殿下、私の名前わかりますか?婚約破棄された悪役令嬢。

恋の箱庭

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結婚式から、早いもので五年が経過した。


この五年間で、我が王国の情勢は劇的な変化を遂げた。


かつての財政難はどこへやら、今や近隣諸国が羨むほどの経済大国へと成長している。


その原動力となったのは、王宮の最上階に鎮座する「最強の二人」である。


「……ギルバート。この東方諸国との通商条約改定案だが、第三条の関税率に一・五パーセントの計算ミスがあるぞ。修正しておいた」


「助かる。やはり君の目は節穴ではないな、スコット。……だが、少しは休憩したらどうだ? もう三時間も瞬きをしていないのではないか?」


「失礼な。四五秒に一度は行っている。効率を維持するための最低限の湿度は確保済みだ」


私はいつものように、機能性を極めた執務服を纏い、山積みの書類を高速で片付けていた。


隣に座るギルバートもまた、五年前と変わらぬ、いや、それ以上に洗練された「氷の宰相」としての風格を漂わせている。


私たちの日常は、結婚してもなお、業務効率化と数値目標の達成に捧げられていた。


「失礼します! 閣下、スコット様!」


扉を勢いよく開けて入ってきたのは、今や筆頭補佐官へと昇進したルークだ。


「例の、更生施設からの定期報告書が届きました」


「ああ、あの二人か」


私はペンを止め、報告書を受け取った。


そこには、北方の地でジャガイモを剥き続けるミミー・ピンキーと、老騎士に徹底的にしごかれているジェラルド元王子の近況が記されていた。


「『ミミー・ピンキー、ジャガイモ剥きの速度が従来の三倍に到達。もはや手元が見えない。本人は「このジャガイモがスコットの顔に見える」と供述』……か。素晴らしい集中力だな。皮剥き職人として第二の人生を謳歌しているようで何よりだ」


「ジェラルド殿下の方はどうだ?」


ギルバートが尋ねると、ルークが苦笑いを浮かべた。


「はい。ハンス卿の指導により、ようやく自分の一ヶ月の生活費を計算できるようになられたそうです。先日、自分がかつてどれほど無駄な金を使っていたかに気づき、ショックで寝込まれたとか」


「遅すぎる気づきだが、成長は見られるな。……彼らの更生費用も、将来的に国庫へ還元される見込みだ。投資としては成功と言える」


私は報告書を「完了」の箱に放り込んだ。


もはや、彼らに対する恨みも怒りもない。


ただ、国のシステムを最適化する過程で排除された、一過性のエラーに過ぎなかったのだ。


「さて、過去の話はいい。ギルバート、次の議題だ」


私は新たな資料をデスクに広げた。


「『アイゼンシュタイン家・次世代育成プロジェクト』。……これの進捗が滞っている」


ギルバートが、コーヒーを噴き出しそうになった。


「……スコット。君、その……『子供を作る』という行為を、プロジェクト名で呼ぶのはやめてくれないか?」


「なぜだ? 家督の継承は公爵家および宰相家としての重大な責務だ。出産による一時的な戦線離脱のリスク、および教育コストの回収率……。これらを精査したところ、今期中に着手するのがベストだと判断した」


私は真剣そのもので、ギルバートを見つめた。


「そのためには、今夜の業務終了時間を二時間前倒しする必要がある。……君のスケジュール調整は可能か?」


「…………可能だ。というか、何としてでも空ける」


ギルバートは眼鏡を外し、熱っぽい視線で私を見つめ返した。


「スコット。君は本当に……どこまでも論理的で、そして世界一、可愛い女性だな」


「……可愛い? その評価は客観的事実に乏しい。私は『男前』だと巷では評判だが」


「私にとっては、君が赤ペンを握って私の書類を添削している時が、一番愛おしく見えるんだ」


ギルバートが私の手を取り、その指先に静かに口づけを落とした。


その瞬間、私の心臓が、設計上の限界値を超える鼓動を刻み始めた。


(……おかしい。五年経っても、この男の『非論理的な攻撃』に対する防御力が向上しない)


「……ギルバート。一分間に三回以上、私を見つめるな。脳の演算処理にノイズが走る」


「ははっ。残念ながら、それは修正不可能なバグだ。一生付き合ってもらうぞ」


ギルバートが立ち上がり、私を背後から包み込むように抱きしめた。


窓の外には、私たちが共に育て、守り抜いた王国の街並みが広がっている。


かつて婚約破棄され、すべてを失ったかのように見えたあの日。


だが、あの「非効率な婚約」を解消したことが、私の人生における最大のリターン(幸福)を導き出した。


「……スコット。愛しているよ」


「……了解した。私も、君への信頼(ロイヤリティ)は生涯、最高値を維持することを約束しよう」


私は彼の腕の中で、静かに目を閉じた。


これから先も、私たちは書類の山に囲まれ、数字に追われ、効率を追い求め続けるだろう。


けれど、その隣には常に、同じ速度で走り、同じ未来を見るパートナーがいる。


「さあ、ギルバート。二時間前倒しで仕事を終わらせるぞ。残りの書類は一二枚。一人六枚のノルマだ」


「……情緒の欠片もないが、それが君だな。よし、やるか!」


私たちは、同時にペンを握った。


カリカリ、とインクが紙を走る音が、静かな室内に響き渡る。


それは、世界で一番幸せな、最強の夫婦が奏でる「愛の賛歌(レクイエム)」だった。


――後に、歴史家たちは語る。


王国の黄金時代を築いたのは、一人の男前な公爵令嬢と、彼女を溺愛した冷徹な宰相であった。


二人の絆は、どんな鋼よりも強く、どんな数式よりも美しかったと。


その伝説は、後世の恋人たちが「一生の愛」を誓う際、指輪と共に「完璧な予算案」を贈り合うという、奇妙な風習の起源になったとか、ならなかったとか。


「……スコット様! あ、今いいところですか!? 陛下が祝杯を上げたいと、勝手にワインを持って乱入してきましたぁー!」


「……ルーク。あと三秒遅ければ、君の給料をカットしていたところだ」


「ひぃぃっ! 相変わらず厳しいぃぃ!」


騒がしい、けれど愛おしい日々は、これからも永遠に続いていく。
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