悪役令嬢は断罪される前に、既に攻略済ですわ。

恋の箱庭

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「……は、はい? いま、何とおっしゃいましたか、クララ嬢」


レオン王子が、差し出した手を空中で彷徨わせたまま、マヌケな声を漏らした。
会場を包む静寂が、あまりにも深すぎて、遠くでシャンパンの泡が弾ける音まで聞こえてきそうだ。


「ですから、嫌です! と言ったんです! 私、お姉様との婚約を破棄するような殿下とは、婚約なんて絶対いたしません!」


クララはドレスの裾を強く握りしめ、レオン王子をキッと睨みつけた。
その背中は小刻みに震えているけれど、彼女の瞳には強い決意が宿っている。


(……ちょっと、クララ! 貴女、何を言っているの!?)


私は扇の陰で、必死に彼女へ目配せを送った。
ここで貴女が「はい、喜んで!」と言えば、私は晴れて自由の身。
公爵家の莫大な慰謝料を懐に、領地でイケメン騎士を侍らせて悠々自適の隠居生活が送れるというのに!


「ま、待ちなさい、クララ。落ち着いて。君は今、混乱しているんだ。この毒婦……ミルフィーに、何か恐ろしい脅しを受けているんだろう?」


レオン王子が、必死に自分のシナリオを修復しようと詰め寄る。


「脅しじゃありません! 愛のムチです! お姉様は、私の鼻についたソースを拭いてくださったし、私のひどい歩き方を直してくださったし、テストのために夜通し勉強を見てくださったんです!」


「そ、それは……! それは君を支配するための洗脳の一環だ!」


「洗脳でスコーンが美味しくなるわけありません! レオン様こそ、お姉様の何を知っているんですか! 殿下がお姉様にしてきたことなんて、文句を言うか、鏡を見て自分の顔を自画自賛するか、どっちかじゃないですか!」


「……ぐっ、事実だが、それを今この場で言う必要はないだろう!」


王子がうろたえる。
周囲の貴族たちが「……確かに、王子は自分の話ばかりしていたな」「公爵令嬢が勉強を見ていたのか?」と、ひそひそと囁き始めた。


(まずいわ……このままじゃ、私の『悪役令嬢』としてのブランディングが崩壊してしまう!)


私は慌てて、わざとらしい高笑いを上げた。


「おーっほっほっほ! クララ、貴女、何を勘違いしていますの? 私は貴女を助けたわけではなく、ただ私の視界に『汚いもの』や『無知なもの』が入るのが我慢ならなかっただけですわ!」


私は彼女を突き放すように、冷たい声を放った。


「殿下、お聞きになって? 彼女はただの世間知らず。婚約破棄の申し出、私は謹んでお受けいたしますわ。さあ、今すぐサインを!」


私はエクレアに目配せをし、あらかじめ用意させていた「婚約解消合意書」をスッと取り出させた。


「お嬢様、こちらにペンも用意しております。インクは最高級の、二度と消えないタイプでございます」


エクレアの仕事の早さに感謝しつつ、私は王子に書類を突きつけた。


「さあ、殿下! 男に二言はありませんわよね? 私のような毒婦との縁が切れるのです、これほど喜ばしいことはないでしょう?」


「……え、あ、ああ。もちろんだ! 君のような女、こちらから願い下げだ!」


王子が少し気圧されながらも、ペンを手に取ろうとした。
その時、クララが再び叫んだ。


「ダメです! お姉様、そんな悲しいこと言わないでください! 私は知っています、お姉様が夜、私のために勉強の資料を作って、目の下にクマを作っていたことを!」


「……っ! それは……ただの寝不足よ!」


「嘘です! 侍女のエクレアさんから聞きました! 『お嬢様はツンが九割でデレが一割ですが、その一割はすべてクララ様に向けて放出されています』って!」


私は、ギギギ……と錆びついた人形のような動きで、隣に立つエクレアを睨みつけた。


「……エクレア。貴女、後で裏庭へ来なさい」


「お嬢様、嘘はついておりません。事実をありのままに伝えたまでです」


エクレアは無表情のまま、スッと視線を逸らした。
会場の空気は、もはや「断罪」ではなく「痴話喧嘩の仲裁」のような、生温かいものへと変わりつつあった。


「……ミルフィー、君。そんなに私のことが……嫌いだったのか?」


レオン王子が、なぜか少しショックを受けたような顔で私を見た。
……そこ、傷つくポイントなの?


「嫌いとかそういう次元ではなく、興味がございませんの。さあ、殿下。早くサインを。早くしないと、私の自由時間が減ってしまいますわ!」


「じ、自由時間だと? 婚約を破棄されて絶望に打ちひしがれる姿を見せないのか!」


「そんな暇があるなら、新しい新作のドレスでも買いに行きますわ。さあ、早く!」


私は王子の手を無理やり掴み、書類の上にペンを叩きつけた。


「……わ、分かった! 書けばいいんだろう、書けば! 後で泣いて謝っても、もう遅いからな!」


ガリガリと、王子がサインを書き込む。
その瞬間、私の心の中でファンファーレが鳴り響いた。


(勝ったわ! ついに、自由よ!!)


しかし、私の喜びも束の間。
サインを終えた王子が、今度は不敵な笑みを浮かべてこう言った。


「だが、クララ! 君を私の妃に迎えるという宣言は撤回しない! ミルフィーを追い出せば、君を邪魔する者はいなくなるのだからな!」


「ですから、私は……!」


「いいえ、殿下。それも無理な話ですわ」


私は、合意書の隅に書かれた「小さな追記」を王子に指し示した。


「……何だ、これは? 『なお、ミルフィー・ラングドシャの保有する全ての不動産および資産、ならびに彼女が教育を施した人物の優先交渉権は、公爵家が保持するものとする』……?」


「そうです。つまり、私の教育を受けたクララは、現在『ラングドシャ公爵家の専属教育課程』の管理下にあります。彼女を王妃にするには、公爵家に対し、国家予算三百年分に相当する違約金が発生いたしますわ」


「……は?」


王子の顔から血の気が引いていく。
クララは、よく分からないけれど「さすがはお姉様!」という顔で私を見上げている。


断罪パーティーは、当初の予定を大きく外れ、誰もが予想しなかった混沌の渦へと突入していった。
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