恨み買取屋

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第一章・首吊り少女の怨念

死んだ子の年も数えずに

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 どうしてこうなってしまったのか。
 悪いのは誰なのか。
 それは──

    ▽ ▲ ▽ ▲ ▽

「大丈夫だよ」
 夜狐は優しい声色で言った。何が大丈夫なのかとんと見当がつかないが、それは夜狐も同じらしい。
「…大丈夫」
 私は何も答えなかった。不貞腐れた子供のように、視線を少しばかり逸らしてあさっての方向を睨み、夜狐の言葉に無視を決め込んでいた。
「僕は君の味方だ」
 おどけたように少し笑って見せて、私が顔を上げるのを待ってから、夜狐は私の手を引いて屋根から飛び降りた。

 玄関の扉に手をかける。ドアノブが私の手をすり抜けた。わかっていた。わかっていたことだった。
 未だ残る違和感に目を固く瞑り、ドアをすり抜ける。目を開けて一番に目に飛び込んできたのは、きちんと揃ってはいるもののつま先は家の中の方を向いたローファーだった。薫のものだ。玄関にはその一足しか並んでいない。控えめな大きさの観葉植物の葉先にある虫食いがこちらを見ていた。私はそれを見つめ返して、癖で自分の靴に引っ掛けた手を戻した。
 いつも通りだった。薫に自分の部屋に案内される時の廊下を通って、あまり余計なものに目をやらないようにして、階段の端っこに積まれた数冊の本や物を踏まないように軽く足元を注意しながら、いつも開けっぱなしの和室の部屋の中をなんとなくのぞいて、そしてドアノブに手を──
 ドアノブに手をかけない。
 私にその必要はないから。
 潔く、薫の部屋に入った。薄っぺらな覚悟と低いプライドが、ここで逃げるのは許さないと喚いていた。
 想像していたよりも私は冷静だった。まだ。部屋の中には薫がいて、勉強机に座って、何やらぼうっとしていた。この世で一番憎い相手が今、こうして無防備にいるのを見ても、憤りや悲しさなどはこみ上げてこなかった。まだ。
 あとは銃を構えて照準を合わせ、引き金を引くだけだ。
 ──存外、呆気なかった。
 今薫を目の前にして改めてそう思う。
 一番強い恨みであることに変わりはないが、今、この状況下において、解決策は非常に単純だ。水位の高さに怯えることも、行く道を壁となって防がれることもない。極め付けに、標的は私に気付かない。気付けない。私のことが見えないから。私のことを見てないから。
 部屋の窓から夕陽が差し込んでいる。照らされたカーペットが赤みがかっていた。そこばっかり明るくて、部屋の中は薄暗い。それでも薫は、電気をつけようとはしなかった。ただ、椅子に座って、ぼうっと。ぴくりとも動かない。
 が、私も人のことは言えなかった──あとは銃を構えて撃つだけなのに、体が鉛のように重くて動かせない。怖くはない。震えてもいない。呼吸だって荒くない。だけどそれでも、私の手は銃を握りしめるばかりで動こうとしない。そのまま、時が止まったような時間が続いた。
 ふと、夜狐の方を振り返る。別にこれといって何かを求めたわけではないが、ただ、一人ではないということを再認識したかっただけかもしれない。
 目が合うといつも通り夜狐は笑った。いつも通りに笑おうと意識して、笑っていた。酷い作り笑顔だ。あんまり普段と変わらなすぎて、余計に怪しい。そう心の中で小馬鹿にしながら、私は薫に向き直った。薫は未だ、動いていない。どこか遠い一点を見つめ、ただ座り尽くしているのみである。
『全部僕に任せて』『僕が全部やってあげるから』『香澄には無理だよ』
「っ───」
 感情の勢いに任せて、薫に銃口を向ける。銃身に視界のピントが合わず、少しぼやけた。
 そのままの勢いで、引き金を引けたら──どれだけ楽だっただろうか。
「香澄」
 聞き慣れた声で名前を呼ばれた。
 肩がびくんと跳ねた。指の筋肉が強ばり、銃身が意に反して揺れる。心臓の辺りを逆撫でされるような、嫌な感覚が走った。
 しかし薫の視線の先は私に向けられてはいなかった。私の存在に気づいて呼んだわけではないと察して、ほっと息を吐く。無意識のうちに少し銃身を下げていた。一度下がった銃身をあげるのに、一体私はどれぐらいの時間をかけてしまうんだろうか──と少し憂鬱になったところで、再び薫の声が聞こえてきた。
 考えてみれば当たり前だった。ただ、その時の私はそこに続く言葉があるなど考えもしなかったのだ。

「どうして…」

 その一言に全てが詰まっていた。
 私が死んだことを、学校で聞いたのだろうということ。死因が自殺だということも、知らされているのだろうということ。彼は自分が悪いなどと微塵も思っていないこと。彼は未だ、自分が私にとっての救済だったと信じて疑っていないこと。
 自分なら私の自殺を止めてやれたと、自惚れていること。
 ──少なくとも彼にとって私は、生きていて欲しい人間だったということ。
 今まで勤めて冷静さを保っていた頭の中が、それまでの代償とでもいうように一気に荒れ始めた。全身を巡るこの感情が怒りなのかそれとも悲しみなのか、焦りなのか罪悪感なのか、私にはわかりそうもなかった。ただ一つわかるのは、目の前の相手への圧倒的な殺意。私の感情はそれを軸に、四方八方に飛び散っている。
 それはもはや感情とも呼べない。醜くて自分勝手な、縄張りを荒らされた獣の本能のようなものだと自分でも悟った。
「……っ、………」
 殺さなくちゃ。殺さなくちゃ私は進めない。この人との関係と私の心に区切りをつけないと、私はきっと前進はおろか後退すらできないから。
 本当はわかっていた。この行為にそこまで深い意味はないということも。真に悪いのは誰なのかも。そしてそれは否定も肯定もできないような、虚実と現実の間にあるような曖昧なものだということも。
 私の中で溢れかえった殺意が、銃を指差した。
 私の腕を引いた。
 殺せ。
 殺せ。
 殺せ!
 殺せ!!
 薫は震える銃口に気づきもせず、私の歯が鳴る音など聞こえておらず、恐怖で歪んだ目と目を合わそうともしない。当たり前だった。当たり前だった。それら全ては、至極当然──当たり前のことだった。
 昔からずっと。
 私にとっての
 殺意も憎悪も、有り得ないほど膨らんでいるのに、しかし私は引き金を引けないでいた。この殺意を実行に移すには、未だ足りない何かがあった。覚悟でもない、プライドでもない、何か。私にはその何かがわからない。
「香澄ちゃん」
 夜狐の声が頭を揺さぶった。安心感を覚える声だった。今日初めて会ったばかりだというのに、私はとうに彼のことを信用しきっていた──その事実に少し驚いて、だけれど納得しつつ、私はその声に縋り付いた。足りない何かを求めて。
 夜狐は少し次の言葉に迷っているようだった。その無駄に整った顔が今、どんな感情に歪んでいるのかはわからないが、少なくともいつも通りの笑顔でないことだけはわかった。
「…できるね?」
 優しかった。
 やっぱり、夜狐は優しかった。
 落としていた視線をあげる。もう一度しっかり照準を合わせる。この距離で外すはずがない。引き金が、何よりも重く感じられた。でも大丈夫。私はこの引き金を引ける。足りない何かは揃ったのだから。
 私を信じてくれたのは、夜狐、多分あなたが初めてだった。
「…ごめんなさい」
 それはきっと謝罪ですらなかった。
 だってそうだろう。憎悪に塗れていて、許されようという気もなくて、相手に届きすらしないものを、誰が謝罪と呼ぶものか。
 銃の振動を感じた。
 乾いた音を聞いた。
 引き金を引いた指を戻せないまま──着弾の瞬間を見た。

    ▽ ▲ ▽ ▲ ▽

 薫が席を立った。
 ちょうど私の横を通り過ぎて、ドアを開けて、そう、ドアノブを捻って開けて──外に出ていった。階段を降りる音が遠くで聞こえる。
 銃を構えたまま下げることのできなかった腕を、誰かがそっと下に下ろした。
「よくやったよ」
 頑張ったね、という言葉と共にわしゃわしゃと頭を撫でられる感覚がした。
「…あの人、外に出て行ったってことは…あぁ……大丈夫、香澄ちゃんは聞かなくていい」
 夜狐はそう言って私の耳を塞いだが、とっくに遅かった。ひどい衝撃音とブレーキ音だった。それだけ聞こえてしまえば、あとは想像に難くない。しぶく鮮血とひしゃげた体躯を想像して吐き気がした。
 一人の命が失われること。
 悲しむ人がいるということ。
 その責任を背負うということ。
 覚悟はしたつもりだった。一人の命を奪うという覚悟。でもそんなものは所詮、上部だけのものだった。当たり前だ、そんな覚悟が、十数分でできていいはずがない。
「私、」
 気づけば言葉が口をついて出ていた。それは今更、止められるはずもない。
「この髪、そこまで嫌いじゃなかったの」
 ──それだけ。
 例え皆と違くても。奇怪な目で見られようとも。
 少なくともこの髪は、私の中に私が居る証だったはずだから。
「それだけだったの…」
 だから。
 だからわかっていた。悪いのは誰か。この一つの物語において、悪者は誰だったのか。
 それは私だ。
 人のことを信用しないで、人の善意を無碍にして、挙げ句の果てには逆恨みをして、そして命を危険に晒した。もし夜狐がいなければ、薫の他にも死人が出ていたかもしれない。
 だから、どうしても思わずにはいられない。
 私が自殺なんてしなければ、全てが丸く収まったんじゃないかって。
 私が耐えていれば、全部解決したんじゃないかって。
 全部、全部、全部、全部。
 薫のことだって。
 クラスメイトの噂だって。
 おとうさんとおかあさんだって、もしかしたら、私がもっといい子だったら、ずっと本当の家族のまま──
 つまるところ、全て私の力不足のせいなんじゃないかって。
 私がもっと頑張っていれば。死に甘えたりしなければ。
 みんな幸せだったんじゃないかって。
 幸せなまま終わったんじゃないかって!
「…君は悪くないよ」
 うるさい!
 うるさいうるさいうるさいうるさい!
 そんなとってつけたような言葉なんかいらない!
 悪いのは私だって、お前さえいなければどれほど良かったかって、そう言ってくれた方がずっと──
 出かかった非難の言葉を飲み込んだ。もはやそれは癖みたいなものだった。この後に及んでなお、私は、自分の感情を表に出さんとしていた。わかっていた。こんなふうだから私は追い詰められていったのだと。だからやっぱり、全ては私の力不足のせいなのだと。
 何も言わなかった代わりに膝から力が抜けた。ぺたんとそのままそこに座り込む。もう立っていられなかった。私を突き動かしていた感情が無くなったから。亡くなったから。
 夜狐が座り込んだ私に目線を合わせるように、少し驚いた様子で片膝をついた。肩を軽く支えられている。その手のひらに温もりはなかった。私を殴って突き放して傷つけた手には確かに温もりを感じていたのに、私を助けてくれる手は冷たいなんて、なんともまぁ皮肉な話だ。
 夜狐が何かを言っている。何かを。聞こえない聞こえない聞きたくない。何も。知らない。何も。わからない。何も。
『ねェねェ知ってる?』
 あのキンキン声が脳内で鳴り出した。耳を塞いだ。なんの意味もなかった。
『誰も香澄サンを許してなんかないんだヨ』
 そんなことわかってる。許されないなんてわかってる。私がみんなを許せないのに、私だけが許されてたまるものか。私が私を許せないのに、みんなが許されてたまるものか。
『誰も香澄サンが死んだことを悲しんだりしないヨ』
 わかってる。わかってるから死んだんだ。悲しむ人がいてくれるのなら──私という人間自体を悼んでくれる人がいたのなら、私だって死ななかった。
 本当に?
『ねェ』
 やめて、もうやめて。聞きたくない。耳を塞ぐ手に力がこもった。結果は同じだった。
『自分が死んだらみんな反省すると思っタ?』
 呼吸が一気に狂い出した。
 生理的な涙が溢れてきた。昔からこうだった。過呼吸を起こさないと泣くことすらできなかった。
 みんな反省すると思ったかだって?
 舐めるな。
 私は、私の自殺がみんなのトラウマになればいいって、そう思って──
 そうだ。私は最後の最後に期待をした。
 私はみんなが思ってたよりずっと、最低でめんどくさくい人間だったと思うよ。
 そして私は、私が思ってたよりずっと、いらない存在だったんだと思うよ。
 頭皮に爪が食い込んでいくのを感じる。血は出てる?わからない。わからない。
『死んでまで迷惑な人間なんて、救いようがないね』
 声の調子が変わった。
『やっぱり僕がいなきゃあ駄目じゃないか』
 流血。頭から流れる血。下を見ると血が滴った跡があった。これは私の血?それともあの人の血?
『ねぇ?香澄』
 銃。銃。額の銃創。引き金。私の指。指。人差し指。引かれた引き金と硝煙。
 やだ。やだ。やだ。やだ。
『君が一番言われたくないことを言ってあげる』
 自分が今倒れているのか座っているのかもわからないぐらい、平衡感覚が死んでいた。気持ち悪い。えずいても出てくるのは乾いた嗚咽だけだ。
『香澄はね、誰からも許されないまま、誰からも忘れられるんだよ』
 わかっていた。だって私の代わりなどいくらでもいるのだから。いいや、私は、代わりがいらないくらい不必要な人間だったのだから。
 わかっていた。
 私がいつどこでどんな死に方をしようが、数日後には私の存在はみんなの頭から薄れていく。
 薫だって例外ではなかった。
 ただそれがどうしようもなく寂しかった。
 この焦燥感も、幻覚も幻聴も、死してなお続く希死念慮も、全ては一人の人間を殺した最悪感からくるものなのだろうか。それともこれは私の未練なのだろうか。
 甲高い笑い声が私の頭を殴る。ようやく気づいた。この声は噂の恨みのものじゃない。おかあさんの声だ。私を殴る時の、おかあさんの声だ。
「ごめんなさい…」
 私はいつも通り、許される気のない謝罪をする。ただ相手に納得してもらうだけの謝罪をする。少しでも痛みを和らげるための謝罪をする。
「……ごめんなさい…」
 笑い声は止まない。むしろ声量を増している。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、…ごめんなさい」
 笑い声に返事をするように謝罪を繰り返す。劣等感と恐怖心と痛みと、それからなんとも言えない寂しさがフラッシュバックした。その記憶が私の口をさらに無理やりこじ開けた。
「ごめんなさっ、ごめんなさい…ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
 ろくに呼吸もできていないのに喋り続けたせいか、意識が遠くへ行っているのがわかった。今の私にとっては都合が良かった。全部諦めて目を閉じてしまおうとした。なのに口は閉じられなかった。
 涙が頬を伝う感覚がした。久々の感覚だった。これは本当に生理的な涙なのだろうか。
 大きな笑い声が感覚の全てを牛耳っている。その感覚に抵抗することはできない。だって悪いのは私だから。
 視界が黒く染まってきた。
 誰かが強い力で私の腕を引っ張った気がした。

「香澄っ!」

 耳元で喝を入れるような大きな声がした。体が跳ねた。
 笑い声なんかより、もっとずっと大きかった。
「…あ」
 途端、住宅街の生活音が耳に入ってくる。笑い声も聞こえなくなった。
 夜狐が私の腕を掴んで耳元から引き離している。掴む力はひどく強かったけれど、怖くはなかった。肩に加わる力がさっきよりも強いのは、私が自分で体を支えきれていない証拠だった。そして私はゆっくりと状況を理解する。
「…大丈夫だから、ゆっくり呼吸して。ほら、吸ってー、吐いて…そう、上手」
 言われるがまま呼吸をした。目尻に溜まった涙が頬を伝ったのを最後に涙は止まった。
 私の呼吸が落ち着いたのを見て夜狐が安心したように息を吐いた。
 私自身も落ち着けたおかげで、見たくもない現実をはっきりと認識することができる。
 ──私の中で、薫への憎悪が消えていた。
 それは、つまり、恨みの消失──彼の死を意味する。
 死んだ。
 死んだ。
 一番憎い人が、いいや──憎かった人が。
 もうあの人を憎い復讐相手として見ることは私にはできない。
 残されたのは一人の善良な男子高校生を殺したという事実と罪悪感だけ。だって、「ざまあみろ」も「スッキリした」も、それは相手を憎んでいるからこそ成立する感情なんだから。
 私は人殺し。
 ただの人殺し。
「あ…ぁ……わっ、私……」
 もうここに帰ってくる人はいない。この部屋の持ち主はいない。
 まず思い浮かぶのは薫の母親のことだった。たった一人の息子を亡くした、母親の。うちとは違って、きっと悲しんでくれるのだろうなあと、どこか他人事のような考えが脳裏をよぎった。
「ちが……」
 たかが自分を否定されたというだけの理由で。自分の存在を否定されたという理由だけで。彼の自己満足に付き合わされていたという理由だけで。
 
「………わたし…」
 やっぱり私のせいだ。私の我慢が足りなかったせいだ。
 一人の命の重さは、私を押しつぶすには十分だった。
 薫が私にしてきたことの傷の重さは、私が薫を殺したことの理由として納得するには軽すぎたのに。
 ──ごめんなさい。
 私は自分勝手な人間です。
 だから、どうか──
 ──続きの言葉は思い浮かばなかった。
「香澄ちゃん」
 夜狐の声にまた肩が跳ねる。いちいちびくびくしていては彼にも失礼だとわかってはいるのだが、どうしても今は音──特に人の声には敏感になっている気がする。
「……」
 夜狐が手首を掴む力が少し緩んだ。それから一つ遅れて、私はようやく夜狐の顔を見た。どうしても怖くて見ることのできなかった彼の顔を。
 夜狐は私と正反対の、落ち着き払った顔をしていた。当然だ、彼には動揺する理由はない。だけど、口元にいつもの笑顔はない。それが少しだけ怖かった。そのまま重い沈黙が落ちた。私が掴まれた手首を少し動かしたのが合図のように、夜狐の方が先に口を開いた。
「僕、口下手だからさ」
 上手く言えないけど、彼は少し目線をずらして困ったようにそう言った。そこまで口下手だと思ったことはないが、確かにあまり口八丁というわけではなさそうだ、と自分でも納得した。どうして急にそんなことを言ったのかはわかっている。私を慰めようとしているんだ。だけれど慰めの言葉が見つからなくて、言い訳としてまずその事実を私に伝えたんだ。
 だけど、正直今はどんな言葉も頭に入ってこないような気がした。
「…香澄ちゃんさ、自分が全部悪いとか思ってるでしょ」
 図星だった。というか、実際そうだった。
 どうしてそう思うのかと聞かれたら、それは、私が私だからと答えるしかない。
 しかし、続く夜狐の言葉は私が思っていたのとは全く違うものだった。
「それ思い上がりだよ」
 その言葉が妙に気に食わなかった。いや、言葉じゃなくて、言い方だったのかもしれない。吐き捨てるように、だけどどこか同情しているような、見知らぬ子供に言い聞かせるような口調が、どこまでも私を馬鹿にしているような気がして。もちろん、そんな気がするだけなのだけれど。わかっていたのだけれど、今の私に余裕なんてなかった。でも、感情のまま怒鳴ることはしたくなくて、いいや、できなくて──私はただ首を振った。
 自殺なんて陰湿な方法で復讐を図った私が悪者なんて最初から決まっていたようなものじゃないか。
 そもそも人の命を奪った私が責められないという方が無理がある。
 だから私が悪いの。それでいいの。
 それで終わりでいいから。
「香澄ちゃん、悪いのは君の両親とクラスメイトと先生とこの部屋の持ち主だよ。君はそう思えないかもしれないけど僕はそう思うね」
 もういいでしょ。私が悪いって言ってるんだから。本人が認めてるんだから。終わった話を蒸し返そうとしないで。これ以上違う誰かを責めようとしないで。
「ねぇ」
 金眼が私を覗き込んだ。いつになく真剣味を帯びた目だった。怒っているわけではないとわかる。わかるけれど、いつもより低い声に思わず口を閉じた。
「何がそんなに気に入らないの?」
 その目は明らかに全てを見通していた。きっと私が答える必要もないくらいに。
 けれど彼は私自身の口から言わせたいのだろう。私自身に認めさせたいのだろう。それが本当の「区切り」だから。
「……だって」
 震える口を開く。
「だって、そうしないと」
 私が悪いことにしないと。
 悪者を私にしないと。
 私はあくまで自ら命を絶った親不孝で命を軽く見ている悪い子にならないと。
「…みんな」
 みんなが。
 薫が。
 ──おとうさんとおかあさんが。
「わたしの、せいでっ、悪者にされちゃう…」
 死のうとした時、私は遺書を書かなかった。
 そんな余裕、なかったのかもしれない。実際あの時の私は、文章を紡ぐどころかペンを持つ余裕すらなかっただろう。
 でもそれ以上に、私のせいで皆が責められるのが耐えられなかった。
 あのまま生きていたら私はいつか、みんなを本気で嫌いになっていただろう。
 少なくともいつか本気で両親への愛想を尽かしてしまっただろう。
 恨んでたけど、嫌いだったけど、憎かったけど。
 でもやっぱり心のどこかで期待していた。
 嫌いだと割り切ることができなかった。
 本当は嫌いになりたくなかった。
「私の自殺がみんなのトラウマになればいい」って、それは、あくまでも彼らが自分に少しでも非があると思っていないと成立しないから。そしてそれはあくまで自分の中だけでおさまるものだから。
 自分で自分を責めるならそれでいいの。ただ、みんなをよく知りもしない人たちがみんなを責めるのが嫌だったの。耐えられなかったの。
「みんな、悪い人たちじゃないの」
 だって知ってたから。
 先生は生徒一人一人と真摯に向き合っている、教師の模範みたいな人だと。
 クラスメイトはいつも一人の私のことを彼らなりに気遣ってくれていたと。
 おかあさんは好きな人のために泣ける人だと。
 おとうさんは自分が恋した相手のことを大事にできる人だと。
 私の本当のお母さんは、最後まで私を置いて出ていくことに胸を痛めてくれていたこと。
 薫は──理由はどうあれ、自分ではない誰かのために本気になれる人だと。
 そして恨みは倒された。
 なら私が許せないのは、誰?
 私が本当に許せないのは誰?
「好きだったの…」
 こんな馬鹿みたいな本音を言ったのは夜狐が初めてだった。
 好きだった。大切だった。期待してた。きっとみんなはそうじゃなかったのに。
 だから責められるのなんて。
 私が責めることができる人なんて、私しかいないじゃない。
「君は優しいよ」
 優しすぎる、と、さっきより落ち着いた声で夜狐は言った。
「でもね、香澄ちゃんの想いを否定したくもないんだ。…だから君の周りの人たちを責めたくないなら責めなければいい。かといって自分を責めちゃ駄目。結局どう頑張ったって悪いのは向こうなんだから」
 それができたら苦労しない、と私は一人下唇を噛み締めた。それは夜狐にひどい言葉を浴びせないためだった。
「香澄ちゃん、だからここは、真ん中を取るってのはどうかな」
 そう言って悪戯っぽく笑う彼の真意を測ることができず、私は気の抜けた顔で夜狐の顔を見た。
「…まんなか?」
「そ。香澄ちゃんだって、誰かのこと責めなきゃ気が済まないでしょ?」
 図星だった。私の芸当だった「我慢」は、この局面において使えそうになかった。

「僕を悪者にしなよ」

 まず、無茶を言うなと思った。
 次に恐怖を覚えた。
 この人は一体、どれだけ自分に対する庇護欲がないのだろうかと。
「無理ってことはないと思うんだよね。考えてもごらんよ、僕がもっと強かったら香澄ちゃんはあの人をこの手で殺すことはなかった。いやそもそも、僕が香澄ちゃんと顔を合わせていなければ、君は何も知らないままでいられたんだ」
 詭弁。こじつけ。屁理屈。しかしそんなことは夜狐とて承知の上だろう。
「…それだけじゃ、僕を悪者にするには足りないかな?」
 足りないどころか、夜狐を悪者にするにはそれこそ全ての黒幕は彼だったとか、そういうレベルの悪行を持ってこないと話にならない。たったこれだけで彼を責めようものなら、それはただの八つ当たりだ。
 ──いいや。夜狐は多分「八つ当たりをしろ」と言っているのだろうけど。
「わかった。もう一つ僕が悪者たる理由をあげようか」
 セリフの内容とは違ってへらへらと明るい声だった。
「僕、これまでに何度も君を助けたけど、あれは全部自己満足だよ」
 どう?腹立った?と悪びれもせずへらへら笑う声が響いた。多分それすら計算のうちだった。
 でも駄目だよ夜狐。
 私は本当の自己満足を知ってる。
「…うそつき」
 なんで最後の最後に私に嫌われようとするの。
 なんで私のために嫌われようとするの。
 私は誰のことも嫌いになんかなりたくないのに。
「……うそつき」
 もういい。そっちがその気なら私だって構うものか。どうせもう会うことなんてないでしょ。そうでしょ。
 いっそのこと嫌われてもいい。
 そんな思いだけで拳を振り上げた。そんな私を見ても夜狐は全く動じなかった。握った拳の力がひどく弱まった。
 もはや拳とも呼べないものが、なんの音も立てずに夜狐の左肩に当たった。いや、触れた。
 夜狐は何も言わなかった。おかあさんは私が触れると怒ったのに。
 そっか、これが普通なんだ、と。
 異常なのはあっちなんだと。
 認めて受け入れれば、あとは簡単だった。
 区切りをつけるのは。
「いてっ」
 ほぼ頭突きの勢いで夜狐の鎖骨の真ん中あたりに頭を押しつけた。鈍い音がした。もはやこっちが痛かったけど、絶対に顔は上げてやるもんかとさらに強く押しつける。
 顔を見られたくなかったから。
「……ぅ」
 認めて、受け入れれば。

「………っあぁ~……」

 嫌いになるのは、簡単だった。
「──っ」
「うっ、ふぇ、……っう」
 本当は、本当は、おとうさんとおかあさんに慰めて欲しかった。友達に笑い飛ばして欲しかった。先生によく頑張ったねって言われたかった。好きな人に頭撫でてもらいたかった。
 私だって普通に生きたかった。
 私だって死にたくなかった。
 でもそんなの無理だった。手遅れだった。だって、人は普通から脱却することを望むのが普通なんだから。
 今こうやって背中をさすってくれるのだって、本当は生きてる時にやって欲しかったの。
「…ごめんなさい………」
 だからごめんなさい。
 私、あなたたちのこと、嫌い。
 大っ嫌い。

    ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ 

 終わった。真田香澄の死は、微妙なハッピーエンドとして終わりを向かえた。なぜなら世界で主役たり得るものは生きている者でなくてはならないのだから。
 まだらな拍手と共に幕が引かれる。二度と開けられることのない幕が。
 ここで泣きじゃくる少女のことなど気にもとめずに。

    ▽ ▲ ▽ ▲ ▽

 ある女の子が、自分で勝手にその命を断ちました。
 誰も心から悲しい、辛いとは思いませんでした。なので誰の心も傷つきませんでした。
 そして彼女の死の理由について、彼女の両親や友人、その他知り合いが責められることは一切ありませんでした。
 だって、勝手に死んだのですから。
 彼女の死によって悪い方向に変化したものは、大してありませんでしたとさ。
 めでたし、めでたし。
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