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公爵邸に到着して三日目。
私の指揮(という名の無茶振り)と、ギルバート様の魔力(という名の重機)によって、屋敷の裏庭は見違えるほど綺麗になっていた。
伸び放題だった雑草は風魔法で刈り取られ、鬱蒼としていた枯れ木は撤去され、今は木漏れ日が差し込む穏やかな空間が広がっている。
「……ふぅ。良い眺めですね」
私は朽ちたテラスに置かれたテーブルに、ティーセットを並べた。
テーブルクロスは私が持参した白いレースのもの。
カップは屋敷の奥から発掘した、少々欠けているが由緒正しそうなアンティーク。
そしてお茶請けは、例の「賄賂用クッキー」だ。
「公爵様、お茶が入りましたよ」
私は庭の隅で、なぜか正座をしてポチ(ケルベロス)のブラッシングをしていたギルバート様に声をかけた。
「……ああ」
彼は立ち上がり、服についた犬の毛を払いながらやってくる。
その表情は相変わらず仏頂面だが、初日のような「世界を拒絶するような鋭さ」は少し鳴りを潜めている気がする。
彼は向かいの席に座り、湯気を立てる紅茶をじっと見つめた。
「……私が、こんな場所で茶を飲むことになるとはな」
「お嫌いですか?」
「いや。……ただ、違和感が凄まじいだけだ」
彼はカップを手に取り、一口啜った。
香りが鼻腔をくすぐる。
「……悪くない」
「でしょう? 王都でも入手困難な『黄金の葉』という茶葉です。私の隠し資産の一つです」
私も紅茶を口に含み、ほう、と息をつく。
静寂。
鳥のさえずり(ポチが追い払わなかった鳥たち)。
風の音。
王宮のサロンで繰り広げられる、腹の探り合いやマウントの取り合いとは無縁の、純粋なティータイム。
「メアモリ」
不意に、ギルバート様が私の名を呼んだ。
「はい、なんでしょう。おかわりですか?」
「違う。……ずっと聞きたかったことがある」
彼はカップをソーサーに置き、真剣な眼差しで私を見据えた。
アイスブルーの瞳が、揺れている。
「なぜ、貴様は私を怖がらない?」
「……はい?」
「私は『呪われ公爵』だぞ。生まれた時から魔力が暴走し、触れる者を傷つけ、両親にさえ疎まれ、この辺境に捨てられた男だ。誰もが私を恐れ、避け、化け物と呼ぶ」
彼は自嘲気味に笑った。
「なのに、なぜ貴様は……平気で私に掃除をさせたり、飯を作らせたり、隣で茶を飲んだりできる? 狂っているのか?」
「失礼な。至って正気です」
私はクッキーを齧りながら、即答した。
「公爵様。あなたはご自分のことを『化け物』と仰いますが、私から見れば、あなたは『優良物件』そのものです」
「……物件?」
「ええ。まず、顔が良い。これは目の保養になります。次に、魔力が高い。これは生活インフラとして最高です。そして何より……」
私は指を三本立ててから、一つ折った。
「あなたは、話が通じます」
「は? 当たり前だ」
「いいえ、当たり前ではありません。世の中には、人間の言葉を話しているのに、全く会話が成立しない生き物が多数存在します」
私は遠い目をして、元婚約者の顔を思い浮かべた。
「例えば、『婚約破棄だ!』と叫びながら、その後の事務手続きを何も考えていない王太子とか。『書類を読んでおけ』と言っておきながら、読んだら『なぜ勝手に読んだ』と怒る上司とか。『私は愛に生きるの!』と言いながら、他人の金で贅沢をする令嬢とか」
私の声に、怨念がこもる。
「彼らに比べれば、公爵様の『呪い』なんて、可愛いものです。だって、物理的な被害しかありませんから」
「物理的な被害の方が深刻だろう!?」
「いいえ。物理攻撃は防御魔法や回避でなんとかなります。ですが、精神的なストレス攻撃は防げません。じわじわと心を蝕み、胃に穴を空け、肌を荒れさせます」
私は頬杖をつき、ギルバート様を見た。
「あなたは、私に理不尽な命令をしましたか? 私の仕事を否定しましたか? 私が作ったスープを『まずい』と床に叩きつけましたか?」
「……いや、するわけがないだろう」
「そうです。あなたは文句を言いながらも掃除を手伝ってくれたし、ポチとも仲良くしてくれた。私にとって、あなたは『呪われた化け物』ではなく、『ちょっと人見知りで魔力が多いだけの、優しい同居人』です」
きっぱりと言い切ると、ギルバート様は目を見開いて固まった。
口をパクパクとさせ、何か言おうとして、やめる。
耳まで真っ赤になっている。
やがて、彼は顔を片手で覆い、肩を震わせ始めた。
怒らせただろうか?
私が首を傾げていると。
「……ふ、っ」
漏れ聞こえてきたのは、押し殺したような笑い声だった。
「ふ、ふふ……あははははっ!!」
ギルバート様が、空を仰いで高らかに笑った。
それは初めて見る、彼の屈託のない笑顔だった。
陰鬱な影が消え、年相応の青年の顔に戻っている。
その笑顔の破壊力たるや、王都の貴公子たちが束になっても敵わないほど眩しかった。
「あはは! そうか、私は王太子よりマシか! 呪いが『可愛い』か! 傑作だ!」
彼はひとしきり笑うと、涙を拭って私を見た。
その瞳は、もう氷のように冷たくはなかった。
「……変わった女だ、本当に」
「よく言われます。『鉄の女』とか『感情のない能面』とか」
「いや、貴様は能面ではない。……面白い奴だ」
彼は穏やかな声でそう言い、再びティーカップを手に取った。
「メアモリ。礼を言う」
「何がですか?」
「……こんなに美味い茶を飲んだのは、久しぶりだということだ」
彼は少し照れくさそうに視線を逸らし、庭の向こうで蝶を追いかけているポチを眺めた。
私はその横顔を見ながら、心の中でガッツポーズをした。
(よし、懐柔成功です!)
これで、この屋敷での私の地位は安泰だ。
家主との良好な関係は、快適なスローライフの基盤である。
「どういたしまして。これからも美味しいお茶を淹れますから、その代わり、明日はお風呂の修理をお願いしますね」
「……また労働か」
「当然です。ギルバート様の火魔法があれば、お湯張りも一瞬でしょうから」
「やれやれ……」
彼は苦笑したが、その表情にはもう拒絶の色はなかった。
木漏れ日の中で、二人と一匹(ケルベロス)。
穏やかな午後が過ぎていく。
この時、私はまだ知らなかった。
王都の方では、私の不在によって国が傾きかけていることも。
そして、目の前のこの美しい公爵様が、このティータイムをきっかけに、私に対して「同居人」以上の巨大な感情(主に溺愛)を抱き始めていることも。
今はただ、平和な無職生活を謳歌するのみである。
「あ、ポチが蝶を食べようとしてます」
「やめさせろ! 腹を壊すぞ!」
「ポチ、吐き出しなさい! あーっ!」
私たちの賑やかな声が、呪われた森にこだました。
私の指揮(という名の無茶振り)と、ギルバート様の魔力(という名の重機)によって、屋敷の裏庭は見違えるほど綺麗になっていた。
伸び放題だった雑草は風魔法で刈り取られ、鬱蒼としていた枯れ木は撤去され、今は木漏れ日が差し込む穏やかな空間が広がっている。
「……ふぅ。良い眺めですね」
私は朽ちたテラスに置かれたテーブルに、ティーセットを並べた。
テーブルクロスは私が持参した白いレースのもの。
カップは屋敷の奥から発掘した、少々欠けているが由緒正しそうなアンティーク。
そしてお茶請けは、例の「賄賂用クッキー」だ。
「公爵様、お茶が入りましたよ」
私は庭の隅で、なぜか正座をしてポチ(ケルベロス)のブラッシングをしていたギルバート様に声をかけた。
「……ああ」
彼は立ち上がり、服についた犬の毛を払いながらやってくる。
その表情は相変わらず仏頂面だが、初日のような「世界を拒絶するような鋭さ」は少し鳴りを潜めている気がする。
彼は向かいの席に座り、湯気を立てる紅茶をじっと見つめた。
「……私が、こんな場所で茶を飲むことになるとはな」
「お嫌いですか?」
「いや。……ただ、違和感が凄まじいだけだ」
彼はカップを手に取り、一口啜った。
香りが鼻腔をくすぐる。
「……悪くない」
「でしょう? 王都でも入手困難な『黄金の葉』という茶葉です。私の隠し資産の一つです」
私も紅茶を口に含み、ほう、と息をつく。
静寂。
鳥のさえずり(ポチが追い払わなかった鳥たち)。
風の音。
王宮のサロンで繰り広げられる、腹の探り合いやマウントの取り合いとは無縁の、純粋なティータイム。
「メアモリ」
不意に、ギルバート様が私の名を呼んだ。
「はい、なんでしょう。おかわりですか?」
「違う。……ずっと聞きたかったことがある」
彼はカップをソーサーに置き、真剣な眼差しで私を見据えた。
アイスブルーの瞳が、揺れている。
「なぜ、貴様は私を怖がらない?」
「……はい?」
「私は『呪われ公爵』だぞ。生まれた時から魔力が暴走し、触れる者を傷つけ、両親にさえ疎まれ、この辺境に捨てられた男だ。誰もが私を恐れ、避け、化け物と呼ぶ」
彼は自嘲気味に笑った。
「なのに、なぜ貴様は……平気で私に掃除をさせたり、飯を作らせたり、隣で茶を飲んだりできる? 狂っているのか?」
「失礼な。至って正気です」
私はクッキーを齧りながら、即答した。
「公爵様。あなたはご自分のことを『化け物』と仰いますが、私から見れば、あなたは『優良物件』そのものです」
「……物件?」
「ええ。まず、顔が良い。これは目の保養になります。次に、魔力が高い。これは生活インフラとして最高です。そして何より……」
私は指を三本立ててから、一つ折った。
「あなたは、話が通じます」
「は? 当たり前だ」
「いいえ、当たり前ではありません。世の中には、人間の言葉を話しているのに、全く会話が成立しない生き物が多数存在します」
私は遠い目をして、元婚約者の顔を思い浮かべた。
「例えば、『婚約破棄だ!』と叫びながら、その後の事務手続きを何も考えていない王太子とか。『書類を読んでおけ』と言っておきながら、読んだら『なぜ勝手に読んだ』と怒る上司とか。『私は愛に生きるの!』と言いながら、他人の金で贅沢をする令嬢とか」
私の声に、怨念がこもる。
「彼らに比べれば、公爵様の『呪い』なんて、可愛いものです。だって、物理的な被害しかありませんから」
「物理的な被害の方が深刻だろう!?」
「いいえ。物理攻撃は防御魔法や回避でなんとかなります。ですが、精神的なストレス攻撃は防げません。じわじわと心を蝕み、胃に穴を空け、肌を荒れさせます」
私は頬杖をつき、ギルバート様を見た。
「あなたは、私に理不尽な命令をしましたか? 私の仕事を否定しましたか? 私が作ったスープを『まずい』と床に叩きつけましたか?」
「……いや、するわけがないだろう」
「そうです。あなたは文句を言いながらも掃除を手伝ってくれたし、ポチとも仲良くしてくれた。私にとって、あなたは『呪われた化け物』ではなく、『ちょっと人見知りで魔力が多いだけの、優しい同居人』です」
きっぱりと言い切ると、ギルバート様は目を見開いて固まった。
口をパクパクとさせ、何か言おうとして、やめる。
耳まで真っ赤になっている。
やがて、彼は顔を片手で覆い、肩を震わせ始めた。
怒らせただろうか?
私が首を傾げていると。
「……ふ、っ」
漏れ聞こえてきたのは、押し殺したような笑い声だった。
「ふ、ふふ……あははははっ!!」
ギルバート様が、空を仰いで高らかに笑った。
それは初めて見る、彼の屈託のない笑顔だった。
陰鬱な影が消え、年相応の青年の顔に戻っている。
その笑顔の破壊力たるや、王都の貴公子たちが束になっても敵わないほど眩しかった。
「あはは! そうか、私は王太子よりマシか! 呪いが『可愛い』か! 傑作だ!」
彼はひとしきり笑うと、涙を拭って私を見た。
その瞳は、もう氷のように冷たくはなかった。
「……変わった女だ、本当に」
「よく言われます。『鉄の女』とか『感情のない能面』とか」
「いや、貴様は能面ではない。……面白い奴だ」
彼は穏やかな声でそう言い、再びティーカップを手に取った。
「メアモリ。礼を言う」
「何がですか?」
「……こんなに美味い茶を飲んだのは、久しぶりだということだ」
彼は少し照れくさそうに視線を逸らし、庭の向こうで蝶を追いかけているポチを眺めた。
私はその横顔を見ながら、心の中でガッツポーズをした。
(よし、懐柔成功です!)
これで、この屋敷での私の地位は安泰だ。
家主との良好な関係は、快適なスローライフの基盤である。
「どういたしまして。これからも美味しいお茶を淹れますから、その代わり、明日はお風呂の修理をお願いしますね」
「……また労働か」
「当然です。ギルバート様の火魔法があれば、お湯張りも一瞬でしょうから」
「やれやれ……」
彼は苦笑したが、その表情にはもう拒絶の色はなかった。
木漏れ日の中で、二人と一匹(ケルベロス)。
穏やかな午後が過ぎていく。
この時、私はまだ知らなかった。
王都の方では、私の不在によって国が傾きかけていることも。
そして、目の前のこの美しい公爵様が、このティータイムをきっかけに、私に対して「同居人」以上の巨大な感情(主に溺愛)を抱き始めていることも。
今はただ、平和な無職生活を謳歌するのみである。
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