トースト

コーヤダーイ

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魔方陣を共同開発する

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 夏に卒業試験を終え、無事に学校を卒業したヤーデは推定十二歳になった。メレネ婦人は高齢を理由に、通いの家政婦を辞めた。元々生活に困って家政婦の仕事を請け負ったわけではないので、家事をヤーデがひとりで完璧にこなせるようになった今、手を引いた形になる。とはいえ、刺繍を教わったり手紙の書き方を習ったり、メレネ婦人にはまだまだ教えてもらいたいことがたくさんあった。ヤーデがそう言うと、メレネ婦人は嬉しそうだった。
「わたくし、ヤーデを訪ねて遊びに来てもいいかしら。年をとるとお友達が少なくて」
「ぼくでよければ、いつでもいらしてください。歓迎します」
 二人はドミトリー家で、茶飲み友達になった。

 ヴィンター商会のお茶会へは、定期的に参加している。メレネ婦人も一緒に参加し四人で楽しくお茶を飲んでいる。ハンナはオルトマン侯爵家に嫁に行ったが、実家への出入りは自由だそうだ。夫になったシュテファンが侯爵になるのは、まだまだ先の話になる。
 社交界を渡り歩くようになったハンナのおかげで、貴族社会の話も色々聞けて面白い。お喋りが得意で人好きのするハンナは、侯爵家跡継ぎの夫人となってからも、どんどん人脈を広げている。それは実家であるヴィンター商会にとっても、ありがたい話であった。娘のおかげで、侯爵家御用達の札を掲げられるのだから。社交界でハンナの肌が美しいと評判になり、化粧品も売れに売れた。ヤーデに毎月支払われる金額も貴族の購入が一気に増加したおかげで、二桁ほどはね上がっている。

 魔方陣はヤーデの手を離れはしたが、使用料というものが王家から一定額年払いで支払われている。受け取りは侯爵家としており、ヤーデは手数料を差し引いた金額を、侯爵家預かりで貯めてもらってある。手数料などはいらぬと侯爵家から言われたが、ヤーデの身元を隠してもらっているおかげで、普通の生活ができているのだ。しかも金を貯めるのだって、どこに預けるより安心安全なのである。ヤーデとて、手数料を引いてもらうことによって、仕事として気兼ねなく頼めるというもの。手数料を支払うことは、頑として譲らなかった。
 侯爵家からのヤーデの評価はもちろん高い。優秀な長男は家を出て騎士団長などしているし、次男は生活に支障が出るほどの魔法馬鹿な魔法使い。三男は最近ようやく結婚したが、相変わらずの変わり者、嫁が優秀なので社交界での評判は上々である。嫁には三男の手綱をこの調子でうまく握ってもらいたいと願っている。三人の息子がこんな調子だったので、ヤーデがうちの息子なら、とため息をつく侯爵夫妻である。特に公爵夫人は、ヤーデの美しくてかわいらしい外見もお気に入りだった。たまに実家に顔を出すようになった長男に愚痴をこぼしたが、寡黙な騎士団長らしく、ただ黙って片眉を上げただけだった。

 ヤーデはすでに生活に困らない程度の大金を貯めているので、働かなくてもよい。しかしそんなわけにもいかないし、家の中で家事ばかりしているのも暇である。マクシミリアン経由で相談すると、侯爵家の離れで魔法使いの次男ギュンターが、魔法についての研究をしているから、そこへ通ったらどうだろうかと打診がきた。
 約束通りの日時に行ってみると、ギュンターは喜んだ。変わり者の彼についてこれる人間がいないので、助手が欲しかったそうだ。雇ってもすぐ辞めちゃうからさ、くけけけけっと笑う彼は、マクシミリアンよりもシュテファンとよく似ている。
 魔力が少ないから、魔法使いとしては働けなかったとギュンターは話す。そもそも侯爵家の人間が魔法使いとして働く必要はないのだが。この家は長男が騎士団長をしているせいで、感覚が普通の貴族と違うのかもしれなかった。
「ご存じでしょうが、ぼくは魔力がありません。でも今後も新しい魔方陣の開発は進めたいと思っています。ギュンター様、よろしくお願いします」
「ギュンターでいいよ。新しい魔方陣のこと、ヤーデは何かもう考えてるの?」
「そうですね、案としてはいくつかあります」
「え、すご、さすが」
 侯爵家次男でだいぶ年上なのだが、しゃべり方は町の屋台売りと同じである。話し方で不敬と言われることもないので、ヤーデにとっては気楽でよい。
「身を守るものはできましたので、他でいうと魔力を温存するとか魔力の補助、身体能力や剣の力を強化する、などでしょうか」
「ふーん、前線へ行く魔法使いも騎士もほしがりそうだ」
「あとは小型の携帯ランプの改良ですかね、こっちはヴィンター商会で販売してるんですけど、まだ高価で。安全のために、もっと安くして早く庶民に広げたいんです」
「あっ、あれも君か! 発想が天才すぎないか?」
「そんなことはないです、あったら便利だな、というくらいで」
「君のいう魔方陣が完成したら、魔法使いとして前線へ行けるかもしれないんだな」
「ぼくは将来的には、魔法使いが前線へ向かわないようにしたいんですけど」
「ドミトリーか、愛だね。くけけっ」
「はい、ぼくのすべてなので」
 ヤーデはにっこりと笑う。からかうつもりだったらしいギュンターが、いやそうな顔をした。
「魔法使いと愛しあうことはできないぞ」
 高い鼻にしわを寄せて吐き捨てる。たとえ微弱な魔力でも、魔法使いであることを捨てる気持ちの整理がつかないギュンターに、他者との愛は一番憧れて遠い存在だった。長兄などなんの縛りもないのに、愛を謳歌しているようには見えない。なのに成人前のヤーデは愛について、ぼくのすべてとしあわせそうに語るのである。
「あ、そういえばぼく、魔法使いでも性行為ができる方法も考えているんですけど」
「ヤーデまじ女神。一生ついてく、今すぐ教えて」
「まだ本当に初期の理論に過ぎないので。こればっかりは試して駄目だった、というわけにもいかないので」
「はやく、早く研究して。一刻も早く大丈夫にして、死んじゃう」
「こちらも研究は続けますけど、お願いですから他言しないでくださいね?」
「わかった女神」
「女神じゃありません、ただのヤーデです。あと、すぐ死なないでください」
「わかった。死なないから早速研究しよ」

 ここにも魔法狂いがいた。理論だけでもとりあえず教えて、というので絶対に試すなと約束させてから、あくまで理論のさわりであるが、と念を押して説明した。魔法狂いでおかしな話し方をするギュンターだが、魔法のことを話す分にはごく常識的な持論を持っていることがわかった。感情を顔にも態度に出してしまうが、人間的に裏表がなく信用できる。侯爵家の人間だから、貴族として社交界で浮いてしまうのであって、庶民であればそれほど変わり者と呼ばれることもなかったかもしれない。二人は存外馬が合った、互いに邪魔をしないのが研究者としてありがたい。時に無言で集中し、時に議論を交わし、彼らは共に魔方陣の研究をはじめることになった。

 侯爵家からは手のつけられない次男に、手綱をつけてくれてありがとうと感謝をされている。何でもやだやだという子どものようなギュンターだが、不思議と年下のヤーデに懐いており、ヤーデの言うことには耳を貸す。息子の調教料だからどうか受け取ってほしい、と侯爵直々に話をいただき、毎月決まった額の給金をもらうことになった。他にも必要なものがあれば経費で出せるので、遠慮なく言うようにとのこと。研究を続けるには金がかかるので、とても助かる。ありがたい申し出だった。

 ヤーデは自分の進路について、侯爵家の離れで錬金術師として、次男ギュンターとともに研究をする、とドミトリーに告げてある。毎月お給金も出るので、ちゃんとした定職だといってよいだろう。もしかして侯爵は、ここまで見越して息子の調教料などと言い、ヤーデが金を受け取りやすく配慮してくれたのかもしれない。懐の深い方である。人に助けられたり、世話になってどうにか前に進んでいる。返す恩ばかりが増えている気がするヤーデだった。



 今年もまた新年がやってくる。ここへ来て急に体が大きくなりだした。寝ているときも足の骨が軋んで痛みで目が覚める。肩幅が広くなり胸も腹も分厚くなってきた。少し前から二人で寝ている寝台が狭く感じるようになっていたので、新年を迎える前に買い換えることになった。
「この機会に空き部屋をヤーデの部屋にして、新しい寝台をそちらに入れたら……」
 ドミトリーの案は笑顔で却下した。今さら別々に寝るだなんてとんでもない。そんなことを許したら、親離れ子離れなどと言ってそのうち、風呂も別々にと言いだすに違いない。こちとら一度も親だと思ったことなどないのである、離れるわけがない。
「ぼくが大きくなっちゃったから、嫌になっちゃいましたか?」
 自分でもあざといと思いつつ、寝台に座るドミトリーの足元にしゃがみ、上目遣いで質問する。
「そんなわけない。ヤーデはいつだってかわいいヤーデだよ」
 優しい微笑みを浮かべて、ドミトリーがヤーデの頭を撫でてくれる。この人が女神だったら一生崇拝する。嬉しくなったヤーデはドミトリーの膝に頬を乗せて甘えた。片手で頭を撫でながら、巻き毛で手遊びをするドミトリーの指先を、じっと受け入れてしあわせになる。
「よかった。ぼく、夜中に骨がぎしぎし痛んで起きちゃうことあるし、一人で眠るのっていまだに不安なんです」
「ん、そんなときはわたしを起こしていいからね」
 ドミトリーの貴重な睡眠時間を起こして削るわけにはいかない。痛みで目が覚めても、隣でよく眠るドミトリーがいるからしあわせなのだ。安らかな寝顔を見て、キスして「レネ大好き」とささやいて目を閉じることができるのだから。
「じゃあ向こうの部屋に家具を移動させて、こちらに新しい寝台を入れましょうね。できるだけ幅の大きな頑丈な寝台にしましょう」
 ドミトリーのヤーデに対する態度は、家族になった頃から同じである。背が高くなったからといって、守ってやるべき存在という認識は変わらない。ずっと側にいすぎて、ヤーデはどんどん大人になっていることに、気づかないのだった。

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