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第四章
第二十八話 追跡
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車内は水を打ったように静まり返り、誰一人として言葉を発しようとすることはなく、コンピューターによる無機質なナビゲートの電子音だけが時折鳴るだけだった。
ハンドルを握る僕は、バックミラーで背後の様子を窺う。
後部座席に座るギンの額からは脂汗が滲み、痛みに耐えるように表情を苦渋に歪ませていた。
斬撃の一瞬、木刀で斬撃の軌道をわずかに逸らすことができたのは、彼の剣の腕だからこそ成し得たことだ。おかげで、傷こそ深いものの、致命傷だけはなんとか免れた。
その隣りのクロウは全身包帯でぐるぐる巻きで、まるでミイラのような状態だ。
自ら瓦礫を押しのけ這い出てきた時の彼は、全身血まみれでひどい有様だった。それでも建物1つ分の瓦礫をその身に受けたにしては奇跡的な軽傷だ。
そして最後部の座席。殺気立った雰囲気を纏い、ただ黙して前方を睨み続けるヒルダさん。車中の重い沈黙を生み出す要因となっていた。
ヒルダさんは明らかに肋骨の骨が数本砕かれている様子であったが、そもそもあれほどの威力を勇者でもない生身で受けてその程度で済んだことはむしろ幸運であったと言えるかもしれない。
しかし、その固い表情は痛みからくるものではない。どれほど重症であったとしてもヒルダさんには関係ないことだろう。
彼女の胸中にあるのはわが身よりも大切な存在、ケイン君のことだ。
何処へと連れ去られたケイン君の身を案じる表情は、まさに鬼気迫るものであった。先刻の僕らとのやりとりもあり、もはや安易に気休めの言葉などかけられない事は全員が承知している。
そして最後に、僕は助手席に座るアオイを横目で見る。
アオイは背もたれに背を預け、妙に大人しく進行方向を見据えている。表情も無表情で、何を考えているのか窺い知ることはできない。黒服に貫かれた傷は表面こそ塞がっているものの、フェイクとの戦いでの傷も含め、戦うにはまだ厳しいように見受けられる。
アオイもヒルダさん同様に、連れ去られたケイン君とアルベルトの身を案じているのだろうが、彼女らしからぬ神妙な雰囲気は、それとはまた別のもののように感じられる。
そもそも、いつもの彼女であれば、先程のヒルダさん程ではないにしても、居ても立ってもいられないという感情を前面に出してくるはずだ。今は言葉の一つも発さず、こうまでおとなしくされるとむしろ怖くなる。
その胸中にどんな思いを抱いているのか、僕は再度彼女の表情から読み取ろうとするも、やはりうまくは行かなかった。
もしかしたら――
彼女は僕と同じ疑惑を抱いているのかもしれない。
*
時は遡る――
黒服が去ってすぐ、僕はみんなの無事の確認と、傷の治療に奔走した。
もちろんそれはみんなの身を案じてのことだけど、何かしていなければ、あの場で何も出来なかった自分のみじめさに押し潰されそうだったからという理由も大きかった。
まずまっ先に壁に打ち付けられ身動きの取れないアオイを下ろすと、瓦礫から脱出したクロウと共に、ギンとヒルダさんの傷の治療と応急処置を施す。幸いにして皆一命は取り留めていたことに安堵した。
しかし、問題は尚残っている。連れ去れたケイン君の行方は杳として知れない。
「フェイクたちの一味なのは間違いないだろうな。この状況でそれ意外考えられん」
「うん。それは同感だけど、でも、だとしたらなぜ今まで出てこなかったんだろう?」
「他の野郎どもとは訳が違ったぜ。このオレ様の一撃を受け止めるなんざ、まともな奴じゃねぇ」
僕らが話し合っていると、舌打ちをしながら苛立たしげに立ち上がるヒルダさん。
彼女はこちらに背を向けると、何処かへと行こうとする。
「ヒルダさん?どこ行くんですか!?」
僕は嫌な予感を感じながらも、慌てて彼女に追いすがる。
「相手がどこの誰かなんて、どうでもいい事だわ。私はケインを助け出す」
「落ち着いてください!どこを探そうって言うんですか」
「少なくとも、仲良くお喋りしてても埒が明かないわ。行動あるのみよ」
「気持ちはわかりますが、闇雲に探したって見つかる訳ありませんよ!冷静になって、今はまずじっくりと考えを――」
言いながら僕はヒルダさんの前に立ち制止する。すると、ヒルダさんはぎろりと僕を睨みつけ、強く胸倉を掴んで引き寄せた。
「だから何?訳のわからない怪しい連中に、強引にさらわれた上に何をされるのかわからないけどゆっくりしてろって?冗談じゃないわ!」
両足が地面から浮き、額同士が付きそうな距離まで持ち上げられた僕は、ヒルダさんのいつにない険しい口調と剣幕の怒りを至近距離で受ける。
その必死の形相を見て、僕はハッとなる。
苛立ちと怒りに染まったヒルダさんの形相はしかし、その瞳だけは恐怖に震えていた。
彼女は恐れている。ケイン君を失うことを。自らの呪いのせいで、また大切な人を失ってしまうことを。
「おい、やめないか!」
間に入ったギンが引き剥がしてくれたおかげで、僕は再び地に足をつける。
「少しだけ時間をください。ケイン君たちの後を追う手段を考えますから」
咳き込みながら僕は必死に説得するも、ヒルダさんは一笑に付す。
「そうよね。所詮あなたにとっては他人だものね。だからそんな悠長な事が言えるのよ。たとえケインが死んでしまっても、あなた達には関係の無い話。“ああ残念だった”くらいにしか思わないでしょうね」
「レンがいつそんなことを言った」
するとアオイがヒルダさんの前に立ち、いつになく険しい表情で睨みつける。しかし、その視線を一身に受けても尚、ヒルダさんは全く揺るがない。
「私は一人でもケインを助けに行くわ。あなたたちのご高説なんか求めてない」
「ケインを助けたいのはみんな同じだ。だからレンが何とかしようとしてる。それがわからないのか!」
「ええ、わからないわ。他人のあなた達と、私の気持ちが同じだなんて!」
視線を真っ向から受け、睨み合う二人。ヒルダさんの手が浮いているのは、邪魔立てするなら撃ち殺す、という意思表示でもあった。
場は一気に修羅場の様相を呈し、ハラハラしながら二人を交互に見る僕は、ある物に目が行く。同時にアイデアが火花のように脳裏に閃いた。
「ヒルダさん、それ!」
僕が注目したのは、ヒルダさんの黒髪の間から覗ける、耳に装着されたレシーバーだった。なんのことかわからず困惑するヒルダさんを一顧だにせず、僕は素早くコンピューターを立ち上げる。
「ああもう!もっと早く気付くべきだった!」
何がなにやらわからず、顔を見合わせるアオイたち。もはや先程の緊張感など完全に消し飛んでいた。
「どういうことなんだレン?説明してくれ」
「大佐が言っていたのを思い出したんだ。そのレシーバーにはGPS発信機を備えられているって事を。この事にもっと早く気づいていれば、奴らに襲われる前にケイン君たちと合流できたかもしれないのに!」
僕は悔しげに唸りながらも、即座にコンピューターを立ち上げてキーボードに指を走らせる。
「ケイン君も同じものを付けている。だからその信号を追えれば……よしっ!」
ディスプレイには信号の座標と、現在位置を示すマーカーがグリッドマップに表示される。もしレシーバーに気付かれ、破壊されるか捨てられてしまっていたら万事休すだったけど、幸い気付かれてはいないようだった。
「これを追えば、ケイン君の居場所が突き止められますよ!時間がない。すぐに行こう!」
「おう!いっちょ大暴れして汚名便乗してやるぜ!」
「便乗してどうする気だお前は」
僕が興奮気味に言うと、二人はそう口にしながら腰を上げると車へと向かって歩き出す。僕もコンピューターのディスプレイを閉じながら二人に続こうとする。
と、ただ一人、ヒルダさんは複雑な表情でその場に立ち尽くしていた。そして、そんな彼女に気付いたアオイが足を止めると振り返り、そして言う。
「行こう。ケインが待ってる」
先程までの睨み合いなど無かったかのようにヒルダさんに言うと、アオイもクロウたちの後を追って駆け出す。
アオイも僕も、先程のヒルダさんを咎めるつもりは毛頭ない。大切な人のために必死になるのは、当然だ。
その事が伝わったのかどうかはわからない。僅かの間、沈黙して俯いたヒルダさんは、首を軽く振ると、表情を引き締めアオイたちに続いて歩み出した。
GPS信号を追って僕らが辿り着いたのは、都市北部に佇むガレージだった。
周囲が植物に覆われ朽ちた様子なのは他の廃墟と同様であったが、半開きになってるシャッターから入り込んだ内部は違っていた。
すでに打ち捨てられているはずなのに、内部は不自然なまでに良好な保存状態で、ごく最近まで誰かが出入りしていた形跡はそこかしこに見受けられた。
床には真新しいブーツの足跡がハッキリと残っており、弾薬箱なども床に転がっている。極めつけは、一角に設置された最新式の無線機とラップトップパソコンだ。四半世紀前に打ち捨てられた都市にはまずありえない物ばかりである。ちなみにそれらは完膚なきまでに破壊されている。ここを通過したあの黒服による仕業だろう。
ともかく、あのフェイクたちはここから現れたと見て間違いない。
「レン」
ガレージの奥から呼びかけてきたギンはガレージ隅を指差す。指し示す先を目を凝らしてよく見ると、床の一部が扉になっていた。すぐに気付けなかったのは、境目すら見分けられないほどに床と一体になっていたからだ。
小さな取っ手を掴み扉を引き上げると、地下へと続く縦穴がポッカリと開いていた。慎重に梯子を降りた僕たちがそこで目にしたのは、先が見えないほどの長大なトンネルだった。地下鉄のトンネルほどはある広さに等間隔に照明は配されているものの奥まで見通すことはできず、いったいどれほどの距離があるのかは見当もつかない。横に目を向けると、数台の四輪駆動車が停められていた。これもフェイクたちのものだろう。
「あからさまに怪しいな」
「しっかしえらく長そうな道だな。どこに繋がってんだ?」
「どこだろうと関係ないわ。この先にケインがいるなら行くだけよ」
それ以外のことはどうでもいいとばかりのヒルダさん。言いながら、既に車へと乗り込もうとしていた。
確かに、少なくとも今はこの地下道が何かを議論することに意味は無い。僕達もすぐに車に乗り込み、闇の奥へ走り出す。
*
そうして車内に重い沈黙を載せたままひた走ること約一時間。地下道の終着点にたどり着く。
どうやらこの場所はかなり深度の地下であることがわかる。そのせいで、すでにGPSの反応は測位できなくなっている。
(でも、僕の推測が正しければここは――)
「おい!待てって!」
クロウが呼び止めるが、到着するやいなやヒルダさんは車を降り、さっさと出入り口と思しき扉へと向かって行ってしまう。アオイたちも慌てて後を追う。
僕も後に続こうと踏み出しかけた足を止める。
事ここに至っては機関に報告して援軍を待つ、という選択肢は無い。援軍を待って時間を浪費すればそれだけケイン君たちの身を危うくしてしまう。下手な動きを見せ相手に警戒されては、その間にケイン君が闇に葬られることも十分に考えられる。
当然、ヒルダさんはそんな事を許しはしないだろうし、それは僕たちも同じだ。アオイは単なる義務感や正義感だけでここまで来たわけじゃない。ケイン君を無事に救出したいという思いは皆一致している。
が、この先何が起こるかは全く予想できない。少なくとも魔属の討伐などより遥かに深刻で困難な状況に立ち向かうことになる。
不安ではあるがそれでも、ケイン君の救出に異論はない。アオイたちをフォローしながらも、最悪の事態を回避することが僕の役目だ。
であるならば、ここは最低限の根回しだけはしておくべきだろう。幸い、データを送るだけなら手持ちの機材でギリギリ可能だろう。
コンピューターを操作し、これまでの一連の記録をある場所に送信する。程なくして表示された送信完了のメッセージを確認して、僕は小走りでアオイたちの後を追った。
ここがどこの、どんな目的の施設なのかはわからない。地下深いここまでくると電波も届かず、ここが具体的にどのへんの場所なのかすら測位することができない。
「しかし地下に秘密基地たぁ、悪党の根城そのものだな?」
「根城にしては静かすぎる。人の気配が全くない」
ギンの意見は僕も同感だった。ここがあの黒服やフェイクたちの施設、もしくは本拠地と考えるのが自然だ。にも関わらず、敵の懐の内にあってこの静寂さは不気味とすら思える。
そして静けさ以上に不気味さを醸し出しているのは、その荒れ果てた惨状だった。
壁は抉れ、または腐食したように爛れている。その何かを阻もうとしたであろう隔壁はひしゃげ、半ばまで降りて止まってしまい、用をなしていない。
最も目立つのは、いたる所に見られる夥しい量の赤黒い染み。場所によっては床や壁面を一面染め上げるほどであった。
(これは……人間の血?)
もしそうなら、相当な数の人間が犠牲になったことになる。
旧ガルスのような風化によるものとは明らかに異なる、破壊による。
一体、ここでいったい何が起きたんだ?
実態が見えない、痕跡だけということが逆に恐怖をかきたて、薄ら寒いものを感じさせる。
それは僕らが入ってきた場所とは別の場所から奥へと向かうような跡を残して――
いや、違う。
奥へではなく、奥から外に向かっているのか?
思考に没頭仕掛けた時、センサーの通知音が現実に引き戻す。
モニタを見ると、目標が近いことを示していた。GPSは使えなくなってしまったが、レシーバーの信号そのものは常に発信され続けている。
それを辿り、僕たちは確実にケイン君に近づいていた。
程なく歩いた先、一つの扉に突き当たる。
「……間違いない。あそこだ」
僕は扉に取り付くと、ドアノブに手をかけ、アオイたちに目で合図を送る。そして緊張しながらも勢いよく扉を開ける。同時にアオイとヒルダさんが同時に部屋に飛び込む。視線を走らせ、まずは敵の姿が無いことを確認する。「大丈夫だ」というアオイの声で僕も部屋へと足を踏み入れる。
そこは医務室らしき設備と薬品が並ぶ大きな部屋だった。そして部屋の中央にある大きな寝台。その上に寝かされているのは、
「ケイン!」
彼の姿を確認すると、ヒルダさんは名前を叫びながらまっすぐに飛びついた。ケイン君はベットに横にされ、さらに幾重もの拘束具で雁字搦めにされていた。
「ヒルダさん……?」
すでに意識はあったケイン君は首だけを動かし、この場に現れた彼女に驚いていた。
ギンに外の警戒を任せ、僕とクロウはベットの拘束具を外す。
「大丈夫なの!?怪我は?何もされてない?」
「わからない。少しぼーっとしてるけど、いたって無事だよ。だから安心して?ね?」
今にも泣き出しそうなヒルダさんの頭を撫でながら、安心させるようにいつもの優しい笑みを向ける。アオイもホッとし、表情を緩めていた。
「ふん。危険を承知でこの俺を助けに来たことは褒めてやる」
と、横の寝台から不遜な言葉が聞こえてくる。そこには同じようにベットに拘束されたアルベルトがいた。
「あ。そういやお前もいたんだったな」
「その口調から察するに、今の今まで俺の存在は忘れてたみたいだなコラ」
実際ここまでケイン君の事しか頭に無かったから耳が痛い指摘ではある。しかしまぁ、この状況でも変わらぬ偉そうな態度を見るに、こちらもとりあえず心配は無さそうだ。
「よし。もうこんな所に用はない。さっさと脱出を……」
僕がそう言いかけたその時、突如視界が暗転する。そして間を置かずに赤色灯が明滅し、けたたましい警報が響き渡った。
「畜生!もうバレちまったのか?!」
クロウの指摘は間違っていないだろう。だが、今このタイミングというのは何だか不自然に思えた。
ヒルダさんはここまでの道中、肌身離さず持ち続けたケイン君の聖剣[アルジェント]を手渡す。
「レン!」と、廊下からのギンの声に、慌てて部屋を飛び出した僕は、通路を遮る鉄壁に驚きの声を漏らす。ここに至るまでの各所で見かけた隔壁が、通路を塞いでいたのだ。
クロウはその巨躯で体当たりをかますが、隔壁はビクともしない。そればかりか、逆にクロウが苦しげに膝を屈してしまう。旧ガルスで負った傷が力を発揮することを妨げていた。
侵入者用の隔壁がクロウ以外の人力でこじ開けられる筈もなく、完全に退路は塞がれてしまった。
しかし、不思議なことに奥へと続く通路には隔壁が降りておらず、赤色の非常灯が誘うように転々と奥まで続いていた。
「このままじゃ袋のネズミだ。とにかくこの場から急いで離れるぞ」
ギンの言葉に全員が頷く。
タイミングといい、不自然な逃げ道といい、僕は何かの意図を感じて嫌な予感がしたものの、反対する程の確証を得ることはできず、みんなの後に続く。
奇妙なことにどこも必ず一方向にだけ隔壁が降りずに、道を開けていた。道を閉ざして完全に閉じ込めるのではなく、どこかに誘導しようとする意図は明らかだった。
とは言え他に選択肢も無く、結局、僕達は脱出するどころか、どんどん地下へと降りる羽目となった。
道中に全く敵の姿がなかったのも気になる。あれだけ警報が鳴り響いたのに、こちらへの攻撃は設置されたせいぜい無人攻撃銃のみ。無論、そんなものがアオイたちに通用するはずもなく、瞬く間に沈黙させられる。
嫌な予感だけをひしひしと感じながら、やがて僕たちは広い空間に出る。
そこは薄暗く、機械のパネルや機械部品などがわずかな光を発するだけで全容は把握できない。ただ、天井も高くかなりの広さがある空間であることはわかった。部屋の中には、腰の高さほどある大型の機械が等間隔に並んでいて、それぞれの側にコンソールが備えられていた。
「気を付けて。出口がないか探そう」
「おい。ボタンがあるぜ。どれか押したら扉とか開かなねぇか?」
「あ!こらクロウ!」と僕が注意する前に、クロウは手近の端末のタッチパネルに触れていた。箱型の機械上部に配置された警告灯が一斉に点灯したかと思うと、ガゴン!と、大型機械が重々しい音と共に身震いし、ゆっくりと伸びるようにせり上がりはじめた。
姿を現したのは、分厚いガラスに包まれた円筒形の大きなシリンダーだった。水槽内部に備えられた照明が点灯し、中に収められたものを照らし出した。
「……ひっ!」
照明に浮かび上がるそれを見た僕は、思わず短い悲鳴を上げてしまった。同じくそれを見たアオイやケイン君たちは日頃の習性からか、剣の柄に手を伸ばし反射的に身構えていた。
醜い肉塊の塊。無数の触手。本能的に嫌悪を抱く外観。
そこに収められていたのは、いずれも魔属であった。
ホルマリン漬けの標本よろしく、液体の満たされた水槽内に浮遊する魔属。生きているのかどうかは、見ただけでは判別できない。
「魔属!?しかしなんでこんなものが……」
コンソールに目を向け、専門用語の羅列や何の値を示しているのかわからないグラフの数々に素早く目を通す。示された情報は理解できなかったけど、何らかの魔属研究が行われていたことは確かなようだ。
だが、それは本来あり得ないことだ。
先の大戦以前の昔から、数多の国家で魔属の研究は行われていた。しかし、その多くが事故を引き起こしており、特に大規模なものとなると都市のネスト化を引き起こした例も記録されている。
そんな過去の教訓から現在、魔属研究は国際法で厳しく禁止されている。魔属の研究は国連管轄の元、世界でわずか数箇所しかない研究所に集約して行われている。それも、万が一の事態を考慮し、孤島や人の住まない隔絶された場所であると言われている。
無論、ここが国連の研究所ではないのは明らかだ。
「違法な魔属の研究施設……ここがまともな施設ではないことは間違いなさそうですね」
ケイン君は努めて冷静に言う。
地下深くの非公式魔属研究所、内部の惨状、この施設が位置すると思われる場所。
それらの単語が頭の中で結びつき、直感的に一つの可能性が脳裏に閃いた。
――だが、真に驚愕すべきものは、僕らのすぐ背後にあった。
僕らが魔属を見上げていると、それらが並んでいる区画と通路を挟んで反対側のシリンダーが続けてせり上がっていた。
振り返り、その中を見たこの場の全員が息を呑んだ。
シリンダー内に浮いているもの。
それは人間だった。
しかも、それは一つではない。次々にせり上がってくる水槽は全部で二十本近くあり、そして同じ数の男女の姿が確認できた。水槽の中を漂う彼らはいずれも裸で、全身からは細い管が点滴のように伸び、水槽下部の機械へと繋がっている。
この場の誰もが同じ人間として、とても正視することができなかった。そんな中、僕だけが違う驚きを感じ、とっさに口を覆った手のひらの隙間から驚きと恐怖の苦鳴を漏らす。
「レン?」と、尋常ではないの様子を目にしたギンが声をかけた。僕は腕を持ち上げ、震える指先をある男性に向ける。
「彼は……勇者アーネストだ」
僕の搾り出すようなつぶやきに、その場の全員が驚愕に息を呑んだ。
「アーネストだけじゃない。これらは皆、消息不明になっていた勇者たちだ」
「なっ……!?本当ですか?」
いっそ間違いであって欲しいとすら思っているようなケイン君の狼狽の声。
僕は無言でキーボードを叩き、ラーキンさんから事前に受け取っていた資料をコンピューター上に表示し、彼らに見せた。資料に添付された勇者たちの顔写真は、今シリンダー内を浮いている彼らの顔とほぼ全て一致していた。
「一体、なんのためにこんなことを……」
「何のためかなんて知ったことか。おいクロウ!こいつを叩き割れ!」
「おう!お前が言わなくてもそうするつもりだったぜ」
「だめだクロウ!」
肩をグルグルと回しながら、拳を叩きつけようとするクロウを僕は慌てて止める。
「あァ!?何でだ!?放っておけってのかよ?」
「この水槽は一種の生命維持装置を兼ねているみたいなんだ。つまり彼らは今、この機械によって生かされている状態なんだ。そんなものを下手に壊せば彼らは死んじゃうかもしれない」
コンソールの数値を読み取るに、彼らのバイタルは極めて低い。
「この表記を信じるなら、どうやら潜在力を抽出されているみたいだ」
「潜在力を?そんなことが可能なんですか!?」
ケイン君の疑問はもっともだ。勇者のみが有する潜在力は、勇者の身体と直結している。これを抽出したり、貯蔵することはできないはずだ。
「僕も仕組みまではわからない。でも、そのせいで勇者としての生命活動を限界まで低下している状態みたいだ」
「なんとかできねぇのか?お前ならいつもみたいに上手く出来るだろ」
「無茶言わないでよ。僕だって何とかできるならしたいさ」
理解できたが納得はできない様子のクロウは大きく舌打ちをし、行き場を失った拳を壁に叩きつけた。
アオイは何も言わないが、納得したわけではないことは表情を見ればわかる。押し黙ったまま、やり切れない悲痛そうな表情で水槽に浮かぶ同胞をじっと見上げ続けていた。
「悲しむことはありません。彼らは与えられた役目を果たすため、これからも人類のために生き続けるのだから」
その言葉とともに、フロア全体に明かりが灯る。暗闇に慣れていたために、煌々と照明が灯る。
そして不遜な表情でこちらを見下しているのは、国連軍省参事官、マーレ・ホーストだった。
ハンドルを握る僕は、バックミラーで背後の様子を窺う。
後部座席に座るギンの額からは脂汗が滲み、痛みに耐えるように表情を苦渋に歪ませていた。
斬撃の一瞬、木刀で斬撃の軌道をわずかに逸らすことができたのは、彼の剣の腕だからこそ成し得たことだ。おかげで、傷こそ深いものの、致命傷だけはなんとか免れた。
その隣りのクロウは全身包帯でぐるぐる巻きで、まるでミイラのような状態だ。
自ら瓦礫を押しのけ這い出てきた時の彼は、全身血まみれでひどい有様だった。それでも建物1つ分の瓦礫をその身に受けたにしては奇跡的な軽傷だ。
そして最後部の座席。殺気立った雰囲気を纏い、ただ黙して前方を睨み続けるヒルダさん。車中の重い沈黙を生み出す要因となっていた。
ヒルダさんは明らかに肋骨の骨が数本砕かれている様子であったが、そもそもあれほどの威力を勇者でもない生身で受けてその程度で済んだことはむしろ幸運であったと言えるかもしれない。
しかし、その固い表情は痛みからくるものではない。どれほど重症であったとしてもヒルダさんには関係ないことだろう。
彼女の胸中にあるのはわが身よりも大切な存在、ケイン君のことだ。
何処へと連れ去られたケイン君の身を案じる表情は、まさに鬼気迫るものであった。先刻の僕らとのやりとりもあり、もはや安易に気休めの言葉などかけられない事は全員が承知している。
そして最後に、僕は助手席に座るアオイを横目で見る。
アオイは背もたれに背を預け、妙に大人しく進行方向を見据えている。表情も無表情で、何を考えているのか窺い知ることはできない。黒服に貫かれた傷は表面こそ塞がっているものの、フェイクとの戦いでの傷も含め、戦うにはまだ厳しいように見受けられる。
アオイもヒルダさん同様に、連れ去られたケイン君とアルベルトの身を案じているのだろうが、彼女らしからぬ神妙な雰囲気は、それとはまた別のもののように感じられる。
そもそも、いつもの彼女であれば、先程のヒルダさん程ではないにしても、居ても立ってもいられないという感情を前面に出してくるはずだ。今は言葉の一つも発さず、こうまでおとなしくされるとむしろ怖くなる。
その胸中にどんな思いを抱いているのか、僕は再度彼女の表情から読み取ろうとするも、やはりうまくは行かなかった。
もしかしたら――
彼女は僕と同じ疑惑を抱いているのかもしれない。
*
時は遡る――
黒服が去ってすぐ、僕はみんなの無事の確認と、傷の治療に奔走した。
もちろんそれはみんなの身を案じてのことだけど、何かしていなければ、あの場で何も出来なかった自分のみじめさに押し潰されそうだったからという理由も大きかった。
まずまっ先に壁に打ち付けられ身動きの取れないアオイを下ろすと、瓦礫から脱出したクロウと共に、ギンとヒルダさんの傷の治療と応急処置を施す。幸いにして皆一命は取り留めていたことに安堵した。
しかし、問題は尚残っている。連れ去れたケイン君の行方は杳として知れない。
「フェイクたちの一味なのは間違いないだろうな。この状況でそれ意外考えられん」
「うん。それは同感だけど、でも、だとしたらなぜ今まで出てこなかったんだろう?」
「他の野郎どもとは訳が違ったぜ。このオレ様の一撃を受け止めるなんざ、まともな奴じゃねぇ」
僕らが話し合っていると、舌打ちをしながら苛立たしげに立ち上がるヒルダさん。
彼女はこちらに背を向けると、何処かへと行こうとする。
「ヒルダさん?どこ行くんですか!?」
僕は嫌な予感を感じながらも、慌てて彼女に追いすがる。
「相手がどこの誰かなんて、どうでもいい事だわ。私はケインを助け出す」
「落ち着いてください!どこを探そうって言うんですか」
「少なくとも、仲良くお喋りしてても埒が明かないわ。行動あるのみよ」
「気持ちはわかりますが、闇雲に探したって見つかる訳ありませんよ!冷静になって、今はまずじっくりと考えを――」
言いながら僕はヒルダさんの前に立ち制止する。すると、ヒルダさんはぎろりと僕を睨みつけ、強く胸倉を掴んで引き寄せた。
「だから何?訳のわからない怪しい連中に、強引にさらわれた上に何をされるのかわからないけどゆっくりしてろって?冗談じゃないわ!」
両足が地面から浮き、額同士が付きそうな距離まで持ち上げられた僕は、ヒルダさんのいつにない険しい口調と剣幕の怒りを至近距離で受ける。
その必死の形相を見て、僕はハッとなる。
苛立ちと怒りに染まったヒルダさんの形相はしかし、その瞳だけは恐怖に震えていた。
彼女は恐れている。ケイン君を失うことを。自らの呪いのせいで、また大切な人を失ってしまうことを。
「おい、やめないか!」
間に入ったギンが引き剥がしてくれたおかげで、僕は再び地に足をつける。
「少しだけ時間をください。ケイン君たちの後を追う手段を考えますから」
咳き込みながら僕は必死に説得するも、ヒルダさんは一笑に付す。
「そうよね。所詮あなたにとっては他人だものね。だからそんな悠長な事が言えるのよ。たとえケインが死んでしまっても、あなた達には関係の無い話。“ああ残念だった”くらいにしか思わないでしょうね」
「レンがいつそんなことを言った」
するとアオイがヒルダさんの前に立ち、いつになく険しい表情で睨みつける。しかし、その視線を一身に受けても尚、ヒルダさんは全く揺るがない。
「私は一人でもケインを助けに行くわ。あなたたちのご高説なんか求めてない」
「ケインを助けたいのはみんな同じだ。だからレンが何とかしようとしてる。それがわからないのか!」
「ええ、わからないわ。他人のあなた達と、私の気持ちが同じだなんて!」
視線を真っ向から受け、睨み合う二人。ヒルダさんの手が浮いているのは、邪魔立てするなら撃ち殺す、という意思表示でもあった。
場は一気に修羅場の様相を呈し、ハラハラしながら二人を交互に見る僕は、ある物に目が行く。同時にアイデアが火花のように脳裏に閃いた。
「ヒルダさん、それ!」
僕が注目したのは、ヒルダさんの黒髪の間から覗ける、耳に装着されたレシーバーだった。なんのことかわからず困惑するヒルダさんを一顧だにせず、僕は素早くコンピューターを立ち上げる。
「ああもう!もっと早く気付くべきだった!」
何がなにやらわからず、顔を見合わせるアオイたち。もはや先程の緊張感など完全に消し飛んでいた。
「どういうことなんだレン?説明してくれ」
「大佐が言っていたのを思い出したんだ。そのレシーバーにはGPS発信機を備えられているって事を。この事にもっと早く気づいていれば、奴らに襲われる前にケイン君たちと合流できたかもしれないのに!」
僕は悔しげに唸りながらも、即座にコンピューターを立ち上げてキーボードに指を走らせる。
「ケイン君も同じものを付けている。だからその信号を追えれば……よしっ!」
ディスプレイには信号の座標と、現在位置を示すマーカーがグリッドマップに表示される。もしレシーバーに気付かれ、破壊されるか捨てられてしまっていたら万事休すだったけど、幸い気付かれてはいないようだった。
「これを追えば、ケイン君の居場所が突き止められますよ!時間がない。すぐに行こう!」
「おう!いっちょ大暴れして汚名便乗してやるぜ!」
「便乗してどうする気だお前は」
僕が興奮気味に言うと、二人はそう口にしながら腰を上げると車へと向かって歩き出す。僕もコンピューターのディスプレイを閉じながら二人に続こうとする。
と、ただ一人、ヒルダさんは複雑な表情でその場に立ち尽くしていた。そして、そんな彼女に気付いたアオイが足を止めると振り返り、そして言う。
「行こう。ケインが待ってる」
先程までの睨み合いなど無かったかのようにヒルダさんに言うと、アオイもクロウたちの後を追って駆け出す。
アオイも僕も、先程のヒルダさんを咎めるつもりは毛頭ない。大切な人のために必死になるのは、当然だ。
その事が伝わったのかどうかはわからない。僅かの間、沈黙して俯いたヒルダさんは、首を軽く振ると、表情を引き締めアオイたちに続いて歩み出した。
GPS信号を追って僕らが辿り着いたのは、都市北部に佇むガレージだった。
周囲が植物に覆われ朽ちた様子なのは他の廃墟と同様であったが、半開きになってるシャッターから入り込んだ内部は違っていた。
すでに打ち捨てられているはずなのに、内部は不自然なまでに良好な保存状態で、ごく最近まで誰かが出入りしていた形跡はそこかしこに見受けられた。
床には真新しいブーツの足跡がハッキリと残っており、弾薬箱なども床に転がっている。極めつけは、一角に設置された最新式の無線機とラップトップパソコンだ。四半世紀前に打ち捨てられた都市にはまずありえない物ばかりである。ちなみにそれらは完膚なきまでに破壊されている。ここを通過したあの黒服による仕業だろう。
ともかく、あのフェイクたちはここから現れたと見て間違いない。
「レン」
ガレージの奥から呼びかけてきたギンはガレージ隅を指差す。指し示す先を目を凝らしてよく見ると、床の一部が扉になっていた。すぐに気付けなかったのは、境目すら見分けられないほどに床と一体になっていたからだ。
小さな取っ手を掴み扉を引き上げると、地下へと続く縦穴がポッカリと開いていた。慎重に梯子を降りた僕たちがそこで目にしたのは、先が見えないほどの長大なトンネルだった。地下鉄のトンネルほどはある広さに等間隔に照明は配されているものの奥まで見通すことはできず、いったいどれほどの距離があるのかは見当もつかない。横に目を向けると、数台の四輪駆動車が停められていた。これもフェイクたちのものだろう。
「あからさまに怪しいな」
「しっかしえらく長そうな道だな。どこに繋がってんだ?」
「どこだろうと関係ないわ。この先にケインがいるなら行くだけよ」
それ以外のことはどうでもいいとばかりのヒルダさん。言いながら、既に車へと乗り込もうとしていた。
確かに、少なくとも今はこの地下道が何かを議論することに意味は無い。僕達もすぐに車に乗り込み、闇の奥へ走り出す。
*
そうして車内に重い沈黙を載せたままひた走ること約一時間。地下道の終着点にたどり着く。
どうやらこの場所はかなり深度の地下であることがわかる。そのせいで、すでにGPSの反応は測位できなくなっている。
(でも、僕の推測が正しければここは――)
「おい!待てって!」
クロウが呼び止めるが、到着するやいなやヒルダさんは車を降り、さっさと出入り口と思しき扉へと向かって行ってしまう。アオイたちも慌てて後を追う。
僕も後に続こうと踏み出しかけた足を止める。
事ここに至っては機関に報告して援軍を待つ、という選択肢は無い。援軍を待って時間を浪費すればそれだけケイン君たちの身を危うくしてしまう。下手な動きを見せ相手に警戒されては、その間にケイン君が闇に葬られることも十分に考えられる。
当然、ヒルダさんはそんな事を許しはしないだろうし、それは僕たちも同じだ。アオイは単なる義務感や正義感だけでここまで来たわけじゃない。ケイン君を無事に救出したいという思いは皆一致している。
が、この先何が起こるかは全く予想できない。少なくとも魔属の討伐などより遥かに深刻で困難な状況に立ち向かうことになる。
不安ではあるがそれでも、ケイン君の救出に異論はない。アオイたちをフォローしながらも、最悪の事態を回避することが僕の役目だ。
であるならば、ここは最低限の根回しだけはしておくべきだろう。幸い、データを送るだけなら手持ちの機材でギリギリ可能だろう。
コンピューターを操作し、これまでの一連の記録をある場所に送信する。程なくして表示された送信完了のメッセージを確認して、僕は小走りでアオイたちの後を追った。
ここがどこの、どんな目的の施設なのかはわからない。地下深いここまでくると電波も届かず、ここが具体的にどのへんの場所なのかすら測位することができない。
「しかし地下に秘密基地たぁ、悪党の根城そのものだな?」
「根城にしては静かすぎる。人の気配が全くない」
ギンの意見は僕も同感だった。ここがあの黒服やフェイクたちの施設、もしくは本拠地と考えるのが自然だ。にも関わらず、敵の懐の内にあってこの静寂さは不気味とすら思える。
そして静けさ以上に不気味さを醸し出しているのは、その荒れ果てた惨状だった。
壁は抉れ、または腐食したように爛れている。その何かを阻もうとしたであろう隔壁はひしゃげ、半ばまで降りて止まってしまい、用をなしていない。
最も目立つのは、いたる所に見られる夥しい量の赤黒い染み。場所によっては床や壁面を一面染め上げるほどであった。
(これは……人間の血?)
もしそうなら、相当な数の人間が犠牲になったことになる。
旧ガルスのような風化によるものとは明らかに異なる、破壊による。
一体、ここでいったい何が起きたんだ?
実態が見えない、痕跡だけということが逆に恐怖をかきたて、薄ら寒いものを感じさせる。
それは僕らが入ってきた場所とは別の場所から奥へと向かうような跡を残して――
いや、違う。
奥へではなく、奥から外に向かっているのか?
思考に没頭仕掛けた時、センサーの通知音が現実に引き戻す。
モニタを見ると、目標が近いことを示していた。GPSは使えなくなってしまったが、レシーバーの信号そのものは常に発信され続けている。
それを辿り、僕たちは確実にケイン君に近づいていた。
程なく歩いた先、一つの扉に突き当たる。
「……間違いない。あそこだ」
僕は扉に取り付くと、ドアノブに手をかけ、アオイたちに目で合図を送る。そして緊張しながらも勢いよく扉を開ける。同時にアオイとヒルダさんが同時に部屋に飛び込む。視線を走らせ、まずは敵の姿が無いことを確認する。「大丈夫だ」というアオイの声で僕も部屋へと足を踏み入れる。
そこは医務室らしき設備と薬品が並ぶ大きな部屋だった。そして部屋の中央にある大きな寝台。その上に寝かされているのは、
「ケイン!」
彼の姿を確認すると、ヒルダさんは名前を叫びながらまっすぐに飛びついた。ケイン君はベットに横にされ、さらに幾重もの拘束具で雁字搦めにされていた。
「ヒルダさん……?」
すでに意識はあったケイン君は首だけを動かし、この場に現れた彼女に驚いていた。
ギンに外の警戒を任せ、僕とクロウはベットの拘束具を外す。
「大丈夫なの!?怪我は?何もされてない?」
「わからない。少しぼーっとしてるけど、いたって無事だよ。だから安心して?ね?」
今にも泣き出しそうなヒルダさんの頭を撫でながら、安心させるようにいつもの優しい笑みを向ける。アオイもホッとし、表情を緩めていた。
「ふん。危険を承知でこの俺を助けに来たことは褒めてやる」
と、横の寝台から不遜な言葉が聞こえてくる。そこには同じようにベットに拘束されたアルベルトがいた。
「あ。そういやお前もいたんだったな」
「その口調から察するに、今の今まで俺の存在は忘れてたみたいだなコラ」
実際ここまでケイン君の事しか頭に無かったから耳が痛い指摘ではある。しかしまぁ、この状況でも変わらぬ偉そうな態度を見るに、こちらもとりあえず心配は無さそうだ。
「よし。もうこんな所に用はない。さっさと脱出を……」
僕がそう言いかけたその時、突如視界が暗転する。そして間を置かずに赤色灯が明滅し、けたたましい警報が響き渡った。
「畜生!もうバレちまったのか?!」
クロウの指摘は間違っていないだろう。だが、今このタイミングというのは何だか不自然に思えた。
ヒルダさんはここまでの道中、肌身離さず持ち続けたケイン君の聖剣[アルジェント]を手渡す。
「レン!」と、廊下からのギンの声に、慌てて部屋を飛び出した僕は、通路を遮る鉄壁に驚きの声を漏らす。ここに至るまでの各所で見かけた隔壁が、通路を塞いでいたのだ。
クロウはその巨躯で体当たりをかますが、隔壁はビクともしない。そればかりか、逆にクロウが苦しげに膝を屈してしまう。旧ガルスで負った傷が力を発揮することを妨げていた。
侵入者用の隔壁がクロウ以外の人力でこじ開けられる筈もなく、完全に退路は塞がれてしまった。
しかし、不思議なことに奥へと続く通路には隔壁が降りておらず、赤色の非常灯が誘うように転々と奥まで続いていた。
「このままじゃ袋のネズミだ。とにかくこの場から急いで離れるぞ」
ギンの言葉に全員が頷く。
タイミングといい、不自然な逃げ道といい、僕は何かの意図を感じて嫌な予感がしたものの、反対する程の確証を得ることはできず、みんなの後に続く。
奇妙なことにどこも必ず一方向にだけ隔壁が降りずに、道を開けていた。道を閉ざして完全に閉じ込めるのではなく、どこかに誘導しようとする意図は明らかだった。
とは言え他に選択肢も無く、結局、僕達は脱出するどころか、どんどん地下へと降りる羽目となった。
道中に全く敵の姿がなかったのも気になる。あれだけ警報が鳴り響いたのに、こちらへの攻撃は設置されたせいぜい無人攻撃銃のみ。無論、そんなものがアオイたちに通用するはずもなく、瞬く間に沈黙させられる。
嫌な予感だけをひしひしと感じながら、やがて僕たちは広い空間に出る。
そこは薄暗く、機械のパネルや機械部品などがわずかな光を発するだけで全容は把握できない。ただ、天井も高くかなりの広さがある空間であることはわかった。部屋の中には、腰の高さほどある大型の機械が等間隔に並んでいて、それぞれの側にコンソールが備えられていた。
「気を付けて。出口がないか探そう」
「おい。ボタンがあるぜ。どれか押したら扉とか開かなねぇか?」
「あ!こらクロウ!」と僕が注意する前に、クロウは手近の端末のタッチパネルに触れていた。箱型の機械上部に配置された警告灯が一斉に点灯したかと思うと、ガゴン!と、大型機械が重々しい音と共に身震いし、ゆっくりと伸びるようにせり上がりはじめた。
姿を現したのは、分厚いガラスに包まれた円筒形の大きなシリンダーだった。水槽内部に備えられた照明が点灯し、中に収められたものを照らし出した。
「……ひっ!」
照明に浮かび上がるそれを見た僕は、思わず短い悲鳴を上げてしまった。同じくそれを見たアオイやケイン君たちは日頃の習性からか、剣の柄に手を伸ばし反射的に身構えていた。
醜い肉塊の塊。無数の触手。本能的に嫌悪を抱く外観。
そこに収められていたのは、いずれも魔属であった。
ホルマリン漬けの標本よろしく、液体の満たされた水槽内に浮遊する魔属。生きているのかどうかは、見ただけでは判別できない。
「魔属!?しかしなんでこんなものが……」
コンソールに目を向け、専門用語の羅列や何の値を示しているのかわからないグラフの数々に素早く目を通す。示された情報は理解できなかったけど、何らかの魔属研究が行われていたことは確かなようだ。
だが、それは本来あり得ないことだ。
先の大戦以前の昔から、数多の国家で魔属の研究は行われていた。しかし、その多くが事故を引き起こしており、特に大規模なものとなると都市のネスト化を引き起こした例も記録されている。
そんな過去の教訓から現在、魔属研究は国際法で厳しく禁止されている。魔属の研究は国連管轄の元、世界でわずか数箇所しかない研究所に集約して行われている。それも、万が一の事態を考慮し、孤島や人の住まない隔絶された場所であると言われている。
無論、ここが国連の研究所ではないのは明らかだ。
「違法な魔属の研究施設……ここがまともな施設ではないことは間違いなさそうですね」
ケイン君は努めて冷静に言う。
地下深くの非公式魔属研究所、内部の惨状、この施設が位置すると思われる場所。
それらの単語が頭の中で結びつき、直感的に一つの可能性が脳裏に閃いた。
――だが、真に驚愕すべきものは、僕らのすぐ背後にあった。
僕らが魔属を見上げていると、それらが並んでいる区画と通路を挟んで反対側のシリンダーが続けてせり上がっていた。
振り返り、その中を見たこの場の全員が息を呑んだ。
シリンダー内に浮いているもの。
それは人間だった。
しかも、それは一つではない。次々にせり上がってくる水槽は全部で二十本近くあり、そして同じ数の男女の姿が確認できた。水槽の中を漂う彼らはいずれも裸で、全身からは細い管が点滴のように伸び、水槽下部の機械へと繋がっている。
この場の誰もが同じ人間として、とても正視することができなかった。そんな中、僕だけが違う驚きを感じ、とっさに口を覆った手のひらの隙間から驚きと恐怖の苦鳴を漏らす。
「レン?」と、尋常ではないの様子を目にしたギンが声をかけた。僕は腕を持ち上げ、震える指先をある男性に向ける。
「彼は……勇者アーネストだ」
僕の搾り出すようなつぶやきに、その場の全員が驚愕に息を呑んだ。
「アーネストだけじゃない。これらは皆、消息不明になっていた勇者たちだ」
「なっ……!?本当ですか?」
いっそ間違いであって欲しいとすら思っているようなケイン君の狼狽の声。
僕は無言でキーボードを叩き、ラーキンさんから事前に受け取っていた資料をコンピューター上に表示し、彼らに見せた。資料に添付された勇者たちの顔写真は、今シリンダー内を浮いている彼らの顔とほぼ全て一致していた。
「一体、なんのためにこんなことを……」
「何のためかなんて知ったことか。おいクロウ!こいつを叩き割れ!」
「おう!お前が言わなくてもそうするつもりだったぜ」
「だめだクロウ!」
肩をグルグルと回しながら、拳を叩きつけようとするクロウを僕は慌てて止める。
「あァ!?何でだ!?放っておけってのかよ?」
「この水槽は一種の生命維持装置を兼ねているみたいなんだ。つまり彼らは今、この機械によって生かされている状態なんだ。そんなものを下手に壊せば彼らは死んじゃうかもしれない」
コンソールの数値を読み取るに、彼らのバイタルは極めて低い。
「この表記を信じるなら、どうやら潜在力を抽出されているみたいだ」
「潜在力を?そんなことが可能なんですか!?」
ケイン君の疑問はもっともだ。勇者のみが有する潜在力は、勇者の身体と直結している。これを抽出したり、貯蔵することはできないはずだ。
「僕も仕組みまではわからない。でも、そのせいで勇者としての生命活動を限界まで低下している状態みたいだ」
「なんとかできねぇのか?お前ならいつもみたいに上手く出来るだろ」
「無茶言わないでよ。僕だって何とかできるならしたいさ」
理解できたが納得はできない様子のクロウは大きく舌打ちをし、行き場を失った拳を壁に叩きつけた。
アオイは何も言わないが、納得したわけではないことは表情を見ればわかる。押し黙ったまま、やり切れない悲痛そうな表情で水槽に浮かぶ同胞をじっと見上げ続けていた。
「悲しむことはありません。彼らは与えられた役目を果たすため、これからも人類のために生き続けるのだから」
その言葉とともに、フロア全体に明かりが灯る。暗闇に慣れていたために、煌々と照明が灯る。
そして不遜な表情でこちらを見下しているのは、国連軍省参事官、マーレ・ホーストだった。
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