殿下、私の名前わかりますか?婚約破棄された悪役令嬢。

恋の箱庭

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「私じゃない! ミミーが、ミミーが『これでお姉様をギャフンと言わせられる』と言ったんだ!」

ジェラルドの情けない裏切りの叫びが、執務室に木霊した。

愛する(はずの)王子に指差されたミミーは、信じられないものを見る目で彼を凝視した。

「な……なんですって……? ジェラルド様、私に責任を押し付けるおつもり!?」

「事実だろう! 私は知らん! 私はただ、サインを求められたから書いただけだ!」

「ひどい! 最低! 男じゃないわ!」

「なんとでも言え! 私は王族だぞ、こんな泥棒騒ぎに関わってたまるか!」

醜い。

あまりにも醜い内輪揉めに、周囲の野次馬たちもドン引きしている。

私はホワイトボードのマーカーのキャップを「カチッ」と閉め、冷ややかな声をかけた。

「茶番はそこまでだ。……ミミー・ピンキー。殿下が逃亡を図った今、この『黒い手帳』の作成者は君しかいないことになるが?」

私は証拠品である手帳をヒラヒラとさせた。

ミミーは唇を噛み締め、充血した目で私を睨みつける。

「……ふん! 誰が書いたかなんて関係ないわ! 重要なのは、それが『あんたの机から出てきた』ってことよ!」

彼女は論点をずらそうと必死だ。

「その手帳には、あんたの横領の記録が書いてある! 筆跡だってあんたに似せてあるわ! 鑑定に出しても無駄よ!」

「ほう、筆跡を似せた、と自白しましたね?」

「あ……っ! い、言ってない! とにかく、中身よ中身! その計算を見れば、あんたがどれだけ金を盗んだか分かるはずよ!」

ミミーがギャーギャーと喚く。

私はやれやれと首を振り、再び赤ペンを構えた。

「よかろう。では、この手帳の『中身』を精査する。……覚悟しろよ。私の監査は甘くないぞ」

私は手帳のページを捲り、ホワイトボードにその数値を書き写し始めた。

「まず、三ページ目。四月一〇日の支出記録」

『ドレス代:150万 + 宝石代:200万 = 合計:450万』

私は赤ペンでその数式を丸く囲んだ。

「……計算が合わない」

「えっ?」

「150足す200は、350だ。なぜ450になる? 残りの100万はどこから湧いて出た? 魔法か?」

ミミーがハッとして口を押さえる。

「そ、それは……書き間違いよ! 誰にでもあるミスじゃない!」

「公爵令嬢たる私が? 一桁の足し算をミスすると?」

私は鼻で笑った。

「ありえない。私は三歳の頃から、この程度の計算は暗算で処理している。こんな初歩的なミスをする人間が、国の会計を操作できると思うか?」

周囲の官僚たちが「ないない」「閣下ならコンマ以下まで合わせる」と頷く。

私は次のページを捲る。

「次。五月五日の記録。『高級レストランにて会食:30万ゴールド』。時刻は『26:00』とある」

「そ、それがどうしたのよ! 夜遊びしてたんでしょう!」

「王都の飲食店営業法により、深夜営業は24時までと定められている。26時――つまり午前二時に開いている高級レストランなど存在しない」

「えっ……」

「さらに言えば、その日はギルバートと『王宮の鼠駆除予算』について朝まで激論を交わしていた。私のアリバイは完璧だが、この手帳の作者は『エア食事』の代金を計上したようだな」

私は赤ペンで『架空請求』と大きくバツ印をつけた。

ミミーの顔色が青ざめていく。

「ま、まだまだあるわよ! 他のページは……!」

「ああ、これか。これが一番酷い」

私はあるページを開き、ジェラルドに見せた。

「殿下、ここを読んでいただけますか?」

「え、あ、ああ……。『消耗品費:5000G』……ん?」

「お気づきですか? 単位が『G(ゴールド)』になっています」

私は呆れたように言った。

「我が国の公式帳簿において、通貨単位は必ず『・(点)』と『―(線)』を用いた正式表記が義務付けられている。略称の『G』を使うのは、子供のお小遣い帳か、冒険者ギルドの依頼書くらいだ」

「……!」

「私が、自分を追い詰める証拠となる裏帳簿に、わざわざこんないい加減な表記をするわけがない。美学に反する」

私は手帳を机に叩きつけた。

バンッ!!

「計算ミス、事実との矛盾、そして書式の不備。……こんな質の低い捏造文書で、私を嵌められると思ったのか?」

私の声が低く、ドスを効かせて響く。

「私を侮辱するのもいい加減にしろ。私が横領するなら、二重帳簿どころか五重帳簿を作成し、さらに海外のペーパーカンパニーを経由させて、誰にも追跡できない完全犯罪を成し遂げてみせる」

「ひぃっ……!」

ミミーが後ずさる。

「な、なによその自信……。犯罪のプロなの……?」

「プロの会計士だと言っている」

私は一歩、また一歩とミミーに近づく。

「そして極めつけだ。……このインク」

私は手帳の文字を指差した。

「少し甘い匂いがするな。そして、光に当てると微かにラメが光っている」

「……っ!!」

「これは、王都の文具店『乙女の祈り』で限定販売されている『恋するインク・ピンキーローズ』だな?」

「な、なんでそれを……」

「先月、君が殿下に送ったファンレター……じゃなかった、脅迫状に近い『おねだり手紙』と同じインクだ」

私はポケットから、以前ミミーが殿下に送った手紙(回収済み)を取り出し、手帳と並べた。

「色、匂い、ラメの含有量。そして筆圧の癖。特に『8』の字の下が少し膨らむ独特の書き方。……DNA鑑定をするまでもない。同一人物の筆跡だ」

「あ……あ……」

ミミーは逃げ場を失った。

計算ミス。

常識の欠如。

そして、自分の趣味丸出しの証拠品。

全てがブーメランとなって彼女に突き刺さっている。

ジェラルドが、ここぞとばかりに叫んだ。

「そ、そうだ! 思い出したぞ! ミミーはそのインクを愛用していた! やはり貴様が書いたんだな! 私を騙して!」

「うるさいわねこのアホ王子!」

ついにミミーが切れた。

「そうよ! 私が書いたのよ! それがどうしたのよ!」

開き直った。

会場がざわつく。

ミミーは涙目になりながら、地団駄を踏んだ。

「だって、借金取りが怖かったんだもん! スコットお姉様がお金をくれないから! ジェラルド様の財布も空っぽにするから!」

「人のせいにするな。自業自得だ」

「うるさいうるさい! とにかく、その机の中に五〇〇〇万があったのは事実よ! それは私が隠したお金よ! ……あ」

墓穴を掘った。

自ら「自分が隠した」と言ってしまった。

執務室に、一瞬の静寂が訪れる。

私は冷静に告げた。

「自白、確認しました。ルーク、記録したか?」

「はいっ! 一言一句、速記で記録しました!」

「よろしい」

私は赤ペンを置き、ミミーを見下ろした。

「ピンキー男爵令嬢。君の罪は『横領』『公文書偽造』『宰相府への不法侵入』そして『私への名誉毀損』だ。……役満だな」

「い、いやぁぁぁ! 違うの、私はただ……!」

ミミーがパニックになり、逃げようと扉の方へ走る。

だが、そこには衛兵たちが立ち塞がっていた。

「どきなさいよ! 私は男爵令嬢よ!」

「公務執行妨害も追加で」

私が淡々と言うと、ミミーはその場にへたり込んだ。

これで決着がついた。

……かに見えた。

だが、この茶番劇にはまだ『オチ』が残っている。

「ま、待てスコット!」

ジェラルドが震える声で言った。

「ミミーの罪は分かった。だが、私は無実だ! 私はただ、彼女に騙されてサインをしただけで……」

「殿下」

私は冷たい目で彼を見た。

「無知は罪ではないと言いますが、王族の無知は『大罪』です。ご自身が何にサインしたかも理解していないのですか?」

「だ、だからそれは……」

「それに、まだ一つ、解明されていないことがあります」

私はホワイトボードの隅に書かれた数字を指差した。

「引き出された機密費は五〇〇〇万ゴールド。そして、私の机から発見された現金も五〇〇〇万ゴールド」

「うむ。金額は合っているだろう?」

「いいえ。ミミーは借金の返済に追われていたはずです。もし彼女が五〇〇〇万を手に入れたなら、まずは借金を返すはず。なぜ、全額がここにあるのです?」

「え……?」

ミミーがハッとして顔を上げた。

「そ、そうよ……。私、五〇〇〇万引き出したはずなのに……手元に来たのは……」

彼女の目が泳ぐ。

「……あれ? 私、一〇〇〇万しか受け取ってない……」

「は?」

ジェラルドと私が同時に声を上げた。

「ミミー。君は五〇〇〇万の申請書を書かせたんだろう?」

「ええ。でも、換金担当の人が『手数料と税金で四〇〇〇万引かれます』って……」

「なっ……!?」

私は耳を疑った。

手数料八〇パーセント? どこの悪徳業者だ。

いや、そもそも王宮の経理部がそんな真似をするはずがない。

「誰だ? その換金担当というのは」

私が問いただすと、ミミーは震える指で、部屋の入り口付近を指差した。

「あ、あそこにいる……ジェラルド様の側近の……」

全員の視線が、ジェラルドの背後に控えていた地味な男――側近のバロンに向けられた。

バロンは顔色一つ変えず、静かに微笑んでいた。

「……おや。バレてしまいましたか」

「バロン!? 貴様、まさか!?」

ジェラルドが驚愕する。

私は瞬時に計算した。

消えた四〇〇〇万。

そして、私の机に入れられた五〇〇〇万(これはバロンが用意したのか? いや、違う)。

「……なるほど。そういうことか」

私はパズルのピースがハマる音を聞いた。

「この事件、登場人物全員が馬鹿だと思っていたが……一人だけ、賢い『漁夫の利』を狙った古狸がいたようだな」

私は視線を、壁際で静観していたギルバートに向けた。

ギルバートがゆっくりと腕を組み直し、前へ出てくる。

「……ああ。どうやら、私の出番のようだな」

教育者の時間は終わりだ。

ここからは、国の最高権力者による『本当の断罪』が始まる。
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