「貴様とは婚約破棄だ!」と殿下が仰るので「万歳!」と叫んで飛び出した!

恋の箱庭

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「大変です! 旦那様! 北の森から『スノーワイバーン』が!」

城内に警報の鐘が鳴り響いたのは、平和な昼下がりのことだった。
私とシリウス様が中庭で、新しい温室(私の薬草園)の場所について話し合っていた矢先の出来事だ。

「スノーワイバーンだと……!?」

シリウス様の顔色が変わり、瞬時に戦士の目になった。
彼は腰に帯びた大剣を引き抜く。

「カプリ、下がっていろ! あれは凶暴だ。城壁すら破壊する力を持っている!」

「まあ、ワイバーンですって?」

私は下がるどころか、目を輝かせて空を見上げた。
鉛色の空を裂くように、白い巨体が飛来するのが見える。
翼開長は十メートル以上。
鋭い牙と爪を持ち、全身が氷の鱗で覆われている美しい魔獣だ。

「なんて見事な個体……!」

私はうっとりと溜息をついた。
王都の図鑑でしか見たことがない、SSランクの危険指定生物。
その鱗は魔法を弾き、その皮は最高級の防具になり、その肝は万能薬の材料になるという、まさに『空飛ぶ宝箱』!

「感心している場合か! 中に入れ!」

シリウス様が私の前に立ちふさがり、庇うように背中を見せた。
彼の全身から黒い魔力が溢れ出す。

「俺が食い止める。その隙に避難しろ!」

「旦那様……」

なんて勇敢なのかしら。
でも、それでは困るのです。

(剣で斬ったら、せっかくの皮が傷ついてしまうじゃない!)

ワイバーンの革製品は、傷一つない『完品』であれば王都で城が一軒買えるほどの値がつく。
それを無骨な大剣でズタズタにするなんて、資源の無駄遣いにも程があるわ!

「グオオオオオオッ!!」

ワイバーンが咆哮と共に急降下してきた。
口から吐き出される氷のブレスが、中庭の花壇を一瞬で凍てつかせる。

「くっ、速い……!」

シリウス様が剣を構え、迎撃体勢を取る。
ワイバーンの爪が彼に迫る──その瞬間。

「『重力魔法・グラビティプレス』!!」

私が杖を一閃させると、ワイバーンの頭上に巨大な紫色の魔法陣が出現した。

ズドンッ!!!

空気が破裂するような音と共に、ワイバーンが見えない巨大な手に叩き落とされたように地面に墜落した。
ドガァァァン! と地響きが鳴り、土煙が舞う。

「……は?」

シリウス様がポカンと口を開けて固まった。

「ギャッ……!? ギギッ……!」

ワイバーンは地面にへばりつき、必死にもがいている。
しかし、その体はピクリとも持ち上がらない。
私の重力魔法は、対象にかかるG(重力加速度)を局所的に二十倍まで引き上げているからだ。
自重で骨がきしむ音が聞こえる。

「あらあら、暴れないでちょうだい。皮が伸びてしまうわ」

私はスカートを揺らして、墜落したワイバーンへと近づいていく。

「カ、カプリ!? 危ないぞ!」

「大丈夫ですわ、旦那様。今のこの子は、自分の体重を支えるだけで精一杯ですから」

私はワイバーンの目の前まで歩み寄った。
凶暴な魔獣の瞳が、恐怖の色を浮かべて私を見上げている。
可哀想に。
自分が捕食者だと思っていたのに、もっとヤバい捕食者(わたし)に出会ってしまったのね。

「さて、どうやって仕留めましょうか」

私は顎に手を当てて悩んだ。
爆発魔法は論外だ。素材が消し炭になってしまう。
氷魔法もダメ。凍結した組織は劣化しやすい。
やはり、ここは……。

「『神経毒魔法・パラライズニードル』」

私の指先から、目に見えないほど細い魔力の針が無数に放たれた。
それはワイバーンの堅牢な鱗の隙間を縫って侵入し、的確に神経系を遮断する。

「ギ……ュ……」

ワイバーンの体がビクンと跳ね、糸が切れた人形のように動かなくなった。
外傷ゼロ。
内臓へのダメージも最小限。
完璧な『標本』の出来上がりだ。

「よし! 大成功ですわ!」

私はガッツポーズをした。
そして、懐から愛用の『解体用ミスリルナイフ』を取り出す。

「さあ、新鮮なうちに血抜きをしないと! 旦那様、バケツを持ってきてくださる? 竜血は魔力増強剤のベースになるんですの!」

私は嬉々としてワイバーンの首元にナイフを当てようとした。

「……」

返事がない。
振り返ると、シリウス様がまだ剣を構えたまま、彫像のように固まっていた。

「旦那様?」

「……お前、何者だ?」

「え? カプリですけど」

「違う、そうじゃない。……スノーワイバーンだぞ? 騎士団一個小隊でも全滅しかねない化け物だぞ? それを、一撃で……しかも無傷で……」

シリウス様は、地面に転がる巨大な竜と、その前でナイフを構えてニッコリ笑っている小柄な妻を交互に見た。
そして、剣をカチャンと落とした。

「……俺が守る必要、なかったな」

彼の背中から、哀愁のようなものが漂っている。
あら、いけない。
旦那様の男としてのプライドを傷つけてしまったかしら?

「そ、そんなことありませんわ! 旦那様が注意を引いてくださったおかげで、隙だらけでしたもの! 素晴らしい囮(タンク)役でしたわ!」

「囮……。俺は辺境伯なのに、囮……」

「それに、このトドメは旦那様にお願いしようと思っていたのです! さあ、このナイフで心臓を一突きにしてくださいな! 美味しいところ(物理)をどうぞ!」

私は血濡れ……になる予定のナイフを彼に差し出した。
シリウス様は引きつった笑みを浮かべて、首を横に振った。

「いや……いい。君の獲物だ。君が好きにしろ」

「本当ですか!? やった! じゃあ、脳髄からいただきますね!」

「脳髄……」

シリウス様が青ざめて一歩下がった。

その後の解体作業は、城の使用人総出で行われた。
最初は怯えていた兵士たちも、私が「この鱗一枚で金貨十枚にはなるわよ」と言った途端、目の色を変えて手伝ってくれた。
辺境は貧乏なので、臨時収入は何よりも魅力的なのだ。

「奥様! この牙はどうしますか!?」
「粉砕してカルシウム剤にします!」

「奥様! 胃袋から未消化の魔物が出てきました!」
「ラッキー! おまけ付きですね!」

中庭は、さながら活気ある魚市場のようになった。
血なまぐさい匂いと、使用人たちの歓声。
私は血まみれのエプロン姿で、的確に指示を飛ばす。

そんな様子を、シリウス様は城のバルコニーから遠い目で見つめていたらしい。
後でセバスから聞いた話だが、彼はこう呟いていたそうだ。

「……あいつの方が、俺よりよっぽど『人食い』に見えるのは気のせいか?」

気のせいですわ、旦那様。
私はただの、知的好奇心が旺盛なだけの可愛らしい令嬢ですもの。

その日の夕食には、ワイバーンの肉を使った『竜鍋』が振る舞われた。
滋養強壮に効きすぎて、その夜、シリウス様が鼻血を出して倒れたのはまた別の話である。
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