4 / 4
クジャクの話
しおりを挟む
昼下がりのコーヒースタンドは、ほどよく賑わっていた。
焙煎豆の香りと、甘いクリームの匂いが混じる。
ガラス越しに落ちる冬の光が、白いテーブルをやわらかく照らしていた。
郁実は席につくと、頬を緩めた。
季節限定のホットドリンクは、泡立てたクリームの上に艶のあるチョコレートソースがたっぷりとかかっている。
さらにその横には、ショーケースで迷いに迷って選んだショートケーキ。
ーー今日は、自分にご褒美だー!
ジムに通い身体を鍛え、間食をやめ、食事も気をつけて、規則正しい生活を送ってきた。
鏡の前で服の組み合わせを考え、無難なだけだった自分の見た目も、少しずつではあるが整える努力をしてきた。
今日は、これまでの努力を労い、明日からの燃料を自分にくべる日。
幸福感にうち震えながら、甘くあたたかい飲み物を一口。
「……郁実?」
突然、名前を呼ばれた。
喉が固まり、一瞬止まった息が反動をつけてあふれる。
思わずむせ込み、とっさに口元をおさえた。
「っ、わ、わた、る……!」
むせたせいで滲んだ涙の向こう、すぐそばに立つ男を見上げる。
偶然の再会に感極まっているように見えるかもしれないが、断じて違う。
会いたくなかった。
この場所で、このタイミングで、この男ーー亘には。
そんな郁実の内心を知ってか知らずか、亘はにっこりと笑うと、向かいの席に腰を下ろした。
上質なロングコートに、シンプルなタートルネック、細身のパンツ。
何か特別な装いがあるわけではないのに、すべてが様になる。
ーー相変わらずだ。
その姿が視界にあると、目が心地好いと喜ぶ感覚。
同時に、周囲の視線が自然と集まる。
心地好さと、居心地の悪さが同居する。
華やかで、洗練された美でもって目を引くこの男は、まるでクジャクのようだと思っていた。
華やかな羽で、見るものを魅了する雄のクジャク。
「久しぶり。元気にしてた?」
「……うん、まあ……」
まるで以前のままのトーンで話しかけてくる。
視線を合わせられなくて、郁実はつい、うつむく。
つられて視線を落とした亘が、ふと、といった調子で言った。
「それ、まだ使ってるんだ」
マグカップのことを言っているのだと気付き、頷く。
このマグカップは、亘から贈られたものだった。
「使ってるよ。……気に入ってるし」
「そうか」
それだけ言って、亘は自分のコーヒーをひと口飲む。
「変わりないみたいで、よかった」
ーー変わりない?
胸の内が、にわかに激しく波立った。
今日までの努力を誇っていた自分が、急に不確かなものになりそうだった。
頑張ってきた。
少しは、変化していると、近付けていると、思いたくて。
亘のように、人を魅了するほどの羽をまといたいとまで願ってはいない。
それでも、地味な羽なりに磨いているという自負があった……さっきまでは。
全部が色褪せる。
決意も、努力も、必死に磨いてきた日々も。
最初から、いつまでも、勝負にならないみたいに。
ーーだから離れたのに……
釣り合わない、と。
このままで、隣にいるのは無理だ、と。
亘は否定した。
そんなことは関係ない、と。
そのままの郁実が好きだ、と。
言ってくれた。
それでも、どうしても、その言葉に頷くことができなかった。
亘は、コーヒーを飲み干すと、立ち上がった。
「じゃあ、邪魔したな」
郁実は席に座ったまま、離れていく亘の後ろ姿を目で追った。
ーーこんなんじゃ、だめだ。
あんな、クジャクみたいな男には及ばないとしても。
それでも、あがきたかった。
自分にだって、雄のプライドがある。
郁実は、冷めかけたドリンクを一気に飲み干す。
ケーキにも、迷いなくフォークを進めた。
甘さが、身体に染みわたる。
惨めさも、悔しさも、全部まとめて平らげる。
ーー明日からも頑張るぞ!
そのための熱量を、確かに補給しながら。
店を出た亘は、ガラス越しに一度だけ中を振り返った。
郁実の手にある、あのマグカップ。
自分の痕跡が残されていることに、口元をわずかに緩める。
ーー時間がかかるのは、構わない。
相手のプライドを削って得る愛なんて欲しくはない。
「待ってるからな」
郁実が羽を整え終える日まで、彼の生活の端で待つ。
羽を広げるのは、最後でいい。
焙煎豆の香りと、甘いクリームの匂いが混じる。
ガラス越しに落ちる冬の光が、白いテーブルをやわらかく照らしていた。
郁実は席につくと、頬を緩めた。
季節限定のホットドリンクは、泡立てたクリームの上に艶のあるチョコレートソースがたっぷりとかかっている。
さらにその横には、ショーケースで迷いに迷って選んだショートケーキ。
ーー今日は、自分にご褒美だー!
ジムに通い身体を鍛え、間食をやめ、食事も気をつけて、規則正しい生活を送ってきた。
鏡の前で服の組み合わせを考え、無難なだけだった自分の見た目も、少しずつではあるが整える努力をしてきた。
今日は、これまでの努力を労い、明日からの燃料を自分にくべる日。
幸福感にうち震えながら、甘くあたたかい飲み物を一口。
「……郁実?」
突然、名前を呼ばれた。
喉が固まり、一瞬止まった息が反動をつけてあふれる。
思わずむせ込み、とっさに口元をおさえた。
「っ、わ、わた、る……!」
むせたせいで滲んだ涙の向こう、すぐそばに立つ男を見上げる。
偶然の再会に感極まっているように見えるかもしれないが、断じて違う。
会いたくなかった。
この場所で、このタイミングで、この男ーー亘には。
そんな郁実の内心を知ってか知らずか、亘はにっこりと笑うと、向かいの席に腰を下ろした。
上質なロングコートに、シンプルなタートルネック、細身のパンツ。
何か特別な装いがあるわけではないのに、すべてが様になる。
ーー相変わらずだ。
その姿が視界にあると、目が心地好いと喜ぶ感覚。
同時に、周囲の視線が自然と集まる。
心地好さと、居心地の悪さが同居する。
華やかで、洗練された美でもって目を引くこの男は、まるでクジャクのようだと思っていた。
華やかな羽で、見るものを魅了する雄のクジャク。
「久しぶり。元気にしてた?」
「……うん、まあ……」
まるで以前のままのトーンで話しかけてくる。
視線を合わせられなくて、郁実はつい、うつむく。
つられて視線を落とした亘が、ふと、といった調子で言った。
「それ、まだ使ってるんだ」
マグカップのことを言っているのだと気付き、頷く。
このマグカップは、亘から贈られたものだった。
「使ってるよ。……気に入ってるし」
「そうか」
それだけ言って、亘は自分のコーヒーをひと口飲む。
「変わりないみたいで、よかった」
ーー変わりない?
胸の内が、にわかに激しく波立った。
今日までの努力を誇っていた自分が、急に不確かなものになりそうだった。
頑張ってきた。
少しは、変化していると、近付けていると、思いたくて。
亘のように、人を魅了するほどの羽をまといたいとまで願ってはいない。
それでも、地味な羽なりに磨いているという自負があった……さっきまでは。
全部が色褪せる。
決意も、努力も、必死に磨いてきた日々も。
最初から、いつまでも、勝負にならないみたいに。
ーーだから離れたのに……
釣り合わない、と。
このままで、隣にいるのは無理だ、と。
亘は否定した。
そんなことは関係ない、と。
そのままの郁実が好きだ、と。
言ってくれた。
それでも、どうしても、その言葉に頷くことができなかった。
亘は、コーヒーを飲み干すと、立ち上がった。
「じゃあ、邪魔したな」
郁実は席に座ったまま、離れていく亘の後ろ姿を目で追った。
ーーこんなんじゃ、だめだ。
あんな、クジャクみたいな男には及ばないとしても。
それでも、あがきたかった。
自分にだって、雄のプライドがある。
郁実は、冷めかけたドリンクを一気に飲み干す。
ケーキにも、迷いなくフォークを進めた。
甘さが、身体に染みわたる。
惨めさも、悔しさも、全部まとめて平らげる。
ーー明日からも頑張るぞ!
そのための熱量を、確かに補給しながら。
店を出た亘は、ガラス越しに一度だけ中を振り返った。
郁実の手にある、あのマグカップ。
自分の痕跡が残されていることに、口元をわずかに緩める。
ーー時間がかかるのは、構わない。
相手のプライドを削って得る愛なんて欲しくはない。
「待ってるからな」
郁実が羽を整え終える日まで、彼の生活の端で待つ。
羽を広げるのは、最後でいい。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
青龍将軍の新婚生活
蒼井あざらし
BL
犬猿の仲だった青辰国と涼白国は長年の争いに終止符を打ち、友好を結ぶこととなった。その友好の証として、それぞれの国を代表する二人の将軍――青龍将軍と白虎将軍の婚姻話が持ち上がる。
武勇名高い二人の将軍の婚姻は政略結婚であることが火を見るより明らかで、国民の誰もが「国境沿いで睨み合いをしていた将軍同士の結婚など上手くいくはずがない」と心の中では思っていた。
そんな国民たちの心配と期待を背負い、青辰の青龍将軍・星燐は家族に高らかに宣言し母国を旅立った。
「私は……良き伴侶となり幸せな家庭を築いて参ります!」
幼少期から伴侶となる人に尽くしたいという願望を持っていた星燐の願いは叶うのか。
中華風政略結婚ラブコメ。
※他のサイトにも投稿しています。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる