お前の顔など見たくもない!と言われたので、仮面を被ったらヒロインに求婚される

恋の箱庭

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昨日の「毒物混入クッキー事件(王子命名)」から一夜。


シリウス王子は、学園の保健室にある特等席で、温かいハーブティーを震える手で啜っていた。


もちろん、シャリーの入れた「強化ハーブ」ではなく、保健医が淹れた普通の、至って安全な飲み物である。


「……死ぬかと思った。一瞬、三途の川の向こうで僕の祖父が手招きしているのが見えたよ」


シリウスは、今も微かに舌に残る「健康の味(という名の苦味)」を思い出して顔を顰めた。


そこへ、保健室のドアが「ドォォォン!」という爆音と共に、勢いよく開け放たれた。


「王子! こんなところで油を売っている場合ではありませんよ!」


「ぎゃああっ! で、出たぁ!」


シリウスは毛布を頭から被り、ベッドの隅へと逃げ込んだ。


現れたのは、仁王立ちで腰に手を当てたララ・メルである。


「……なんだ、ララか。驚かさないでくれよ、心臓が止まるかと思ったじゃないか」


「止まらせませんよ、私が心臓マッサージしてでも蘇生させますから! それより王子、昨日のお菓子について、何か言うことはありませんか!?」


ララがずいっと顔を近づける。

その瞳には、推し(シャリー)の愛を無下にされたことへの、静かな、しかし苛烈な怒りが宿っていた。


「言うこと……? ああ、あるとも! フォンス令嬢に伝えてくれ。『暗殺ならもっと洗練された方法を選んでください、あんな苦いのは勘弁です』ってね!」


「この、節穴王子がぁぁぁーーー!」


ララが叫んだ。

保健室のカーテンがビリビリと音を立てて揺れる。


「な、なんだよ!? 事実じゃないか! あんなに真っ黒で、不気味で……」


「いいですか、よく聞いてください。あの黒さは、シャリー様が昨夜一晩中、寝る間も惜しんでオーブンと向き合い、あなたへの情熱を焦がしてしまった結果です! 炭素になるまで愛が凝縮された結果なんですよ!」


「それはただの『焼きすぎ』って言うんだよ!」


「黙りなさい! さらにあの味! シャリー様は、公爵家の貴重な古文書をひっくり返し、あなたを想って『滋養強壮に効く秘伝のハーブ』をブレンドしたんです! 王子の健康を願う、究極の献身だとは思いませんか!?」


シリウスは、毛布から恐る恐る顔を出した。


「……健康……? 毒じゃなくて?」


「毒なわけないでしょう! シャリー様がどれだけ心を痛めているか分かりますか!? 今朝なんて、廊下ですれ違った壁を、無意識に素手で削り取っていましたよ!」


「怖すぎるよ! それは悲しみの表現として間違ってるよ!」


「不器用なんです! あの人は、愛が重すぎて出力がバグっているだけなんです! それをあなたは、あんなに一生懸命作ったものを『毒』だなんて……!」


ララは目に涙を浮かべ、拳を握りしめた。


「……王子。あなた、昨日のシャリー様の目を見ましたか? あんなに真っ赤にして、一生懸命あなたに差し出して……」


「……ああ、見たよ。血走った目で僕をロックオンしていたね」


「違います! 徹夜でクッキーを焼いて、目にゴミが入っても構わずにあなたの健康を願って……あれは『徹夜明けの乙女の充血』です! 世界で一番尊い赤ですよ!」


シリウスは少しだけ、言葉に詰まった。

確かに、シャリーはいつも自分に対して、何かを言いたげに近づいてくる。


その度に、その恐ろしい顔面に気圧されて逃げ出していたが、もしもララの言う通り、あれが全て「好意」の裏返しだとしたら。


(……いや、でも、やっぱり怖いものは怖いぞ。あの笑顔で追いかけられたら、誰だって死期を悟るだろう)


「……分かった。分かったから、そんなに怒鳴らないでくれ。僕だって、わざと彼女を傷つけたいわけじゃないんだ」


「ならば、行動で示してください! シャリー様は今、図書室の隅で『人生の終わり』みたいなオーラを出しながら、呪いの……いえ、謝罪の手紙を書いています。今すぐ行って、誤解を解くのです!」


「ええっ、今から!? 心の準備が……」


「準備なんていりません! 必要なのは勇気と、多少の骨折を覚悟する精神力だけです! さあ、行きますよ!」


ララはシリウスの襟首を掴むと、そのままずるずると保健室から引きずり出していった。


「待って! せめて護身用の盾を……! 誰か、僕にフルプレートアーマーを持ってきてくれーーー!」


王子の悲痛な叫びが、静かな廊下に虚しく響き渡った。


その頃、図書室の最果ての席では。

シャリーが、一文字書くたびにペン先をへし折るような筆圧で、便箋に向き合っていた。


(……シリウス様。ごめんなさい。もう、お菓子なんて作りません。……これからは、影からあなたの幸せを願って、ひっそりと……生きて……い……)


「……ッ!」


パキィィィン! と、五本目の高級万年筆が真っ二つに折れた。


シャリーは、折れたペンを見つめ、静かに、そして禍々しく微笑んだ。


「……ふ、ふふ。……私には、文字を書く資格すら、ないのね……」


その光景は、誰がどう見ても「……よし、ペンで殺すのはやめて、次は素手で行こう」という、狂気の決意を固めた殺人鬼の姿だった。


そこへ、ララに引きずられたシリウスが到着する。


「あ、いた! シャリー様! 王子を連れてきましたよ!」


シリウスは、折れたペンを握りしめたまま振り返るシャリーと、バッチリ目が合ってしまった。


「ひっ……! あ、暗殺の道具がアップグレードされてる……!」


「……しりうす……さま?」


シャリーが立ち上がると、椅子がガタガタと恐怖に震えるように音を立てた。


不器用すぎる令嬢と、死を覚悟した王子。

そして、二人をニヤニヤしながら見つめる爆走ヒロイン。


図書室の静寂は、今、爆発寸前の緊張感に包まれていた。
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