恨み買取屋

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第一章・首吊り少女の怨念

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「落ち着いた?」
「………うん」
 こくりと頷いてはみたもののまだ手は震えていた。床に転がった恨みの核と手に握られた拳銃は、ついさっきまでの怒濤の展開が嘘ではないと私に囁いている。
 あと夜狐の左腕。本当にこの人はもっと自分を敬うべきだと思う。
「…その銃、どうしたの?」
 夜狐は当然の疑問を口にした。なるだけソフトに、棘のない口調で、優しく。彼が怒ってたりしないことがいやでも伝わってくるし、最大限の気遣いをしてくれていることも──いやでも伝わってくる。
 私は包み隠さず全てを話した。できるだけこと細やかに、身振り手振りで。花が壁となって道を塞いだこと、だんだんと追い詰められたこと、存在しないはずの私の影に本体が隠れていたこと、それに呑まれかけた時初めて恨みの核が姿形を銃へと変化させたこと。一部は私の愚痴みたいなものだったかもしれない。それでも終始夜狐は黙って聞いていてくれた。
「………なるほど」
 一通り話を終えて、夜狐は少し考え込むように口元に手を添える。細い視線はどこを見るでもなく、自分の思考をそのまま目に写していた。
「香澄ちゃん。核が拳銃になった瞬間とか…打った時とか、体のどこかに痛みはあった?」
「?…いいえ、特には…もしかしたら、痛みなんて気にしてる余裕がなかったのかもしれないけど…」
 痛み、というワードが出てきて私は身を固くした。核の形を変えて、ましてや使うなんて呪術的な行為を素人がしようものなら何かしら代償が発生してもおかしくない。
 ふと、夜狐の視線が私の方へ向けられる。真っ直ぐ射抜くように、かといって何か言葉を発するわけでもなく──そのまま数秒の時が過ぎた。少し気まずい時間の後、ようやく夜狐がその口を開く。
「──参ったよ。なんにもわかんない」
「……は?」
 彼はその名のとおり「お手上げ」と言うように両手を宙に上げ、諦めたような笑顔を私に向けた。
 わからない。不明。不可解。それは場合によっては、不幸な事実を告げられるよりも恐ろしい。
「わ、わかんないって…」
「いやぁ、僕もそこまで詳しいわけじゃないからねぇ~。まぁ結果オーライってことであんまり気にしなくていいんじゃない?あっはっは!」
「そっ、そんな軽いノリで済ませていいものなの…?」
 結構深刻な話だと思っていたから、思わず拍子抜けした私は少し情けない口調で言った。いや少しではないかもしれない。舌がちぎれかけてでもいるのかみたいな、ふにゃふにゃした話し方をしてしまった。
 一方夜狐はいつも通りのへらへらした笑顔で、軽快に笑い飛ばした。少々他人事のようだった気もするが、まぁいい。むしろそれが丁度良い距離感というものである。
「大丈夫大丈夫、別に核を武器にしたからってその代償が発生したりとかはしないからさ~。ま、全部終わったら回収はさせてもらうけど…こっちで武器渡す手間が省けたってことで!そんな心配することないよ」
 安心させようとしてくれたのか単純に子供と見られてるのか、私の頭をくしゃくしゃと撫でくりまわして夜狐は笑った。子供扱いするな、と手を払いのけるつもりでいたのだが、どうにも私にはそれができないらしかった。少なくとも温度のない優しさは私が払うには力が強過ぎた。
 そもそも手間が省けた、と言う夜狐の言葉一つで私はとっくに安心していた。
 迷惑にならなくてよかった。
 怒らせなくて本当によかった。
「………」
 夜狐が一瞬、何か言いたげに困ったように口角を上げた。それを問い詰めるよりも、確信をもつよりも早く彼が先に口を開く。その顔はいつも通りのへらへらした顔に戻っていた。
「──よし!もう学校には恨みはいないよね!次行こっか香澄ちゃん!」
「えっ、あっちょっと、先行かないで…」
「……この学校って…ちょっと作りが複雑だよね……」
「出口分からないなら最初からそう言って」
 最悪壁を抜ければいい話だが、恥ずかしい話、私はまだ壁抜けができない。扉を抜けることは「扉はこちら側とあちら側を行き来する通路」という認識があるからまだできるが、壁ともなるとそれは完璧な隔たりという意識が勝って、無意識の制約に引っかかってしまうのだ。
 ともかく出口に向かわねば。確かに私が通っていた高校は少し入り組んだ構造をしていて、入学したての頃の移動教室はかなり地獄だったが、今となってはもう慣れたものだ。こう見えて学校には毎日真面目に通っていたのだから。
 私は先導し、夜狐を出口まで案内することにした。これで恩の百分の一くらいは返せただろうか。
「……」
 ───次だ。
 きっと次で、最後だ。
 そして、その時は、私がこの手で。
 細かいことを考えるのは後回しにしよう──この拳銃のことも、恨みを自分の手で倒したところで何が残るのかということも、この人に甘えてどれだけの迷惑をかけたのかも…いやそれはさすがに気にするけれども。なんらかの形で返さなければとは思うけれども。
 …そもそもが終わった後、私はこの人と関われるのか?
 正直つかみ所の無い人だし「はい終了!成仏!解散!」とか言われても全然納得できる。後腐れを残さないように人と付き合っていそう。ていうか夜狐だってこれは仕事なんだから、成仏後まで面倒は見てくれないだろう。
 なら恩返しはできそうもないか。
 せめてお礼だけはきちんと伝えないとな──ワガママに付き合ってくれたこと、私を人殺しにしないでくれたこと、数えればこの短時間で山ほどある。そういうときってどういう感謝の言葉を述べるのが正しいんだ…?いやむしろ謝罪の意か…?謝罪の意を述べるべきなのだろうか…?
 …いや。夜狐は多分、ただ一言「ありがとう」って言えば、それで──
 そんな都合のいいことを考えて、思い直そうとして、でもやっぱり考えは変わることのないまま、少し浮き足だった気持ちで階段を降りた。

「なァ、ガキ」
 夜狐の肩に乗った藍玉が、夜狐にしか聞こえないような声でぼそっとそう言った。
「…何?」
 同じく夜狐も藍玉にしか聞こえないような声で答える。
「……」
 藍玉は少し口ごもった。彼女にしては珍しく、どこか落ち着かない様子で、チラ、と香澄の方を伺いながら思い切ったように口を開く。
「…言わなくて、良かったのかい?」
「………うん」
 間が空いたものの、はっきりとそう頷いた彼に反論などできるはずも無かった。
 ただそれでも藍玉には彼の行動が理にかなっているとは思えなかった。
「今向き合わなかったって、後で必ず正面から見据えなきゃいけなくなるンだよ」
「うん」
「アンタはあの子を上げてから落とそうとしてンだよ」
「うん」
「…優しいだけが優しさじゃないってこたァ、アンタもよくわかってるだろ」
「うん」
「………」
 どうやら彼は自分の意思を変えるつもりはないらしかった。
 これ以上何を言っても無駄だと悟った藍玉は、夜狐の肩の上で軽く伸びをすると一つため息をついた。
 自分には義務がある。主人が間違った道に進もうとしていたら、それを止めてやる義務が。いくら主従関係を結んでいようとも、従者にとっての正解が全て主人なわけでは無い。そう言ったのは夜狐の方だ。
 だが藍玉に主人を止めることはできなかった。
 いつだってそうだ。藍玉はいつだって、いつだって主人の間違った行動を正そうとしてきた。
 それでも彼はいつだってこう言うのだ──
『大丈夫。藍に迷惑はかけないよ』
 知っていた。本当はわかっていた。
 従者にとっての正解がいつだって主人で無いように。
 ──主人にとっての正解は、いつだって従者であるとは限らないのだから。
 彼にとって主従関係とは形だけのものだったし、むしろ対等なものとして扱っている。だからものも言いやすいし、気兼ねなく過ごせている。だからこれはありがたいことなんだと、彼女はそう思っている。
 でもそれはつまり、藍玉は夜狐にとって特別な存在では──なくて。
 そんな存在の言葉が、届くはずもなくて。
 いつだって止めてやれない。
 いつだって止まってくれやしない。
 いつだって彼は──自分が傷つくことを拒まない。
「夜狐」
 最後の抵抗とでも言うように、彼女は口を開いた。
「運命と宿命の意味ッてなァ同じだ。どうにもなンないモンがある」
 もう、アタシらにどうにかできる段階じゃないんだよ──と。その言葉を最後に藍玉はふっと姿を消した。式神として、依代に戻ったのだ。
 何もいなくなった肩から目を逸らして、少し前を歩く香澄の背中を見て、右を見て、左を見て、もう一度自分の肩を覗く。
「…わかってるさ、そんなの」
 でも事実を知ったところで、決めるのは彼女自身なんだから──と、夜狐はそんな言葉を頭の中で何度か反芻させた。言い聞かせるように。納得させるように。
 だったら知るのは今じゃなくても、別に──
 なんの理屈も通っていないのはわかっていた。
 でも、だって、仕方ないじゃないか。
 死んだ目のまま安心するような子に現実を突きつけられるほど、夜狐は無慈悲でも、立派な人間でも無かったのだから。

    ▽ ▲ ▽ ▲ ▽

 最後の恨み。
 それがどこにいるのか、私には全く想像がつかなかった。
 私の恨みと縁ゆかりのある場所。もしくは恨んでいる相手本人の近く。
 …時間帯的に、恨んでいる相手本人は家にいるとは限らない。どこにいるかは、わからない。縁やゆかりなんてものは──言わずもがな、全く思い当たる節が無かった。 
 夜狐のアドバイスに従って、感覚を頼りにとりあえず道を歩いてみる。「テキトーに歩いてれば近くなるにつれて気配を感じ取れるでしょ」と。テキトーすぎる。
 まぁでも、そんなに広い範囲を探す必要はないだろうし…案外いい作戦なのかもしれない。
 との思い出の場所だとか、そういうのがないわけではないけれど、でも「これだ!」みたいな特別なものがあるわけでは無かった。
 というかいちいち覚えてない。
 私はただ連れ回されてただけで、行きたいと言ったわけじゃなくて。
 望んでもいない幸福を無理やり飲み込まされていただけだ。
「香澄ちゃん?」
 肩がびくんと跳ねた。思わず少し体を引いて、声がした方に首を回す。
「あ…ごめん、驚かせちゃった?なんか、ぼーっとしてたからさ」
 夜狐が私を覗き込むようにして、申し訳なさそうにへら、と笑った。
「……いや…大丈夫。少し、考え事してただけ」
 なんとなく気まずくて目を合わせずにそう答えた。「もしかして緊張してる~?」なんて茶化す声に返事をする気力も湧かず、それでもなんの反応も示さないのは流石に感じが悪いかなと、首を軽く左右に振った。
 でもそんなのは「緊張してます」って言っているようなものだったし、少なくとも彼にはお見通しだった。
「…ま、大丈夫だよ。最後の恨みは香澄ちゃんが倒す約束だけど…あんまり強かったら僕も手を出させてもらうから」
 いくら嫌だって言ってもこれは譲らないからね!と念押しして夜狐は笑った。
「それにしても、さ。香澄ちゃんがここまでするって、一体そいつはどんな奴だったわけ?」
 それは多分、単純な興味だったのだと思う。言いたくなかったら言わなくていいよ、なんて、彼だったら付け加えるだろうことが分かりきっていたセリフを半分聞き流しながら、少し悩んで私は口を開いた。
 興味ももちろんあるのだろうけど、「話してみたら案外スッキリするかもよ?」というような眼差しに気づかないほど私も鈍感ではなかったし、話は聞いて欲しかった。今までろくな話し相手もいなかったから。
 それで、いざ口を開いて、声を出そうとして。
「っ、」
 言葉が詰まった。
 喉の奥で、声帯がぎゅっと締まるみたいな。言葉どころか息まで詰まらせて、私は静かに口を閉じた。
「?…どうしたの?」
 夜狐が心配そうに少し首を傾げた。その後も何度か口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返して、ようやく私は自分がこの話をしたくないと言うことに気づいた。
「……恋愛事情よ。思春期にありがちなね」
 だからそれだけ伝えた。
 嘘は言っていない。説明不足は嘘じゃないから。
 そう自嘲気味に笑おうとして、そう、笑おうとして──笑えなかった。ただ息をひとかたまり、ふはっと吐き出しただけだった。
「……、へぇ~?香澄ちゃんにもそーゆーのがあったんだねぇ~?」
「………チッ」
「えぇ…今までにないくらいハッキリ意思表示するじゃん…」
 私だって人前でハッキリ舌打ちしたのは初めてだった。
「てことは、何、彼氏に浮気でもされたとか?」
 きっと全て分かった上で夜狐はそう聞いてきた。私の緊張がほぐれるようにしてくれてるんだと思う。そう思うことにする。…でも夜狐だから、やっぱりそうなんだと思う。
「…そもそも付き合ってない、好きだったのかも怪しいの。…私はあの人に対する自分の感情が、ごちゃごちゃしすぎてわかんない」
 ただ。
 ただ一つだけ、ハッキリと明言できることがあった。
「…私は」
 憎い。あの人が憎い。憎くて嫌いで関わりたくもないはずなのに、突き放されるのは怖かった。
 あの人は私の全てを肯定したけど、私の全てを否定した。
 もうわからない。
 あの人が何を考えていたのかも。
 私がどうしたかったのかも。
 …だからせめて、想いの清算ぐらいは──私が。

「あの人がいなければ、自殺なんて馬鹿げたことしなかった」

 さぁ。
 この世で一番くだらない、復讐劇の時間だ。
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