「貴様とは婚約破棄だ!」と殿下が仰るので「万歳!」と叫んで飛び出した!

恋の箱庭

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「……なあ、ゲイル」

執務室。
書類の山に埋もれながら、シリウス・グリムは重苦しい溜息をついた。

「はい、閣下。何でしょう?」

答えたのは、騎士団長のゲイルだ。
シリウスとは幼い頃からの付き合いで、この城で唯一、彼に対して物怖じせずに話せる親友のような存在である。
筋骨隆々とした大男だが、今は心配そうに主君の顔を覗き込んでいる。

「俺は……『人食い辺境伯』と呼ばれているな?」

「ええ、まあ。王都の連中が勝手に付けた二つ名ですが。敵対する蛮族を無慈悲に斬り捨て、返り血で真っ赤になった姿からそう呼ばれています」

「うむ。俺自身、その悪名は嫌いじゃなかった。舐められるよりはマシだし、辺境を治めるには恐怖による統治も必要だと思っていたからな」

シリウスは羽ペンを置き、天井を仰いだ。

「だが……最近、自信がない」

「自信? 閣下がですか? 昨日のワイバーン襲撃の件ですか?」

「……ああ」

シリウスはガックリと肩を落とした。
脳裏に蘇るのは、昨日の光景。
自分が決死の覚悟で剣を抜いた相手を、鼻歌交じりに魔法で叩き落とし、嬉々として解体していた妻の姿。

「俺は、彼女を守ろうとしたんだ。夫として、男として。だが……結果はどうだ? 俺はただの『囮』だった」

「まあ、奥様の魔法は規格外ですからねぇ……。あのワイバーン、一瞬でプレスされてましたし」

「それだけじゃない。夜だ」

「夜?」

ゲイルが眉をひそめる。

「俺は……カプリに勝てない」

「ぶっ! か、閣下!? それはどういう……ごほん、夜の営みの話ですか?」

シリウスは顔を覆った。

「彼女は……底なしだ。どれだけ俺が抵抗しても、無理やり組み敷かれ、怪しい薬を塗られ、何かを吸い取られていく……。終わった頃には、俺は干からびた雑巾のようになっているんだ」

「(……奥様、絶倫なんですね)」

ゲイルは生温かい目で主君を見た。
もちろん、シリウスが言っているのは「魔力搾取」のことだが、事情を知らないゲイルには「激しい夜の生活」にしか聞こえない。

「俺は怖いんだ、ゲイル。彼女の笑顔が。あの『実験材料を見る目』が。……なのに」

シリウスは言葉を詰まらせ、耳まで赤くした。

「……なのに、彼女が作った飯を食うと、胃袋を掴まれたように安らいでしまう。彼女に『旦那様』と呼ばれると、背筋がゾクゾクして悪い気がしない。俺は……調教されているのか?」

「それは……単に惚れているだけでは?」

「馬鹿を言え! あんな『爆弾魔』に惚れる要素がどこにある! 俺はただ、恐怖しているだけだ!」

シリウスは机をバン! と叩いた。
しかし、その目には明らかな動揺が見える。

「俺はどうすればいい? 普通の夫婦になりたいんだ。夫が妻を庇い、妻が夫に頼る……そんな当たり前の関係に憧れているだけなんだ!」

切実な叫び。
ゲイルは腕を組み、深く考え込んだ。
そして、重々しく口を開いた。

「閣下。……諦めてください」

「は?」

「相手が悪すぎます。奥様は、か弱い令嬢の皮を被った『天災』です。台風や地震に『俺が守ってやる』と言って立ち向かう人間はいません。やり過ごすか、受け入れるしかないのです」

「お前……身も蓋もないな」

「それに、考えてもみてください。奥様が『きゃあ、怖い! 旦那様助けて!』なんて言いながら、シリウス様の背中に隠れる姿を想像できますか?」

シリウスは想像してみた。
カプリが上目遣いで、自分にしがみつく姿を。

(……『きゃあ! 旦那様、あそこに面白そうな猛獣が! 捕まえてください! 生け捕りで!』)

「……無理だ。獲物を見つけた狩人の目しか浮かばん」

「でしょう? つまり、奥様にとって閣下は『守護者』ではないのです」

「じゃあ何なんだ」

「『理解者』であり、『スポンサー』であり……そして最愛の『パートナー』なのでは?」

ゲイルの言葉に、シリウスは虚を突かれたような顔をした。

「……パートナー?」

「ええ。奥様は常々、閣下の魔力を褒め称えていると聞きます。それはつまり、閣下の力が必要不可欠だということ。守る守られるの関係ではなく、共に何かを成し遂げる(主に破壊活動ですが)相棒だと思えば、腹も据わるのでは?」

「相棒……」

シリウスは自身の掌を見つめた。
昨日の夜、実験が終わった後にカプリが言った言葉を思い出す。

『旦那様の魔力は本当に綺麗ですわ。こんなに澄んだ闇色は、世界中どこを探してもありません。私の一番のお気に入りです』

あの時の彼女の笑顔は、狂気じみてはいたが……嘘偽りのない、純粋な好意に満ちていた。

「……そうか。俺は、彼女の隣に立っていてもいいのか」

「ええ、ただし」

ゲイルは付け加えた。

「爆発に巻き込まれても死なない頑丈さは必要ですがね」

その時だった。

ドオォォォン!!

城の別棟から、凄まじい爆発音が響き渡った。
窓ガラスがビリビリと震え、棚の書類がバサバサと落ちる。

「な、なんだ!?」

シリウスが窓へ駆け寄ると、中庭の一角からキノコ雲が上がっていた。
そして、その煙の中から、煤だらけになったカプリが元気よく飛び出してくるのが見えた。

「成功ですわー! 『自動肩たたき機』の動力が暴走して自爆しましたけど、データは取れましたー!」

彼女はボロボロの姿で、満面の笑みでこちらに手を振っている。

「……」

シリウスは額に手を当てた。

「……ゲイル」

「はい」

「俺の悩みなんて、ちっぽけなものだったな」

「ええ。とりあえず、消火に行きましょうか」

シリウスは苦笑した。
不思議と、先ほどまでの重苦しい気持ちは消えていた。
あんな無茶苦茶な生き物を相手にするには、悩んでいる暇などないのだ。

「行くぞ。……まったく、世話の焼ける妻だ」

その声には、本人も気づかないほどの微かな甘さが混じっていた。

執務室を出ていく主君の背中を見送りながら、ゲイルはニヤリと笑った。

「(……『人食い辺境伯』も、形無しですね。完全に尻に敷かれている自覚がないとは)」

こうしてシリウスは、少しずつ、しかし着実に「カプリ色」に染まりつつあった。
彼が「俺の妻、意外と可愛いんじゃないか?」と完全に錯覚(洗脳)完了するまで、あと少しである。
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