攻略なんて冗談じゃない!

紫月

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第11章

第67話 五歳になりました

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 無事に年が明け、五歳になった。

 ディーは俺たちより一足先に六歳となり、学園に入学した。


 彼が学園に向けて旅立つ朝、暫く会えなくなるからという事で見送りに出た際にディーが俺にくれた一言は、『妹を頼む』だった。

 頼まれなくてもそのつもりだったけれど、俺を信頼して託してくれたその言葉に俺のテンションが鰻登りに上がったのは言うまでもない。


 他の誰にでも無く、俺にその言葉をくれたのが嬉しかった。

 自分でも単純だとは思うが、やはり信頼されるというものはいいものだ。


 一方、イルメラ本人はというと立て籠もり事件の解決を境に、あちらの方から随分と積極的に俺に話し掛けてくれるようになった。


 ある時は、

「アルト、私にお料理を教えて下さらないかしら?」
「うん、いいよー」

 と、一緒に料理をしたいと俺を誘ってくれたり。


 またある時は、

「クッキーを焼いてみたのだけれど、どうかしら?」
「うん、とってもおいしいよ。俺の為に焼いてくれたの?」
「そんな事は申し上げておりませんわ! ただ……その、お兄様にプレゼントする時に美味しくなかったら困るから……、だから……。もっと美味しくなるまで、貴方に味見してもらうんだから。拒否権は無いわよ!」

 と、苦労して自分で焼いたクッキーを毎週のようにプレゼントしてくれたり。


 そのまたある時は、

「仕方ないから、今日は貴方の隣に座ってあげるわ。たまたま貴方の隣しか空いていないから、私は仕方なく貴方の隣に座るのよ?」
「じゃあ、余と交換……」
「授業がもうすぐ始まりますわ! この私の隣に座れるのだから、貴方は光栄に思いなさいよね」
「うん、ありがとう」

 と、嫌々を装いながら俺の隣の席を死守してくれたり。


 高飛車だとか、可愛げが無いだとか、幾ら実家の爵位が自分の方が上だからといってあの態度は俺に失礼だとか、色々思う人もいるだろうけれど、俺はそんな事は全く気にならない。

 むしろ、素直じゃないところが可愛いと思う。


 お兄さん相手にはいつも自分の意見なんて二の次で、お兄様絶対主義だったのが、俺に対しては一々噛みつくような態度を取りつつも、甘えてくるのだ。


 一見、ディーにこそベタベタに甘えていたようにも見えるが、しがらみだとか、自分の立場だとかで自分は兄の引き立て役のように思っていて、大好きだけれどあまり甘えられなかったらしい。

 イルメラの方が兄を賞賛する事はあっても、ディーの方が彼女をわかりやすくしっかりと褒めてあげた事は俺の知る限りでは数える程しか無い。


 だけど、その数少ない現場にたまたま遭遇した時に目撃した、とろけるような笑顔は忘れえぬ記憶だった。

 それとそっくりな表情をイルメラが俺にも見せてくれるようになったのが嬉しい。

 大抵は恥ずかしがってすぐに顔を逸らしてしまうのが少し残念だけれど、そんな奥ゆかしいところも可愛いと思う。



「こんにちは」
「ごきげんよう」


 さて、そんな訳で今日も魔法の授業のため登城したのだが、既にいつもの部屋には先客がいた。

 会うだけで頬がだらしなく頬が弛んでしまうのを自覚するが、どうにも出来ない。


 すまし顔はいわゆるクールビューティーというやつだけれど、その中にも隠しきれない幼さが残っていて、なんともちぐはぐな感じが庇護欲をひどくそそる。


「ちょっといいかしら?」
「もちろん」


 今日のイルメラの装いは、真っ赤に染め上げた繻子織しゅすおりの、ふわっと広がった裾が可愛らしいドレスに、編み込みヘアだ。

 もともと癖のある黒髪にはウェーブが掛かっていて、よりお洒落に見える。

 いつもお洒落に余念がない彼女だけれど、普段より二割増しで気合いが入っているように見えるのは気のせいだろうか?


「あの……、その……」
「うん」


 ニコニコ微笑みながら見つめると、イルメラは何故かぎくりとたじろいだ。

 強気な態度が一転、ドレスの膝のあたりの生地を小さな手でぎゅっと握り込みながら、もじもじしている。

 何か余程言いにくい事なのだろうか?


 イルメラは待つ体勢に入っている俺の顔と自分の手元を視線だけ動かしながら何度も見比べている。


 こちらから問い掛けて言い出しやすいように持っていくべきか?

 だけど、おどおどしているいじらしい姿をこのまましばらく眺めておきたいような気もする。

 自分にそんな嗜虐趣味的な一面がある事に俺は今初めて気付いた。


 好きな子が自分に対して懸命に何かを伝えようとしている姿なんて、見たくない訳がない。

 他の子がまだ来ていないのを良い事に俺は、気持ち悪いぐらいに頬を弛ませてイルメラの言葉を待った。


「……今度の紅の日に、お家に遊びに行ってもいい?」
「……え?」
「だから、貴方の家に遊びに行ってもいいかって言ったのよ!」


 最初のそれは囁くようにか細い声だった。

 不覚にもきちんと聞き取れなくて聞き返すと、もう一度言わなければいけない事に憤慨したのか、一度言い切った事で勢いがついたのか、今度はこれ以上ないくらいはっきりと聞き取れる音量と滑舌でイルメラは叫んだ。


「……え?」
「もう、知らない!」


 ぽかんと阿呆のように口を開けて俺は固まった。

 ちょっと待て、これは俺の幻聴だろうか?

 はたまた夢だろうか?


 だって俺にとってあまりに都合が良過ぎるじゃないか。

 イルメラの方から俺の家に遊びに来たいと言い出すだなんて。


 当然のように俺は自分の頬に手を伸ばした。


「痛い……」


 抓った頬はヒリヒリとした痛みを脳に伝える。

 つまりこれは夢では無い。

 じゃあ空耳の方はどうやって確かめればいいんだろう?


 さっきから穴が空くほど見つめているイルメラの頬は俺のと違って抓ってもいないというのに、熟した林檎のように真っ赤だ。

 怒っているのでなければ、それはまさに羞恥心に耐えて勇気を振り絞った乙女の表情だ。


 果たして幻聴と幻覚に同時に見舞われるなどという事は現実に起こり得るのだろうか?

 念の為に言っておくが、前世今世を通して俺に薬物中毒者だった時代など存在しない。

 俺は自分の耳目を信じてもいいのだろうか?


「俺の家に遊びに来てくれるの?」
「だからさっきから何度もそう言ってるわ!」
「イルメラちゃんが?」
「他に誰がいるって言うのよ?」


 何度も何度も念を押すように訊ねる俺に、イルメラは何度も言わせるなと頬を膨らませながら投げやりに答える。

 空耳アワーがこんなに長く続くなんて、俺の聴力が急に衰えたので無ければ有り得ない。


 ……信じていいんだよな?

 喜んでいいんだよな?


 よっしゃー!


 さすがに本人の目の前で堂々とやるのは格好が悪い気がして、くるりと背を向けてから俺は大きくガッツポーズをした。

 本当は大声を上げながらそこら中を走り回りたいところだが、それも行儀が悪いので自分の胸の内だけで雄々しく叫ぶに留めておく。


「えーっと、いつにしようか? ああ、次の紅の日だっけ? 俺としては今日でも全然構わないんだけど、さすがに家の人に事前に言っておかないとまずいかな……」
「ちょっ、ちょっと……」
「あ、返事がまだだったね。もちろん、大歓迎だよ」
「あの……」

「でも、イルメラちゃんの方からうちに来たいって言ってくれるなんて感激だな。両親に紹介……って、母上は既によく知っているか。父上は……家にいるんだろうか?」
「ちょっと、人の話を聞きなさいよ!」


 再び身体を反転させてイルメラに向き直った俺のテンションは爆上がりをしていた。

 限りなく垂直方向に近い上昇、これぞ鰻登りだ。

 勢い的にはロケットのそれの方が近いかもしれない。


 興奮しきりで捲くし立てる俺に、しものイルメラもなかなか口を挟めずにいる。


 自分で言うのも何だが、俺は周囲に対しては年齢の割に落ち着いた子として認識されている。

 そのイメージと、キャラ崩壊しかねない勢いでベラベラ喋る俺の激しい落差に驚いているのだろう。

 イルメラは顔を赤くしたり、青くしたりと忙しい。


「イルメラちゃんが、俺の家に。俺に会いに来てくれる……」
「べっ、別に貴方に会いに行く訳じゃないんですからねっ」


 暫く喋り倒して幾分か落ち着き、それでも夢見心地でうわ言のように繰り返す俺に対してようやく突っ込みをを入れる事が叶ったイルメラは、つれない事を言った。

 言い終わる事には髪の間から覗く耳の先まで真っ赤に茹で上がっていたけれど。


「どういう事?」
「ほら、貴方の家に珍しい動物がいるって聞いたから……」
「フリューゲルの事? ……この際、遊びに来る理由なんてどうでもいいよ。そんなのは些細な事だから」


 ペガサスを普通の動物カテゴリーに分類して良いのか?

 普段の俺なら、その辺りに並々ならぬ引っ掛かりを覚えただろうが、有頂天で、ある意味においては無敵状態のメンタルの俺には、そんな事は何の歯止めにもならなかった。

 イルメラに関する事以外はすべてどうでも良く思える。

 彼女の語る訪問理由すら、彼女が自ら望んで家に来てくれる事を思えばどうと言う事は無い。


「むっ? この時間で三番目とは。二人は密談でもしておったのか?」
「イルメラちゃんとデート」
「デートだなんて、そんな破廉恥な!」
「む? デートとは何だ? うまいのか?」
「デート……いい響きだ」
「アルト、おかしな顔をしておるがどうかしたのか? なあ、イルメラ。アルトはどうしたのだ?」
「もう! しっ、知らないわよ!」


 ここへ来て乱入してきたレオン。

 彼がやってきた事は、俺よりもイルメラにとって不都合が大きかった。

 デートとは食べ物かと、相変わらず頓珍漢な見解を示しながらも変なところで目敏く俺の様子が壊れ気味におかしい事に気付いたレオンに、何があったのかと彼女は訊ねられたのだ。


 あんなこっ恥ずかしくて、意味不明な出来事を説明なんて、イルメラの性格を考えれば出来る筈が無い。

 問われた事で、先程までのあれやこれやのやりとりを必要以上に仔細に思い出したらしいイルメラは、カァッと頬を蒸気させると甲高い声を上げた。


 最後にやってきたルーカスが、だらしない笑みを浮かべる俺と、反対を向いてむすっとしながらも頬を赤らめているイルメラを見て、妙に訳知り顔で頷いたのは、きっと余談だろう。


 本日最も幸運だったのは紛れも無く俺で、数年分の運を使い果たしてしまったのではという程の幸運に暫し酔いしれた。


 その一方で本日最も災難な目に遭ったのは、絶妙に悪いタイミングで登場し、空気を読めぬ発言で乙女を困らせ、とばっちりでイルメラに怒られてしまったレオンかもしれない。

 それもまた、レオンの性分をよく表していると皆の間で笑い話になるのは、イルメラがシックザール家初訪問を終えた後の出来事である。

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