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放課後の図書室。
高い天井まで届く書架に囲まれたその場所は、本来ならば知性と静寂が支配する空間である。
しかし、今、最果ての読書スペースだけは、魔王の住まう玉座の間のような禍々しいプレッシャーに包まれていた。
(……どうしよう。シリウス様が、すぐ目の前に。ララ様が、連れてきてくださったけれど……)
シャリー・フォンスは、純白の指先で本をめくろうとして……そのあまりの緊張に、指先が「ピキリ」と音を立てた。
彼女は今、ララからの「黙っていれば絶世の美女作戦」を忠実に実行している。
余計なことは言わない。ただ静かに、本を読む。そうすれば、いつもの「威圧的な声」で王子を震え上がらせることもないはずだ。
だが、シャリーの「静止」は、周囲には「獲物を仕留める直前の、極限まで研ぎ澄まされた集中状態」にしか見えなかった。
「……あ、あの、フォンス令嬢。……さっきは、その、悪かったよ」
シリウスが、ララに背中を蹴飛ばされるような形で、一歩前に出た。
「クッキー……毒だなんて言って。君が、僕のために……一晩中、頑張ってくれたっていうのは、メル男爵令嬢から聞いた。だから……」
(シリウス様が……謝ってくださっている……! ああ、なんてお優しいの。私のあの黒焦げ炭素の塊を、私の想いとして受け取ろうとしてくださっているなんて!)
シャリーの心臓は、ドラムを叩く巨人のように激しく鳴り響いた。
あまりの感動に、彼女は思わず……手元の分厚い魔導書を、万力のような力で握りしめてしまった。
「……み、みし……みしみし……っ」
図書室の静寂を切り裂く、不穏な木材と紙の悲鳴。
シリウスの顔が、一瞬で引き攣った。
「ひっ……! い、今、本が鳴いてないか!? 『助けて』って言わんばかりの悲鳴が聞こえたぞ!」
「王子、しーっ! 図書室ではお静かに!」
背後の書架の陰から、ララが小声で(しかしよく通る声で)指示を飛ばす。
「あれは本の悲鳴ではありません! シャリー様の溢れ出す歓喜が、物理的なエネルギーとなって物質に転移しているだけです! もっと歩み寄って!」
(そうよ、シャリー。今こそ、一言でいいから……お礼を言うのよ。可愛く、『お気になさらないでください』って……!)
シャリーは、ゆっくりと顔を上げた。
夕日が差し込む窓を背負い、逆光の中に浮かび上がる彼女の顔。
それは、慈愛の女神のようでもあったが、同時に、復讐を誓った冥界の王女のようでもあった。
「……きに……しないで……。……しりうす、さま……」
またしても、地響きのような低音が漏れた。
しかも、緊張で顔の筋肉が強張ったせいで、彼女の表情は「……貴様の謝罪など、死を以てしても贖えぬぞ」という冷酷な審判者のそれになっていた。
「ひいっ……! 気にしろってことだよね!? 『僕がお前のクッキーを毒だと言った罪は、末代まで忘れない』っていう宣告だよね!?」
「違います王子! 今の声の周波数を聴き取ってください! 『うれしいたのしいだいすき』が、重厚なベース音となって響いているだけです! もはやこれは愛のラブソングですよ!」
「どんな重低音のラブソングだよ! 内臓まで響いてくるぞ!」
シリウスは泣き出しそうな顔で、後退りした。
シャリーは焦った。
(ダメよ、また怖がらせてしまったわ。立ち上がって、もっと……優しく、微笑まなきゃ!)
彼女は勢いよく立ち上がった。
その瞬間、彼女がずっと握りしめていた魔導書が、「バキィッ!」という派手な音と共に真っ二つに裂けた。
「……あ」
シャリーの手には、無残に引き裂かれた本の半分だけが残されていた。
図書室に、本当の静寂が訪れた。
「……さ、裂いた……。あいつ、国宝級の魔導書を……生パンみたいに引き裂いたぞ……」
シリウスの瞳が、恐怖で点になった。
(違うの、違うのよシリウス様! 本に罪はないの! ただ私の握力が、恋の熱量に耐えきれなかっただけなの……!)
シャリーは慌てて、裂けた本の破片を繋ぎ合わせようとした。
だが、慌てれば慌てるほど、指先に込めた力が周囲の机や椅子に伝わっていく。
「……めりっ。……めきめきっ」
シャリーが手を置いた頑丈な樫の木のテーブルに、みるみるうちに亀裂が走っていく。
「壊してる! あいつ、僕を威圧するために図書室の備品を一つずつ粉砕して回ってる! 次は僕だ! 次は僕の頭があの本みたいに……!」
「王子! 今のシャリー様の破壊行動を見て何も感じないのですか!? あれは『形あるものはいずれ壊れる、けれど私の愛だけは不滅』という、命がけの比喩表現ですよ!」
「比喩が過激すぎるんだよ! メル男爵令嬢、君、本当に感覚が麻痺してないか!?」
シリウスは、今度こそ全速力で図書室から脱走していった。
「あ、お待ちください、シリウス様ぁーーー!」
ララがそれを追いかけていく。
図書室の最果てに、ただ一人取り残されたシャリー。
彼女の手には、無残な姿になった魔導書と、ヒビの入ったテーブル。
「………………っ」
シャリーは、そっと自分の手を見つめた。
その顔は、周囲の司書たちには「……ふふ、まずは本一冊か。次はもっと大きなものを壊してあげましょう」という、狂気の破壊神の笑みに見えた。
「……ごめんなさい、本さん……。……あとで、直し……ます」
シャリーの小さな(しかし重低音な)呟きが、静まり返った図書室に虚しく響く。
彼女の恋が、物理的な破壊を伴わずに済む日は、まだ遠そうであった。
高い天井まで届く書架に囲まれたその場所は、本来ならば知性と静寂が支配する空間である。
しかし、今、最果ての読書スペースだけは、魔王の住まう玉座の間のような禍々しいプレッシャーに包まれていた。
(……どうしよう。シリウス様が、すぐ目の前に。ララ様が、連れてきてくださったけれど……)
シャリー・フォンスは、純白の指先で本をめくろうとして……そのあまりの緊張に、指先が「ピキリ」と音を立てた。
彼女は今、ララからの「黙っていれば絶世の美女作戦」を忠実に実行している。
余計なことは言わない。ただ静かに、本を読む。そうすれば、いつもの「威圧的な声」で王子を震え上がらせることもないはずだ。
だが、シャリーの「静止」は、周囲には「獲物を仕留める直前の、極限まで研ぎ澄まされた集中状態」にしか見えなかった。
「……あ、あの、フォンス令嬢。……さっきは、その、悪かったよ」
シリウスが、ララに背中を蹴飛ばされるような形で、一歩前に出た。
「クッキー……毒だなんて言って。君が、僕のために……一晩中、頑張ってくれたっていうのは、メル男爵令嬢から聞いた。だから……」
(シリウス様が……謝ってくださっている……! ああ、なんてお優しいの。私のあの黒焦げ炭素の塊を、私の想いとして受け取ろうとしてくださっているなんて!)
シャリーの心臓は、ドラムを叩く巨人のように激しく鳴り響いた。
あまりの感動に、彼女は思わず……手元の分厚い魔導書を、万力のような力で握りしめてしまった。
「……み、みし……みしみし……っ」
図書室の静寂を切り裂く、不穏な木材と紙の悲鳴。
シリウスの顔が、一瞬で引き攣った。
「ひっ……! い、今、本が鳴いてないか!? 『助けて』って言わんばかりの悲鳴が聞こえたぞ!」
「王子、しーっ! 図書室ではお静かに!」
背後の書架の陰から、ララが小声で(しかしよく通る声で)指示を飛ばす。
「あれは本の悲鳴ではありません! シャリー様の溢れ出す歓喜が、物理的なエネルギーとなって物質に転移しているだけです! もっと歩み寄って!」
(そうよ、シャリー。今こそ、一言でいいから……お礼を言うのよ。可愛く、『お気になさらないでください』って……!)
シャリーは、ゆっくりと顔を上げた。
夕日が差し込む窓を背負い、逆光の中に浮かび上がる彼女の顔。
それは、慈愛の女神のようでもあったが、同時に、復讐を誓った冥界の王女のようでもあった。
「……きに……しないで……。……しりうす、さま……」
またしても、地響きのような低音が漏れた。
しかも、緊張で顔の筋肉が強張ったせいで、彼女の表情は「……貴様の謝罪など、死を以てしても贖えぬぞ」という冷酷な審判者のそれになっていた。
「ひいっ……! 気にしろってことだよね!? 『僕がお前のクッキーを毒だと言った罪は、末代まで忘れない』っていう宣告だよね!?」
「違います王子! 今の声の周波数を聴き取ってください! 『うれしいたのしいだいすき』が、重厚なベース音となって響いているだけです! もはやこれは愛のラブソングですよ!」
「どんな重低音のラブソングだよ! 内臓まで響いてくるぞ!」
シリウスは泣き出しそうな顔で、後退りした。
シャリーは焦った。
(ダメよ、また怖がらせてしまったわ。立ち上がって、もっと……優しく、微笑まなきゃ!)
彼女は勢いよく立ち上がった。
その瞬間、彼女がずっと握りしめていた魔導書が、「バキィッ!」という派手な音と共に真っ二つに裂けた。
「……あ」
シャリーの手には、無残に引き裂かれた本の半分だけが残されていた。
図書室に、本当の静寂が訪れた。
「……さ、裂いた……。あいつ、国宝級の魔導書を……生パンみたいに引き裂いたぞ……」
シリウスの瞳が、恐怖で点になった。
(違うの、違うのよシリウス様! 本に罪はないの! ただ私の握力が、恋の熱量に耐えきれなかっただけなの……!)
シャリーは慌てて、裂けた本の破片を繋ぎ合わせようとした。
だが、慌てれば慌てるほど、指先に込めた力が周囲の机や椅子に伝わっていく。
「……めりっ。……めきめきっ」
シャリーが手を置いた頑丈な樫の木のテーブルに、みるみるうちに亀裂が走っていく。
「壊してる! あいつ、僕を威圧するために図書室の備品を一つずつ粉砕して回ってる! 次は僕だ! 次は僕の頭があの本みたいに……!」
「王子! 今のシャリー様の破壊行動を見て何も感じないのですか!? あれは『形あるものはいずれ壊れる、けれど私の愛だけは不滅』という、命がけの比喩表現ですよ!」
「比喩が過激すぎるんだよ! メル男爵令嬢、君、本当に感覚が麻痺してないか!?」
シリウスは、今度こそ全速力で図書室から脱走していった。
「あ、お待ちください、シリウス様ぁーーー!」
ララがそれを追いかけていく。
図書室の最果てに、ただ一人取り残されたシャリー。
彼女の手には、無残な姿になった魔導書と、ヒビの入ったテーブル。
「………………っ」
シャリーは、そっと自分の手を見つめた。
その顔は、周囲の司書たちには「……ふふ、まずは本一冊か。次はもっと大きなものを壊してあげましょう」という、狂気の破壊神の笑みに見えた。
「……ごめんなさい、本さん……。……あとで、直し……ます」
シャリーの小さな(しかし重低音な)呟きが、静まり返った図書室に虚しく響く。
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