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黒砂糖デニーロ

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第四章

第三十話 望まぬ再会

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(間違いであってほしかった……)
 旧ガルスで相まみえてから、薄々ではあるが予感はしていた。だが、そんなことはあり得ないと、僕は意識的に考えることを遠ざけていた。
 背格好もそうだが、旧ガルスにてアオイに打ち込まれたパイルバンカー。あれは過日、アルベルトらを救出に行く道程でヴィルさんが見せたものと全く同じものであった。
 恐らくだがアーネストの従属、キャサリンの記録にあった不審な協力者とは彼のことだったのだろう。
 困惑気味に呼びかけるアオイなど端から相手にする気はないとばかりに無視し、ヴィルさんはどうするかと問いかけるような視線をマーレに送る。
「貴重な献体だ。死なせない程度に、大人しくさせなさい」
 意図を汲み取ったマーレは命令を下す。それを合図に、再び相対したヴィルさんは姿勢を低くすると放たれた猟犬のごとく疾駆し、アオイに襲いかかる。
「やめてくれヴィル!お前と戦いたくない!」
 アオイのすがるような声にもヴィルさんは沈黙し、ただ刃でのみ答えた。繰り出される斬撃には、微塵の躊躇いも見受けられない。
 かろうじて[ベルカ]で防いでいるものの、動揺している今のアオイはそこから積極的な反撃に転じることはできなかった。先程までの気勢は完全に消失し、ただただ防戦一方となる。
 あらゆる角度から打ち込まれる力強い直線的な斬撃と、蛇を思わせる複雑な軌道を織り交ぜた予測不可能な斬撃は、万全のアオイであっても苦戦を強いられたはずだ。
 しかも、ヴィルさんの聖剣[イーター]は一撃ごとにその形状を千状万態に変化させ、安易な防御を許さない。
 短身の剣による素早い斬撃を間合いを離して回避しても、長大な刺突剣に変化して追撃され、次の瞬間には鎖に繋がった特殊な剣が死角から背を撫で切っていく。
 ヴィルさん本人が語った[イーター]の特徴は、物体をナノマシンが取り込み、武器の形に構築する。
 今もまた、右腕の剣を曲刀の形態から鉄杭状の打突武器に変化させ、防御の間隙を縫うようにしてアオイの肩めがけて突き出される。
 切っ先は甲冑に阻まれたかに見えたが、次の瞬間、爆発音と共に先端が射出。撃ち込まれた鉄杭は甲冑を粉砕し、肩に大穴を穿った。
 衝撃にアオイの身を大きく吹き飛ばされ、機械や筐体に次々と激突してようやく止まる。
 震える足を叱咤し立ち上がるも、もはや限界であることは誰の目からも明らか。
 そのアオイにヴィルさんは無情にも、刃を振るい続ける。容赦なく繰り出される[イーター]の刃はアオイの全身を切り、穿ち、抉り、血飛沫が飛ぶ。
「なぁヴィル……」
 震える声でアオイは呼びかける。
 すでに使いものにならない左腕はだらりと垂れ下がり、右腕で[ベルカ]を杖代わりにして、立っているのがやっとといった様子だ。
「私はお前の背中を追いかけて、ここまで来た。あの時のお前のようになりたいと思って、今日まで戦ってきたんだ。あの時言われた言葉は、今でも覚えてるぞ」
 アオイの言葉は、果たして彼に届いているのだろうか。ヴィルさんはただ黙し、無表情でアオイを見据えていた。
「なのに、そのお前が、なんでこんな事をしてるんだ?あの時のお前は、こんな奴に味方するやつじゃなかった!きっと何か理由があるんだろ?なら――」
「黙れ」
 ようやく発したのは、明確な拒絶の意思。
「幻想を抱くのは勝手だが、それを他人に押し付けるな。鬱陶しい」
 顔を歪め、嫌悪感も顕に吐き捨てる。
 唖然とするアオイの両目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。
 そんなアオイに、非情にもヴィルさんは力強く踏み込み、刃を振り下ろす。落雷のごとく速く、力強いその一撃にかろうじて体が反応し、弱々しく持ち上げられた[ベルカ]に激突。
 と、その[ベルカ]の刀身が一際強く発光したかと思うと表面に亀裂が走り、次の瞬間には真っ二つに断ち切っていた。
 驚愕に目を見開いたアオイの視界は直後、赤一色に塗り潰される。
 ベルカを砕いて尚勢いは止まらず[イーター]の刃はアオイの胸を深々と切り裂いていった。
 盛大に吹き出した血の赤が宙を、床を、そしてヴィルさんの顔を彩った。
 アオイは衝撃にふらふらと後退るが、その先に床はない。手摺にぶつかり、そして中二階から落下してしまう。
[ベルカ]が破壊されたことで甲冑は元の粒子へと戻っていく。粒子化の煌めきが尾を引きながら、アオイの身はぐしゃっという嫌な音と共に床に叩き付けられる。仰向けに倒れたアオイの身体から夥しい量の血が溢れ、床一面に広がっていった。
 僕はあまりのショックに、銃口を向けられていることも忘れ駆け出していた。
「アオイ!しっかりして!」
 抱き起こして呼びかけるが、返事はない。
 何もできない僕はただただ言葉にならない狼狽の声を漏らしながらアオイの傷を押さえることしかできなかった。そんな僕の努力はお構いなしに指の間からは、温い血がどくどくと流れ出ていく。
「ようやく黙りましたか。まったく、子供の勇者は特に喚き散らしてかなわない」
 斬り伏せたアオイに興味はないのか見向きもせず背を向けて下がったヴィルさんと入れ替わりに、マーレが嘲りに満ちた表情で見下してくる。
「兵器は兵器らしく、人間の言うことを黙々と聞いていれば、私の苦労も少しは減るのですがね」
「降りてこいこの野郎ォッ!ブチ殺してやる!」
 怒りに吠えるクロウ。対象的に木刀を構え、周囲に視線を走らせるギン。しかし、クロウと同様、いやそれ以上の怒りを抱いていることは目を見れば明らかだった。
「なに、安心しなさい。死なせはしませんよ。何せ、あのブラインを打ち倒すほどの逸材だ。最高品質の献体として、丁重に扱わせて頂きますよ」
 まさに痛快といった笑みを浮かべるマーレに、クロウはもはや言葉の体を成さない。獣の咆哮じみた怒声を上げ、背中からチェーンソーを抜く。四方を囲む銃口も眼中になく、今にも躍りかからん勢いだ。
「生憎、その取り巻きには利用価値はありません。ここで退場願いましょうか」
 マーレが片手を軽く上げると、取り囲んだ上段の兵士たちが一斉に狙いを定める。明確な殺意が、吐き出される銃弾に先行して僕らの全身に突き刺さる。
 僕らに緊張が走る中、無常にもマーレの手が振り下ろされる――
 異変が起こったのは、その時だった。
 ガラスが砕ける甲高い音が、フロア全体の至るところから響く。しかし、問題はそんなことではない。
 僕達だけでなく、マーレや兵士までもが驚愕した。
 鼻を突く刺激臭を放つ液体を滴らせながら次々と姿を現したのは、魔属のサンプルたち。標本よろしく収められた魔属たちが、突如として暴れだし、シリンダーを砕いて飛び出してきたのだ。
 これはマーレたちにとっても思わぬ事態らしく、彼らの間で広がっていく困惑がはっきりと感じ取れた。
 しかし、これはこれから起こる大混乱のほんの序章に過ぎなかった。
 僕達が入ってきた方向とは正反対の位置にあった扉を弾き飛ぶ。その向こうからは数え切れないほどの魔属の群れが雪崩れ込んできた。
 この突然の乱入者に虚を突かれた兵士たちは反応が遅れ、反撃の暇もなく次々と殺されていく。
 あるものは体を爪で切り裂かれ、あるものは巨体の体当たりで体を吹き飛ばされ、あるものは上半身を丸呑みにされた。手にした銃火器で果敢に応戦しようとしても、魔属相手には豆鉄砲程度の役にも立たなかった。唯一、勇者の力を付加された擬似勇者とヴィルさんだけが、魔属相手にまともに対抗していた。
「馬鹿な……地下のサンプルたちは非活性化されていたはず。一体どうして……?」
「マーレ様、避難します!こちらに!」
 愕然としていたマーレを左右の護衛が半ば強引に引っ張るようにして、その場を後にした。
 銃声と悲鳴、そして咀嚼音で埋め尽くされたそのフロアにおいて、今や、僕らに意識を向けていた者はいない。
 事の成り行きが全く理解できず、呆然としていた僕は背後からの、耳朶を舐るような不快な音に、弾かれたように振り返る。
 そこには、シリンダーから飛び出た一体の魔属が僕らに狙いを定めていた。
 今にもアオイに喰らい付かんと牙を剥く魔属を前に、僕はとっさに覆いかぶさるようにアオイを庇う。そんな僕ごと喰らい尽くそうと、涎を滴らせながら大口が目の前にまで迫る。
 その僕の視界を、鋼の煌めきが覆った。
 僕らの身を守るように覆われた銀の幕――[アルジェント]の盾だ。
 防御対象を任意に指定できるのか、[アルジェント]の盾が主ではない僕らの四方を囲んで護っていた。
 その向こうから連なる轟音が響き、そこに切り裂く音と魔属の断末魔が重なった。
 程なく消え去った盾の向こうには、それぞれの得物を構えたケイン君とヒルダさんの姿が。
「大丈夫ですか?」
「う、うん。ありがとうケイン君。ヒルダさんも」
「状況はわからんが、逃げるなら今だ!行くぞ!」
 魔属の血を振り払ってから木刀を収め、ギンが手を差し伸べる。その手を借り、立ち上がった僕は、彼の背後に黒い影が忍び寄るのを見た。
 全身黒ずくめのそいつは、擬似勇者だった。背を向けた形になっていたギンは遅れてその存在に気付き、とっさに木刀に手を伸ばす。しかし、フェイクの方はすでに得物であるアサルトカービンを構えていた。
 ケイン君もクロウもその存在に遅れて気付くが、完全に間合いの外だ。そして、躊躇うこと無く引き金が引かれる――。
 連続する銃声と共に擬似勇者の身体が突き飛ばされたようによろめく。後ろを振り返ったフェイクは、頭部に大穴を穿たれ、力なくその場に崩れ落ちる。その背後に見えたのは、
「ら、ランス大佐!?」
 銃口から紫煙を立ち上らせた軍用の四五口径ハンドガンを両手で構えるランス大佐がそこにいた。
「おいおい。なんだってアンタがこんなとこに」
「話は後だ!脱出するぞ!こっちだ!」
 クロウの言葉を遮り、ランス大佐は急いだ様子で促す。クロウにアオイを託し、僕はギンに手を引かれながらランス大佐たちに続いて出口へと向かう
 と、その時、つま先に何かが当たった。床に転がるそれは、折れた聖剣[ベルカ]だった。
 僕は反射的にそれを拾い上げていた。さらに折れた刀身を探すも、近くには見当たらなかった。
「レン!何をしている!急げ!」
 ベルカはアオイにとって大事なものだ。出来れば回収したかったけど、この混沌とした状況でじっくり探す訳にはいかない。
 僕は後ろ髪を引かれる思いを残しながらも、ギンに続いてこの場を後にする。
「しかし手酷くやられたようだな」
 ランス大佐は僕達の状態を見遣りながら言う。
 旧ガルスからここに至るまでに負った傷で、すでにみんな限界に来ている。
 ギンやクロウは言うに及ばず、ケイン君はまだ薬物の影響が完全には抜けていないのか、ヒルダさんに手を引かれながら必死に駆けている。アルベルトもそれは同様らしく、ランス大佐の部下に担がれている有り様だ。かく言う僕も、フェイクリーダーに刺された脇腹の傷の痛みに、ともすれば気絶してしまいそうになる。
 だが、もっとも負傷しているのはアオイだ。素人目に見ても、彼女が今、生きるか死ぬかの瀬戸際にあることは明らかだ。
 大丈夫。アオイことだからきっとまた、いつもみたいにすぐ回復して、元気に飛び起きるに決まってる。
 そうに決まってる。
 なんの根拠もない楽観を、僕は必死に自分に言い聞かせていた。
「そういえば、正確にはここはガルスのどのあたりなんですか?」
「ガルス北東の隅。何もない荒野だが、一帯は演習場の名目でカスパール社の所有地になっている」
 ランス大佐はここに至るまでの経緯を説明してくれた。なんでも、先のガルスでの一件で魔属の出現位置を根気強く追い、偶然この周辺にまで辿り着いたのだという。しかし魔属の痕跡は明らかなのに立ち入りを拒まれ、しかも上層部から手出し無用を言い渡され八方塞がりだったそうだ。
「そんな時、お前のメッセージを受け取ってな。我々もケインの信号をキャッチしたので、強行突入の口実に利用させてもらった」
 言いながらニヤリと笑みを浮かべる。
 なるほど。救難信号を受け取れば、軍としては動かざるをえない。民間の施設に軍が踏み込むにはやや苦しい理屈ではあるけど、一応の名目は立つ。
 僕もこれまでの経緯と、ここで見聞きしたことをランス大佐に説明する。
「……勇者拉致に、都市内での非合法な魔属の研究。どちらもとても正気の沙汰じゃないな」
 全てを聞き終えたランス大佐は眉根に皺を寄せ、険しい表情を作った。
「都市内で魔属の研究をやっていただけでも許しがたいというのに……奴らには聞かなければならないことが多そうだ。これだけ状況証拠があれば上の連中もさすがに庇い立てはできまい」
 そうして僕らはようやく地上へと出た。脇腹の傷の痛みに意識を失いそうになりながらもギンに肩を借り、ようやく陽の光を見たときは思わず安堵の息を吐いた。
 大佐の言うとおり、辺り一帯は人口の建物など一切無い寂莫とした荒野だった。とてもガルス内とは思えない光景だったが、地平の向こうには、登りはじめた朝日を背にして照らされた摩天楼のシルエットが浮かび上がっているのがわかる。
 僕達が出てきた搬出口を兼ねた地下トンネルの周囲には小さな詰所がある以外は何もなく、舗装された道路が都市の方角に伸びるだけだった。搬入口を出たすぐ目の前にはタンデムローターヘリが僕らの到着を待っていた。このヘリに救われたのは、これで二度目だ。
 ダウンウォッシュの風に髪を乱されながら、アオイを抱えたクロウを先頭に、後部ハッチから次々と素早く乗り込んでいく。ハッチに足をかけながら、間隔の開いてたケイン君らを心配し振り返り、そして叫んだ。
「ケイン君!ヒルダさん!逃げて!」
 とっさに振り返ったケイン君とヒルダさん。視界に入ったのは、鋭い牙の並ぶ口を横に開いた巨大な顎。
 トンネルの隔壁を突き破り、姿を現した魔属。眼球のない蛇のようなその魔属は大型の下級種魔属『シュランゲ』。
 音もなく迫ったシュランゲはすでにケイン君らに狙いを定め、喰らいつく直前であった。二人を助けるには、僕らの距離はあまりに遠すぎた。
「やらせない!」
 その叫びと共に、ヒルダさんはケイン君の身を突き飛ばした。直後、僕達の目の前でヒルダさんは丸呑みにされてしまう。なお勢いは止まらず、シュランゲはそのまま地面を滑っていく。食い足りないとばかりに鎌首をもたげ、品定めするように首を巡らせる。
 遅れて異常を察知したクロウ、ギンがハッチから飛び出ていく。クロウが駆け抜けざまに横っ腹をチェーンソーで撫で切り、怯んだ一瞬の隙にギンが疾駆の勢いを切っ先に集中し、下顎から串刺しにしてとどめを刺す。
 シュランゲは絶命したが、安心している暇はない。
「おぉぉぉぉラァッ!」
 即座にシュランゲの口に回ったクロウは両顎に手をかけると、雄叫びの声を上げながら力任せにこじ開ける。
 果たして、口の奥にあったのは、銀色の卵であった。
 彼女を守ったのはケイン君の聖剣[アルジェント]だ。唖然とする僕たちの見ている前で、その銀の卵は砂のように崩れ、その場で霧散する。その下からは、何が起きたかわからないといった表情で固まっていたヒルダさんが現れた。
「まさかあの一瞬でとっさにヒルダさんを守るなんて、やっぱりすごいなケインく――」
 感心しながら振り向いた僕は、絶句して先を告げることができなかった。
 視線の先で、複数の魔属に喰い付かれているケイン君を見た。
 まるで腐肉に群がるカラスが如く、無数の牙がケイン君の身に容赦なく突き立てられ、骨を砕く不快な音と共に血肉を貪る。押し倒され、身動きの取れないケイン君は苦痛に顔を歪めながら右手で剣を振るうも、そこに力は込められた力は弱々しい。
「いやぁあああぁぁぁぁああ!」
 ヒルダさんは悲鳴とも雄叫びとも聞こえる声上げながら僕らを押しのけると同時に銃を抜き、魔属に向けて引き金を連続して引く。
 吸い込まれるように弾丸は魔属の頭部を弾き飛ばし、瞬く間に群がる魔属を駆逐した。錯乱しているとは思えない精確な射撃。
 仕留めた魔属などすでに眼中に無く、ハンドガンを投げ捨てて地面に落下したケイン君に駆け寄る。
 ケイン君は、目を背けたくなるような惨たらしい状態だった。上半身は牙に穿たれた無数の傷から血を吹き出し、下半身に至っては完全に食い千切られていた。
 血の泡を吹きながら苦しげに息を吐くケイン君。彼の惨状にヒルダさんは狼狽し、ただただ言葉にならない声を漏らすばかりであった。
 焦点の定まらない眼差しを向け、ヒルダさんに手を伸ばす。そんな状態になっても、ヒルダさんを気遣う彼の意思が垣間見えた。
「とにかくヘリに運び込め!ここは危険だ!」
 ランス大佐が叫ぶ。搬入口からはシュランゲを始め、大小無数の魔属が溢れでてくるところだった。軽くなったケイン君を抱えたヒルダさんと共に、僕らは急いでヘリに乗り込む。
 追いすがってくる魔属の頭を掠めながら、ヘリは間一髪離陸した。
 設置された担架に横たえられたケイン君にヒルダさんは寄り添っていた。
「レン。ケインはどうなんだ?」
「勇者なんだ。あれぐらいじゃ死なねぇだろ!?なぁ!」
「あそこまで肉体の損傷が激しいと、もはや治癒は追いつかない。残念だけど……」
 僕は聞こえないよう囁くような声で二人に答える。
 やりきれないといった表情で俯くギン。悔しげに唸ったクロウは革ジャンを脱ぐと、ケイン君の失われた下半身にそっと被せ、無言で前方の離れたシートに座った。
 ヒルダさんの手をしっかりと掴んだケイン君は、血の泡を吐きながらかすれそうな声で呟く。
「ごめんねヒルダさん。また約束、破っちゃった」
「ケイン……ごめんなさい、私、私のせいで……」
「あやまらないで」
 震える声で何とか言葉を紡ごうとするヒルダさんにケイン君はそっと言った。
「僕はヒルダさんを守れて、満足しているんだ。だからどうか、自分を責めないで。僕が死んでも、それはヒルダさんのせいでも、ましてジンクスなんかのせいじゃない。紛れもなく、これは僕の意志だ」
 咳き込み、血塊を吐きながらもケイン君は語りかけ続ける。既に自分の死が近いことを自覚しているからこそ、できるだけ伝えたいのだろう。
 自分の想いのすべてを、他ならぬヒルダさんに。
「会ったこともないけど、僕にはわかる。死んでいった人はみんな、優しいヒルダさんを守りたかったんだ。例え自分の命を失ってでも、ヒルダさんに生きて欲しかったんだ。けっして呪いなんかじゃなかったんだ。形は違ったけど……やっと証明できたね」
 自分が死に逝こうとしているのに、彼はなぜ、こんなにも嬉しそうな笑みを浮かべることができるんだろう。心の底から嬉しそうに、眩しい笑みをヒルダさんに向けた。
 右手を弱々しく持ち上げ、ヒルダさんの頬に当てる。
「生きて、ヒルダさん。それだけが僕の――」
 言葉は途中で途切れ、もう二度とケイン君が喋ることはなかった。
 ヒルダさんは取り乱さなかった。涙も流さない。それどころか、声一つ発することはなかった。ただそっと、ケイン君の体を抱きしめた。失われつつある彼の温もりを少しでも自分の内に止めようとするかのように。
 最愛の人を失った時、涙一つ出ないという人もいる。それは薄情だからではなく、自分が空っぽになり、何も湧き上がってこないのだと聞く。
 今のヒルダさんも、そうなのだろう。
 できるだけそっとしておいてあげようという無言の配慮でキャビン前方に向かう。
「大佐。基地より通信が入っています」
 そんな時、コックピットの兵士さんがランス大佐に呼びかける。ランス大佐は無言で頷くと、横に備えられた無線機を手に取り応答する。
「こちらランス。どうした?」
『大佐!緊急事態です!ま、魔属が――』
「落ち着け!都市内北部から発生したものならすでに部隊を向かわせて――」
『いえ。それではありません!』
「何?」と眉を顰めるランス大佐。
「さきほど北方魔属領監視所より入電。魔属領より急激な活性化反応を確認。直後、大規模魔属群が出現。警戒線に展開していた国連部隊を瞬く間に壊滅させ――このガルスの方角へ向かっているとのことです」
 機内の空気が、戦慄に凍りついた瞬間だった。
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