悪役令嬢は断罪される前に、既に攻略済ですわ。

恋の箱庭

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王立学園のバラ園は、今日も今日とて平和だった。


色とりどりのバラが咲き誇り、甘い香りが漂う優雅な放課後。
私はティーセットを広げ、エクレアに淹れさせた最高級の紅茶を嗜んでいた。


「お嬢様。あちらをご覧になりますか?」


エクレアが指差した先。
そこには、全力疾走でこちらへ向かってくる「桃色の物体」があった。


「ミルフィーお姉様ぁぁぁー!」


……クララ・シュークリームである。
彼女はひらひらしたドレスの裾をこれでもかと振り乱し、必死な形相で走ってくる。


「……止まりなさいと言ったはずよ、あの子。淑女が人前で全速力なんて」


私が呆れ果ててカップを置いた、その瞬間だった。


「あ、うわっ!?」


何もない平坦な場所で、クララが見事なまでに宙を舞った。
スローモーションのように彼女の体が傾き、そして……。


ズサーッ!!


「……あだだだだ……。鼻、打ったですぅ……」


地面と熱い抱擁を交わした彼女は、泥だらけになってひっくり返っていた。


「…………」


「お嬢様、あれが噂の『ヒロイン』という生き物でしょうか。獲物を仕留めた後のトカゲのような動きですね」


「エクレア、例えが悪すぎるわよ。……おい、貴女。いつまで地面と添い寝しているつもり?」


私は立ち上がり、倒れているクララを見下ろした。


「うう、ミルフィー様……。足が、足がもつれて……」


「もつれるような長さの足でもないでしょうに。見なさい、その無様な姿。ドレスは泥まみれ、髪には枯れ葉がついているわ。これでは淑女ではなく、森から降りてきた迷子の小動物よ」


私はわざとらしくため息をつき、彼女の前に跪いた。


「ひゃ、ひゃい! すみません、私、本当にドジで……」


「謝る暇があるなら立ちなさい。エクレア、水とタオルを。このままだと学園の景観を損ねるわ」


私は差し出されたタオルを奪い取ると、クララの頬についた泥を乱暴に、しかし丁寧に拭い去った。


「ひゃぅっ。あ、ありがとうございますぅ……。ミルフィー様って、いつも私を助けてくださいますよね」


「勘違いしないで。公爵令嬢である私の視界に、そんな汚れたものが入り込むのが我慢ならないだけよ。ほら、立ちなさい。しゃきっと!」


私は彼女の腕を掴み、無理やり立たせた。
だが、クララは立ち上がった瞬間にまたグラリとよろめいた。


「あ、あれ……?」


「……貴女、歩き方がおかしいわね。重心が後ろにかかりすぎているのよ。もっと腹筋に力を入れなさい。それから、その爪先! 内股すぎるわ。だから自分の足に引っかかるのよ」


「そ、そうなんですか!? 私、今まで誰にもそんなこと教えてもらえなくて……!」


クララが目を輝かせる。
私はその無防備な表情に毒気を抜かれそうになり、慌てて声を荒らげた。


「当たり前でしょう! こんな初歩的なこと、貴族の娘なら家庭教師に徹底的に叩き込まれるはずだわ。男爵家はどういう教育をしているの?」


「あはは……。うちは貧乏で、家庭教師なんて呼べなくて。教科書を読んで独学でした!」


「…………」


公爵令嬢の常識からすれば、それは信じがたい事実だった。
この、あまりにも無知で、しかし真っ直ぐな少女。
放置しておけば、明日には階段から転げ落ちて首の骨を折っていそうだ。


「……仕方ないわね。エクレア、厚めの本を持ってきなさい」


「はい、お嬢様。ちょうどこちらに『法典・改訂版』がございます。約三キロです」


「重すぎるわよ! ……まあ、いいわ。それを貸して」


私は受け取った分厚い本を、クララの頭の上にドスンと乗せた。


「へぶっ!? な、なんですか、これ!」


「いい? 今から私の前を十歩、歩きなさい。本を落としたら、貴女を私の『マブダチ候補』から永久に除名するわ」


「えっ!? い、今、マブダチって言いました!? 私とお友達になってくれるんですか!?」


「うるさいわね! 早く歩きなさい! 本を落としたら死罪よ!」


「はい! お姉様! 私、頑張ります!」


クララは本を頭に乗せたまま、生まれたての小鹿のような足取りで一歩を踏み出した。


「そう、背筋を伸ばして。視線は前。……違うわ、顎を上げすぎ! 首を長く見せるのよ!」


「こ、こうですか!?」


「声を出さない! 優雅に、水面を滑る白鳥のように!」


バラ園の真ん中で、公爵令嬢が男爵令嬢に猛特訓を施す。
客観的に見れば、それはまさに「意地の悪い令嬢が無理難題を押し付けている」図そのものだった。


「……ミルフィー! また君か!」


案の定、そこに黄金のナルシスト……もとい、レオン王子が乱入してきた。


「何の騒ぎだ! クララ、君の頭にそんな重そうな本を乗せて……! ミルフィー、君は彼女を奴隷か何かだと思っているのか!?」


王子が駆け寄り、クララの頭から本をひったくろうとする。


「ああっ! 殿下、ダメです! 今いいところなんです!」


「えっ? いいところ?」


レオン王子が固まった。


「ミルフィー様が、私のために特別レッスンをしてくださっているんです! 私を立派な淑女に育ててくださるって……! 見てください、今の私、ちょっと綺麗に歩けてませんでしたか!?」


クララが鼻息荒く詰め寄ると、王子はたじたじとなって後退りした。


「……い、いや、しかし。彼女の目は、明らかに獲物をいたぶる蛇のそれだったぞ?」


「蛇じゃないです! 情熱の炎です! 殿下、邪魔しないでください!」


「邪魔……? 私が、邪魔……?」


王子がショックを受けたように胸を押さえる。
私はその横を通り過ぎ、クララに向かって言い放った。


「集中力が切れたわね。今日はここまでよ。明日もこの時間にここへ来なさい。遅刻したら、次は法典を二冊にするわ」


「はい! ありがとうございます、ミルフィー様! 大好きです!」


クララが大きく手を振るのを背中で受けながら、私はエクレアと共にその場を去った。


「お嬢様。今、完全に『鬼教官』の顔をされていましたよ」


「うるさいわね。あの子があまりにもひどいから、ボランティアで矯正してあげているだけよ」


「ボランティア……。お嬢様のその優しさ、いつか王子に命を狙われる原因になりそうで心配です」


「……フン、やってみればいいわ。その時は、あの王子の頭に法典を十冊乗せて歩かせてやるから」


私は高笑いを上げながら、心の中で確信していた。
あのクララという少女は、私が思っている以上に「手強い」ヒロインだということを。
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