恨み買取屋

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第一章・首吊り少女の怨念

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「さて、香澄ちゃん。君は――産みの親だ。それなら、恨みが今どこに存在しているのかが察知できるはず」
「……はぁ」
 病院を出た私たちは、まず次の目的地を決めようと話し合いをすることにした。
 目的地――といっても、それはつまり私の恨みが蔓延っている場所。たとえ存在を察知することが出来ずとも、大体どこにいるかは想像がつく。
 だけれど、一つだけ。
 私が一番恨んでいる相手に対する恨み――そいつだけは、どこにいるのか見当もつかない。
 …こればっかりは、その感覚とやらに任せるしかないか。
「とりあえず、僕は君が抱いていた恨みを全て晴らさなきゃ…倒さなきゃいけない。普通は恨みの持ち主に、大体の場所を聞いて探さなきゃいけないから時間がかかるんだけれど――今回は、君がいる。ナビゲートは頼んだよ?」
「えぇ、わかったわ。…本当に私の一番強い恨みは私に倒させてくれるのよね?」
「約束は守るよ。…でも強い恨みってことは、その言葉のまま、戦闘能力も強い。もし手に負えそうになかったら、僕にも手は出させてもらう。とどめは譲るよ」
 本当だろうか。
 …いや、疑っても仕方がない。どちらにせよ、この男は私に危害を加えるつもりはないみたいだし。
 それになんだか――夜狐には、謎の安心感が――
「さァ、早速狩りに行こうじゃないか。香澄ちゃんの恨みを」
 その思考を遮るように、夜狐の声が鼓膜を震わせた。

    ▽ ▲ ▽ ▲ ▽

「まずは家ね」
「だよねー。わかってた。痛い程わかっていましたとも」
 夜狐は淡々と一定のトーンでそう言った。
「両親はまぁ、普通に恨んでいたわよ。そこまで強敵――って程でもないと思うわ」
「両親を普通に恨むというパワーワード……」
 普通に恨んでいたものはそうなのだから仕方がない。
 夜狐曰く――自殺した霊というのは、かなり多方面に恨みを抱いて死んでいくことが多いそうだ。
 それもそうだろう。私自身がそういうものだから良くわかる。
 そもそも、多方面に恨みという感情を抱いていなければ自殺などしない。
 全てが恨めしい。どこにも居場所がない。どこにいても、居心地が悪い。
 そうなった人間は、二通りに別れる。
 希望を求め、居場所を欲した人は生き。
 絶望を知り、静寂を欲した人は死ぬ。
 私は後者だ。
 静寂を、無関心を、無を求めた。なんにもなくなることを望んだ。
 そしたらまさか、死後までもそんな静寂は用意されていなかったとは。
 やれやれ、案外死ぬという選択はそこまで楽なものではないらしい。
「あぁ、そうそう、君のいう一番強い恨み――それ以外は、僕が何とかするから。香澄ちゃんは何かしちゃダメだよ」
「あら、そうなの?私、ウォーミングアップがしたかったのだけれど」
「それで怪我したら一番大事なときに動けないよ。僕達死人は、確かに二回も死なない。だけど、怪我はするし、血は出るし、痛い。いい?香澄ちゃん。恨みはすぐに倒さなくちゃいけないんだ。それこそ、その人が死んだその日に全部片付けるのが理想だ。そうでもしなきゃ、恨みはすぐに人を殺してしまう――僕達は急がなくちゃいけない。もし香澄ちゃんが怪我をしても、それが治るまで待っていてあげられないんだ」
 そう言われてしまっては、大人しくしているしかない。
 私は不満をおし殺して、文句も噛み殺して、黙って夜狐についていった。
 そんな私を見て、夜狐は少し苦い顔をした。

 私の家までは、現在地から徒歩では中々の距離があった。
 その間、夜狐と――今日初めてあった男性と二人っきり。
 単刀直入に言おう。気まずい。
 どんな話題を振ればいいのか見当もつかない。もし変なことを口走ってしまって怒らせたら…?本当に気まずすぎる。無理。さっきまでどうやって会話していたんだっけ… 
「暇だねぇー、ね、暇潰しにさ、香澄ちゃんの両親の話聞かせてよ」
「えっ、ちょ…何よ急に」
 話題の内容に関しては目を瞑るとして、向こうから話題を振ってくれたのはありがたい。これならただ、相手の望むように話しているだけでいいのだから。
「……そうね、私、両親とはどちらも血が繋がっていないのよ」
「わぁお」
 これはまずい話題を選んじゃったかな、と夜狐はへらへら笑った。ちっともまずい話題だとは思っていなさそうだ。
「じゃあ、何、孤児だったの?拾われっ子?」
「いいえ。最初は両親と――本当の両親と暮らしていたの。でも離婚して、私は父方に引き取られた」
 原因は、母の浮気。
 しかし、そうされても仕方がないと思えるほど父は飲んだくれのDV男だった。母からしたら、そんな男との子供なんて可愛いわけがなく、そして同様に父からしたら子供など金がかかるだけのうざったらしい物でしかない。
 子供ながらに、もうこの家族は破綻寸前なのだとわかっていた。愛されたこともなければ、愛したこともない。いつ壊れてもおかしくない、未練も残らないような家族。
 …いいや。愛したことは、あったかもしれない。
 少なくともあの二人がいなければ私は生きていくことは出来なかったし、まだ言葉も話せずろくに歩けやしない頃は、二人に見てもらおうと必死だったはず。
 面倒を見てもらえただけ、産んで貰えただけ、ありがたかったかもしれない。
「そうして、父は再婚したわ。その人はとても素敵な人だった」
 年齢の割に若く、美しい容貌。私に対する眼差しはまるで実子へ向けるもののように暖かくて。
「優しかったの、とても。当時小学三年生だった私は、ようやく親の暖かさを――幸せな家庭の温もりを、知ることが出来た」
 父は綺麗なお嫁さんを気に入ったのか、暴力を振るうことをしなくなった。多少のモラハラはあったけれども、今までに比べたらそれは生活の中の多少のスパイスみたいなものだった。
 なにより、私には優しい母がいた。いつも仕事帰りに通り道の店でキャンディーを買ってきてくれて、それはどんな宝石よりも輝いて見えた。
 そうして、過去の嫌な家庭を忘れかけていた頃――
「父が死んだの。浮気相手に妻子持ちだってばれて、包丁で滅多刺し」
「はははっ、痛快だ」
 まだ浮気癖が治っていなかったのには驚いたが、いつかこうなる気はしていた。それに、いなくなっても別段悲しいなんてこともなかった。大して私に構ってくれないし、仕事すらろくにしていなかったのだから。
 それに、私には、優しい母が――
 
『直也さんっ!直也さん!そんな……あぁあぁぁぁあぁぁっ!』
 葬式で泣き叫ぶ母を見て、父に対する愛情の深さに驚いたことを記憶している。
 そんなに愛していたのか、あの――父を。
 あんな男でも愛せるなんて、やはりお母さんは優しい人だ。
 しかしそんな幻想は、早くも打ち砕かれることとなる。
「結局、母は父の手前私に優しくすることで好感を得ようとしていたって訳よ。そうまでしてあの男に愛して貰おうだなんて、気が狂っていたとしか思えないけれど」
 父がいなくなった途端、母は人が変わったように私を邪魔者扱いし、暴言を吐き、暴力を振るった。いや、きっと、実際に人が変わったんだと思う。何か悪いモノに取り憑かれでもしたのだ。そう思うこと以外にこの状況を受け入れる術など存在しなかった。
 今までのことは全て演技だと、偽物だと、ただの作り物、子供騙しだったと気付いた後でも――私は元に戻ることを望んだ。
 例え偽りの温もりでもいいから取り戻したかった。
 ようやく手に入れたと思ったのに。ようやく望んだものに辿り着いたと思ったのに。
 どうせ奪うならなぜ与えたんだ。
 それはまるで、幸せなまま寝首を掻かれたような――いいや、それならまだ良かった。
 幸せにずぶずぶに浸かりきった頃に、急に幸せの沼が干上がって底なしの穴へ落ちていく――
 そんな感覚だった。
「そのあとは、母が再婚して新しい父が来た。でもこの父親がかなりの屑で、私を殴る蹴る好き放題。母は男に愛されることだけを望んでいたから、一緒になって私を虐待したわ」
 さすがに高校生になってからはそれも少なくなったが――しかしそれでも、世話をしてくれることは無かった。お小遣いが貰えるはずもなく、しかし家にあるものを私が食べてはいけなかったので、バイトを数多くこなしてきた。
 世間体だけは気にしていたから、学費などの公な費用は払ってくれていたけれど。
「なるほど…確かに血が繋がってない」
「でしょう?まぁ、虐待も邪魔者扱いも、もう慣れたわ。それにもう、あの人達に傷つけられることはないし……」
ねぇ…、ふぅん」
「そうよ。暴言を言われることにも暴力を振るわれることにも、もう――」
 そう言うと、夜狐は不思議な返答をした。
…の間違いでしょ」
 一瞬、息が止まった。
 と言うのも、彼が核心を突いたからである。私が考えもしなかったこと、だけれど心のどこかでわかってはいたこと。それを眼前に突きつけられて、私は少々怖じ気付いた。
「痛みを感じなくなったわけじゃない。痛いことに慣れた。または――痛みを感じないために自分の意見を、感情を、押し殺すことに慣れた。そういうことじゃないの?」
 全てお見通しだ、とでもいう風に、夜狐はその瞳孔の長い山吹色に光る瞳を細めて、じっと私を見ていた。
「僕を想って地獄に落ちない選択をしたのも、文句一つ言わずに僕に従うのも、話題を自分から振ることが出来ないのも――僕には過剰な自己防衛にしか見えない。僕を怒らせないように、がっかりさせないように、僕に嫌われないように。かと言って好かれすぎないように。それは自分を傷つける者を刺激しないようにして自分を守ってきた人の行動としか僕は思えない」
 本当にこの人は、私のことをなんでも知っているのではなかろうか。
 見透かされている――と言うよりは、。私の感情、そのものなのではないかと思えるほどに夜狐は鋭い。
 やっぱりこれは夢なのではなかろうか?私が死の間際に見ている、長すぎる夢なのではなかろうか。
「……鋭いわね」
「ま、数百年は存在してるしね。死んでても普通に知識とかは溜まっていくし」
 数百年………
 どうやら敬語を使うべきとか、そういう物以前の問題らしい。
「そもそも、本当に慣れていたのなら自殺なんて君はしなかっただろうしね」
「…返す言葉もないわ」
 私は諦めて眉をひそめた。この男の前では、まるで自分がもう一人いるような感覚がしてならない。
 それにしてもどうしてここまで私をわかっているのだろうか。
「君の気持ちはよくわかるよ」
 それこそ心を読んだように、夜狐はいやにタイミングよくそう言った。
「軽率に同意とかしちゃいけないんだろうけどさ、一度幸せを知ってから地獄へ叩き落とされるって辛いよね。話を聞いて確信したよ、僕達は――」
 
 どういうことだと聞く前に、夜狐は足を止めた。その理由が私にもよくわかったし、ここまでハッキリしているものなのか、と少し驚きもした。
 目の前には、私の家。
 忌々しい思い出の詰まった――家。
「さァ、ご対面だ」
 それは随分とわかりやすいエフェクトだった。
 私の家の周りに――どす黒くてどこか紫がかった何か、が渦巻いている。
「これが…恨み?」
「そう。それにしても、香澄ちゃんは大して強敵じゃないって言ったけど…」
 かなりでかいね、こりゃ。
 そう言って夜狐は頭を掻いた。それは大して困っているようには見えず、むしろ充分な余裕を感じさせる動作だった。
 私の方は、というと――余裕はゼロに近い。 
「……………」
「…香澄ちゃん、大丈夫?」
 威圧感。
 胸が、いいや、全身が押しつぶされそうな圧を感じ私はたじろぐ。何か悪いものに飲み込まれてしまいそうな――
 ……自分自身の恨みだというのに、情けない。
「平気よ」
 だからそう答えた。
 夜狐に心配をかけたくないし、足手まといだと思われたくなかったから。
「無理しなくて良いからね。…なんて言ったって、君は無理をするんだろうけど」
 夜狐は先頭をきって歩き出した。私も慌ててそれに続く。しかし、一歩進むだけでも非常に困難だった。足の節々がまるで油を長年差していない蝶番のように、ギシギシときしんで動きにくい。幽体でもこんなことがあるのかと、少し感心してしまった。
「僕は君と同じ痛みを知っている」
 不意に夜狐はそう呟いた。
「自分の恨みに向かっていくって、相当辛いことだよ。相手を呪う気持ちと向き合って、その思いを振り切るって、生きていても難しいことなんだから。…香澄ちゃんはその苦しみを今、身をもって味わっている。それでも行く?」
 その言葉に一瞬、心が揺らぐ。
 しかし、それでも――
「……馬鹿にしないで。同じ痛みを知っていても、どう感じたかは同じじゃないでしょ」
「…わかったよ。僕、こう見えて強いんだ。守ってあげるから安心して」
 不覚にも一瞬だけ夜狐の存在に安心してしまった。
「まずは一体目」
 そうして、私達は――の恨みに立ち向かう。
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