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第二十八話:赤い双瓜
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槍先がヨーヨーに弾き飛ばされた。
そのまま使い手──美寧の意思に反して旋回し、捉えるべき対象へ向かなくなる。
目の前に迫り来る拳、と見せかけた、引き抜かれる刃。
通らない攻撃。避けきれなくなってゆく反撃。削られる体力。それでも尚、冴え続ける頭。
だと言うのに頑なに退かない。
千鬼とすぐるは顔を見合わせた。美寧は何か作戦を持っているのだろうか──いいや、そんなそぶりはない。これが生徒会で最も戦闘能力を持たない彼女の限界だ。
しかし、ならば残るのは──矛盾だけ。
千鬼は考える。合理的機械思考を持つ彼女がここにとどまり続けるのには、必ず何か理由があるはずだ。
──合理で考えろ。感情の空間を挟むな。むしろ感情というピースが欠けたその分、美寧の思考は他より格段に読みやすいはずなのだから。
すぐるのヨーヨーが、少し迷いを持ったように揺れる。
「すぐる!油断するな、こいつは、絶対にまだ何か」
本当にそうか?
刀を持つ手が強張る。
目の前を通り過ぎていったヨーヨーと、それと戯れる槍の旋回する動きを見つめ、千鬼の思考は何故か──今この場にいない、関係もないはずの人間に傾いていく。
風が木の葉を煽る音。戦闘音。不協和音。
千鬼は知っていた。この雰囲気。違和感の正体。
そうだ。ついこの間だ。わずかな、でも確かな、違和感。この違和感を、見破ったのは誰だった。
「……」
いいや、今回は戦いの前提が違う。当てはまるとは限らない。
…でも、それ自体がミスリードだったとしたら?
──そもそも、美寧の異能は人体の無意識の行動までは、いや、もっと、彼女の核心まで届くものではないのだとしたら──
振り乱された髪の隙間から覗く、美寧の赤く濁った瞳が、千鬼と相対する。目が、合う。
赤。
「──あっ」
* * *
赤い瞳が憎悪に揺れている。
母親譲りの美しいパール色の髪が靡く様も、対になった日本刀の上品な輝きも、全ては脇役でしかない。亜音速の鎖と日本刀がぶつかり合って火花が散った。
その中の一尾──無刀に迫る圧倒的密度の鎖の中のほんの数本が、真里に向かって加速した。殺意ののった重い弾道。
並の人間ならば、そんなことにすら気づかず自分を守ることに精一杯だろう。そもそも自分一人すら守り切れるかどうか怪しい。
「余所見とは余裕ですね。浮気ですよ」
『衝撃波』が、会長の喉元に届く。
会長は膝をたわませて後ろ向きに倒れるように姿勢を低くすると、そのまま両手を地面につけ、勢いを利用して後転。着地した頃にはとっくに、攻撃は全て──真里に向かっていた攻撃に至るまで、叩き落とされていた。
「…やはり、お前は無理矢理にでも生徒会に入れるべき逸材だったな。橘無刀」
「それは光栄で」
戦いが一度硬直する。
会長も無刀も、異能の特性ゆえに、「間合い」という概念が存在しないに等しい。視認できる範囲であれば、いつだって攻撃は可能なのだ。
だから目だけは離さない。
離さないが──その実、会長の意識は真里に傾いていたし、そのことは無刀もわかっていた。
「…何度も考えましたが、理解ができませんね」
不意に無刀が口を開く。会長が首を傾げ、下から睨め上げるように視線を放つ。
「今回の件、謎が多すぎます。…異能を持つものには見えないはずの女郎蜘蛛を認知しているあなた。それにもかかわらず、殺そうとしているのは女郎蜘蛛ではなく真里さんであること」
会長は目を細める。会長から浮かび上がる殺気がとぐろを巻き、一人の人間をまるで何万の軍勢のように見せた。
ただそれは、彼の実力を視覚化して映しただけのものかもしれないが──
無刀は怯まない。その足はしかと地面に根を張り、震えなど起こさない。起こさないように、している。
「最大の謎は、あなたのその執着だ」
会長の眉がぴくりと動いた。
「…ふん。俺からしたら、あれだけのことをしたお前が何事もなかったのように、俺の敵として、蓮田谷真里の仲間としてここに立っていることの方が謎だな」
「誤魔化すのが下手な人ですね。よっぽど詮索されたくないのでしょうか」
会長は一瞬、む、と眉間を寄せて不機嫌そうな顔をした。しかし、無刀の持つ日本刀の切先が少し上がったのを見ると、少しめんどくさそうな顔をして口を開く。
「理解する必要はない。だが、一つだけ訂正をさせて貰おう」
「──女郎蜘蛛、というのは──異能力そのものと言って良いモノなんですって、ね?」
業の声が、静かな脈をとる会長の耳には届いた。
ほくそ笑む代わりに彼はほんの少しだけ長い瞬きをする。
「殺すのは別に、どっちだって良いんだ。蓮田谷でも、女郎蜘蛛でも」
刹那、校庭の一角に魔法陣が浮き上がる。
「──…!?」
淡い青緑の光を放つそれは、業を中心として風とともに巻きおこり、少なくとも真里の周辺十メートルを囲んでいる。その暴風は、一拍置いてこの場の全員の裾を巻き上げた。
雨城業。異能力の無効化、という異能を持つ男。
魔法陣は彼の異能の象徴であり、異能無効化される範囲──つまり異能が消滅する範囲の指標であり──
女郎蜘蛛。
異能力、そのもの。
「あいつは女郎蜘蛛を殺すことができる、唯一の男だ」
会長はそこで初めて無刀から目を逸らし、真里に視線を移動させる。
余裕そうな笑顔を崩さない業は、その高い視界から真里を見下ろした。俯きがちな顔は前髪に隠れて、真里の表情を覗くことは叶わない。
業は口角をさらに歪ませる。
あっけない、たった数秒にも満たない動作で、世を脅かす化け物は敗北し消滅する。
──はずだった。
「「──ああそうだよ」」
嘲笑うような声が偶然にも一致し、二重に会長と業の耳に届く。
業の口元の笑みが緩んだ。
真里の方に視線を向けた会長は、ひゅっと息を呑む。まずい、というように瞳孔がぶれた。
「業!」
下がれ、という意味を含むであろう手の動きがあまりにも焦りを含んでいて、そして何よりも、その声がらしくもない大声だったから、業はほんの少し動揺した。具体的に言えば、真里から一瞬目を離してしまったのだ。
業の視界に茶髪が映る。
夕日の一歩手前のような、淡い太陽光と、魔法陣の淡い緑の光を同時に受ける茶髪はまるで──まるで氷晶石のような、美しい銀髪のような──
しかしその瞳だけは、濃くはっきりとした鳶色を保ったまま。
真里のバットは業の異能によりその性能を失い、本来のバットに戻ってはいたが、人一人気絶させるには十分な強度を持ち合わせている。
彼の表情は笑顔だった。
余裕そうな──ではなく、標的に牙を向ける野生動物が如く。
「驚きましたか。生徒会長サマ」
明らかに笑いを堪えているような声が、会長の耳を不快にねぶるように響く。
会長は混乱と不快感の混じったような瞳を無刀に向けた。指先が行き場を失ったように、いいや、行き場に迷ったように、少しだけ強張る。
「なんともまあ、わかりやすい行動パターンでした──まるで役人仕事のようですね。マニュアル通りにしか仕事のできない、頭のお堅い連中」
無刀はまるで緊張が解けたかのように、そう、面白くなってしまった子供のように、ぺらぺらと口を動かす。
「…ああ、でも、生徒会なんてそんなもんですか。ありもしない主人にあげへつらう、妄想の中の野犬…」
堪えきれなくなったのか、くくっと笑い声を漏らす。面白くってたまらないらしいその顔は、先刻の業より悪役じみている。
「ああ!勘違いなさらないでくださいね、会長のことを野犬と申し上げたわけではないのです。私が言いたいのは──」
必要以上に丁寧な口調をして、瞳を三日月型に湾曲させて、口角を片方だけ高くあげて。なんともまあ、性格の悪そうな顔をしている。
けれども彼は油断をしていなかった。決して愉悦に浸るばかりではなかった。証拠に、彼は顎を引いて会長の全身をその視界に納め、一挙一動を見逃さないようにしている。そして──
眼光が、より鋭く映る。
「主人であるべき貴方が、その役目を果たせていないということです」
無刀は自分のセリフが気に入ったのか、再び声を漏らして笑った。
「…確かに、一本取られた。それは認めよう」
金属がぶつかり合って、楽器のような音を立てた。…鎖だ。
「ならば蓮田谷を殺すだけだ。言っただろう、殺すのは別に、どちらでもいいと」
「ええ。知っています。…でも、戦況は確実に掻き乱しました」
風が吹いた。巻き上がる無刀のパール色の髪は、業の魔法陣の光に照らされて、淡く発光している。
赤い瞳。
その瞳にかつて会長が見ていた濁りは、そして今もなお無刀の顔全体に残る陰湿さは見つからなかった。
強く、まっすぐで、決して迷わない──
目元にだけは千鬼の影が、チラつく。
「だって貴方、女郎蜘蛛の居場所がわからないでしょう?」
「……」
お互いの殺気がぶつかり合って、消える。
そうだ。物理的に隠れられてしまっては、見えようが見えまいが同じなのだ。
「どうですか?見えない核兵器は、戦争でも非常に有効な手段らしいですよ」
戦況は傾き出す。
勝率を百パーセントまであげると豪語した男の目の前で。
──欺けた!欺けた!生徒会の目を、一瞬でも!
俺は興奮で震える手を押さえつけるようにバットを握り、業の下顎を狙う。
無刀は読んでいたのだ。ここまでの流れを。生徒会は、女郎蜘蛛が俺のそばについていると踏んで、必ず俺に業をぶつけることを。
だって当たり前だ。俺には戦闘力がないのだから、女郎蜘蛛を常にそばに置いて危険から守らせるだろうと、俺だってそう思う。
ああ、よかった。俺が弱くて、こいつらにとっての脅威でなくて、本当に良かった。
おかげで女郎蜘蛛は生きている。
「狩られる獲物だって、そこまで馬鹿じゃねえよっ…」
今だ。ここを叩くしかない。この一瞬の体勢の崩れを、ほんの小さな傷を、こじ開けて抉り出して引きちぎってやる!
業の下顎に吸い込まれるようにバットが旋回する。
業と目が合った。
* * *
千鬼は戦場で固まっていた。
まさか、ありえない。いいや、でも、もしかしたら。
今さっき浮かんだ一つの可能性が、頭を殴っては消えていく。あまりに素っ頓狂な可能性なのだ。確証が持てない以上、全ては仮想でしかなく、「もしも」の話でしかない。
そして「もしも」は、戦場にはない。
少なくともそう教わってきたし、そうだと千鬼も思っていたから、どうしてもその思考を貫けなかった。
「……ッ」
でも。だけど。
そうだとしたら──
千鬼は歯を食いしばる。決意には時間がいるだろう。だが戦場に、巻き戻しはない。一時停止だってありはしない。
少なくともそう教わってきたし。
そうだと、千鬼も実感してきたから──
考えなくてはいけない。いいや、考えてはいけない。もう答えは出ている。あとは覚悟を決めるだけだ。
これ以上戦いを引き延ばしてはいけない。
このもしもが本当だとしたら、彼には今度こそ果たさなくてはならない役目があるはずだから。
美寧は無駄のない動作で、すぐるに切先の向く方向を変えた。足をたわませ、木の上を器用に移動するすぐるに向けて跳躍。物理法則のギリギリを攻め、木の幹を足場にし一気にすぐるの間合いへ入る。
すぐるはヨーヨーをぐるんと大きく旋回させ、美寧の背後から接近させた。まともに当たれば骨が何本も砕けるだろう。
美寧はそれを予測していたのか、頭を下げて回避。枝の上にいるとは思えない激しい動き──落下することへの恐怖が完全に欠落している動きで、鋭い突きを放つ。
しかしすぐるもまた優れた体術の使い手だ。その場で跳躍して攻撃を避けるとともに、枝を衝撃で揺らして美寧のバランスを崩させる。
再び、遠心力を持って激しく空気を切り裂くヨーヨーが美寧の頭に──
当たらない。
枝のたわみのリズムを即座に理解し、タイミングを合わせて跳んだ美寧はすぐるの目の前まで接近していた。
「あっ……」
思わずすぐるが声を漏らすが、遅い。ここまで近い間合いで、リーチの長い槍。枝のたわみももはや美寧の味方だ。タイミングが合わない。引いてもまともに腹部に刃が入る。
致命傷を避けようとする動きも考えも、間に合うはずもなく──
刹那、二人の体が自由落下する。
「!?」
正確にいえば、足場が支えを失ったのだ。ありえないことだ。枝はたわみこそする太さだったものの、決してあれくらいの衝撃で折れるものではなかったはずなのに。
あまりに予想だにしない方向からの力──重力に翻弄され、槍の切先に完全に意識を取られていたすぐるは体勢を立て直せず着地の姿勢を取れない。
訪れるであろう衝撃に備えて、硬く目を閉じる。
──…。
無痛。
「……?」
やはり、自分が疫病神だから、疫病神の自分が自分を嫌っているから、こんな局面でも私は無事であれるのだろうか。己の失態だと言うのに痛みすら感じることもなく。ああ、やっぱり、私はずるい人間だ。最低だ。私は傷つかなくてはいけない人間のはずなのに、自分自身を無意識下で守っているなんて──。
すぐるは感情を消す能力なんて持っていないから。
戦闘中でもそういったことを考えるし、自己嫌悪に陥るし、過去の事実はいつでも引きずる。
だけれど、なんだか、背中に支えと温もりを感じた気がして──目を開ける。
視界いっぱいにパール色の絹糸が広がる。
「──すぐる!大丈夫か?喰らってないか!?」
すぐるは感情を消す能力なんて持っていない。
戦闘中だって色んな考え事をするし、恐怖するし、動揺するし、そして──
彼女の頬が一気に紅潮した。体の筋肉が各所的に緊張して体が軋み、動悸が乱れて頭がふわふわした。
「はわぁっ……!」
──無論、ときめきだって、するのである。
美寧はその異能の特性ゆえ、大して動揺もせずに華麗に着地していた。
落下した足場もとい枝は、幹から綺麗な断面で離れている。明らかに自然になったわけではないだろう。
「すぐる、悪い。何も言わずに足場落としちまって」
千鬼の大刀だ。
彼は、受け止めたすぐるをそっと地面に下ろし、立ち上がった。大刀を再び手のひらから出すと、美寧と睨み合う。
「…副会長。…いいや、百合園美寧」
美寧は反応を見せない。だが千鬼は、必ず彼女の核心にはこの声が届いているはずだと信じて話し続ける。
根拠もないのに。
「お前さ、どこかで見たことあると思ったんだ。しかも最近」
それは相手をただ無鉄砲に信じるという、非合理極まりない行為だ。
人間にしかできない、芸当だ。
「…そういう行動をするやつを、俺はつい昨日見たんだよ」
赤い瞳。
赤くて、濁っていて、未来を渇望しない瞳。
「百合園美寧。お前、本当は誰も殺したくないんだろう?」
それは──あまりにそっくりだったのだ。
つい先日見た、己の兄に。
倒されることを願って刀を振るっていた、橘無刀に。
そのまま使い手──美寧の意思に反して旋回し、捉えるべき対象へ向かなくなる。
目の前に迫り来る拳、と見せかけた、引き抜かれる刃。
通らない攻撃。避けきれなくなってゆく反撃。削られる体力。それでも尚、冴え続ける頭。
だと言うのに頑なに退かない。
千鬼とすぐるは顔を見合わせた。美寧は何か作戦を持っているのだろうか──いいや、そんなそぶりはない。これが生徒会で最も戦闘能力を持たない彼女の限界だ。
しかし、ならば残るのは──矛盾だけ。
千鬼は考える。合理的機械思考を持つ彼女がここにとどまり続けるのには、必ず何か理由があるはずだ。
──合理で考えろ。感情の空間を挟むな。むしろ感情というピースが欠けたその分、美寧の思考は他より格段に読みやすいはずなのだから。
すぐるのヨーヨーが、少し迷いを持ったように揺れる。
「すぐる!油断するな、こいつは、絶対にまだ何か」
本当にそうか?
刀を持つ手が強張る。
目の前を通り過ぎていったヨーヨーと、それと戯れる槍の旋回する動きを見つめ、千鬼の思考は何故か──今この場にいない、関係もないはずの人間に傾いていく。
風が木の葉を煽る音。戦闘音。不協和音。
千鬼は知っていた。この雰囲気。違和感の正体。
そうだ。ついこの間だ。わずかな、でも確かな、違和感。この違和感を、見破ったのは誰だった。
「……」
いいや、今回は戦いの前提が違う。当てはまるとは限らない。
…でも、それ自体がミスリードだったとしたら?
──そもそも、美寧の異能は人体の無意識の行動までは、いや、もっと、彼女の核心まで届くものではないのだとしたら──
振り乱された髪の隙間から覗く、美寧の赤く濁った瞳が、千鬼と相対する。目が、合う。
赤。
「──あっ」
* * *
赤い瞳が憎悪に揺れている。
母親譲りの美しいパール色の髪が靡く様も、対になった日本刀の上品な輝きも、全ては脇役でしかない。亜音速の鎖と日本刀がぶつかり合って火花が散った。
その中の一尾──無刀に迫る圧倒的密度の鎖の中のほんの数本が、真里に向かって加速した。殺意ののった重い弾道。
並の人間ならば、そんなことにすら気づかず自分を守ることに精一杯だろう。そもそも自分一人すら守り切れるかどうか怪しい。
「余所見とは余裕ですね。浮気ですよ」
『衝撃波』が、会長の喉元に届く。
会長は膝をたわませて後ろ向きに倒れるように姿勢を低くすると、そのまま両手を地面につけ、勢いを利用して後転。着地した頃にはとっくに、攻撃は全て──真里に向かっていた攻撃に至るまで、叩き落とされていた。
「…やはり、お前は無理矢理にでも生徒会に入れるべき逸材だったな。橘無刀」
「それは光栄で」
戦いが一度硬直する。
会長も無刀も、異能の特性ゆえに、「間合い」という概念が存在しないに等しい。視認できる範囲であれば、いつだって攻撃は可能なのだ。
だから目だけは離さない。
離さないが──その実、会長の意識は真里に傾いていたし、そのことは無刀もわかっていた。
「…何度も考えましたが、理解ができませんね」
不意に無刀が口を開く。会長が首を傾げ、下から睨め上げるように視線を放つ。
「今回の件、謎が多すぎます。…異能を持つものには見えないはずの女郎蜘蛛を認知しているあなた。それにもかかわらず、殺そうとしているのは女郎蜘蛛ではなく真里さんであること」
会長は目を細める。会長から浮かび上がる殺気がとぐろを巻き、一人の人間をまるで何万の軍勢のように見せた。
ただそれは、彼の実力を視覚化して映しただけのものかもしれないが──
無刀は怯まない。その足はしかと地面に根を張り、震えなど起こさない。起こさないように、している。
「最大の謎は、あなたのその執着だ」
会長の眉がぴくりと動いた。
「…ふん。俺からしたら、あれだけのことをしたお前が何事もなかったのように、俺の敵として、蓮田谷真里の仲間としてここに立っていることの方が謎だな」
「誤魔化すのが下手な人ですね。よっぽど詮索されたくないのでしょうか」
会長は一瞬、む、と眉間を寄せて不機嫌そうな顔をした。しかし、無刀の持つ日本刀の切先が少し上がったのを見ると、少しめんどくさそうな顔をして口を開く。
「理解する必要はない。だが、一つだけ訂正をさせて貰おう」
「──女郎蜘蛛、というのは──異能力そのものと言って良いモノなんですって、ね?」
業の声が、静かな脈をとる会長の耳には届いた。
ほくそ笑む代わりに彼はほんの少しだけ長い瞬きをする。
「殺すのは別に、どっちだって良いんだ。蓮田谷でも、女郎蜘蛛でも」
刹那、校庭の一角に魔法陣が浮き上がる。
「──…!?」
淡い青緑の光を放つそれは、業を中心として風とともに巻きおこり、少なくとも真里の周辺十メートルを囲んでいる。その暴風は、一拍置いてこの場の全員の裾を巻き上げた。
雨城業。異能力の無効化、という異能を持つ男。
魔法陣は彼の異能の象徴であり、異能無効化される範囲──つまり異能が消滅する範囲の指標であり──
女郎蜘蛛。
異能力、そのもの。
「あいつは女郎蜘蛛を殺すことができる、唯一の男だ」
会長はそこで初めて無刀から目を逸らし、真里に視線を移動させる。
余裕そうな笑顔を崩さない業は、その高い視界から真里を見下ろした。俯きがちな顔は前髪に隠れて、真里の表情を覗くことは叶わない。
業は口角をさらに歪ませる。
あっけない、たった数秒にも満たない動作で、世を脅かす化け物は敗北し消滅する。
──はずだった。
「「──ああそうだよ」」
嘲笑うような声が偶然にも一致し、二重に会長と業の耳に届く。
業の口元の笑みが緩んだ。
真里の方に視線を向けた会長は、ひゅっと息を呑む。まずい、というように瞳孔がぶれた。
「業!」
下がれ、という意味を含むであろう手の動きがあまりにも焦りを含んでいて、そして何よりも、その声がらしくもない大声だったから、業はほんの少し動揺した。具体的に言えば、真里から一瞬目を離してしまったのだ。
業の視界に茶髪が映る。
夕日の一歩手前のような、淡い太陽光と、魔法陣の淡い緑の光を同時に受ける茶髪はまるで──まるで氷晶石のような、美しい銀髪のような──
しかしその瞳だけは、濃くはっきりとした鳶色を保ったまま。
真里のバットは業の異能によりその性能を失い、本来のバットに戻ってはいたが、人一人気絶させるには十分な強度を持ち合わせている。
彼の表情は笑顔だった。
余裕そうな──ではなく、標的に牙を向ける野生動物が如く。
「驚きましたか。生徒会長サマ」
明らかに笑いを堪えているような声が、会長の耳を不快にねぶるように響く。
会長は混乱と不快感の混じったような瞳を無刀に向けた。指先が行き場を失ったように、いいや、行き場に迷ったように、少しだけ強張る。
「なんともまあ、わかりやすい行動パターンでした──まるで役人仕事のようですね。マニュアル通りにしか仕事のできない、頭のお堅い連中」
無刀はまるで緊張が解けたかのように、そう、面白くなってしまった子供のように、ぺらぺらと口を動かす。
「…ああ、でも、生徒会なんてそんなもんですか。ありもしない主人にあげへつらう、妄想の中の野犬…」
堪えきれなくなったのか、くくっと笑い声を漏らす。面白くってたまらないらしいその顔は、先刻の業より悪役じみている。
「ああ!勘違いなさらないでくださいね、会長のことを野犬と申し上げたわけではないのです。私が言いたいのは──」
必要以上に丁寧な口調をして、瞳を三日月型に湾曲させて、口角を片方だけ高くあげて。なんともまあ、性格の悪そうな顔をしている。
けれども彼は油断をしていなかった。決して愉悦に浸るばかりではなかった。証拠に、彼は顎を引いて会長の全身をその視界に納め、一挙一動を見逃さないようにしている。そして──
眼光が、より鋭く映る。
「主人であるべき貴方が、その役目を果たせていないということです」
無刀は自分のセリフが気に入ったのか、再び声を漏らして笑った。
「…確かに、一本取られた。それは認めよう」
金属がぶつかり合って、楽器のような音を立てた。…鎖だ。
「ならば蓮田谷を殺すだけだ。言っただろう、殺すのは別に、どちらでもいいと」
「ええ。知っています。…でも、戦況は確実に掻き乱しました」
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赤い瞳。
その瞳にかつて会長が見ていた濁りは、そして今もなお無刀の顔全体に残る陰湿さは見つからなかった。
強く、まっすぐで、決して迷わない──
目元にだけは千鬼の影が、チラつく。
「だって貴方、女郎蜘蛛の居場所がわからないでしょう?」
「……」
お互いの殺気がぶつかり合って、消える。
そうだ。物理的に隠れられてしまっては、見えようが見えまいが同じなのだ。
「どうですか?見えない核兵器は、戦争でも非常に有効な手段らしいですよ」
戦況は傾き出す。
勝率を百パーセントまであげると豪語した男の目の前で。
──欺けた!欺けた!生徒会の目を、一瞬でも!
俺は興奮で震える手を押さえつけるようにバットを握り、業の下顎を狙う。
無刀は読んでいたのだ。ここまでの流れを。生徒会は、女郎蜘蛛が俺のそばについていると踏んで、必ず俺に業をぶつけることを。
だって当たり前だ。俺には戦闘力がないのだから、女郎蜘蛛を常にそばに置いて危険から守らせるだろうと、俺だってそう思う。
ああ、よかった。俺が弱くて、こいつらにとっての脅威でなくて、本当に良かった。
おかげで女郎蜘蛛は生きている。
「狩られる獲物だって、そこまで馬鹿じゃねえよっ…」
今だ。ここを叩くしかない。この一瞬の体勢の崩れを、ほんの小さな傷を、こじ開けて抉り出して引きちぎってやる!
業の下顎に吸い込まれるようにバットが旋回する。
業と目が合った。
* * *
千鬼は戦場で固まっていた。
まさか、ありえない。いいや、でも、もしかしたら。
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そして「もしも」は、戦場にはない。
少なくともそう教わってきたし、そうだと千鬼も思っていたから、どうしてもその思考を貫けなかった。
「……ッ」
でも。だけど。
そうだとしたら──
千鬼は歯を食いしばる。決意には時間がいるだろう。だが戦場に、巻き戻しはない。一時停止だってありはしない。
少なくともそう教わってきたし。
そうだと、千鬼も実感してきたから──
考えなくてはいけない。いいや、考えてはいけない。もう答えは出ている。あとは覚悟を決めるだけだ。
これ以上戦いを引き延ばしてはいけない。
このもしもが本当だとしたら、彼には今度こそ果たさなくてはならない役目があるはずだから。
美寧は無駄のない動作で、すぐるに切先の向く方向を変えた。足をたわませ、木の上を器用に移動するすぐるに向けて跳躍。物理法則のギリギリを攻め、木の幹を足場にし一気にすぐるの間合いへ入る。
すぐるはヨーヨーをぐるんと大きく旋回させ、美寧の背後から接近させた。まともに当たれば骨が何本も砕けるだろう。
美寧はそれを予測していたのか、頭を下げて回避。枝の上にいるとは思えない激しい動き──落下することへの恐怖が完全に欠落している動きで、鋭い突きを放つ。
しかしすぐるもまた優れた体術の使い手だ。その場で跳躍して攻撃を避けるとともに、枝を衝撃で揺らして美寧のバランスを崩させる。
再び、遠心力を持って激しく空気を切り裂くヨーヨーが美寧の頭に──
当たらない。
枝のたわみのリズムを即座に理解し、タイミングを合わせて跳んだ美寧はすぐるの目の前まで接近していた。
「あっ……」
思わずすぐるが声を漏らすが、遅い。ここまで近い間合いで、リーチの長い槍。枝のたわみももはや美寧の味方だ。タイミングが合わない。引いてもまともに腹部に刃が入る。
致命傷を避けようとする動きも考えも、間に合うはずもなく──
刹那、二人の体が自由落下する。
「!?」
正確にいえば、足場が支えを失ったのだ。ありえないことだ。枝はたわみこそする太さだったものの、決してあれくらいの衝撃で折れるものではなかったはずなのに。
あまりに予想だにしない方向からの力──重力に翻弄され、槍の切先に完全に意識を取られていたすぐるは体勢を立て直せず着地の姿勢を取れない。
訪れるであろう衝撃に備えて、硬く目を閉じる。
──…。
無痛。
「……?」
やはり、自分が疫病神だから、疫病神の自分が自分を嫌っているから、こんな局面でも私は無事であれるのだろうか。己の失態だと言うのに痛みすら感じることもなく。ああ、やっぱり、私はずるい人間だ。最低だ。私は傷つかなくてはいけない人間のはずなのに、自分自身を無意識下で守っているなんて──。
すぐるは感情を消す能力なんて持っていないから。
戦闘中でもそういったことを考えるし、自己嫌悪に陥るし、過去の事実はいつでも引きずる。
だけれど、なんだか、背中に支えと温もりを感じた気がして──目を開ける。
視界いっぱいにパール色の絹糸が広がる。
「──すぐる!大丈夫か?喰らってないか!?」
すぐるは感情を消す能力なんて持っていない。
戦闘中だって色んな考え事をするし、恐怖するし、動揺するし、そして──
彼女の頬が一気に紅潮した。体の筋肉が各所的に緊張して体が軋み、動悸が乱れて頭がふわふわした。
「はわぁっ……!」
──無論、ときめきだって、するのである。
美寧はその異能の特性ゆえ、大して動揺もせずに華麗に着地していた。
落下した足場もとい枝は、幹から綺麗な断面で離れている。明らかに自然になったわけではないだろう。
「すぐる、悪い。何も言わずに足場落としちまって」
千鬼の大刀だ。
彼は、受け止めたすぐるをそっと地面に下ろし、立ち上がった。大刀を再び手のひらから出すと、美寧と睨み合う。
「…副会長。…いいや、百合園美寧」
美寧は反応を見せない。だが千鬼は、必ず彼女の核心にはこの声が届いているはずだと信じて話し続ける。
根拠もないのに。
「お前さ、どこかで見たことあると思ったんだ。しかも最近」
それは相手をただ無鉄砲に信じるという、非合理極まりない行為だ。
人間にしかできない、芸当だ。
「…そういう行動をするやつを、俺はつい昨日見たんだよ」
赤い瞳。
赤くて、濁っていて、未来を渇望しない瞳。
「百合園美寧。お前、本当は誰も殺したくないんだろう?」
それは──あまりにそっくりだったのだ。
つい先日見た、己の兄に。
倒されることを願って刀を振るっていた、橘無刀に。
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幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
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てぇてぇ………てぇてぇよ!キャラ一人一人が個性的かつ尊いとかいう神現象!!あー!マジ無理!みんな幸せになってくれ〜!
コメントありがとうございます~!
キャラ達を大好きになってくれてありがとうございます!これからも推して下さい頑張るので!
皆幸せになって欲しいですよなんたって私が産みだした子達ですもん!!
でも全員が幸せになるかは…どうかな……なんて…
すごすぎて爆発するかと思いました。
続きが見たいと思える小説を書けるのがすごすぎます!✨
わぁぁ~ありがとうございます!続きが気になるって個人的には一番好きな言葉なので嬉しいです!爆発はしないで下さい。読者さんが減るので。
これからも爆発しそうになる文章が書けるようにがんばります!
すごい面白かったです!本になって欲しいくらいです!体調に気をつけて投稿頑張ってください!
あ、ありがとうございます…!体調面を気遣ってくれた人は初めてと言っても過言ではないですぅ!がんばります!応援よろしくお願いします!