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翌日の昼休み。
宰相府の執務室にて、私はルークから渡された一束のレポートをパラパラとめくっていた。
片手にはサンドイッチ(具材は栄養価重視のチキンと野菜)、もう片手には例の不味い栄養ドリンク。
「……酷いな、これは」
感想は一言だった。
隣で紅茶を飲んでいたギルバートが、カップを置いて覗き込んでくる。
「何を見ている? 新たな予算案か?」
「いや。昨夜のネックレスの件が気になって、ルークにピンキー男爵家の与信調査をさせたんだ」
「仕事が早いな。で、結果は?」
「真っ赤だ。トマト祭り(トマティーナ)の会場くらい赤い」
私はレポートの一枚を指差した。
「ピンキー男爵家、負債総額五〇〇〇万ゴールド。主な借入先は『闇金融・ウシジマ商会』および『トイチ・ファイナンス』」
「……終わっているな」
「借金の原因は、父親の事業失敗(という名の詐欺被害)と、ミミー嬢本人の浪費癖、そしてFX(外国為替証拠金取引)でのロスカットだ」
「FX……?」
「レバレッジ一〇〇倍で勝負したらしい。勇者というか、ただの無謀だ」
私は呆れて溜息をついた。
昨夜、ミミーが着けていたネックレスが偽物だった理由が確定した。
彼女はジェラルド殿下から貰った本物を質に入れ、その金でFXの追証(おいしょう)を支払ったのだろう。
「典型的な自転車操業だ。殿下というパトロンの財布から金を抜き、利息の支払いに充てる。だが、私が予算を削減したせいで、そのサイクルが破綻しかけている」
「なるほど。だから昨夜、あれほど必死に私に取り入ろうとしたのか」
ギルバートが嫌悪感を露わにする。
「金ヅルの乗り換えを画策したわけか。不愉快極まりない」
「まあ、放っておけばいい。これは個人の借金問題だ。国政には関与しない」
私はレポートをパタンと閉じた。
「興味がない。業務外だ。彼女が借金取りに追われようが、マグロ漁船に乗せられようが、私の知ったことではない」
「冷たいな」
「合理的と言ってくれ。さあ、午後からは軍事費の見直しだ。行くぞ」
私はサンドイッチを口に押し込み、席を立った。
だが、害虫というのは、無視しようとすればするほど、羽音を立てて寄ってくるものらしい。
◇
午後一番の会議へ向かうため、私とギルバートが回廊を歩いている時だった。
「ああっ! ギルバート様ぁ!」
柱の陰から、ピンク色の影が飛び出してきた。
ミミー・ピンキーである。
昨夜の夜会とは違い、今日は地味なワンピースを着ている。
だが、その目は血走り、厚塗りのファンデーションでも隠しきれないクマがあった。
「……なんの用だ」
ギルバートが足を止めずに素通りしようとする。
ミミーは必死に回り込み、彼の前に立ち塞がった。
「お、お願いですぅ! お話を聞いてください! 私、実は……ボランティア活動をしているんですぅ!」
「ボランティア?」
「はいぃ。恵まれない子供達のために『ミミー基金』というのを立ち上げましてぇ……。でも、資金が足りなくて……子供達が泣いているんですぅ!」
ミミーは嘘泣きを始めた。
「ギルバート様のような慈悲深いお方が、一口寄付をしてくだされば、子供達も救われますぅ……。一口一〇〇万ゴールドからなんですけどぉ……」
「……」
私は天を仰いだ。
浅い。浅すぎる。
設定の詰めが甘い上に、ターゲットの選定ミスだ。
ギルバートは氷の視線でミミーを見下ろした。
「一〇〇万? 私が署名すれば、国庫から億単位の支援金を動かせるが」
「えっ! ほ、本当ですかぁ!? じゃあ、ぜひサインを!」
ミミーの顔が強欲に歪む。
ギルバートは続けた。
「だが、そのためには審査が必要だ。当該団体の定款、活動実績報告書、過去三期分の決算書、および監査法人の証明書を提出しろ。話はそれからだ」
「え……て、ていかん……? けっさん……?」
「なんだ、ないのか? 口頭だけで公金を引き出せるとでも思ったか? 私の妻ですら、予算を通すために一〇〇ページの資料を作るというのに」
ギルバートが私に視線を振る。
私は肩をすくめて前に出た。
「ピンキー男爵令嬢。君のその『ミミー基金』とやらの実態、当ててみせようか」
「な、なによ……邪魔しないでよスコット!」
「活動拠点は存在せず、集めた金は右から左へ『トイチ・ファイナンス』へ流れる。子供達というのは、君の脳内に住む『リトル・ミミー』たちのことだろう?」
「ッ!!」
図星を突かれたミミーが後ずさる。
「て、適当なこと言わないでよ! 証拠はあるの!?」
「証拠? 君の首元だ」
私は彼女の首を指差した。
「今日は何も着けていないな。昨夜のガラス玉のネックレスすら、質屋が買い取ってくれなかったか?」
「……!」
「ジェラルド殿下から贈られた八〇〇万のダイヤは、王都第三地区の『ゴールドマン質店』に流れている。質札の番号はNo.4869。……買い戻すなら早めがいいぞ、流質期限は明日だ」
「ひぃっ!?」
ミミーが悲鳴を上げた。
なぜそこまで知っているのか、という恐怖の表情だ。
「ルークの情報収集能力を舐めるな。……いいか、警告しておく」
私は彼女に一歩近づき、耳元で囁いた。
「借金を返すために働くのは結構だが、ギルバートや国庫をアテにするな。次に私の『業務』を妨害してみろ。……その時は、君のFXの損失額を殿下にバラす」
「そ、それだけはぁぁぁ!!」
殿下にバレれば、今度こそ捨てられる。
最後の命綱が切れることを恐れたミミーは、脱兎のごとく逃げ出した。
「お、覚えてなさいよぉぉ! いつか絶対、あんたをギャフンと言わせてやるんだからぁぁ!」
廊下の向こうへ消えていくピンク色の背中。
私はやれやれと首を振った。
「……騒がしい。これによるタイムロス、三分一五秒だ」
「スコット、君は本当に容赦がないな」
ギルバートが感心したように言う。
「質屋の情報まで握っていたとは」
「情報こそが最大の武器だ。……しかし」
私は逃げていった方向を睨んだ。
「彼女は追い詰められている。ネズミは猫を噛むというが、今の彼女は何をしでかすか分からん」
「警戒レベルを上げるか?」
「ああ。特に、金目のものが集まる場所のセキュリティを強化すべきだ。……例えば、経理部の金庫と、君の財布だ」
「私の財布?」
「君は私に万年筆をくれるくらい気前がいいからな。カモにされやすい」
「……君以外に金を出すつもりはないよ」
ギルバートがサラリと言うので、私は少し反応に困った。
「……そ、そうか。それは助かる」
咳払いをして誤魔化す。
廊下には、ミミーが落としていった「ミミー基金・募金箱(ただの空き缶)」が転がっていた。
私はそれを拾い上げ、ゴミ箱へとシュートした。
「ナイスイン」
「美しいフォームだ」
私たちは顔を見合わせて笑い、再び会議室へと向かった。
ミミーの正体は、ただの「借金まみれの小娘」だった。
だが、金に困った人間の執念深さと、思考回路のバグり具合は、時に論理を超える。
この時の私は、彼女が次に思いつく「起死回生の一手」が、あまりにも斜め上の方向から飛んでくるとは予想していなかった。
それは、私とギルバートの貴重な「休日」を狙ったテロ行為だったのだ。
宰相府の執務室にて、私はルークから渡された一束のレポートをパラパラとめくっていた。
片手にはサンドイッチ(具材は栄養価重視のチキンと野菜)、もう片手には例の不味い栄養ドリンク。
「……酷いな、これは」
感想は一言だった。
隣で紅茶を飲んでいたギルバートが、カップを置いて覗き込んでくる。
「何を見ている? 新たな予算案か?」
「いや。昨夜のネックレスの件が気になって、ルークにピンキー男爵家の与信調査をさせたんだ」
「仕事が早いな。で、結果は?」
「真っ赤だ。トマト祭り(トマティーナ)の会場くらい赤い」
私はレポートの一枚を指差した。
「ピンキー男爵家、負債総額五〇〇〇万ゴールド。主な借入先は『闇金融・ウシジマ商会』および『トイチ・ファイナンス』」
「……終わっているな」
「借金の原因は、父親の事業失敗(という名の詐欺被害)と、ミミー嬢本人の浪費癖、そしてFX(外国為替証拠金取引)でのロスカットだ」
「FX……?」
「レバレッジ一〇〇倍で勝負したらしい。勇者というか、ただの無謀だ」
私は呆れて溜息をついた。
昨夜、ミミーが着けていたネックレスが偽物だった理由が確定した。
彼女はジェラルド殿下から貰った本物を質に入れ、その金でFXの追証(おいしょう)を支払ったのだろう。
「典型的な自転車操業だ。殿下というパトロンの財布から金を抜き、利息の支払いに充てる。だが、私が予算を削減したせいで、そのサイクルが破綻しかけている」
「なるほど。だから昨夜、あれほど必死に私に取り入ろうとしたのか」
ギルバートが嫌悪感を露わにする。
「金ヅルの乗り換えを画策したわけか。不愉快極まりない」
「まあ、放っておけばいい。これは個人の借金問題だ。国政には関与しない」
私はレポートをパタンと閉じた。
「興味がない。業務外だ。彼女が借金取りに追われようが、マグロ漁船に乗せられようが、私の知ったことではない」
「冷たいな」
「合理的と言ってくれ。さあ、午後からは軍事費の見直しだ。行くぞ」
私はサンドイッチを口に押し込み、席を立った。
だが、害虫というのは、無視しようとすればするほど、羽音を立てて寄ってくるものらしい。
◇
午後一番の会議へ向かうため、私とギルバートが回廊を歩いている時だった。
「ああっ! ギルバート様ぁ!」
柱の陰から、ピンク色の影が飛び出してきた。
ミミー・ピンキーである。
昨夜の夜会とは違い、今日は地味なワンピースを着ている。
だが、その目は血走り、厚塗りのファンデーションでも隠しきれないクマがあった。
「……なんの用だ」
ギルバートが足を止めずに素通りしようとする。
ミミーは必死に回り込み、彼の前に立ち塞がった。
「お、お願いですぅ! お話を聞いてください! 私、実は……ボランティア活動をしているんですぅ!」
「ボランティア?」
「はいぃ。恵まれない子供達のために『ミミー基金』というのを立ち上げましてぇ……。でも、資金が足りなくて……子供達が泣いているんですぅ!」
ミミーは嘘泣きを始めた。
「ギルバート様のような慈悲深いお方が、一口寄付をしてくだされば、子供達も救われますぅ……。一口一〇〇万ゴールドからなんですけどぉ……」
「……」
私は天を仰いだ。
浅い。浅すぎる。
設定の詰めが甘い上に、ターゲットの選定ミスだ。
ギルバートは氷の視線でミミーを見下ろした。
「一〇〇万? 私が署名すれば、国庫から億単位の支援金を動かせるが」
「えっ! ほ、本当ですかぁ!? じゃあ、ぜひサインを!」
ミミーの顔が強欲に歪む。
ギルバートは続けた。
「だが、そのためには審査が必要だ。当該団体の定款、活動実績報告書、過去三期分の決算書、および監査法人の証明書を提出しろ。話はそれからだ」
「え……て、ていかん……? けっさん……?」
「なんだ、ないのか? 口頭だけで公金を引き出せるとでも思ったか? 私の妻ですら、予算を通すために一〇〇ページの資料を作るというのに」
ギルバートが私に視線を振る。
私は肩をすくめて前に出た。
「ピンキー男爵令嬢。君のその『ミミー基金』とやらの実態、当ててみせようか」
「な、なによ……邪魔しないでよスコット!」
「活動拠点は存在せず、集めた金は右から左へ『トイチ・ファイナンス』へ流れる。子供達というのは、君の脳内に住む『リトル・ミミー』たちのことだろう?」
「ッ!!」
図星を突かれたミミーが後ずさる。
「て、適当なこと言わないでよ! 証拠はあるの!?」
「証拠? 君の首元だ」
私は彼女の首を指差した。
「今日は何も着けていないな。昨夜のガラス玉のネックレスすら、質屋が買い取ってくれなかったか?」
「……!」
「ジェラルド殿下から贈られた八〇〇万のダイヤは、王都第三地区の『ゴールドマン質店』に流れている。質札の番号はNo.4869。……買い戻すなら早めがいいぞ、流質期限は明日だ」
「ひぃっ!?」
ミミーが悲鳴を上げた。
なぜそこまで知っているのか、という恐怖の表情だ。
「ルークの情報収集能力を舐めるな。……いいか、警告しておく」
私は彼女に一歩近づき、耳元で囁いた。
「借金を返すために働くのは結構だが、ギルバートや国庫をアテにするな。次に私の『業務』を妨害してみろ。……その時は、君のFXの損失額を殿下にバラす」
「そ、それだけはぁぁぁ!!」
殿下にバレれば、今度こそ捨てられる。
最後の命綱が切れることを恐れたミミーは、脱兎のごとく逃げ出した。
「お、覚えてなさいよぉぉ! いつか絶対、あんたをギャフンと言わせてやるんだからぁぁ!」
廊下の向こうへ消えていくピンク色の背中。
私はやれやれと首を振った。
「……騒がしい。これによるタイムロス、三分一五秒だ」
「スコット、君は本当に容赦がないな」
ギルバートが感心したように言う。
「質屋の情報まで握っていたとは」
「情報こそが最大の武器だ。……しかし」
私は逃げていった方向を睨んだ。
「彼女は追い詰められている。ネズミは猫を噛むというが、今の彼女は何をしでかすか分からん」
「警戒レベルを上げるか?」
「ああ。特に、金目のものが集まる場所のセキュリティを強化すべきだ。……例えば、経理部の金庫と、君の財布だ」
「私の財布?」
「君は私に万年筆をくれるくらい気前がいいからな。カモにされやすい」
「……君以外に金を出すつもりはないよ」
ギルバートがサラリと言うので、私は少し反応に困った。
「……そ、そうか。それは助かる」
咳払いをして誤魔化す。
廊下には、ミミーが落としていった「ミミー基金・募金箱(ただの空き缶)」が転がっていた。
私はそれを拾い上げ、ゴミ箱へとシュートした。
「ナイスイン」
「美しいフォームだ」
私たちは顔を見合わせて笑い、再び会議室へと向かった。
ミミーの正体は、ただの「借金まみれの小娘」だった。
だが、金に困った人間の執念深さと、思考回路のバグり具合は、時に論理を超える。
この時の私は、彼女が次に思いつく「起死回生の一手」が、あまりにも斜め上の方向から飛んでくるとは予想していなかった。
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