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宰相府の執務室は、戦場のような熱気に包まれていた。
ただし、それは悲鳴や怒号が飛び交うものではない。
めくるめく速度で書類が処理され、決裁印の音がリズミカルなBGMのように響き渡る、極めて高度な知的生産の場としての熱気だ。
「第三課、進捗はどうだ?」
私が声をかけると、課長が目を輝かせて報告に来る。
「はい! スコット様のご指導通り、申請フローを簡略化したところ、処理速度が二倍になりました!」
「よし。空いた時間で倉庫の在庫整理を行え。あそこは魔窟だ」
「はっ! 喜んで!」
私は満足げに頷き、自分のデスクに戻る。
隣では、ギルバートが猛烈な勢いでペンを走らせていた。
「ギルバート、財務省から追加予算の打診だ。却下でいいな?」
「ああ。根拠が薄弱だ。突き返せ」
「了解。赤ペンで修正案を添えてやる。慈悲深い対応だろう」
「君にしては優しいな」
私たちは視線を合わせることなく、言葉だけで阿吽の呼吸を見せていた。
楽しい。
あまりにも楽しい。
無能な上司(王子)のご機嫌取りも、中身のないお茶会もない。
ただひたすらに、国のシステムを最適化していく快感。
脳汁が出すぎて、空腹すら忘れるほどだ。
その時だった。
バンッ!!
執務室の重厚な扉が、乱暴に蹴破られたのは。
静寂と秩序が支配していた空間に、場違いな大声が響き渡る。
「そこまでだ、ギルバート宰相!!」
入り口に立っていたのは、金髪をなびかせたジェラルド第二王子と、その背後に隠れるミミー・ピンキーだった。
ジェラルドは肩で息をしながら、悲劇の英雄のようなポーズで叫ぶ。
「私の目が黒いうちは、これ以上の横暴は許さんぞ!」
執務室の空気が凍りついた。
全員の手が止まり、視線が一点に集中する。
ギルバートがゆっくりと顔を上げ、氷点下の眼差しを向けた。
「……殿下。ノックもなしに執務室に押し入るとは、如何なるご用件でしょうか。現在、我々は分刻みのスケジュールで動いておりますが」
「黙れ冷血漢! 貴様の悪行は全てお見通しだ!」
ジェラルドはツカツカと部屋の中央まで歩み寄ると、私の目の前で立ち止まった。
そして、私の顔を覗き込み、悲痛な声を上げる。
「ああ、スコット……! なんてことだ……!」
「……は?」
私は眉をひそめた。
「変わり果てた姿になって……。目の下にはクマを作り、髪も結い上げず、こんな素っ気ない服を着せられて……。やつれたのではないか?」
「はあ。昨夜は三時間睡眠ですので、多少の顔色の悪さは化粧で隠しきれませんでしたが」
「やはりか! 三時間睡眠だと!? やはり虐待されていたのか!」
ジェラルドが激昂し、ギルバートを指差す。
「聞いたぞギルバート! か弱い令嬢を徹夜で酷使し、監禁状態で働かせるとは! これが国のトップのやることか!」
ギルバートは眉一つ動かさない。
「人聞きが悪いですね。彼女は自らの意思でここにいます。それに『か弱い』? 誰の話です?」
「とぼけるな! スコットが自ら望んでこんな書類の山に埋もれるわけがないだろう! 彼女は公爵令嬢だぞ! ドレスを着て、お茶を飲んで優雅に過ごすのが幸せに決まっている!」
ジェラルドの脳内では、女性の幸せ=着飾って遊ぶこと、という図式が固定されているらしい。
ミミーも便乗して、涙声で訴える。
「そうですぅ! スコットお姉様、怖かったですよねぇ? こんな紙切れとインクの臭いがする部屋なんて、女の子には耐えられませんものぉ!」
「……」
私は持っていた万年筆を静かに置いた。
そして、深くため息をつく。
こいつらは、何もわかっていない。
私は椅子から立ち上がり、ジェラルドに向き直った。
「殿下。一つ、訂正させていただきます」
「な、なんだ? 無理をして強がらなくていいんだぞ?」
「この部屋は、私にとって遊園地(テーマパーク)です」
「……は?」
「そこの書類の山は宝の山。インクの匂いは香水よりも芳しい。そして何より、三時間睡眠で得た成果は、殿下と過ごした三年間よりも遥かに価値があります」
私はビシッと言い切った。
ジェラルドがポカンと口を開ける。
しかし、すぐに首を横に振り、憐れむような目つきになった。
「そ、そうか……。洗脳されているのか……。過酷な労働で、正常な判断力を失っているんだな……!」
「話が通じないな、この男は」
私はギルバートに助け舟を求める視線を送った。
ギルバートは肩をすくめ、立ち上がる。
「殿下。彼女の言う通りです。彼女は私の最高のパートナーであり、ここになくてはならない存在だ。連れて行かれては困ります」
ギルバートが私の肩に手を置く。
その手つきは、所有権を主張するかのようだった。
ジェラルドはその光景を見て、さらにヒートアップする。
「貴様! スコットを『モノ』扱いするな! パートナー? 笑わせるな! ただの便利な道具として使っているだけだろう!」
「道具? 違いますね」
ギルバートの眼鏡がキラリと光った。
「彼女は私の『心臓』です。彼女が止まれば、宰相府という国の機能が停止する。それほど重要なパーツだと言っているのです」
「それを道具と言っているんだ!!」
二人の男が睨み合う。
火花が散るような緊迫した空気。
だが、私の頭の中では別の計算が走っていた。
(この問答にかかっている時間、約五分。これによる業務遅延コストは……官僚全員の時給換算で金貨一〇枚分。……無駄だ。あまりにも無駄だ)
私は机をバン! と叩いた。
「いい加減になさい!!」
一喝。
その声のドスに、ジェラルドもミミーもビクリと震える。
「殿下、ここは神聖な職場です。痴話喧嘩なら中庭でやってください。貴方が騒いでいる間に、地方への治水予算の決裁が三件遅れました。責任を取れますか?」
「え、いや、私は君を助けようと……」
「助けたいなら、その口を閉じてお帰りください。それが最大の支援です。それと、入り口の扉を蹴破った修理代、請求書に追加しておきますので」
私は有無を言わさぬ迫力でジェラルドを睨みつける。
「か、可愛いげがないぞスコット!!」
「存じております! だから婚約破棄されたのでしょう!? 今更何を仰るのです!」
「ぐぬぬ……!」
正論のサンドバッグ状態になったジェラルドは、顔を真っ赤にして後ずさる。
ミミーが小声で「い、行きましょうジェラルド様……あのお姉様、目が本気(マジ)ですぅ……」と袖を引いた。
「お、覚えていろギルバート! そしてスコット! 今は混乱しているようだが、いずれ私が正しかったと気づく日が来るはずだ! その時になって泣きついても知らんぞ!」
捨て台詞を残し、ジェラルドたちは逃げるように去っていった。
壊れた扉が、虚しくギギギ……と音を立てる。
嵐が去った後の静寂。
私は額を押さえて座り込んだ。
「はあ……。集中力が途切れた。最悪だ」
「災難だったな、スコット」
ギルバートが苦笑しながら、冷めたお茶を差し出してくれた。
「だが、助かったよ。私が手を出せば不敬罪ギリギリだった」
「君が殿下を殴るリスクを回避できたなら、安いものだ。……しかし」
私は入り口を指差す。
「警備体制の見直しが必要だな。あんな馬鹿が直通でここまで来られるなんて、セキュリティホールにも程がある」
「……確かに。君を守るためにも、警備予算を増額しようか」
「君を守るため? 違う、書類を守るためだ。あやうくインクをこぼされるところだった」
「フッ、違いない」
私たちは顔を見合わせて笑った。
周囲の官僚たちも、ようやく緊張が解けたようで、ホッとした空気が流れる。
「さあ、皆さん! 見世物は終わりです! 遅れた分を取り戻しますよ!」
私が手を叩くと、部下たちは「はいっ! スコット様!」と元気よく返事をした。
その目は、もはや上司に対する敬意を超え、教祖を崇める信者のそれに近かった。
こうして「王子の乱入」というアクシデントは、私の業務管理能力によって瞬時に鎮圧された。
しかし、ジェラルド殿下がこれで諦めるとは思えない。
そしてミミー・ピンキーのあの目。
ただ怯えていただけではない、何かを画策するような粘着質な光が宿っていたのを、私は見逃してはいなかった。
(……まあいい。何が来ようと、全て処理(タスク消化)するだけだ)
私は再びペンを握り、書類の海へとダイブした。
ただし、それは悲鳴や怒号が飛び交うものではない。
めくるめく速度で書類が処理され、決裁印の音がリズミカルなBGMのように響き渡る、極めて高度な知的生産の場としての熱気だ。
「第三課、進捗はどうだ?」
私が声をかけると、課長が目を輝かせて報告に来る。
「はい! スコット様のご指導通り、申請フローを簡略化したところ、処理速度が二倍になりました!」
「よし。空いた時間で倉庫の在庫整理を行え。あそこは魔窟だ」
「はっ! 喜んで!」
私は満足げに頷き、自分のデスクに戻る。
隣では、ギルバートが猛烈な勢いでペンを走らせていた。
「ギルバート、財務省から追加予算の打診だ。却下でいいな?」
「ああ。根拠が薄弱だ。突き返せ」
「了解。赤ペンで修正案を添えてやる。慈悲深い対応だろう」
「君にしては優しいな」
私たちは視線を合わせることなく、言葉だけで阿吽の呼吸を見せていた。
楽しい。
あまりにも楽しい。
無能な上司(王子)のご機嫌取りも、中身のないお茶会もない。
ただひたすらに、国のシステムを最適化していく快感。
脳汁が出すぎて、空腹すら忘れるほどだ。
その時だった。
バンッ!!
執務室の重厚な扉が、乱暴に蹴破られたのは。
静寂と秩序が支配していた空間に、場違いな大声が響き渡る。
「そこまでだ、ギルバート宰相!!」
入り口に立っていたのは、金髪をなびかせたジェラルド第二王子と、その背後に隠れるミミー・ピンキーだった。
ジェラルドは肩で息をしながら、悲劇の英雄のようなポーズで叫ぶ。
「私の目が黒いうちは、これ以上の横暴は許さんぞ!」
執務室の空気が凍りついた。
全員の手が止まり、視線が一点に集中する。
ギルバートがゆっくりと顔を上げ、氷点下の眼差しを向けた。
「……殿下。ノックもなしに執務室に押し入るとは、如何なるご用件でしょうか。現在、我々は分刻みのスケジュールで動いておりますが」
「黙れ冷血漢! 貴様の悪行は全てお見通しだ!」
ジェラルドはツカツカと部屋の中央まで歩み寄ると、私の目の前で立ち止まった。
そして、私の顔を覗き込み、悲痛な声を上げる。
「ああ、スコット……! なんてことだ……!」
「……は?」
私は眉をひそめた。
「変わり果てた姿になって……。目の下にはクマを作り、髪も結い上げず、こんな素っ気ない服を着せられて……。やつれたのではないか?」
「はあ。昨夜は三時間睡眠ですので、多少の顔色の悪さは化粧で隠しきれませんでしたが」
「やはりか! 三時間睡眠だと!? やはり虐待されていたのか!」
ジェラルドが激昂し、ギルバートを指差す。
「聞いたぞギルバート! か弱い令嬢を徹夜で酷使し、監禁状態で働かせるとは! これが国のトップのやることか!」
ギルバートは眉一つ動かさない。
「人聞きが悪いですね。彼女は自らの意思でここにいます。それに『か弱い』? 誰の話です?」
「とぼけるな! スコットが自ら望んでこんな書類の山に埋もれるわけがないだろう! 彼女は公爵令嬢だぞ! ドレスを着て、お茶を飲んで優雅に過ごすのが幸せに決まっている!」
ジェラルドの脳内では、女性の幸せ=着飾って遊ぶこと、という図式が固定されているらしい。
ミミーも便乗して、涙声で訴える。
「そうですぅ! スコットお姉様、怖かったですよねぇ? こんな紙切れとインクの臭いがする部屋なんて、女の子には耐えられませんものぉ!」
「……」
私は持っていた万年筆を静かに置いた。
そして、深くため息をつく。
こいつらは、何もわかっていない。
私は椅子から立ち上がり、ジェラルドに向き直った。
「殿下。一つ、訂正させていただきます」
「な、なんだ? 無理をして強がらなくていいんだぞ?」
「この部屋は、私にとって遊園地(テーマパーク)です」
「……は?」
「そこの書類の山は宝の山。インクの匂いは香水よりも芳しい。そして何より、三時間睡眠で得た成果は、殿下と過ごした三年間よりも遥かに価値があります」
私はビシッと言い切った。
ジェラルドがポカンと口を開ける。
しかし、すぐに首を横に振り、憐れむような目つきになった。
「そ、そうか……。洗脳されているのか……。過酷な労働で、正常な判断力を失っているんだな……!」
「話が通じないな、この男は」
私はギルバートに助け舟を求める視線を送った。
ギルバートは肩をすくめ、立ち上がる。
「殿下。彼女の言う通りです。彼女は私の最高のパートナーであり、ここになくてはならない存在だ。連れて行かれては困ります」
ギルバートが私の肩に手を置く。
その手つきは、所有権を主張するかのようだった。
ジェラルドはその光景を見て、さらにヒートアップする。
「貴様! スコットを『モノ』扱いするな! パートナー? 笑わせるな! ただの便利な道具として使っているだけだろう!」
「道具? 違いますね」
ギルバートの眼鏡がキラリと光った。
「彼女は私の『心臓』です。彼女が止まれば、宰相府という国の機能が停止する。それほど重要なパーツだと言っているのです」
「それを道具と言っているんだ!!」
二人の男が睨み合う。
火花が散るような緊迫した空気。
だが、私の頭の中では別の計算が走っていた。
(この問答にかかっている時間、約五分。これによる業務遅延コストは……官僚全員の時給換算で金貨一〇枚分。……無駄だ。あまりにも無駄だ)
私は机をバン! と叩いた。
「いい加減になさい!!」
一喝。
その声のドスに、ジェラルドもミミーもビクリと震える。
「殿下、ここは神聖な職場です。痴話喧嘩なら中庭でやってください。貴方が騒いでいる間に、地方への治水予算の決裁が三件遅れました。責任を取れますか?」
「え、いや、私は君を助けようと……」
「助けたいなら、その口を閉じてお帰りください。それが最大の支援です。それと、入り口の扉を蹴破った修理代、請求書に追加しておきますので」
私は有無を言わさぬ迫力でジェラルドを睨みつける。
「か、可愛いげがないぞスコット!!」
「存じております! だから婚約破棄されたのでしょう!? 今更何を仰るのです!」
「ぐぬぬ……!」
正論のサンドバッグ状態になったジェラルドは、顔を真っ赤にして後ずさる。
ミミーが小声で「い、行きましょうジェラルド様……あのお姉様、目が本気(マジ)ですぅ……」と袖を引いた。
「お、覚えていろギルバート! そしてスコット! 今は混乱しているようだが、いずれ私が正しかったと気づく日が来るはずだ! その時になって泣きついても知らんぞ!」
捨て台詞を残し、ジェラルドたちは逃げるように去っていった。
壊れた扉が、虚しくギギギ……と音を立てる。
嵐が去った後の静寂。
私は額を押さえて座り込んだ。
「はあ……。集中力が途切れた。最悪だ」
「災難だったな、スコット」
ギルバートが苦笑しながら、冷めたお茶を差し出してくれた。
「だが、助かったよ。私が手を出せば不敬罪ギリギリだった」
「君が殿下を殴るリスクを回避できたなら、安いものだ。……しかし」
私は入り口を指差す。
「警備体制の見直しが必要だな。あんな馬鹿が直通でここまで来られるなんて、セキュリティホールにも程がある」
「……確かに。君を守るためにも、警備予算を増額しようか」
「君を守るため? 違う、書類を守るためだ。あやうくインクをこぼされるところだった」
「フッ、違いない」
私たちは顔を見合わせて笑った。
周囲の官僚たちも、ようやく緊張が解けたようで、ホッとした空気が流れる。
「さあ、皆さん! 見世物は終わりです! 遅れた分を取り戻しますよ!」
私が手を叩くと、部下たちは「はいっ! スコット様!」と元気よく返事をした。
その目は、もはや上司に対する敬意を超え、教祖を崇める信者のそれに近かった。
こうして「王子の乱入」というアクシデントは、私の業務管理能力によって瞬時に鎮圧された。
しかし、ジェラルド殿下がこれで諦めるとは思えない。
そしてミミー・ピンキーのあの目。
ただ怯えていただけではない、何かを画策するような粘着質な光が宿っていたのを、私は見逃してはいなかった。
(……まあいい。何が来ようと、全て処理(タスク消化)するだけだ)
私は再びペンを握り、書類の海へとダイブした。
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