婚約破棄? ああ、結構です。それより慰謝料の小切手、桁が一つ足りなくてよ?

恋の箱庭

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結婚式から、五年が経った。

アイゼンハルト公爵領は今や、王国で最も豊かな「黄金の都」と呼ばれていた。

かつては閑散としていた街道には、特産品の「恋のシビレジャム」や「アイゼンハルト・ロイヤルポーク」、そして私が新たに開発した「魔導蓄熱カイロ(冬場の暖房費削減の副産物)」を求める商人たちの馬車で渋滞が起きている。

そして、公爵邸の執務室もまた、相変わらず戦場だった。

「奥様! 東方貿易の船団から入港許可の申請です!」
「奥様! 王都のデパートから、新作スイーツの独占販売契約の打診が!」
「奥様! 隣国の王太子殿下が、『ぜひ我が国の財政顧問に』と!」

「はいはい、順番に並んでください。時は金なり、効率的に捌きますよ!」

私は巨大な執務机(特注の三面モニターならぬ三面帳簿仕様)に向かい、猛烈な速度で決裁印を押していた。

五年の歳月は、私を少しだけ大人にした。
かつてシンプルだった紺色のドレスは、今は最高級のシルク製(ただし汚れに強い加工済み)になり、首元にはジェラルドから贈られた数々の宝石(資産)が輝いている。

だが、中身は一ミリも変わっていない。

「東方の船団には入港税を二割増しで提示して。足元を見られないようにね。デパートとの契約はロイヤリティ一五%で手を打ちましょう。隣国の王太子には『顧問料は国家予算の1%』とふっかけて断りなさい」

「は、はいぃぃ!」

使用人たちが嵐のように去っていく。
ふぅ、と息をついて紅茶(自社製品)を一口飲んだ時、背後から愛しい人の声がした。

「……相変わらず働き者だな、我が家の『錬金術師』殿は」

ジェラルドだ。
彼は五年前と変わらぬ、いや、年を重ねてより深みを増した色気のある笑顔で立っていた。

「ジェラルド様。お帰りなさいませ」

私は椅子から立ち上がり、彼を迎えた。
彼は視察から戻ったばかりだ。

「ただいま。……君のおかげで、領内の失業率はゼロ、犯罪発生率も過去最低だ。みんな、『公爵夫人のためなら喜んで働く』と言っているよ」

「あら、それは光栄ですわ。高待遇とボーナスで餌付けした甲斐がありました」

ジェラルドは苦笑して、私の腰を引き寄せた。

「餌付けか。……俺も完全に君に胃袋を掴まれているがな」

「ふふ。今夜の夕食は、ジェラルド様の好物の『厚切りステーキ・トリュフソース』ですよ。原価計算は度外視しました」

「それは楽しみだ。……だが、その前に」

彼は私の耳元に顔を寄せた。

「少し、夫婦の時間をもらえないか? 君が忙しすぎて、最近ゆっくり話せていない」

「……」

甘い誘惑。
しかし、私の目の前にはまだ未処理の書類の山がある。

「ジェラルド様。お気持ちは嬉しいのですが、あと一時間だけ待ってください。この『カボチャの馬車運行計画(公共交通機関)』の決裁が終わらないと……」

私が書類に手を伸ばそうとすると、ジェラルドがその手を掴んだ。

「キャンディ。……これは『業務命令』だ」

「業務命令?」

「ああ。公爵としての命令だ。……今すぐ仕事を中断し、私と共に庭園を散歩すること。拒否権はない」

彼は真剣な眼差しで、でも悪戯っぽく微笑んだ。

「……ズルいですわ、ボス」

私は降参して、ペンを置いた。
最高責任者の命令には逆らえない。それに、彼のこの顔には弱いのだ。

「承知いたしました。……残業代は弾んでくださいね?」



夕暮れの庭園。
かつて私が「維持費の無駄」と切り捨てようとしたバラ園は、今では観光名所として整備され、入場料収入を生む立派な「資産」になっていた。

私たちは腕を組んで、ゆっくりと歩いた。

「……静かだな」

「ええ。閉園後の特権ですね」

ふと、庭の隅にある小さな小屋の前を通った。
そこからは、何やら言い争う声と、皿が割れる音が聞こえてくる。

「こらロナルド! 皿を割るなと言っただろう! 給料から引くぞ!」

「ひいぃっ! す、すまない! 手が滑ったんだ!」

「ちょっとアンタ! ジャガイモの皮剥きが遅いわよ! 明日の仕込みが終わらないじゃない!」

「ううっ……リリィ、君こそつまみ食いしないでよぉ……」

小屋の窓から見えたのは、エプロン姿ですっかり所帯じみたロナルドとリリィの姿だった。
彼らは五年間、ここで住み込みで働き続け、ようやく借金の完済が見えてきたところだ。

「……彼らも、随分と逞しくなったな」

ジェラルドがしみじみと言う。

「ええ。最初の頃は『指が痛い』だの『王宮に帰せ』だの泣き言ばかりでしたけど。今ではロナルド殿下、皿洗いのスピードが当初の三倍になりましたわ」

「人間、環境に適応するものだな」

「リリィ様も、ジャガイモの皮剥きに関してはプロ級です。来月から『皮剥き主任』に昇格させてあげようかと思っています」

私たちは顔を見合わせて笑った。
かつて私を断罪し、不幸のどん底に落とそうとした二人。
でも今は、我が家の貴重な労働力(戦力)だ。
復讐? そんな生産性のないことはしない。
彼らが働き、利益を生む。それが最高の解決策だ。

「……キャンディ」

ベンチに座り、ジェラルドが私の手を握った。

「君と出会ってから、俺の人生は激変した」

「良い意味で、ですよね?」

「もちろん。……以前の俺は、ただ家を守るためだけに生きていた。氷のように心を閉ざして、義務感だけで公爵を演じていた」

彼は夕陽を見つめながら言った。

「だが、君が来てくれたおかげで、世界が色づいた。……いや、黄金色に輝いたと言うべきか」

「ふふっ。黄金色はいい色ですよ」

「ああ。君のおかげで、俺は『生きる楽しみ』を知った。君と笑い合い、君と美味しいものを食べ、君と共に未来を作る。……これ以上の幸せはない」

ジェラルドは私の方を向き、改めて深く頭を下げた。

「ありがとう、キャンディ。俺の妻になってくれて」

真っ直ぐな言葉。
胸が熱くなる。
私も、彼の手を両手で包み込んだ。

「こちらこそ、ありがとうございます。ジェラルド様」

私は照れくささを隠すように、いつもの調子で言った。

「私のような強欲な女を、返品もせずに雇い続けてくださって。……あなたほど条件の良い優良物件は、世界中探しても見つかりませんわ」

「ははっ、まだ『物件』扱いか」

「最高の褒め言葉ですよ。……愛しています、私の旦那様」

私が背伸びをしてキスをすると、彼も優しく応えてくれた。

長い、長いキス。
五年前よりも深く、そして安心感に満ちたキスだった。

「……さて」

唇を離すと、私はパチンと手を叩いた。

「散歩は終了です! 日も暮れましたし、そろそろ執務室に戻って……」

「おい、まだ雰囲気というものが……」

「今日の売上集計を見ないと、安眠できないんです! さあジェラルド様、手伝ってください! ダブルチェックお願いします!」

私はドレスの裾を翻し、屋敷へと駆け出した。

「……やれやれ。これだから君は」

ジェラルドは呆れたように肩をすくめたが、その顔は最高に幸せそうだった。

「待ってくれ、キャンディ。……一生、君についていくよ」

彼は苦笑しながら、私の背中を追いかけてきた。

世間では、私のことをこう呼ぶ者がいる。
「金にがめつい悪妻」
「夫を尻に敷く猛女」
「公爵家を乗っ取った魔女」

結構なことだ。
悪名は無名に勝る。
どんな噂も、私の知名度を上げ、商品の宣伝になるのだから。

私はこれからも、この愛する夫と、愛する領地(資産)のために、全力で計算し、全力で稼ぎ続けるだろう。

だって、私の幸せの方程式は、いつだってシンプルだから。

『 愛 × お金 = 最強のハッピーエンド 』
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