王太子殿下は、悪役令嬢の私を手放す気がない

茶埜

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はじまり

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 誰も彼も同じだと思っていた。
 強者にひれ伏し、権力者に媚びへつらう。
 誰しも己の欲に忠実で、外面の裏に野心を隠しているものだと。
 己の身が一番可愛く、他者を蹴落とすことに一片のためらいもないのだと。

 齢七歳にして、レグナリア王国の第一王子ラドヴァン・アストレイド・レグナリアは、周囲の人間に対して必要以上の期待を抱くことはなくなっていた。
 けれど、それは諦めでも冷笑でもない。ただ、幼いながらに“王族の周りに集まる人間の姿”を、淡々と理解してしまっただけだ。

 七歳になって以降、ラドヴァンは男女を問わず、同じ年頃の子供たちとの顔合わせを頻繁にこなしていた。
 理由は分かっている。
 将来、自身の側近、あるいは婚約者となる者たちとの、大事な顔合わせだ。

 しかし――ほぼ毎日のように訪れる初対面の相手への応対には、さすがのラドヴァンも辟易していた。

 側近候補については、歳が近く同性であることから話が弾むことも多かった。互いに遠慮なく剣の話や勉学の話をする時間は、彼にとっても心地よかった。
 だが、異性との顔合わせとなれば話は別だった。

 黒曜石のように艶めく黒髪に、澄み切った湖面を思わせる青い瞳。
 ラドヴァンは七歳にして既に容姿は整い、聡明で、落ち着いた気品すら漂わせていた。
 年頃の令嬢たちはそんな彼を前にすると、皆一目で彼を気に入り、緊張してまともに話せない者もいれば、逆に饒舌に自分を売り込もうとする者もいた。

 エスコートを求められれば応じ、言葉に詰まれば優しく助け舟を出し、饒舌な令嬢にもにこやかに相槌を打つ。
 その間、彼の外面の取り繕った笑顔が剥がれることは一度もなかった。

 寧ろ、自分の作り笑顔一つで頬を赤らめる少女たちを見て、無意識のうちに「簡単だ」と心のどこかで見下している節すらあった。

 そんな彼に、ある日、転機が訪れた。

 よく晴れた日のことだった。
 この日は、王妃だけでなく、国王までもが珍しく来訪者を待ちわびていた。

 どうやら相手は、数ヶ月にわたり他国に赴いていた外務卿だという。しかも、その隣には――ラドヴァンと同い年の少女が伴われているらしい。

 エルネスト・ヴァレンティーナ公爵。
 外務卿であり、公爵位を持つ王国随一の切れ者。
 国王の絶対的な信頼を受け、他国との折衝から外交交渉まで難なくこなし、その誠実さと手腕から自国のみならず他国の王家・貴族からも高い評価を得ている人物である。

 その彼が、わざわざ娘を連れて王宮を訪れる――。

「ヴァレンティーナ卿、よく来てくれた。その子が卿の娘か。そなたに似て、聡明そうだ」
「国王陛下。この度は、このような場を設けていただき感謝いたします……ほら、お前もご挨拶を」

 エルネストは、父の足元に隠れていた少女の背をそっと押し出した。

「お初にお目にかかります。ロベリア・ヴァレンティーナと申します」

 ロベリアは幼いながらも完璧に近いカーテシーで挨拶をした。
 淡いアメジスト色の髪に、翡翠のように澄んだ瞳。
 ややつり上がった目元は、人によっては気が強く見えるだろう。だが、彼女の仕草には怯えと慎ましさが同居しており、年相応の幼さと生まれながらの気品がはっきりと伺えた。

「ラドヴァン、ロベリア嬢と少し遊んで来なさい」

 互いに名乗りを終えると、国王が優しく促す。

「はい、父上。……行こう、ロベリア嬢。王宮内を案内してあげる」

 ラドヴァンは素直に頭を下げ、自然な流れで手を差し出してロベリアを誘った。
 ロベリアは困惑したようにエルネストを見上げ、父が「行っておいで」と頷くのを見てから、再びラドヴァンへ視線を戻した。

 そして、恐る恐る――差し出された手に、小さな左手をそっと添えた。

 ラドヴァンは王宮内を案内しながら、ロベリアをエスコートしていた。
 話しかけても、彼女の返事はどこか生気がない。

 ロベリアはまるで、心だけが遠くへ置いてきぼりにされたようだった。
 王太子ラドヴァンの隣にいながら、視線は彼ではなく――誰か別の存在を探しているようにすら見える。

 これまで出会ってきた令嬢たちは、見目麗しいラドヴァンを前にすれば頬を染め、礼を述べる声も弾んだ。
 だが、ロベリアだけは違う。
 礼儀正しくありながらも反応が薄く、微笑んでいてもどこか寂しげな影が差している。

「……少し、外を歩きませんか?」

 この重たい空気をどうにかしたくて、ラドヴァンは提案した。

 ロベリアは小さく頷いたが、庭に出てもその様子は変わらない。
 花々を見ても、噴水を眺めても、ふと何かを思い出したように表情を曇らせるばかりだった。

「王宮の中で、行きたい場所はありませんか?」

 困惑しつつも、ラドヴァンはできる限り優しく問いかけた。

「……門のところに、行きたいです」

 意外な返事だったが、彼女の真剣な眼差しに押され、ラドヴァンは護衛を付けて門へ向かった。

 門が視界に入った瞬間、ロベリアは小さく息を呑んだ。
 そして――次の瞬間、駆け出していた。

「ロベリア嬢っ、危──!」

 護衛の制止も聞かず、彼女はまっすぐに一本の古木へ。
 ラドヴァンも慌ててその後を追う。

 ロベリアがしゃがみ込んだ先には、小さな雛が落ちていた。

「……可哀想に」

 ラドヴァンは迷わず手を伸ばしかけた。巣はすぐ上だ。
 助けなくては――そう思った矢先。

「待ってください!」

 ロベリアが必死に彼の腕を掴んだ。
 潤んだ瞳の奥に、強い意志が宿っている。

「人の匂いがついてしまうと……親鳥が、お世話をしてくれなくなるんです。だから……触れないでください」

 その声は切実で、震えていた。

「でも、このままでは……」
「だいじょうぶです。わたくしが──」

 ロベリアは胸の前で小さく手を組み、深く息を吸った。
 すると、彼女の身体からほのかな光があふれ出す。

 かすかな音色――念力の“歌”の力。

 弱々しくも澄んだ旋律が落ちた雛を包み込み、光がふわりと揺らめいた。
 その輝きに導かれるように、雛の身体は空中へと浮かび上がる。

 ロベリアが両手をそっと上に向けると、雛は羽音もなく巣へと戻っていった。
 光が消えると同時に、彼女はほっと息を吐き、肩の力が抜ける。

「……よかった……ほんとうに、よかった……」

 ロベリアは胸に手を当て、心から安堵したように微笑んだ。
 それは先ほどまでの寂しげな笑みとは違う――柔らかく、温かな、まっすぐな笑顔だった。

 車で門を潜ったとき、窓の外に落ちた雛鳥が見えた。
 ずっとずっと、気がかりだったのだ。

 そこで、ラドヴァンはようやく気付いた。

 彼女が上の空だった理由。
 自分に興味がないように見えた理由。

 ──それは、初対面の王子より、小さな命を案じていたから。

 その優しさに、胸の奥が熱く揺れた。

「殿下、わたくしの我儘を聞いてくださり……本当にありがとうございました。殿下のお陰で、一つの尊い命が救われましたわ」

 ロベリアは深々と頭を垂れ、顔を上げたときには、喜色に満ちた笑顔を咲かせていた。

「ロベリア嬢……あなたは……」

 言いかけて、言葉が続かない。
 ただ一つ、確かに思った。

 ──この少女は、美しいだけではない。
 ──心の底から、優しい。

 ラドヴァンは、その瞬間、初めてロベリアに強く惹かれた。
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