檳榔売りのアトリ

あべちか

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「なに、言ってるの?」

アトリは思わず後ずさった。
西施は変わらずこぼれるような笑顔で微笑んでいた。

「なにって、だからね、アトリは帰らなくていいのよってことよ」

「・・・・西施」

「あのへんの島の檳榔売りは、罪人の子を処刑しないために奴隷として一生島に仕えさせる制度じゃないの。昔檳榔売りたちが活動範囲を広げていたこともあったみたいだけど、皆殺されるか牢屋に入れられるかしたみたいね。ある距離以上島を離れるという行為そのものが禁忌なのよね」

「なんのことなの?」

「なにって、アトリあなたのことよ」

「アトリの・・・?」

奴隷

罪人の子

島を遠くはなれてはいけない

アトリは西施の話を理解できる気がしたが、恐ろしくてなにもわからなかった。今とても大切なことを西施が口にしている。でもそれが何なのか飲み込むには、あまりにアトリの知っていることと西施の語ることはかけ離れていた。

「ヤンバルに阿片を認めてもらうってどういうこと?アトリ、阿片知ってるよ。使っちゃいけないお薬だよ」

「そんなことないわ!私の商売道具なのよ!檳榔みたいなものよ。まあ、ヤンバルでは認められてないけど、アトリたちの澄んだ海の島々の人と戦争するよりも、認めてしまったほうがヤンバルにとって利点があることぐらい、ストークならわかるでしょう」

「戦争?」

「そうよ。あ、でも大丈夫よ、アトリ!本当に戦争になんかならないし、ヤンバルの誰も傷つかないわ。そうなる前にヤンバルは阿片を認めるし、そしたら私は彼らから船を取り上げるから」

「西施!西施おかしいよ!何言ってるかわかってるの?阿片だよ?怖いことなんだよ?戦争も、本当にしないからってそんなことして良いわけないよ!」

「え?」

西施はきょとんとした。
アトリは必死で西施の服を掴んで、背伸びをした。

「ぶたないからって、ぶつふりして良いわけない!それはぶってるのと一緒でしょ?戦争するつもりがなかったら、戦争するふりしていいの?船を取り上げるって、そんなことしたら今度は西施があぶない目にあうんだよ?アトリ知ってるよ、澄んだ海の人たちは絶対そんなこと許さないよ!」

「アトリ・・・」

「なんでそんなこと言うの・・・?」

西施は必至の説得に、まるで慈愛を込めてふわりと笑った。

「アトリ、未熟な国の人。良いとか悪いとか、そんなおとぎ話みたいなこと本気で信じてるの?私は阿片を売ってお金を稼いで、自由に暮らしたいだけ。そしてアトリを助けたいだけよ。船を取り上げて向こうが怒っても、私の方が強いわ。だってヤンバルの商船も私の味方をするもの」

「どうして?」

「どうしてって、彼らの家族を人質にしてるからよ。だからヤンバルの商船はよろこんで私の味方をして、澄んだ海の人たちと戦ってくれるわ」

「西施・・・」

アトリは自分の指先が震えるのを感じた。

言葉は通じているはずなのに、話が全く通じない。

西施の語ることはすべて善意からであるはずなのに、なにもかもがアトリの知っている善良なものとは食い違っている。

島に帰らなくていい、と言ってくれたホークの暖かい言葉とも。

二度と島に帰ってくるな、というアーロンのちぎれそうな心の言葉とも。

人を愛し痛みさえも受け入れようという営みが全く欠けた西施の言葉に、アトリはひたすらに困惑していた。

不利益は何一つ受け入れられないという、頑なな西施の姿勢。

そしてそれが困難な道であることを知っている西施。

その困難な道に活路が見えた喜び。

西施にあるのはただそれだけだった。

「なんで?なんでそうなるの?」

「アトリには難しかったかしら?大丈夫よ、アトリは大事なともだちだもの、必ず守るわ」

「やめて!アトリおバカさんじゃないよ!」

アトリは大きな声を出した。
公園にいた周囲の人も振り返って二人を見るほどの大声だったので、さすがに西施もすっと瞳に怒りをともした。

「なによ、私はアトリのためを思ってやったのよ!アトリは奴隷でいいわけ?親が罪人だからって理由で、アトリは檳榔売りにさせられたのよ!このままじゃ、いつか見つかって殺されるんだから!最後にあの人たちを懲らしめられるし、私は阿片を売れるし、アトリはヤンバルで暮らせるし、なにが気に入らないの!!」

アトリは急速にすべてのことに符号が言っていた。


どうしてアトリだけ?

どうして檳榔売りだけ?

どうしてみんな嘘つくの?






どうしてアトリだけ檳榔売りなの?









そんな疑問を怖くて口にできなかった。島に帰りたくないとアーロンに言った時でさえ、ホークに抱き留められて全身を預けているときでさえ。


言えなかった。


とても怖い気がしたから。




アトリ、悪い人の子供だったんだ。


檳榔売りって、奴隷のことだったんだ。


教えてくれなかったんだ。


みんな嘘ついてたんだ。



アトリの脳裏にはアーロンの泣き顔と、マゲイの泣き顔が浮かんでいた。



二人が泣いてたの、アトリのせいだったんだ。


「なんでそんなことするの?アーロンもマゲイちゃんも何にも悪くないのに、なんでそんなことするの?」

ポツリと、独り言がこぼれた。
アトリの素直な心から転がり落ちた、冷たい気持ちだった。

「ヤンバルの人たちは何も悪くないのに、なんでそんなことに巻き込まれなきゃいけないの?ストークはなにも悪くないのに、なんでアトリのためにヤンバルの人たちを阿片なんか危ないものに近づけなきゃいけないの?ホークは何もわるくないのに、この海とヤンバルの戦いに使われなくちゃいけないの?」

アトリはもう知っていた。

ストークがどれほどヤンバルの一人ひとりを愛しているか。

ホークがどれほど海とヤンバルを愛しているか。


「・・・・なによ」

冷たいアトリの声に、西施はさらに怒って見せた。

「アトリのためにやったんじゃない!澄んだ海の人たちは、アトリにひどいことをしてるのよ!」

「ひどいことされたら、ひどいことしてもいいの?じゃあアトリのお父さんかお母さんがひどいことしたなら、アトリがひどいことされてもいいね。でもだったら、何もしてないヤンバルの人たちが巻き込まれるのは一番おかしい」

アトリはまるで取りつかれたように話していた。

西施もアトリの様子が違っていることを感じずにはいられなかった。

「でも!だったらアトリは、かわいそうなままじゃない!」

「かわいそうだったらいけないの?」

「だめよ!わたし、わたし、奴隷なんて嫌!心のままに生きたいの!自由に翼をひろげて、どこまでも遠くに!みんなそうしたいはずよ!アトリにもそうして欲しいの!」

心のままに。

そうアトリに教えてくれた人は何を願っていたんだろうか。

アトリには西施の言葉がよく理解できた。

奴隷のままでいいの?

殺されてもいいの?


そんなのいやだよ。

いいわけないよ。

アトリ、知らなかったもん。

だれも教えてくれなかったんだもん。

でも。


でも。

理解できる。西施のことを、全部が間違っているなんて思わない。
けれどこんなにもかけ離れている。


心のままに。


アトリの心は?









「アトリ、ヤンバルがすき。アトリのこと、だれも奴隷なんて思ってない。ヤンバルでなら、アトリ本当に心から、檳榔売りなアトリを好きになれる!だから、だから、それはやっぱりダメなんだよ!」


その言葉に西施はぐっとにらみつけた。

アトリはぱっと高台の手すりの上に飛び乗った。

「なにするの?!」

西施を振り返る。
アトリの足元はちょっとした崖のようになっていた。なぜだかはアトリには説明できないけれど、確信があった。

そんなことさせない。

ヤンバルをそんな目に合わせたりしない。

アトリの羽はそんなことのためにあるのじゃない。


「アトリ、島に帰る」

「何言ってるの、そんなことしたら!」

「ヤンバルの人たちを巻き込まないためには、こうするしかないよ」

「アトリ!」

「西施」

風が吹く。

アトリの背中を押すように、ヤンバル上空のはるかかなたから清涼なかぜが吹いている。

生ぬるい不快な空気を海へ押し返すかのように、アトリの行くべき方へむかって吹いていた。


「アトリも、心のままにするね」


ごうっと風が吹く。

その突風に西施が思わず目を伏せる。

はっと顔を上げた先にはもうアトリの姿はなく、急いで高台から見下ろすと、まるで体重など感じさせない様子でアトリが崖のしたの地面に着地していた。


「アトリ!」

海に向かってかけていくアトリは、西施の言葉には決して振り返らなかった。











****************************



息を切らしてヤンバルの市街地まで下りてきたアトリ。

心臓が張り裂けそうなくらい痛かった。

どうしよう。

どうしよう。

はあ、はあ、と息が上がる。けれど走りながら考えだす答えは同じだった。

「一番早く島に帰らなきゃ」

そしてヤンバルに向かっている人たちを止めてくれるよう頼まなければ。
戦ったりしないように。
お願いしなきゃ。


港に着くと、どうしても足が止まる。

ホークの黒船が見えない場所などないからだ。



いま何してるのかな。

ずきずきと胸が痛い。

ホークと素肌を重ねたことがアトリの中によみがえってくる。


いつだって優しかった。

まるで海のように、いつもアトリを見守ってくれていた。



ホークは知ってるかな。

アトリがホークにあえてよかった、ってずっとずっと思ってること。

ヤンバルに連れてきてもらった。

うちにおいでって言ってくれた。

お前と話すのが好きだよって、アトリに初めて言ってくれたのがホークだった。

ホークに手を握ってもらうのがすき。

アトリのこと見つけたら、いつも両手を広げてくれるのがすき。

ホークのごわごわした黒い髪の毛がすき。

そのこと、ホークは知ってるかな。


あとから海賊の人が教えてくれたけど、アトリの檳榔を魔法で育ててくれた。

魔法が使えるのに、あんまりそのこと話してくれないの。

アトリはなんでもできるって、いつも言ってくれる。

アトリの心のままにってお話も、一回だって否定しなかった。

ホークは海の民がすき。

蛮族って言われて嫌われてるの、本当は嫌なんだよね?

海賊したり、海で拾ったものを売ったり、そんなことをしなくても、ヤンバルで暮らせるようにしてあげたいんだよね。

アトリ知ってる。

ホークのお家には、たくさん病気の人や女の人やこどもがいるの、なんでだか知ってる。

海賊をして暮らせない人のために、お家を貸してあげてるの、アトリ知ってる。


海賊以外の生き方を、探してるの知ってる。


ヤンバルがすきだから。


みんなのお家だったヤンバルを守りたいから。

だからホークが頑張ってるの、アトリずっとずっと知ってる。


アーロン

マゲイちゃん


アトリのこと大切にしてくれた。

でも、アトリが何にもできないから、二人とも傷ついて。


ホーク



ホークのこと傷つけたくない。




アトリかヤンバルかなんて、そんなことホークに考えさせない。


ホークの大事なものを、島の人たちに傷つけさせない。








「ホーク、大好きだよ・・・・ッ」






ホークのこと、ぎゅってしてあげたいの。





だから。







運命なんかいらない。







アトリ、そんなのいらない。







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