悪役令嬢は断罪される前に、既に攻略済ですわ。

恋の箱庭

文字の大きさ
1 / 28

1

しおりを挟む
「ちょっと、そこの貴女。止まりなさい」


華やかな夜会の会場に、私の鋭い声が響き渡った。


周囲の貴族たちがビクリと肩を揺らし、一斉にこちらに注目する。
その視線の先には、真っ白なドレスに身を包んだ、いかにも「守ってあげたくなるヒロイン」といった風貌の少女、クララ・シュークリーム男爵令嬢がいた。


彼女は小刻みに震えながら、手に持っていたグラスを落としそうになっている。


(ああ、もう。見ていられないわ)


私は扇をバサリと閉じ、ヒールの音を高く鳴らしながら彼女へと歩み寄った。


「ひ、ひいっ! ミ、ミルフィー・ラングドシャ公爵令嬢様……!」


クララが涙目で私を見上げる。
その潤んだ瞳、震える唇。
世間の殿方なら今すぐ抱きしめたくなるような可憐さだが、私の目には別のものが映っていた。


「貴女、自分が今どんなに恥ずかしい姿をしているか分かっているの?」


私は彼女の目の前で立ち止まり、グイと顔を近づけた。


「は、はい! 申し訳ありません、私のような身分がこのような場に……」


「違うわよ、このバカ娘。鼻の頭に、ソースがついているわ」


私は懐から取り出したシルクのハンカチを、彼女の鼻筋に力任せに押し当てた。


「むぐっ!? ひゃ、ひゃい?」


「じっとしていなさい。さっき配られた一口サイズのカナッペを食べたでしょう。よりによって、一番目立つバルサミコソースを付けるなんて。貴女、今日は自分を売りに来たのではないの? そんな顔では、殿方ではなくハエが寄ってくるわよ」


ゴシゴシと、公爵家令嬢にあるまじき力加減で彼女の鼻を拭く。
クララの鼻の頭が少し赤くなったが、黒い汚れは綺麗に消えた。


「……ふん。これでマシになったわ」


私はハンカチを彼女の手の中に押し付けた。


「あ、ありがとうございます……! あの、このハンカチ、洗ってお返しします!」


「結構よ、差し上げるわ。そんな安物のドレスを着ている貴女には、せめて小物だけでも一流のものが必要でしょう。それから、その猫背。公爵令嬢である私の前に立つなら、せめて背筋くらい伸ばしなさいな。見苦しいわよ」


私はわざとらしくフンと鼻を鳴らした。


「……っ! はい、お姉様!」


「誰がお姉様よ。……まあいいわ。あっちのテーブルにある冷製スープ、あれは飲みやすいから、次はそっちにしなさい。パンを千切る時は、カスを散らさないように。分かった?」


「はい! 丁寧に教えてくださってありがとうございます! ミルフィー様って、本当にお優しいんですね……!」


クララがパアァと花が咲いたような笑顔を浮かべた。
その真っ直ぐな視線に、私は思わず目を逸らす。


(何なの、この子。嫌味を言っているのに、どうしてそんなにキラキラした目で見るのよ)


周囲の野次馬たちは、「公爵令嬢が男爵令嬢をいじめている」という構図を期待していたようだが、予想外の展開に戸惑っている。


だが、そこに空気の読めない「正義の味方」が現れた。


「そこまでだ、ミルフィー! これ以上、クララをいじめるのは私が許さない!」


会場の入り口から、金髪をなびかせた男が颯爽と歩いてくる。
私の婚約者であり、この国の第一王子、レオン・ド・チョコラータだ。


(出たわね。本日一番の面倒くさい人)


レオン王子は、私の横を通り過ぎる際にわざとらしく肩をぶつけ、クララの肩を抱き寄せた。


「大丈夫かい、クララ。この悪女に何をされていたんだ?」


「えっ? あ、あの、レオン様? ミルフィー様は私に……」


「言わなくていい。彼女の恐ろしさは私が一番よく知っている。ミルフィー、君には失望したよ。婚約者の私がいる前で、これほどまでに残酷な振る舞いをするとは!」


王子が指をビシッと私に突きつける。


「……残酷、ですか?」


私はわざと首を傾げて見せた。


「そうだ! 彼女の鼻をあんなに赤くして……! これは立派な暴力だ!」


「レオン様、それは違います! これはミルフィー様が私の汚れを……!」


「いいんだ、クララ。君は優しすぎる。彼女のような毒婦にまで気を遣わなくていい」


王子の陶酔しきった表情に、私は溜息が出そうになるのを必死で堪えた。
この人は、自分が「可哀想な令嬢を守る白馬の王子様」を演じている今の状況に酔いしれているだけなのだ。


「レオン殿下。私は彼女に、社交界の最低限のマナーを教えていただけですわ。それとも、私の婚約者である貴方は、鼻にソースを付けたままの女性を王宮に招くのがお好みで?」


「……くっ、相変わらず口が減らない女だ。君のような心の冷たい女が、我がチョコラータ家の王妃になれると思うなよ!」


「それは、ご忠告ありがとうございます。では、私は失礼いたしますわ。……エクレア、行きましょう」


私は背後に控えていた侍女、エクレアに合図を送った。


「かしこまりました、お嬢様」


エクレアは無表情のまま一礼し、私の後を追う。
会場を後にする際、クララが「お姉様ー! ありがとうございましたー!」と大きく手を振っているのが見えたが、私は聞こえないフリをして馬車に乗り込んだ。


馬車の扉が閉まると同時に、私は豪華なクッションに深く背を預けた。


「……疲れたわ。何なのよ、あの王子。人の話を聞かない選手権があったら、間違いなく建国以来のチャンピオンね」


「お疲れ様でした、お嬢様。今日も見事な『悪役っぷり』でございました」


エクレアが冷めた紅茶を出しながら、淡々と告げる。


「エクレア、貴女もそう思う? 私はただ、あの子が恥をかかないように教えただけなのに」


「世間一般では、公爵令嬢が男爵令嬢の鼻をハンカチで力一杯こするのは、教育ではなく『制裁』と呼びます。お嬢様の顔立ちが派手なのも災いしておりますね」


「顔立ちは生まれつきよ、失礼ね」


私は窓の外を流れる夜の街並みを眺めた。


「でも、あの子……クララだっけ? あの子だけは、私の意図を分かってくれているみたいだけど」


「そこが一番の懸念材料です。あのクララ様という方は、少々……いえ、かなり『おめでたい』性格をされているようです。お嬢様の厳しい言葉を、すべてポジティブな応援歌か何かに変換して受け取っている節がございます」


「……嘘でしょう?」


「先ほど、お嬢様が去った後、彼女は王子にこう言っていました。『お姉様は照れ屋さんなんです!』と」


私は飲もうとしていた紅茶を吹き出しそうになった。


「誰が照れ屋さんよ! 私は、ラングドシャ公爵家の格を保つために……!」


「はいはい。そうやってあの子のために、わざわざ最高級の薬草入りのハンカチを用意していたことも、内緒にしておきますね」


「……余計なことは言わなくていいのよ」


私は赤くなった頬を隠すように、扇を広げた。


(婚約破棄、か)


レオン王子のあの目は、本気で私を排除しようとしている。
公爵家としてのメンツはあるけれど、正直なところ、あのナルシスト王子との結婚なんてこちらから願い下げだ。


(問題は、あの子よね……。あんなに隙だらけで、この魔窟のような社交界を渡っていけるのかしら)


私は、すでに次の「嫌がらせ(教育)」のメニューを頭の中で組み立て始めていた。


これが、私と彼女……後に「マブダチ」と呼ばれることになる、運命の出会いだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

公爵令嬢の辿る道

ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。 家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。 それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。 これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。 ※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。 追記  六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。

【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!

ぽんちゃん
恋愛
 ――仕事で疲れて会えない。  十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。  記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。  そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?

処理中です...