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黒砂糖デニーロ

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第四章

第三十一話 成すべきこと

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「このままですとアオイさんは、長くは持ちません」
 医師が告げるその言葉に、僕は耳を疑った。これまで細糸一本の繋ぎ止めていた意識がぷっつりと切れ、一瞬視界が真っ白になる。その場で膝から崩れ落ちる僕をクロウが慌てて支えてくれた。
 脇腹の傷を応急処置だけで何とかごまかしてきた今の僕にとってその宣告は、自力で立つ力すら奪ってしまった。
 カスパールの地下施設より脱出した僕らは、ヴァーミリオン社ガルス・ラボにいた。
 勇者向けの医療が充実しているガルス・ラボがあったのは実に幸運だった。担ぎ込まれたアオイを一目見た医師は、医療スタッフを緊急招集し、すぐさま緊急手術の準備に入った。その時の血相を変えた医師の表情からだけでも、アオイが極めて危険な状況であることがうかがい知れた。
 とにかく危険だということだけ伝えられ、アオイの手術は開始された。
 ちなみに、僕のフェイクリーダーに刺された脇腹も重傷で、本来であればすぐにでも処置が必要とのことだったけど、アオイの手術が済むまで僕は頑なに拒んだ。とにかく片時もアオイのそばを離れたくはなかった。
 その間に、ガルスの状況も逐次もたらされた。
 まず、カスパールの地下施設から抜け出した魔属は複数の中級種を中心に群体を形成しながら都市部に向かっており、都市防衛隊がこれの殲滅に当たっている。もっとも、それほど数が多いわけでもなく、殲滅の目処も立っているとか。
 問題は都市の外の方だ。突如、魔属領より海を渡って進撃を開始した大規模魔属群は駆逐艦隊を瞬く間に沈め、ガルスを目指している。そのスピードたるや凄まじく、約四八時間以内には確実にガルスにまで到達するという。
 対して国連軍は、それまでに勇者を含む有効な戦力を送ることは困難であるという理由からガルス防衛を断念。迎撃はグリュー首都を拠点とし、さらに、ガルスのネスト化を防ぐために戦略爆撃の準備を進めているという。
 現在はランス大佐の指揮の下、ガルス防衛隊と北方方面軍が進行上にある各基地を防衛ラインとし、魔属の侵攻を少しでも食い止めるべく奮戦している。もっとも、ランス大佐はガルスの放棄を承服せず、ガルスを守るために戦うとのことだ。
 ガルスを取り巻く状況は、絶望的なまでに悪い。
 そうしているうちに十時間にも及ぶ手術はようやく終了した。祈る想いで待ち続けた僕に、執刀医の告げた言葉はあまりに非情なものだった。
「持たないっていうのはどういう意味ですか?」
「言葉通りです。このままでは、アオイさんは弱って死に至ります」
「でも、勇者の自然治癒力は常人の比ではないはずです。勇者機関の測定だとアオイの自然治癒力はB+で――」
「それは存じています。しかし今回の場合、アオイさんは潜在力を消耗しきっています。知っての通り、潜在力は勇者の力の根幹であり、勇者の超人的な肉体の維持に不可欠なものです。それが減少すれば勇者の特異性は発揮できない。当然、自然治癒力も」
 最も恐れていた事態が現実のものとなった。それも最悪のタイミングで。
 全くの想定外だったわけではない。[ベルカ]の異常は先日の戦いから明らかだったし、旧ガルスでアオイが消耗しきっていたのもわかっていた。
 それなのに、拉致されたケイン君らを助けるためヴィルさんを追跡することをなし崩しに了承してしまった。
 こうなってしまった責任は、僕にある。
「しかも、聞けばあの傷は聖剣によるものだとか。聖剣が普通の刀剣ではないのはレンさんもよくご存知でしょう。身体が真っ二つにならなかっただけでも運が良かった」
 語られる説明も遠く聞こえ、他人の事のように思えてならなかった。戦いに身を置く以上、こういうことも覚悟しているつもりだった。
 でもいざアオイが死に直面して、その覚悟がいかに軽いものであったか気付かされる。
「他になにか、方法はないんですか?」
「できる限りの傷の処置をしましたが、あくまで一時凌ぎです。潜在力は勇者の生命力とほぼイコールですので、このままでは勇者の自然治癒力が傷を癒すよりも先に、潜在力が尽き、命を落としてしまうでしょう。我々も手を尽くしましたが、あとは奇跡を祈るより他ありません……力及ばず、申し訳ない」
 医師は居た堪れないような表情で一礼すると、その場を後にした。

 生命維持装置に繋がり、静かにベットに横たわるアオイ。血色の悪い面は重病人のそれだった。普段は溢れんばかりのエネルギッシュに駆けまわり、眩いばかりの笑顔を振りまいていた記憶の中の彼女とはまるで一致しない。
 アオイが死んでしまう。救うことはできない。
 その事実が僕の頭の中を真っ白にし、思考を完全に停止させていた。
 そんな僕の背後から、ギンが問いかける。
「これからどうするつもりだ?レン」
「どうしたらいいかなんてわからないよ!」
 つい感情的になって声を荒げてしまう。
 見ると、二人はそれぞれ何かを思案するような顔をしていた。ギンはともかく、クロウまでもが普段は見せない神妙な顔で考え込んでいた事に僕は訝しむ。
 そして二人は黙って背を向け、何処かへと行こうとする。
「ちょ、ちょっと!どこ行くのさ?」
 慌てて追いすがり、クロウの裾を引っ張る。またいつものクロウお得意の冗談かと思ったけど、その表情はいたって真面目だった。クロウは足を止めて視線を僕に向けると、言った。
「オレ様は前線に行く。今から急げば、ランスの部隊に合流できる」
 クロウが何を言っているのか、わからなかった。
「クロウ。こんな時に冗談はやめてよ。アオイを置いてそんな……」
「いや、レン。俺達は本気だ」
 僕の言葉を遮ったのは、ギンだった。彼は言いながら僕の肩を掴み、クロウから引き剥がしてしまう。
「今、前線には一人でも戦う人間が必要だ。俺もクロウも戦線に加わって、少しでも魔属を食い止める。それが役目だ」
「なんだよ役目って!たった二人が加わっただけで何ができるんだよ!そんなことより今はアオイが――」
「できるかどうかは問題じゃない。成すべきことを成す。俺たちは勇者アオイの従属だからな」
「見損なったよ!僕らは大事な幼馴染で、どんな時でも四人は一緒だと思っていたのに!どうして平然とそんな事が言えるんだよ!」
 ギンの返す冷静な態度すらも今は腹が立ち、涙がこぼれてくる。
 だから僕はつい、口走ってしまった。
「二人はアオイがどうでもいいって言うの!?あんな状態のアオイを見捨ててなんとも思わないの!?」
「そんなわけないだろ!」
 激情をあらわにしてそう叫んだのは、クロウではなくギンだった。
 いつにないギンの激昂は僕を唖然とさせたばかりか、隣にいたクロウすらも驚かせた。
「俺もこいつも、アオイが死ぬほど心配だ。お前だけじゃない!それでも、俺たちは戦うことしかできないんだ。その悔しさがお前にわかるか?!」
 激しい勢いで胸ぐらを掴みながら、普段のクールさをかなぐり捨てて感情剥き出しの言葉をぶつける。そのあまりの剣幕は、とっさにクロウが間に入って僕とギンを引き離すほどであった。
「落ち着け!テメェが熱くなってどうすンだよ?!」
 クロウがギンを諌めるという珍しい光景よりも、そのギンの変わり様に僕は驚き、怒りがどこかにすっ飛んでいった。
 ギンは数歩離れると深呼吸をし、乱れた呼吸と感情を整える。
 冷静さを取り戻したギンは、再び僕に相対する。いつものような淡々としたものではなく、一言一言に重さを感じさせる口調で僕に言い聞かせるように語りかけた。
「今、俺達は重大な局面に立っている。俺達も、この都市も、もしかしたら世界全体が。アオイも含め、分水嶺に立っている」
「そんなこと、どうだっていい!今の僕にはアオイを救うこと以外に関心はない!」
「それは俺達も同じだ。だが今は耐えて待つ時じゃない。事態の最前線にいる俺達一人ひとりの行動に全てがかかっているんだ」
「それじゃギンたちが戦場に行けば、アオイがどうにかなるっていうの?」
 投げやりな僕の言葉に、ギンは「そうじゃない」と、首を横に振る。
「お前の言うとおり、確かに無茶だし、無意味なのかもしれん。それでも戦うしか無いんだ。たとえその結果、魔属の侵攻を一秒しか遅らせることができなくてもな。でもその一秒が、可能性を希望に変えてくれるかもしれない。だから俺達はその一秒のために全力を尽くすんだ」
「可能性……?」
「ああ。その可能性とは、お前のことだ」
「僕?」彼の言いたいことが理解できず、驚きと疑問の混じった声を出す。
「お前はここに残ってアイツを、アオイをもう一度立ち上がらせるんだ。これはお前にだけしかできないことだ」
「何言ってるんだよ!そんなの、それこそ無理だ!勇者専門の医者ですら諦めたのに」
「でもお前は言った。腕っ節だけが従属じゃないと。お前は敵と直接戦うの戦いができる。それは俺達には到底できないことだ」
 弱音を吐く僕の両肩をギンは強く掴み、真正面から僕の目を見据えて言った。
「それだって限度がある。僕は神様じゃない」
「ああ、そのとおりだ。起きるかもわからない奇跡や何もしちゃくれない神サマとやらに祈って待つなんて、まっぴらごめんだ。そんなもの、俺は微塵も信じてはいないからな……でも、お前のことは世界の誰よりも信じてる。お前の、ここぞという時の底力を」
 力強く告げるその言葉にも、また真正面から見据えるギンの目にも、僕に対する僅かの揺らぎもない信頼が込められていた。
「俺たちは仲良しの慣れ合い所帯じゃない。例え領分は違えど、互いに背中を預けあえる存在だと俺は思っている。お前は違うか、レン?」
 問いかける眼差しに居た堪れない気持ちになり、僕は目線を逸らすと、その逃げ場をクロウに求めた。そして弱々しく問いかける。
「クロウも、ギンと同じ意見なの?」
「あぁん?オレ様がそんな小難しいことはわかるわけねぇだろ。ただ今のアイツを何とかするのに、ギンもオレ様は力になれそうにないからな。だからその鬱憤を晴らしに行くだけだ」
 クロウは顔をしかめ、面倒くさそうに頭を掻きながら答える。そして、
「あのチビ助は確かに心配だが、ま、レンが一緒なら大丈夫だろ。なんせお前は、オレ様の認めたただ一人の男なんだからな」
 と、開けっ広げな笑みを作り、そう付け足した。
 クロウは裏表がない。だからその言葉は、紛うことなき本心なのだろう。その偽らざる言葉には僕への全幅の信頼が込められているのがわかった。
「いいかレン。俺たちは見捨てるんじゃない。押し付けるんでもない。託すんだ。アオイを、お前に」
 肩をつかむ手からも、ギンのその想いは伝わってくる。彼は僕を一人の男と見込んでいる。
 そして気付く。
 僕はあんな状態になってしまったアオイに怖気付き、もっともらしい事を言いながらその実、現実から逃げていた。戦うことしかできない悔しさを内に秘めながらも己の領分を全うしようとし、僕に可能性を託そうとしたギンとクロウを、僕は罵倒した。
 なんと臆病で、愚かなことだろうか。
 それなのに、二人はアオイを託すと言った。こんな弱くて頼りない僕に。
 そうだ。互いを尊重はしても、よってたかって気遣い、傷を舐めあうことが仲間ではない。
 今は、己の領分で最善を尽くす時だ。ギンはそのことを僕に教えてくれた。
「……それでも僕は心配だよ。勇者がいないのに、二人だけで戦場に行くなんて」
「おいおい。オレ様を誰だと思ってやがる。その逞しさに全人類が恐れる男こと、クロウ様だぞ?」
「そうだよな。確か昔、生物兵器と呼ばれ恐れられていたんだよな」
「うるせぇな!人の黒歴史を気軽に掘り起こすんじゃねぇよこの野郎!」
 いつもの軽口と馬鹿なやり取りに、僕はつい噴きだしてしまう。
 つられてクロウも、そしてギンまでも声を上げて笑った。
 幼かった頃のように。
 それだけで、堅くなっていた空気が一気にどこかへ吹っ飛んでいってしまった。
「まぁそういうことだ。だから心配は無用だ。俺達を信じろ。俺達はお前がアオイを連れてくることを信じてるぞ」
 ギンの言葉に、もう引き止める言葉はない。二人の意思を受けた今、引き止めることは彼らの信頼を裏切ることになる。
 だから、僕は二人に約束する。
「必ずアオイと一緒に後を追う。必ずだ!だから、絶対に死んじゃダメだよ」
「へっ!誰にモノを言ってやがる!むしろお前たちが来る前に魔属なんざ食い尽くしてやるぜ」
「頼んだぞ」
 そう言い残すと二人は背を向け、出口へと向かっていく。
 気丈に振舞う友の背中は、とても大きく頼もしいものに見えた。
 僕の友は、なんと勇ましく、かっこいいのだろう。
 あれほど素晴らしい友に出会えたことを、僕は誇りに思う。
 その彼らが、託したのだ。
 他ならぬ、この僕に。
 ならば、なんとしてもやり遂げなければならない。アオイを連れて、彼らを追って戦場に向かうために。

 一人残った僕は、眠るアオイを見つめながら、考えた。
 今、僕にできること。やらねばならないこと。
 ――決まってる。そんなの、一つしか無い。
 それは、新たな聖剣を作ること。
[ベルカ]の復活だ。
 今まで、[ベルカ]のマテリアルドライブによって変換された〈L粒子〉が、どんな深い傷も癒してくれた。
 粒子による瞬間的な治癒力は潜在力を消費した自然治癒よりも遥かに高い。つまり潜在力の消費効率が段違いなのだ。
 まだアオイに潜在力が残っているうちに[ベルカ]の機能を復活させ、粒子治癒によって傷を塞げば、潜在力の消費を止めることができる。
 無論、容易な事ではない。いや、ほぼ不可能だ。いつもなら不可能だと、諦めていただろう。
 でも、今は違う。
 もう、自分のやるべきことから目をそらさない。託された信頼に応え、約束を果たすんだ。
 僕に、どこまでやれるかはわからない。でも、やるしかない。
 奇跡に頼るには、まだ早すぎる。僕はまだ何もしていないのだから。
「……必ずまた戻ってくるからね」
 僕はガラス窓の向こうで眠り続けるアオイにそうつぶやくと、その場を後にした。
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