殿下、私の名前わかりますか?婚約破棄された悪役令嬢。

恋の箱庭

文字の大きさ
10 / 28

10

しおりを挟む
夜会の熱狂が冷めやらぬまま、私とギルバートは会場を後にしようとしていた。

「帰宅後の予定だが」

「ああ。馬車の中でこの契約書の最終チェック、帰宅後に風呂、そして二四時からは明日の閣議資料の読み込みだ」

「完璧なスケジュールだ。無駄がない」

私たちが業務連絡を交わしながら出口へ向かっていると、その前に立ちはだかる影があった。

言うまでもない。

顔を茹でダコのように真っ赤にしたジェラルド第二王子と、涙目でハンカチを噛んでいるミミー・ピンキーだ。

「待ちたまえ!!」

ジェラルドが叫ぶ。

私は立ち止まり、懐中時計を取り出した。

「……現在時刻、二二時一五分。殿下、私の定時(という概念はないが)を過ぎております。これ以上の会話は時間外労働手当が発生しますが」

「金の話ばかりするな! 貴様、今のダンス……あれはいったいどういうつもりだ!」

「どういう、とは?」

「私への当てつけか!? 宰相とあんな派手なダンスを見せつけて、私を嫉妬させようという魂胆だろう!」

ジェラルドがビシッと私を指差す。

その思考回路のポジティブさには、ある種の感動すら覚える。

「殿下。自意識過剰もそこまでいくと才能ですね。嫉妬? 誰が? 誰に?」

「貴様が! 私に! 決まっているだろう! 本当はまだ私のことが好きなんだろう!? だから男装などして気を引こうと……!」

「……ギルバート」

私は隣の夫(仮)を見上げた。

「王室医務官を呼んだ方がいい。殿下の認知機能に深刻なバグが発生している」

「手遅れかもしれんが、手配しよう」

ギルバートが冷ややかに答える。

ジェラルドは激昂して地団駄を踏んだ。

「馬鹿にするな! だいたいギルバート、貴様も貴様だ! そんな可愛げのない女のどこがいい! 男みたいで、色気もなくて、頭の中は数字ばかり……。そんな女を連れ歩いて、宰相としての品位を疑われるぞ!」

「そうですわよぉ!」

ミミーが横から口を挟む。

「スコットお姉様なんて、ただの仕事中毒(ワーカーホリック)ですわ! 女としての幸せを捨てた『鉄の女』ですもの! ギルバート様もきっと、無理やり付き合わされているんでしょう? 可哀想に……」

ミミーは上目遣いでギルバートに媚びを送る。

「私ならぁ、もっとギルバート様を癒して差し上げられますわよぉ? ね?」

その瞬間。

周囲の空気がピキリと凍りついた。

ギルバートの眼鏡の奥の瞳が、絶対零度まで冷え込んだのだ。

「……癒し、だと?」

低く、押し殺した声。

ミミーが「ひっ」と縮こまる。

ギルバートは一歩前に出ると、ミミーではなくジェラルドを睨みつけた。

「殿下。訂正していただきたい」

「な、なんだその目は……不敬だぞ!」

「彼女が『鉄の女』? ええ、その通りです。彼女は鉄のように強靭で、鋼のように折れない。だからこそ素晴らしい」

ギルバートは私の肩を抱き寄せ、強く引きつけた。

「私は毎日、膨大な決裁と責任という名の重圧に押し潰されそうになっている。そんな私に必要なのは、甘い言葉で慰めるだけの愛玩動物ではない」

「あ、愛玩動物……っ!?」

「私が必要としているのは、共に重圧を背負い、同じ速度で走り、背中を預けられる『戦友』だ。そしてスコットは、それを完璧にこなしている」

ギルバートの手が、私の肩に食い込むほど強く握られる。

「彼女は私の補佐官であり、私の知恵袋であり、そして私の『心臓』だ。彼女がいなければ、私の政治生命どころか、生物としての生命活動すら危うい」

「なっ……!?」

「殿下、貴方には一生理解できないでしょうね。貴方が求めているのは『飾り』だが、私が求めているのは『命』そのものなのだから」

言い切った。

清々しいほどの、重すぎる愛(?)の告白。

ジェラルドは口をパクパクさせ、言葉を失っている。

私は少しだけ顔が熱くなるのを感じた。

(……言い過ぎだ、ギルバート。心臓扱いされると、不整脈を起こせないではないか)

だが、悪い気はしない。

私は咳払いを一つして、ジェラルドに向き直った。

「お聞きになりましたか、殿下。そういうわけですので、私は非常に忙しいのです。殿下の相手をして『嫉妬ごっこ』に付き合っている暇はありません」

「ぐっ……ぐぬぬ……!」

「それと、ピンキー男爵令嬢」

私はミミーを見た。

彼女はギルバートに拒絶され、顔を青ざめさせている。

「他人の男に色目を使う暇があったら、自分の足元を見た方がいい。……ドレスの裾、破れていますよ?」

「えっ!?」

ミミーが慌ててスカートを見る。

先ほど転びそうになった時に踏んだのだろう。

安物のレースが無惨に裂けていた。

「あらあら。補修費がかさみますね。……まあ、殿下のポケットマネーが尽きていなければいいのですが」

「っ……!!」

ミミーの顔が引きつる。

図星だったか。

私はニヤリと笑い、ギルバートの手を取った。

「行こう、ギルバート。ここにいると生産性が低下する」

「ああ。時間の無駄だったな」

私たちは二人の敗残兵を残し、颯爽と歩き出した。

背後から「覚えてろー!」「キーッ!」という喚き声が聞こえるが、もはや負け犬の遠吠えにしか聞こえない。



馬車に乗り込むと、ギルバートがふぅと深く息を吐き、ネクタイを緩めた。

「……疲れた。あのアホ王子の相手は、書類仕事の一〇倍疲れる」

「同感だ。カロリーの無駄遣いだったな」

「だが、言いたいことは言った。スッキリしたよ」

ギルバートが横目で私を見る。

「言い過ぎたか? 『心臓』というのは」

「いや。解剖学的には間違っているが、比喩としては悪くない。……それに、君にあそこまで言わせてしまったのは、私の管理不足だ」

「管理不足?」

「ああ。私がもっと早く殿下を黙らせていれば、君の喉を消耗させずに済んだ」

私は懐から、先ほどの栄養ドリンク(紫色)とは別の、普通ののど飴を取り出した。

「ほら。舐めておけ」

「……気が利くな」

ギルバートは飴を受け取り、口に放り込む。

「甘い」

「糖分補給だ。……さて」

私は馬車の窓から、遠ざかる王宮を見つめた。

「ミミー・ピンキーの様子がおかしかったな」

「そうか? いつも通り五月蝿(うるさ)かったが」

「いや。ドレスの破れを指摘した時の反応。……焦りが強すぎた。それに、彼女がつけていたネックレス」

「例の横領疑惑の品か?」

「違う。あれは偽物(イミテーション)だ」

「なんだと?」

ギルバートが驚いて私を見る。

「本物のダイヤの輝きではない。屈折率がガラス玉のそれだった。……殿下がプレゼントしたはずの八〇〇万ゴールドのネックレスは、どこへ行った?」

私は手帳を開き、仮説を書き殴る。

「可能性は二つ。一つは殿下が最初から偽物を贈った。だが、あの見栄っ張りの性格上、それは考えにくい」

「なら、もう一つは?」

「ミミーが換金した、だ」

「……なるほど。借金の穴埋めか」

「ビンゴだろう。だが、それでも足りていないはずだ。彼女の実家のピンキー男爵家は、事業の失敗で火の車だというデータがある」

私はペンを回した。

「金に困った人間は、何をするか分からない。……次はもっと直接的な手段に出てくるぞ」

「直接的とは?」

「窃盗、詐欺、あるいは……」

私はギルバートを見た。

「君という『最大のパトロン』を狙って、ハニートラップを仕掛けてくるかもしれないな」

「……勘弁してくれ。吐き気がする」

ギルバートが本気で嫌そうな顔をした。

「安心しろ。私が防波堤になる。害虫駆除は補佐官の役目だ」

「頼む。……しかしスコット」

「なんだ?」

「ハニートラップより怖いのは、君が過労で倒れることだ。今日はもう仕事をするな」

「は? まだ二二時だぞ? これからが本番……」

「ダメだ。これは宰相命令だ」

ギルバートがいきなり、私の手帳を取り上げた。

「あっ! 私のネタ帳!」

「今夜は寝ろ。私の腕の中で」

「……は?」

「あ、いや……その、比喩だ。安心して眠れる環境を提供するという意味で……」

ギルバートが慌てて言い訳をする。耳が赤い。

私はプッと吹き出した。

「ふふっ。了解した、閣下。では今夜は、君のベッドの空きスペースを占拠させてもらおうか」

「……善処する」

馬車の中、私たちは少しだけ甘い空気に包まれた。

外は冷たい夜風が吹いているが、ここだけは温かい。

だが、私の予想通り、ミミー・ピンキーの破滅へのカウントダウンは始まっていた。

そしてそれは、意外な形で私たちに火の粉となって降りかかることになる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後に悪の帝王となる王子の闇落ちを全力で回避します!

花見 有
恋愛
どうして私は主人公側ではなく、敵国のルイーザ・セルビアに転生してしまったのか……。 ルイーザは5歳の時に前世の記憶が蘇り、自身が前世で好きだったゲームの世界に転生していた事を知った。 ルイーザはゲームの中で、カルヴァ王国のレオン国王の妃。だが、このレオン国王、ゲームの中では悪の帝王としてゲームの主人公である聖女達に倒されてしまうのだ。そして勿論、妃のルイーザも処刑されてしまう。 せっかく転生したのに処刑ないんて嫌!こうなったら、まだ子供のレオン王子が闇落ちするのを回避して、悪の帝王になるのを阻止するしかない!

木こりと騎士〜不条理に全てを奪われた元宰相家令嬢は、大切なものを守るために剣をとる〜

温故知新
恋愛
剣と魔法を王族や貴族が独占しているペトロート王国では、貴族出身の騎士たちが、国に蔓延る魔物ではなく、初級魔法1回分の魔力しか持たない平民に対して、剣を振ったり魔法を放ったりして、快楽を得ていた。 だが、そんな騎士たちから平民を守っていた木こりがいた。 騎士から疎まれ、平民からは尊敬されていた木こりは、平民でありながら貴族と同じ豊富な魔力を持ち、高価なために平民では持つことが出来ないレイピアを携えていた。 これは、不条理に全てを奪われて1人孤独に立ち向かっていた木こりが、親しかった人達と再会したことで全てを取り戻し、婚約者と再び恋に落ちるまでの物語である。 ※他サイトでも公開中!

貧乏令嬢ですが、前世の知識で成り上がって呪われ王子の呪いを解こうと思います!

放浪人
恋愛
実家は借金まみれ、ドレスは姉のお下がり。貧乏男爵令嬢のリナは、崖っぷち人生からの起死回生を狙って参加した王宮の夜会で、忌み嫌われる「呪われ王子」アレクシスと最悪の出会いを果たす。 しかし、彼の孤独な瞳の奥に隠された優しさに気づいたリナは、決意する。 「――前世の知識で、この理不尽な運命、変えてみせる!」 アロマ石鹸、とろけるスイーツ――現代日本の知識を武器に、リナは次々とヒット商品を生み出していく。 これは、お金と知恵で運命を切り開き、愛する人の心と未来を救う、一人の少女の成り上がりラブストーリー!

婚約破棄されたけど、白い結婚のおかげで人生最高ですわ!

ふわふわ
恋愛
「君のような冷たい女とは結婚できない!」 王都の夜会で婚約者にそう断罪された瞬間、 公爵令嬢カチュアの人生は終わり――ではなく、始まった。 婚約破棄の翌日、彼女は辺境の地に“罰として”嫁がされる。 相手は寡黙で無骨な辺境伯ライナルト。 周囲は哀れむが、カチュア本人は思う。 > 「お菓子を焼いて、紅茶を飲んで、昼寝して……あら、最高ではなくて?」 干渉しない“形式上の結婚”――そう言われて始まった二人の関係は、 やがて小さな微笑みと紅茶の香りから変わりはじめる。 しかし平穏な日々の中、王都から届いた一通の王命。 新たな聖女リオナがこの地を訪れ、 「この領地は神に返還されるべきですわ」と宣言する。 彼女の裏にあるのは“王家の思惑”。 けれど、元婚約破棄令嬢カチュアは笑う。 > 「淑女の復讐は、笑顔でこそ輝きますの」 紅茶の香りとともに紡がれる、静かで上品なざまぁ劇。 干渉しない夫が、いつしか“寄り添う伴侶”となるまで。 そして、追放された令嬢が“幸福の象徴”になるまでの物語。 ――ざまぁの先にあるのは、甘く穏やかな日常。 辺境の春風が運ぶ、紅茶と愛のスローライフ。 --- 🌹キャッチコピー案(サイト掲載サブ文) > 婚約破棄は、人生を壊す呪い――ではなく、 “最高の朝寝坊と紅茶の時間”への始まりでした。 元婚約令嬢×辺境伯の、静かで甘い再生物語。

冷徹公爵閣下は、書庫の片隅で私に求婚なさった ~理由不明の政略結婚のはずが、なぜか溺愛されています~

白桃
恋愛
「お前を私の妻にする」――王宮書庫で働く地味な子爵令嬢エレノアは、ある日突然、<氷龍公爵>と恐れられる冷徹なヴァレリウス公爵から理由も告げられず求婚された。政略結婚だと割り切り、孤独と不安を抱えて嫁いだ先は、まるで氷の城のような公爵邸。しかし、彼女が唯一安らぎを見出したのは、埃まみれの広大な書庫だった。ひたすら書物と向き合う彼女の姿が、感情がないはずの公爵の心を少しずつ溶かし始め…? 全7話です。

半妖の狐耳付きあやかし令嬢の婚約事情 ~いずれ王子(最強魔法使い)に婚約破棄をつきつけます!~

百門一新
恋愛
大妖怪の妖狐「オウカ姫」と、人間の伯爵のもとに生まれた一人娘「リリア」。頭には狐耳、ふわふわと宙を飛ぶ。性格は少々やんちゃで、まだまだ成長期の仔狐なのでくしゃみで放電するのもしばしば。そんな中、王子とのお見合い話が…嫌々ながらの初対面で、喧嘩勃発!? ゆくゆく婚約破棄で、最悪な相性なのに婚約することに。 ※「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。 ※ベリーズカフェに修正版を掲載、2021/8/31こちらの文章も修正版へと修正しました!

一夜限りの関係だったはずなのに、責任を取れと迫られてます。

甘寧
恋愛
魔女であるシャルロッテは、偉才と呼ばれる魔導師ルイースとひょんなことから身体の関係を持ってしまう。 だがそれはお互いに同意の上で一夜限りという約束だった。 それなのに、ルイースはシャルロッテの元を訪れ「責任を取ってもらう」と言い出した。 後腐れのない関係を好むシャルロッテは、何とかして逃げようと考える。しかし、逃げれば逃げるだけ愛が重くなっていくルイース… 身体から始まる恋愛模様◎ ※タイトル一部変更しました。

追放された悪役令嬢、辺境で植物魔法に目覚める。銀狼領主の溺愛と精霊の加護で幸せスローライフ!〜真の聖女は私でした〜

黒崎隼人
恋愛
「王国の害悪」として婚約破棄され、魔物が棲む最果ての地『魔狼の森』へ追放された悪役令嬢リリア。 しかし、彼女には前世の記憶と、ゲーム知識、そして植物を癒やし育てる不思議な力があった! 不毛の地をハーブ園に変え、精霊と友達になり、スローライフを満喫しようとするリリア。 そんな彼女を待っていたのは、冷徹と噂される銀狼の獣人領主・カイルとの出会いだった。 「お前は、俺の宝だ」 寡黙なカイルの不器用な優しさと、とろけるような溺愛に包まれて、リリアは本当の幸せを見つけていく。 一方、リリアを追放した王子と偽聖女には、破滅の足音が迫っていて……? 植物魔法で辺境を開拓し、獣人領主に愛される、大逆転ハッピーエンドストーリー!

処理中です...