19 / 94
第2章
幕間 ティータイム
しおりを挟む今日は水の日。
前日に初回の授業を終えた俺と母上は、今日は自宅でまったりと過ごしていた。
今は至福のおやつタイムだ。
例によって小さな丸テーブルを囲んで、向かい合って座っている。
母上と二人で過ごすこの時間は俺にとってとても幸せな時間だった。
父上は……うん、混ぜてあげなくもない。
もちろん目の前のおやつも魅惑的だが、俺がこの時間を大事にしているのは色んな事を忘れてゆったりと過ごせるからだ。
ちょうど直前の時間を魔法の秘密特訓にあてているから、余計に癒しを求めてしまうのかもしれない。
お腹も空いてるしな。
これで生菓子なんかもあれば最高なんだけどな……。
この世界のお菓子といえば何故かクッキーやビスケットなどの焼き菓子ばかりだった。
前世世界における中世なら、保存方法などの問題で傷みやすい生菓子やとけやすい氷菓は難しいかもしれないが、ここには魔法がある。
科学の追い付いてない部分だって、幾らでも魔法で補えるだろうに。
ううっ、プリンや餡団子が懐かしい。
二度と食べられないと思うと食べたくなるものだ。
実際にそれらをこの舌で味わった事は無い筈なのに、この世界のお菓子を食べていると何と無くこれじゃない、と思ってしまう。
前世の僕は甘いものにはうるさかったようで、レシピを見て自分で、なんて事もちょくちょくしていたらしい。
自分流のレシピも幾つか持っていたようだ。
頻繁に作っていたもの以外は思い出せないけれど。
いつか自分で作ってみよう、なんて考えながらリスのようにビスケットをガジガジ食んでいた。
「ねえ、アルちゃん?」
「……はい?」
向かいの席で時々紅茶を飲みながら編み物をしていた母上に名を呼ばれる。
両手で持っていたビスケットを下ろし、口の中のものを急いで咀嚼してからごくんと飲み込み、返事をした。
よく見れば母上の手元の靴下は完成していた。
サイズから考えるにどうやら俺のものらしい。
「アルちゃんはどうして“俺”なの?」
一瞬何を聞かれたのかわからなかった。
どうして“俺”なのか。
哲学的な話かと首を傾げそうになったところで思い直す。
ああ、一人称のことか、と。
「別に俺じゃあダメっていうわけじゃないわよ? ただ、何処でそんな言葉を覚えたのかしらと思って……」
「えーっとね……」
何処でそんな言葉を覚えたのか。
そう訊ねる母上の言葉に俺は目を泳がせた。
アルフレート・シックザールの身近に一人称が俺の人物はいない。
考えろ、考えるんだ、俺!
働け、俺の脳。
「御本で読んだの。俺って言うの、格好いいでしょ?」
なるべく子供らしく。
耳新しい言葉を使ってみたいという子供心を装う。
納得してくれただろうか?
内心で緊張しながら様子を窺うと、母上はうーんと数秒考え込みはしたものの最終的には頷いてくれた。
ホッとして再び食べ掛けのビスケットに手を伸ばす。
しかし、その指先はお菓子に行き着く事無く凍りついた。
「俺、もいいけど母様はアルちゃんが僕って言うのを聞いてみたいわ」
「うっ……」
試練はまだ終わっていなかった。
母上が、『僕』をご所望だ。
母上のささやかな願いくらい、叶えてあげたい。
だが、俺は『僕』と言えずにいた。
そもそも、俺くらいの年齢の男の子なら自分の事を『僕』、もしくは名前で呼ぶのが最もポピュラーだと思う。
家族にニックネームで呼ばれている場合はそれをそのまま真似る子も多いだろう。
逆に『俺』と自称する子は稀だ。
周囲の目を気にして普通の子供らしく振る舞うなら『俺』ではなく、年齢相応に『僕』が無難だろう。
そんな事は百も承知だった。
だが現実には敢えて『俺』を選んでいる。
いや、『俺』しか選べなかったのだ。
乙女ゲー言語への恐怖ゆえに。
俺の前世は『僕』だった。
一度ひとたび、『僕』と語り始めてしまえば魂の淵、脳味噌にこびり付いたそれが発動してしまいそうで怖かった。
だからこそ、俺は『俺』を選んだのだ。
何の意味も無い、無駄な抵抗だと笑うだろうか?
実際、こうして『俺』と自称していても時に乙女ゲー言語の侵略を許してしまう。
これが『僕』と言い始めたらと思うと、想像するだに恐ろしい。
「ね、一回だけ?」
「うっ……」
「お願いっ」
「ぼ、ぼ、ぼ……」
子供の成長過程を文字通り一挙手一投足に注目して楽しむ親は多い。
普通ならアルちゃんだの僕だのを経て俺になる筈だったのだ。
そこをすっ飛ばしてしまったのだから、見守る側としては『見逃した』と思うのもまた自然だった。
他ならぬ母上の頼みならば、と期待に満ちた眼差しを前に口を開く。
金魚みたいに、何度も吃どもった。
そしてついに……。
「ボスニア・ヘルツェゴビナ!」
……言えませんでした。
「ボス……? それはなにかしら?」
急に耳慣れない単語を叫んだ俺に母上が目を剥く。
ボスニア・ヘルツェゴビナ。
地球のどこかの国の名前だ。
どこの国かは覚えていない。
ただ口を衝いて咄嗟に出ただけだ。
「ううん、何でもない」
左右に首を振ってビスケットに口を付けた。
ごめんなさい、と心の中で呟きながら。
小さくなってビスケットを齧る俺は落ち込んでいるように見えたのだろう。
「無理しなくてもいいのよ?」
テーブルの向こう側から伸びてきた手が俺の頭をそろりと撫でる。
皮肉にも、母上の小さなその願いが叶ってしまわない事が俺の願いだ。
それがちょっぴり寂しい。
けれど今はその優しい手に甘える事にした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
悪魔な義理弟《ボディーガード》~ヤンキー校最凶犬男子の独占欲が強過ぎる~
Kore
恋愛
「余計なこと考えさせないくらい愛せば、男として見てくれる?」そう囁く義弟の愛は重くて、危険で、究極に甘い。
———勉強が大の苦手であり、巷で有名なヤンキー高校しか入れなかった宇佐美莉子。そんな義理姉のボディーガードになるため、後追いで入学してきた偏差値70以上の義理弟、宇佐美櫂理。しかし、ボディーガードどころか、櫂理があまりにも最強過ぎて、誰も莉子に近寄ることが出来ず。まるで極妻的存在で扱われる中、今日も義理弟の重い愛が炸裂する。———
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…
ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。
一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。
そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。
読んでいただけると嬉しいです。
悪役令嬢に成り代わったのに、すでに詰みってどういうことですか!?
ぽんぽこ狸
恋愛
仕事帰りのある日、居眠り運転をしていたトラックにはねられて死んでしまった主人公。次に目を覚ますとなにやら暗くジメジメした場所で、自分に仕えているというヴィンスという男の子と二人きり。
彼から話を聞いているうちに、なぜかその話に既視感を覚えて、確認すると昔読んだことのある児童向けの小説『ララの魔法書!』の世界だった。
その中でも悪役令嬢である、クラリスにどうやら成り代わってしまったらしい。
混乱しつつも話をきていくとすでに原作はクラリスが幽閉されることによって終結しているようで愕然としているさなか、クラリスを見限り原作の主人公であるララとくっついた王子ローレンスが、訪ねてきて━━━━?!
原作のさらに奥深くで動いていた思惑、魔法玉(まほうぎょく)の謎、そして原作の男主人公だった完璧な王子様の本性。そのどれもに翻弄されながら、なんとか生きる一手を見出す、学園ファンタジー!
ローレンスの性格が割とやばめですが、それ以外にもダークな要素強めな主人公と恋愛?をする、キャラが二人ほど、登場します。世界観が殺伐としているので重い描写も多いです。読者さまが色々な意味でドキドキしてくれるような作品を目指して頑張りますので、よろしくお願いいたします。
完結しました!最後の一章分は遂行していた分がたまっていたのと、話が込み合っているので一気に二十万文字ぐらい上げました。きちんと納得できる結末にできたと思います。ありがとうございました。
あなたの片想いを聞いてしまった夜
柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」
公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。
政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。
しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。
「好きな人がいる。……片想いなんだ」
名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。
異世界転生した女子高校生は辺境伯令嬢になりましたが
初
ファンタジー
車に轢かれそうだった少女を庇って死んだ女性主人公、優華は異世界の辺境伯の三女、ミュカナとして転生する。ミュカナはこのスキルや魔法、剣のありふれた異世界で多くの仲間と出会う。そんなミュカナの異世界生活はどうなるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる