殿下、私の名前わかりますか?婚約破棄された悪役令嬢。

恋の箱庭

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王宮の大会議室には、重苦しい空気が澱んでいた。

中央にある長大な円卓を囲むのは、国の財政を司る重鎮たち。

財務大臣、主計局長、そして宰相ギルバート。

その末席に、なぜか私が座っている。

そして対面には、なぜかジェラルド第二王子がふんぞり返っていた。

「よいか! 我が王家の品格を保つため、今期の予算増額は必須である! 財務省もそれを理解するように!」

ジェラルドがテーブルを叩いて力説する。

財務大臣――恰幅の良い初老の男が、困り顔で額の汗を拭った。

「し、しかし殿下……。昨今の凶作による税収減に加え、軍事費の増大もありまして……これ以上の王室費の捻出は……」

「ええい、言い訳は聞きたくない! 民草にパンがなくとも、王族がみすぼらしい格好をしていては国の威信に関わるのだ!」

典型的な駄目君主の発言だ。

ギルバートがこめかみを指で押さえながら、静かに口を開く。

「殿下。威信とおっしゃいますが、具体的に何に必要なのですか? 提出された概算要求書には『諸経費』としか書かれていませんが」

「細かいことはいいだろう! 宰相なら金を用意するのが仕事だ!」

「使途不明金に判は押せません」

「ぐぬぬ……相変わらず融通の利かん男だ!」

議論は平行線。

場の空気が弛緩しかけたその時、私はスッと右手を挙げた。

「議長。発言を許可願います」

全員の視線が私に集まる。

財務大臣が怪訝な顔をした。

「えっと……そちらはハミルトン公爵令嬢? なぜここに? ここは部外者が立ち入る場所では……」

ギルバートが答える。

「彼女は私の補佐官だ。本件に関する調査権限を委譲している」

「ほ、補佐官? 婚約破棄されたばかりの令嬢が?」

ざわつく会議室。

ジェラルドが鼻で笑った。

「はんっ! スコット如きに何がわかる! 計算など侍女に任せておけばいいものを、出しゃばりおって」

私は表情筋を一切動かさず、手元の分厚いファイルを机に置いた。

ドサッ。

その重たい音が、会議室に響く。

「殿下。お言葉ですが、侍女ではこの『闇』は解明できませんでした。プロの監査が必要と判断し、私が徹夜で分析しました」

「や、闇だと?」

「はい。こちらが、殿下が過去三ヶ月に使用された『諸経費』の内訳明細です」

私はファイルを広げ、一枚のチャートを取り出した。

「まず、四月五日。『外交用贈答品』として計上された、大粒のピンクダイヤモンドのネックレス。八〇〇万ゴールド」

「うぐっ」

「受取人は隣国の王族ではなく、なぜか男爵家の令嬢ミミー・ピンキー嬢になっております。これは外交ですか?」

「そ、それは! ミミーは将来の……その、私のパートナーになるかもしれない女性だ! 先行投資だ!」

「却下。公金による個人的なプレゼントは横領に当たります。次、四月一二日。『服飾文化研究費』としてドレス一〇着。計六〇〇万ゴールド。これもサイズがミミー嬢のものと一致」

「ミミーは服を見る目があるんだ! 流行の調査を頼んだのだ!」

「調査報告書が一枚も提出されていませんが? 次、『希少植物保護活動費』としてバラの花束一〇〇〇本。毎朝ミミー嬢の部屋に届けられていますね」

私は淡々と、事務的に、しかし容赦なく事実を読み上げていく。

そのたびにジェラルドの顔色が青から赤、そして土色へと変化していく。

財務大臣が震える声で言った。

「こ、これほどとは……。殿下、これは事実なのですか?」

「う、うるさい! 愛する女性に金を使って何が悪い! これは必要経費だ!」

ジェラルドが開き直って叫んだ。

私は冷めた目で彼を見る。

「必要経費? 殿下、愛はプライスレスですが、支払いはキャッシュレスではありません。ご自身のポケットマネーでやる分には構いませんが、これは国民の血税です」

「ぐっ……! だが、王子である私には使う権利がある!」

「権利には義務が伴います。今の殿下の義務は、このふざけた散財を直ちに停止し、国庫に返納することです」

私は赤ペンを取り出し、予算案の書類にバツ印を書き込んでいく。

シュッ、シュッ、シュッ。

その音は、まるで処刑台の刃が落ちる音のように鋭い。

「ネックレス、却下。ドレス、却下。花束、自腹でどうぞ。高級レストランの貸切代、論外。――以上、殿下の請求額の九八パーセントを削減します」

「きゅ、九八パーセントだとぉぉぉ!?」

「残り二パーセントは、公務で使用されたペンのインク代と紙代です。これは認めてあげましょう。慈悲です」

「ふざけるな! そんな予算でどうやって生きていけばいいんだ!」

「一般市民の平均年収をご存知ですか? その二パーセントでも十分贅沢な暮らしができます。足るを知りなさい」

正論の暴力。

ジェラルドは椅子から崩れ落ちそうになった。

「ギ、ギルバート! 貴様、自分の補佐官を止めろ! これは王族への侮辱だぞ!」

助けを求められたギルバートは、眼鏡の奥で楽しそうに目を細めていた。

「止めろと言われましても。彼女の計算に一点のミスもありませんので。財務大臣、どう思われますか?」

話を振られた財務大臣は、最初は戸惑っていたが、次第にその顔に生気が戻ってきた。

彼は長年、王族の浪費に頭を抱えていたのだ。

スコットという『劇薬』が、その膿を出し切ろうとしている。

大臣は意を決して頷いた。

「……ハミルトン嬢の指摘は至極真っ当です。財務省としても、この削減案を全面的に支持します」

「な、なんだと!?」

「殿下。国難の折、王族こそが率先して身を切る姿勢を見せるべきです。ハミルトン嬢の作成したこの『王室費適正化プラン』……素晴らしい。無駄が一切ない」

大臣は私の作成した資料を、まるで聖書のように崇め始めた。

「これなら……これなら財政破綻を回避できるかもしれん! ありがとう、ハミルトン嬢!」

「お役に立てて光栄です。ついでに、大臣の部署の経費削減案も作っておきましたので、後でご覧ください」

「えっ」

「公用車の維持費が高すぎます。馬の餌代、水増しされてますよね?」

「ひぃっ! は、はい! 直ちに改善します!」

敵も味方も容赦なく斬る。

それが私の流儀だ。

会議室は完全に私のペースに支配された。

ジェラルドはワナワナと震えながら立ち上がる。

「お、覚えてろよスコット! 金を断たれたくらいで、私とミミーの愛は揺るがないぞ!」

「そうですか。では、金の切れ目が縁の切れ目にならないことを祈っております。統計的には八割のカップルが破局しますが」

「うるさいうるさい! 悪魔め!」

ジェラルドは涙目で会議室を飛び出していった。

その背中を見送りながら、私はふうっと息を吐く。

「……やれやれ。大声を出されると耳が痛い」

「見事だったぞ、スコット」

ギルバートが感嘆の声を漏らした。

「あの財務大臣が、赤子のようにおとなしくなるとはな。君は本当に『破壊神』だな」

「人聞きが悪い。私は『整地神』だ。腐った土台を均しただけだ」

「違いない」

会議はその後、私の主導でサクサクと進んだ。

本来なら三日はかかると言われていた予算編成が、わずか二時間で完了したのだ。

終了後、財務大臣が私の元へ駆け寄ってきた。

「ハミルトン嬢! いや、スコット様! ぜひ我が省へ! 宰相府などやめて、うちで働きませんか!?」

「おい待て、大臣」

すかさずギルバートが私の前に立ちはだかり、威嚇する。

「彼女は私の妻だ。引き抜きは戦争行為とみなすぞ」

「むぅ……宰相閣下がそこまで言うとは……」

大臣は残念そうに引き下がった。

会議室を出て、廊下を歩く。

ギルバートが珍しく上機嫌に話しかけてくる。

「予算が浮いたな。これで治水工事に着手できる。君のおかげだ」

「礼には及ばない。それが私の仕事だ」

「だが、王子は相当恨んだだろうな。兵糧攻めにされたわけだから」

「金がなければミミー嬢へのプレゼントも買えません。さて、あの『真実の愛』とやらが、どこまで耐えられるか見ものですね」

私は意地悪く笑った。

ミミー・ピンキー。

彼女の調査データによれば、彼女は極度の浪費家であり、実家は借金まみれだ。

金蔓(かねづる)である王子の財布が空になった時、彼女はどう動くのか。

「……次の手が来るぞ」

ギルバートが真剣な声で言う。

「ああ。次は物理的な嫌がらせか、あるいは……」

「どんな手を使おうと、君には指一本触れさせないがな」

ギルバートがサラリと言った。

私は少し驚いて彼を見る。

彼は前を向いたまま、耳のあたりを少し赤くしていた。

……なんだ、この調子が狂う感じは。

私は咳払いをして、手帳を開いた。

「……そ、それは非効率です。私の護衛にリソースを割くより、ミミー嬢の監視を強化すべきです」

「照れているのか?」

「計算中です!」

早足で歩く私を、ギルバートが楽しそうに追いかけてくる。

戦場のような王宮の中で、私たちだけが奇妙な共犯関係を楽しんでいた。

だが、私の予想通り、ミミーの反撃はすぐに始まった。

しかも、私の最も嫌いな『非効率的』な方法で。
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