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「……ここが、貴方たちの『アジト』なんですの?」
私は馬車から降り立ち、目の前にそびえ立つ建物を見上げて、思わず口元を押さえた。
そこは、お世辞にも綺麗とは言えない、岩山に張り付くように建てられた古い砦だった。
石壁には蔦が絡まり、窓ガラスは割れ、入り口の扉は今にも外れそうに傾いている。
「ああ。これでも元は立派な防衛拠点だったんだ。今は俺たち『野良犬騎士団』の根城だがな」
団長と呼ばれていた大柄な男が、鼻を鳴らしながら答えた。
「お嬢ちゃん、文句を言うなよ。人質の分際で贅沢は言わせねえからな」
ゼクスが私の後ろから、トランク(いつの間にか彼が運んでくれている)を抱えて歩いてくる。
私は一度深く溜息をつき、手袋を嵌め直した。
「文句など言いませんわ。ただ、決意を固めただけです」
「決意? 逃げ出す決意か?」
「いいえ。――まずはお掃除、そして換気、それから害虫の駆逐ですわ!」
私が指を突き出して宣言すると、周囲にいた薄汚れた格好の男たちが、一斉に固まった。
砦の中に入ると、状況は外観よりもさらに酷かった。
床には埃が積もり、隅には蜘蛛の巣。何より、男たちの汗と埃が混じったような、むせ返るような匂いが充満している。
「……ゼクスさん、箒はありますか? あと、バケツと雑巾も」
「はぁ? そんなもん、あったかな……。っていうか、お前、さっきから何なんだよ。震えて泣き言を言うとか、命乞いをするとか、そういうのは無いのか?」
ゼクスが信じられないといった様子で、私を覗き込んできた。
私は埃がつかないようにドレスの裾を少し持ち上げながら、彼に微笑みかけた。
「命乞いをして、この埃が消えますの? 泣き叫んで、美味しいお茶が出てきますの?」
「いや、出てこねえけど……」
「でしたら、動くしかありませんわ。幸い、私のトランクには最高級の茶葉と、護身用の……いえ、お掃除用の洗浄液が入っておりますの」
私はゼクスからトランクを奪い取ると、中から瓶を取り出した。
「さあ、そこの騎士様方! ぼうっとしていないで、窓を全開になさい! それから、そこの大きな方は床の荷物を退けて!」
私の声は、公爵令嬢として培われた「命令に慣れた響き」を持っていた。
「あ、おい! 団長を『大きな方』呼ばわりして、こき使うんじゃねえよ!」
ゼクスが慌てて割って入るが、当の団長は、なぜか圧倒されて重い木箱を持ち上げていた。
「……なんだか知らねえが、この嬢ちゃんに言われると、体が勝手に動いちまうな」
「団長!? しっかりしてくださいよ!」
数時間後。
砦の一角にある談話室のようなスペースは、見違えるほど綺麗になっていた。
窓からは爽やかな山の風が入り込み、埃っぽさは消え失せている。
私は、持ち込みの茶葉を使って、手際よく人数分の紅茶を淹れた。
「……どうぞ。少し渋めですけれど、お疲れ様でしたわ」
差し出されたカップを、ゼクスはおそるおそる受け取った。
「なあ、お前……本当に自分が誘拐された自覚、あるのか?」
「もちろんですわ。学園に行けず、こんな山奥で野蛮な男たちに囲まれている。大変な不祥事ですわね」
私は優雅に紅茶を啜り、ふぅと息をついた。
「でも、お父様が身代金を払ってくださるまで、ここで汚さに耐えて病気になるなんて御免ですもの。快適に過ごす努力をするのは、淑女の義務ですわ」
「淑女の義務って、誘拐犯を掃除に駆り出すことだったか……?」
ゼクスが遠い目をしながら紅茶を口に含んだ。
その瞬間、彼の目が見開かれた。
「……うまっ。何だこれ、めちゃくちゃ美味いぞ!」
「最高級の茶葉ですもの。それに、淹れ方にもコツがありますのよ」
周囲の騎士たちも、最初は遠慮していたが、一口飲むなり「生き返る……」と感嘆の声を漏らしている。
「お嬢ちゃん。あんた、面白いな」
団長が空になったカップを置き、豪快に笑った。
「フローライト公爵家のアマリリスだったか。あんたの親父さんにゃ、たっぷり身代金を請求させてもらうが、それまではこの砦の『特別客』として扱ってやるよ」
「ありがとうございます。では、さっそくですが夕食の献立について相談がありますの」
「注文が多い客だな!」
ゼクスが間髪入れずにツッコんだが、その表情には先ほどまでの殺気は消えていた。
その頃。
アマリリスを乗せた(はずの)馬車が到着しなかったセント・ルミナス学園では、一つの「噂」が爆発的に広まっていた。
「聞いたか? フローライト家の令嬢が、入学式当日に男と駆け落ちしたらしいぞ」
「ああ。しかも、王室から預かっていた大切な品を盗んで逃げたという話だ」
「とんだ悪女だな。ウィルフレッド王子が不憫でならないよ」
学園のサロンでは、王子ウィルフレッドが、悲劇の主人公のような顔でハンカチを握りしめていた。
「……信じていたのに。アマリリス、君がまさか、あんな不埒な輩と夜逃げするなんて。私は、君との婚約を破棄せざるを得ない!」
彼の周囲には、アマリリスを快く思っていなかった令嬢たちが集まり、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
当の本人が、今まさに誘拐犯の拠点で「ジャガイモの皮剥き」を騎士たちに指導しているとも知らずに。
私は馬車から降り立ち、目の前にそびえ立つ建物を見上げて、思わず口元を押さえた。
そこは、お世辞にも綺麗とは言えない、岩山に張り付くように建てられた古い砦だった。
石壁には蔦が絡まり、窓ガラスは割れ、入り口の扉は今にも外れそうに傾いている。
「ああ。これでも元は立派な防衛拠点だったんだ。今は俺たち『野良犬騎士団』の根城だがな」
団長と呼ばれていた大柄な男が、鼻を鳴らしながら答えた。
「お嬢ちゃん、文句を言うなよ。人質の分際で贅沢は言わせねえからな」
ゼクスが私の後ろから、トランク(いつの間にか彼が運んでくれている)を抱えて歩いてくる。
私は一度深く溜息をつき、手袋を嵌め直した。
「文句など言いませんわ。ただ、決意を固めただけです」
「決意? 逃げ出す決意か?」
「いいえ。――まずはお掃除、そして換気、それから害虫の駆逐ですわ!」
私が指を突き出して宣言すると、周囲にいた薄汚れた格好の男たちが、一斉に固まった。
砦の中に入ると、状況は外観よりもさらに酷かった。
床には埃が積もり、隅には蜘蛛の巣。何より、男たちの汗と埃が混じったような、むせ返るような匂いが充満している。
「……ゼクスさん、箒はありますか? あと、バケツと雑巾も」
「はぁ? そんなもん、あったかな……。っていうか、お前、さっきから何なんだよ。震えて泣き言を言うとか、命乞いをするとか、そういうのは無いのか?」
ゼクスが信じられないといった様子で、私を覗き込んできた。
私は埃がつかないようにドレスの裾を少し持ち上げながら、彼に微笑みかけた。
「命乞いをして、この埃が消えますの? 泣き叫んで、美味しいお茶が出てきますの?」
「いや、出てこねえけど……」
「でしたら、動くしかありませんわ。幸い、私のトランクには最高級の茶葉と、護身用の……いえ、お掃除用の洗浄液が入っておりますの」
私はゼクスからトランクを奪い取ると、中から瓶を取り出した。
「さあ、そこの騎士様方! ぼうっとしていないで、窓を全開になさい! それから、そこの大きな方は床の荷物を退けて!」
私の声は、公爵令嬢として培われた「命令に慣れた響き」を持っていた。
「あ、おい! 団長を『大きな方』呼ばわりして、こき使うんじゃねえよ!」
ゼクスが慌てて割って入るが、当の団長は、なぜか圧倒されて重い木箱を持ち上げていた。
「……なんだか知らねえが、この嬢ちゃんに言われると、体が勝手に動いちまうな」
「団長!? しっかりしてくださいよ!」
数時間後。
砦の一角にある談話室のようなスペースは、見違えるほど綺麗になっていた。
窓からは爽やかな山の風が入り込み、埃っぽさは消え失せている。
私は、持ち込みの茶葉を使って、手際よく人数分の紅茶を淹れた。
「……どうぞ。少し渋めですけれど、お疲れ様でしたわ」
差し出されたカップを、ゼクスはおそるおそる受け取った。
「なあ、お前……本当に自分が誘拐された自覚、あるのか?」
「もちろんですわ。学園に行けず、こんな山奥で野蛮な男たちに囲まれている。大変な不祥事ですわね」
私は優雅に紅茶を啜り、ふぅと息をついた。
「でも、お父様が身代金を払ってくださるまで、ここで汚さに耐えて病気になるなんて御免ですもの。快適に過ごす努力をするのは、淑女の義務ですわ」
「淑女の義務って、誘拐犯を掃除に駆り出すことだったか……?」
ゼクスが遠い目をしながら紅茶を口に含んだ。
その瞬間、彼の目が見開かれた。
「……うまっ。何だこれ、めちゃくちゃ美味いぞ!」
「最高級の茶葉ですもの。それに、淹れ方にもコツがありますのよ」
周囲の騎士たちも、最初は遠慮していたが、一口飲むなり「生き返る……」と感嘆の声を漏らしている。
「お嬢ちゃん。あんた、面白いな」
団長が空になったカップを置き、豪快に笑った。
「フローライト公爵家のアマリリスだったか。あんたの親父さんにゃ、たっぷり身代金を請求させてもらうが、それまではこの砦の『特別客』として扱ってやるよ」
「ありがとうございます。では、さっそくですが夕食の献立について相談がありますの」
「注文が多い客だな!」
ゼクスが間髪入れずにツッコんだが、その表情には先ほどまでの殺気は消えていた。
その頃。
アマリリスを乗せた(はずの)馬車が到着しなかったセント・ルミナス学園では、一つの「噂」が爆発的に広まっていた。
「聞いたか? フローライト家の令嬢が、入学式当日に男と駆け落ちしたらしいぞ」
「ああ。しかも、王室から預かっていた大切な品を盗んで逃げたという話だ」
「とんだ悪女だな。ウィルフレッド王子が不憫でならないよ」
学園のサロンでは、王子ウィルフレッドが、悲劇の主人公のような顔でハンカチを握りしめていた。
「……信じていたのに。アマリリス、君がまさか、あんな不埒な輩と夜逃げするなんて。私は、君との婚約を破棄せざるを得ない!」
彼の周囲には、アマリリスを快く思っていなかった令嬢たちが集まり、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
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