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シリウス王子が意識を失ってから、三十分。
学生寮の共同キッチンでは、かつてないほどの緊張感が漂っていた。
「……いいですね、シャリー様。今度こそ『普通の』お粥を作るのです。紫色のイモも、黒いキノコも、秘伝の漢方も禁止です!」
ララ・メルが、まるで軍の教官のような鋭い目つきで指示を出す。
「……わかって、いるわ。……白米。……お水。……少しの、お塩。……それだけ、よね?」
シャリー・フォンスは、純白のエプロン(公爵家から緊急輸送させたフリル付き)を身に纏い、包丁を握りしめていた。
彼女の表情は、これから一国の軍勢を一人で迎え撃つ武神のように、冷酷で、鋭く、そして神々しいまでの殺気を放っている。
(シリウス様……。待っていてください。今度こそ、あなたが泣いて喜ぶような、透き通ったお粥を作ってみせますわ!)
シャリーは、まな板の上のネギを見つめた。
「……ふぅ……っ」
彼女が呼吸を整えた瞬間、キッチンの気温が数度下がった。
居合わせた寮の料理人たちが、ガタガタと震えながら壁際に張り付く。
「おい……あの構え、見ろよ。ただの公爵令嬢じゃないぞ。あれは、数多の戦場を潜り抜けてきた達人の……」
「……ト、トトト、トン……!」
シャリーの包丁が動いた。
「ズバババババババッ!!」
目にも止まらぬ速さ。
まな板の上で、ネギが寸分の狂いもなく、まるで機械でカットされたかのような精密さで刻まれていく。
しかし、その「トントントン」という軽快なはずの音は、彼女の怪力と技術が合わさることで「斬撃音」となって響き渡った。
「……終わったわ」
シャリーが包丁を置くと、まな板には光り輝くネギの微塵切りが積み上がっていた。
「素晴らしい! シャリー様、今の包丁捌き、最高に『殺し屋の休日』って感じで萌えました!」
ララが手を叩いて喜ぶ。
「……殺し屋……? ……私は、ただ、ネギを……」
「その謙虚さがまた素敵です! さあ、次はお米を研ぎましょう! 優しく、赤子を撫でるようにですよ!」
シャリーはお米が入ったボウルに手を差し入れた。
(優しく。……シリウス様の、頬を撫でるように。……愛を込めて……)
「……ジャリ……ッ! ゴリ……ッ! メキメキ……ッ!」
「シャリー様! ストップ、ストップです! お米が砕けて粉になってます! それはもう『米粉』です!」
ララが慌ててシャリーの手を止めた。
「……あ。……ごめんなさい。……ついつい、力が……」
シャリーは悲しげに、粉々になったお米を見つめた。
彼女の「愛」は、常に物質の耐久限界を超えてしまうのだ。
一方、ベッドの上で意識を取り戻したシリウスは、キッチンから聞こえてくる「ズバババッ!」という衝撃音や、「メキメキッ!」という破壊音を聴きながら、震えていた。
「……な、なんだ。……何の音だ。……誰かが、僕の墓石を削っているのか?」
「王子、お目覚めですか! 大丈夫です、フォンス令嬢があなたの為に心を込めてお料理をされていますよ」
近衛騎士の言葉に、シリウスは絶叫した。
「心がこもってあの音!? 地獄の門番が釜を叩いてる音にしか聞こえないよ! 助けてくれ、僕はまだ食べられたくない!」
そこへ、ついに完成した「普通のお粥」を手に、シャリーが部屋に戻ってきた。
今回は、ララの徹底的な管理のおかげで、見た目は至って普通の、白くて美しいお粥である。
「……シリウス、さま。……できました。……こんどこそ……食べて……」
シャリーは、ベッドサイドに膝をついた。
彼女は、今度こそ失敗しないように、そしてシリウスを怖がらせないように、精一杯の「微笑み」を作った。
しかし、プロ並みの包丁捌きで精神が研ぎ澄まされた直後の彼女の笑顔は、「……逃がさない。最後の一口まで、逃がさないわ」という、完遂を誓った暗殺者の笑みだった。
「ひっ……! お、お粥……だね。……白いね。……毒は、入っていないよね?」
「……はい。……真っ白、です。……さあ、あーん……」
シャリーは、スプーンで一口分を掬い、シリウスの口元へ。
(今度は、漢方も入れていないわ。……ただの、お塩の味。……優しくて、温かい……私の心そのものよ……!)
シリウスは、震えながら口を開いた。
「……はむっ」
「…………」
シャリーは、固唾を呑んで見守った。
「……あっ。……おいしい」
シリウスの瞳に、光が戻った。
普通の、至って普通で、しかし丁寧に作られたお粥。
「……ほんとうに? ……よかった……」
シャリーの目から、ポロリと涙がこぼれた。
彼女としては、安堵の涙だった。
しかし、その険しい顔から流れる涙は、シリウスには「……ふふ、まずは胃袋から支配してあげたわ。逃げられると思うなよ?」という、勝利の雫に見えた。
「……あ、ありがとう。……でも、フォンス令嬢。……どうして、そんなに僕を睨むんだい?」
「……睨んで……いません。……愛して……いる……から……」
(愛しているから、一秒も目を離したくないの……!)
「……ひっ! ……監視、ってことだね!? ……わ、分かったよ! 全部食べるから、その包丁(の手つき)をしまってくれ!」
シリウスは、必死に、そして涙目でお粥を完食した。
「大成功です、シャリー様! 王子、完食ですよ! 完・食!」
ララが影からガッツポーズを作る。
シャリーは、空になったお椀を見つめ、初めて少しだけ、報われたような気持ちになった。
しかし、シリウスの心拍数は、お粥の栄養ではなく、命の危機感によって最高潮に達していた。
「……次は。……もっと。……美味しいものを。……つくりますわ」
「……ひいいいっ! 継続的な給餌宣告だーーー!」
不器用すぎる令嬢の「お見舞いサバイバル」。
王子の体力は回復したが、精神的な疲労はさらに蓄積されていくのであった。
学生寮の共同キッチンでは、かつてないほどの緊張感が漂っていた。
「……いいですね、シャリー様。今度こそ『普通の』お粥を作るのです。紫色のイモも、黒いキノコも、秘伝の漢方も禁止です!」
ララ・メルが、まるで軍の教官のような鋭い目つきで指示を出す。
「……わかって、いるわ。……白米。……お水。……少しの、お塩。……それだけ、よね?」
シャリー・フォンスは、純白のエプロン(公爵家から緊急輸送させたフリル付き)を身に纏い、包丁を握りしめていた。
彼女の表情は、これから一国の軍勢を一人で迎え撃つ武神のように、冷酷で、鋭く、そして神々しいまでの殺気を放っている。
(シリウス様……。待っていてください。今度こそ、あなたが泣いて喜ぶような、透き通ったお粥を作ってみせますわ!)
シャリーは、まな板の上のネギを見つめた。
「……ふぅ……っ」
彼女が呼吸を整えた瞬間、キッチンの気温が数度下がった。
居合わせた寮の料理人たちが、ガタガタと震えながら壁際に張り付く。
「おい……あの構え、見ろよ。ただの公爵令嬢じゃないぞ。あれは、数多の戦場を潜り抜けてきた達人の……」
「……ト、トトト、トン……!」
シャリーの包丁が動いた。
「ズバババババババッ!!」
目にも止まらぬ速さ。
まな板の上で、ネギが寸分の狂いもなく、まるで機械でカットされたかのような精密さで刻まれていく。
しかし、その「トントントン」という軽快なはずの音は、彼女の怪力と技術が合わさることで「斬撃音」となって響き渡った。
「……終わったわ」
シャリーが包丁を置くと、まな板には光り輝くネギの微塵切りが積み上がっていた。
「素晴らしい! シャリー様、今の包丁捌き、最高に『殺し屋の休日』って感じで萌えました!」
ララが手を叩いて喜ぶ。
「……殺し屋……? ……私は、ただ、ネギを……」
「その謙虚さがまた素敵です! さあ、次はお米を研ぎましょう! 優しく、赤子を撫でるようにですよ!」
シャリーはお米が入ったボウルに手を差し入れた。
(優しく。……シリウス様の、頬を撫でるように。……愛を込めて……)
「……ジャリ……ッ! ゴリ……ッ! メキメキ……ッ!」
「シャリー様! ストップ、ストップです! お米が砕けて粉になってます! それはもう『米粉』です!」
ララが慌ててシャリーの手を止めた。
「……あ。……ごめんなさい。……ついつい、力が……」
シャリーは悲しげに、粉々になったお米を見つめた。
彼女の「愛」は、常に物質の耐久限界を超えてしまうのだ。
一方、ベッドの上で意識を取り戻したシリウスは、キッチンから聞こえてくる「ズバババッ!」という衝撃音や、「メキメキッ!」という破壊音を聴きながら、震えていた。
「……な、なんだ。……何の音だ。……誰かが、僕の墓石を削っているのか?」
「王子、お目覚めですか! 大丈夫です、フォンス令嬢があなたの為に心を込めてお料理をされていますよ」
近衛騎士の言葉に、シリウスは絶叫した。
「心がこもってあの音!? 地獄の門番が釜を叩いてる音にしか聞こえないよ! 助けてくれ、僕はまだ食べられたくない!」
そこへ、ついに完成した「普通のお粥」を手に、シャリーが部屋に戻ってきた。
今回は、ララの徹底的な管理のおかげで、見た目は至って普通の、白くて美しいお粥である。
「……シリウス、さま。……できました。……こんどこそ……食べて……」
シャリーは、ベッドサイドに膝をついた。
彼女は、今度こそ失敗しないように、そしてシリウスを怖がらせないように、精一杯の「微笑み」を作った。
しかし、プロ並みの包丁捌きで精神が研ぎ澄まされた直後の彼女の笑顔は、「……逃がさない。最後の一口まで、逃がさないわ」という、完遂を誓った暗殺者の笑みだった。
「ひっ……! お、お粥……だね。……白いね。……毒は、入っていないよね?」
「……はい。……真っ白、です。……さあ、あーん……」
シャリーは、スプーンで一口分を掬い、シリウスの口元へ。
(今度は、漢方も入れていないわ。……ただの、お塩の味。……優しくて、温かい……私の心そのものよ……!)
シリウスは、震えながら口を開いた。
「……はむっ」
「…………」
シャリーは、固唾を呑んで見守った。
「……あっ。……おいしい」
シリウスの瞳に、光が戻った。
普通の、至って普通で、しかし丁寧に作られたお粥。
「……ほんとうに? ……よかった……」
シャリーの目から、ポロリと涙がこぼれた。
彼女としては、安堵の涙だった。
しかし、その険しい顔から流れる涙は、シリウスには「……ふふ、まずは胃袋から支配してあげたわ。逃げられると思うなよ?」という、勝利の雫に見えた。
「……あ、ありがとう。……でも、フォンス令嬢。……どうして、そんなに僕を睨むんだい?」
「……睨んで……いません。……愛して……いる……から……」
(愛しているから、一秒も目を離したくないの……!)
「……ひっ! ……監視、ってことだね!? ……わ、分かったよ! 全部食べるから、その包丁(の手つき)をしまってくれ!」
シリウスは、必死に、そして涙目でお粥を完食した。
「大成功です、シャリー様! 王子、完食ですよ! 完・食!」
ララが影からガッツポーズを作る。
シャリーは、空になったお椀を見つめ、初めて少しだけ、報われたような気持ちになった。
しかし、シリウスの心拍数は、お粥の栄養ではなく、命の危機感によって最高潮に達していた。
「……次は。……もっと。……美味しいものを。……つくりますわ」
「……ひいいいっ! 継続的な給餌宣告だーーー!」
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