったりはしないと思うが、恨みの攻撃がそうであるように何かしらの作用が働いてしまうのだろう。
『恨みは、その内容に合わせて攻撃の仕方が変わる。そしてその攻撃が、もしお互いに生身だったら死に至るようなものなら――攻撃を受けた相手はその場でが起きて死亡って感じかな』
 さっき、家に入る直前夜狐が教えてくれたことだ。
 そうしてしばらく夜狐と恨みが睨み合っている間、聞きたくもない、意識したくもない両親の会話が無理やり私の頭に流れ込んでくる。
「葬式の費用はどうするのよ?さすがにある程度かけないと、回りの家からどんな目で見られるか…」
「ああ…まったくあの出来損ないは貯金すら残してないのか、バイトなんかしてたくせによぉ…」
 夜狐はちらりと横目で私を見る。心配無用だ、と目で返したつもりなのだが、夜狐は眉を潜めて目を逸らした。
「あいつの私物、売れるものは全て売ってしまいましょう。それから、出来るだけコンパクトな葬式にして…死因は自殺、葬式が派手じゃなくても誰も責めたりしないわよ」
「そうだな、そうしよう。…あぁ面倒だ、まぁいても迷惑だったから死んでくれて助かったがな。保険金も入るし」
「そうだ、金のかかるやつも居なくなったことだし、私達の子供を作らない?」
「それはいいな、どうせ金を使うならやっぱり血の繋がった子供に――」
 そこまで会話が進んだ途端。
「ご ぼぁあ」 
 つい先程まで大人しかった恨みが――
 
「「……!?」」
 その水の量は尋常ではなく、どこにそんな水分が入っているんだという程の――、そう、まさに、この部屋いっぱいに水がたまるまで数分もかからないくらいの――
「香澄ちゃん!上にっ!」
 夜狐の声が、現実を理解するのを放棄し始めた頭に渇を入れるように響く。
 ――上?上って、どうやって?
 既に水は私の膝下にまでおよんでいる。しかし両親は先程までと同じように会話を続けている。…やはり恨みの攻撃は、生きている人間には直接的に効くことはないし認知することもできない…
 と、そこまで考えた途端――体が宙に浮いた。
 腕にかかる圧迫感から、誰かに腕をつかまれ引っ張り上げられたのだということは容易に想像がついた。しかし引っ張り上げたのは誰か?
 無論、夜狐以外にいない。
「香澄ちゃん、浮くんだよ!空中に!」
「は、はぁ…?そんなのできるわけ、」
「できるよ!香澄ちゃんもう死んでるでしょ!」
 そうだった。
 が、しかし、体は依然として地球の重力に従い地面へ落ちようとしている。どうあがいても体が下へ下へと落ちていくのだ。
「…無意識の制約」
 ぼそりと呟く声が聞こえた。
「幽体の状態で現世にいると、基本自分の意思に忠実に体が動く。重力に従うも逆らうも自由なんだ。でも香澄ちゃんは、無意識のうちに自分に縛りをかけちゃってるんだと思う。死にたてにはよくあることだけど…今はそれを時間をかけて解く余裕はない」
 そこまで言うと、夜狐は恨みをぎろりと睨み付けた。
「うごぼぼぉご」
 その視線に気付き、恨みが水を吐きながらこちらによってきた。既に室内の水位は椅子に座っている両親の首もとにまで及んでいた。
 急がなくては両親は――
『助ける必要、ある?』
 ふとそんな声が聞こえた。…気がした。
 それはただ私が心のどこかで無意識に発してしまった言葉なのだろうけど、どうしても今そこで蠢いている不細工な人面魚の口から出た音が私の鼓膜を、そう震わせたような気がしてならなかった。
 恨みと目があった。口から絶え間なく流れ続ける液体はまるで私が流せなかった分の涙のようだった。勿論、そんなことはないのだろうけど。
「お、あ、ぅぶぶうぇ」
『憎かったんでしょ?恨んでたんでしょ?今からでも遅くない、殺してしまおう。君の中にあるしがらみは、このままでは一生解けない』
 違うのだ。はそんなことを言っていない。言っているはずがない。この言葉は私の妄想でしかなくて、それを、こんなことを考えている責任を、この恨みに押し付けたいだけだ。
 責任を負えない私の、無意識のうちのずるい自己防衛だ。
「っ、あ」
 気づけば恨みは私達の二、三メートル手前まで迫っている。
 目は未だに合ったままだ。
 武器もなく、そもそも空中に浮かぶことすら出来ず夜狐に抱えて貰っている状態で出来ることなどないに等しく、ただ見つめ合うことしかできない。
「ごめん」
 ふとそんな声が聞こえた。
「一瞬だけ我慢して」
 その言葉を頭で理解する前に、体が浮遊感を覚える。
 と、同時に――冷たい感触と息苦しさが襲う。
 すぐに理解した。私は室内にたまった水面に落下したのだ。
 急いで水面に顔を出す。息を吸って、顔面の水滴を拭って上を見上げた。
「悪いんだけど、こっちも仕事だからさ」
 その声に背筋が凍る。
 私に向けられたものではないとわかってはいるのだが、それでも無意識に背筋が反った。
 水位は――もうすぐ両親の口元を覆う。秒単位でリミットが近づいている。
 まずい、さすがに秒であの恨みを倒すことなんて――
 
 …しかし、その心配は杞憂だったようだ。

 夜狐は恨みの前で一瞬刀を抜いたかと思うと、次の瞬間には恨みの背後で刀を鞘に収めた。ちょうど恨みを通り過ぎた形だ。
 例えるなら――疾風。
 瞬きすらしていないのに、目でその速度を捉えることは叶わなかった。
「ぎぉ……」
 恨みは元々飛び出ている目玉をさらに大きくはみ出させながら、うめき声のようなものをあげる。
 次の瞬間――
 恨みの――出目金の肉が、魚肉が。
『ぶちゅん』
 赤黒い血と共に四方八方に飛び散った。
 と、同時に、部屋の水位が下がっていく。水が引いていくと言うよりは、蒸発していくという感覚だった。その証拠に私の服にたっぷり染みこんだ水分もどんどん乾いていく。
 恨みの死体――もはや死体と言えるのだろうか――もどうやら同じようで、死ぬと蒸発するように消えていくらしい。なんだかそれが非常に寂しく感じられた――骨が残られても困るから別に構わないが。
 しかし夜狐はまだ蒸発しきっていない恨みの死体に手を突っ込んで、かき回すように何かを探している。ぐちゃぐちゃと粘着質な音が部屋に鳴り響いた。
 何か、蒸発せずに残るものでも――
「…あっ」
 そこで私はようやく、ついさっき夜狐が言っていたことを思いだした。
 そもそも彼らの本来の目的は――
 そこで夜狐は死体から手を離した。もう七割ほど蒸発していたからか、案外その手はそれほど激しく汚れておらず、青白く綺麗なままだった。
 その手に握られているのは――ガチャガチャのカプセル程の大きさで、しかし蠱惑的な光を放つ、一つの青紫色の水晶のような球体。
 言われずとも、なんとなく分かった。
 これが――
 
「一体目終了~っと」
 声色も雰囲気も元に戻った夜狐は、私と目を合わせると、先程までと同じようにへらりと笑った。

    ▽ ▲ ▽ ▲ ▽

「少し肝が冷えたわ」
「物理的にも冷えたでしょ。あの時はああするしか無くってさぁ、ごめんね?何か温かいものでも飲む?」
「いいわよ別に、水分は綺麗に飛んだし」
 そもそも幽体はものを食べられるのだろうか。
「はいこれ、君の両親への恨みの核。…結構綺麗だね、禍々しい雰囲気が思ったより少なかった」
 そう言ってコロンと手渡されたのは、先程夜狐が死体からえぐり出した恨みの核。
 禍々しいとかそういうのはよく分からないが、嫌な気がしないのは確かだ。恨みの核というくらいのモノだから、オーラとかそういったものが出てるかと勝手に思っていたがどうやら違うらしい。
「核もその恨みの性質によって変わるんだよ」
 夜狐が私の手の中にある核を指先で弄びながらそう言った。
「簡単に言えば、恨みが強けりゃ強いほど大きくて禍々しい高質な核ができる。そういう核はとにかく大量生産型、もしくは火力に重点を置いた呪具の武器に使われるかな~…で、今香澄ちゃんが持ってるソイツは厄除けとか回復用の呪具に使える。小さくて禍々しさのない核ってのも、正直かなり重要なんだ」
「………へぇ」
 イメージは全く湧かないが、わかったことにしよう。
 核はまるで私をまっすぐ見つめるように、掌の上に鎮座していた。あの気持ちの悪い人面魚の本体がこれだと思うとなんだかやるせない。
「それにしても間に合って良かった。香澄ちゃんがあいつの注意を引きつけてくれたおかげだよ、ありがとうね」
「…そう?別に私は何もしていないけれど」
 そもそも注意を引きつけようがどうしようが、あの夜狐の強さなら勝ちは決定していたと思うのだが。 
「僕だけじゃ多分、近づいては来なかった。香澄ちゃんっていう、生みの親がいたからあいつは警戒心を薄めて近づいてきたんだ。もしそうならなかったら」
 と、ここで彼は想像を絶することを口にした。

「ご両親はで瞬殺だっただろうね」
 
 当然のことという風に、ともすれば聞き流してしまいそうなほど軽い口調で夜狐は話す。
 毒?
 あいつの狙いは両親を溺れ死にさせることではなかったのか。
 いやそもそも、溺死で充分目的は達成できるのだから、意味など無いのではないか。
「さっき死体をまさぐってるときに、少し腕に痺れを感じたんだ。多分あいつの毒――って言っても死にかけだったし、すぐ消えたけどね。でも毒を持ってたってことは、あいつは毒殺が目的だったってことだろ?」
 それは確かに、そう――なのかも知れない。
「おそらく、水位が上がって君の両親の頭を覆ったその瞬間に水に毒を混ぜ込むつもりだったんじゃないかな。じわじわ追い詰めて最後は一気に――ホント、たちの悪い恨みだ」
 …毒。
 ただの水に急に毒素を含ませる。
 住めるはずの環境が急に住めない環境へと化す。
 それは、どこかで聞いたことのある話だった。
『急に幸せの沼が干上がって底なしの穴へ落ちていく――』
 ……ならば、つまり、そういうことか。
 干上がったのではない。
 
「私、こんな家族でも――幸せでない訳では無かったのね」
 幸せの沼は幸せの沼でなくなった。
 しかしそれでも、私は未だ柔らかく包み込んでくれる水中にはいたのだ。
 ただ自分の体を蝕み崩壊させるだけで――
 幸せでない訳では、決して。
「香澄ちゃんがそう思うならそれでいいさ」
 夜狐は核の反射させた光を目の中に受け止めながらそう言った。
「だけれど僕は、君を不幸者として見ているよ」
 今までもこれからも、ね――と夜狐は不敵な笑顔で笑った。
「…一緒になって私が幸せ者だったとは言ってくれないのね」
「香澄ちゃんは言って欲しいの?」
「…そう言うわけじゃないけれど」
 そこまで話すと夜狐は立ち上がり、歩き出した。次の場所へ向かうのだ。ここにいるとどうにも息が詰まってしまうから離れられるのはありがたい。私も素直に立ち上がり、夜狐の背中を追いかけた。
「まぁ、ほら」
 夜狐はいつも通りのへらへら顔で、私の目を見て呟いた。
「誰にも『お前は不幸だ』って思って貰えないって、それこそ不幸だろ?」
 開けっ放しの家の窓から、さも愉快そうな笑い声が聞こえた。
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