馬車ジャック!?入学も婚約破棄もまだですわよ?

恋の箱庭

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「さあ、団長様。床のワックスもそろそろ乾きましたわ。這いつくばっていないで、こちらのテーブルへお越しになって?」

私は、大広間の特等席に用意したティーテーブルから、いまだに床と格闘している聖騎士団長――ギデオン様に声をかけた。

彼は頬を赤く染め、屈強な部下たちの肩を借りて、ようやく立ち上がった。

「……アマリリス殿。貴女という方は、騎士の誇りを何だと思っているのですか。このような搦め手で、我が聖騎士団を辱めるとは……!」

「辱める? とんでもありませんわ。私はただ、皆様の足腰の鍛錬不足を懸念しただけですの。それに、ほら。そんなにカリカリしていては、美味しいお茶が台無しですわよ」

私はギデオン様の前に、淹れたてのハーブティーと、今朝焼いたばかりの「蜂蜜レモンマドレーヌ」を差し出した。

ギデオン様は最初こそ拒絶するような目つきをしていたが、鼻孔をくすぐる爽やかな香りに、思わず喉を鳴らしたのを私は見逃さなかった。

「……毒など入っていまいな」

「あら。毒を入れるくらいなら、もっと大量のワックスを塗っておりますわ」

私の言葉に、隣で控えていたゼクスさんが「それは毒より性質(たち)が悪いだろ」と小声で突っ込んだ。

ギデオン様は覚悟を決めたように、マドレーヌを一つ手に取り、口へ運んだ。


「…………っ!?」

一口食べた瞬間、ギデオン様の目が見開かれた。

その震える手は二口目、三口目と止まらず、あっという間にマドレーヌは消え去った。

「なん……だ、この慈悲深い甘みは。そして、心が洗われるような芳醇な香りは……! 我が国の宮廷菓子職人が作ったものより、遥かに洗練されている!」

「当然ですわ。私が厳選した素材を使い、心を込めて……騎士たちの胃袋を掴むために調整したレシピですから」

私は満足げに頷き、彼の疲れ切った顔を見つめた。

「ところで、ギデオン様。聖騎士団の方々は、最近まともな休息を取っていらっしゃいますの? 皆様、目の下に立派なクマが飼われておりますわよ」

私の問いに、ギデオン様の手がピタリと止まった。

「……。それは、王命ですから。ウィルフレッド王子からは、二十四時間体制で魔女……いえ、貴女の捜索を命じられておりました」

「二十四時間! まあ、なんてブラックな労働環境! 残業代や深夜手当は、きちんと支給されていますの?」

「ざんぎょうだい……? いえ、騎士は王への忠誠で動くもの。金銭を求めるなど、不名誉なことだと王子は仰っておりました」

ギデオン様の声が、徐々に小さくなっていく。

私は大きく溜息をつき、扇子をテーブルに叩きつけた。


「不名誉!? 笑わせないでくださいまし! 働きに見合った報酬と休息を与えないのは、主君としての怠慢ですわ。皆様、そんな薄情な王子のために、命を削って床を転がりに来たのですか?」

「……。しかし、我々には帰る場所が……」

「ここにあるではありませんか! 見てくださいまし、この『野良犬騎士団』の面々を」

私は胸を張って、美しく整えられたゼクスさんたちを指し示した。

「彼らもかつては貴方たちと同じように、汚れ、疲れ果てていましたわ。でも今はどうです? 一日に三食の絶品料理、バラの香りの入浴タイム、そして適度な睡眠。これこそが、真の騎士に相応しい生活ではありませんこと?」

「一日三食……絶品料理……」

ギデオン様の後ろに控えていた聖騎士たちが、夢を見るような目で呟いた。

「おい、ゼクス……。これ、誘拐犯の勧誘じゃなくて、ただのヘッドハンティングになってねえか?」

団長が困惑したように耳打ちしてきたが、私は無視した。

「ギデオン様、転職(キャリアアップ)の時期ですわ。王子に仕えてボロボロになるか、私の下で『砦の守護聖騎士』として、美味しいものを食べて過ごすか……答えは決まっていますわね?」


ギデオン様は、ゆっくりと立ち上がった。

彼は自分の胸に手を当て、深く、深く頭を下げた。

「……アマリリス殿。不肖ギデオン、貴女の深い慈愛(とマドレーヌの味)に、魂を射抜かれました。我ら聖騎士団、本日をもって王子の配下を辞し、貴女に忠誠を誓わせていただきたい!」

「「「「「「お願いします!!」」」」」」

大広間に、聖騎士たちの咆哮が響き渡った。

「あら、話が早くて助かりますわ。では皆様、さっそくですが……その純白の鎧、少し派手すぎて掃除の邪魔ですので、まずは作業着に着替えていただけますかしら?」

「はっ! 喜んで!」


こうして、私を討伐しに来たはずの聖騎士団は、ものの三十分で「砦の清掃・警備担当」へとジョブチェンジを果たしたのである。

一方で、砦の外で「今か今か」とアマリリスの捕縛を待っていたウィルフレッド王子は。

「遅い……。なぜ誰も戻ってこない!? もしや、聖騎士団すらもアマリリスの毒牙にかかり、一人残らず喰われてしまったのか!? 恐ろしい、なんて恐ろしい魔女だ!」

誰も喰われてなどいない。ただ、二杯目のお茶を楽しんでいるだけである。
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