悪役令嬢、婚約破棄に即答する、この王子〇〇すぎて私が悪女に見えるだけでは?

恋の箱庭

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ワルツの旋律が流れる中、サイラスとチェルシーはフロアの中央に立った。

サイラスがチェルシーの腰に手を回し、チェルシーがその肩に手を置く。

その瞬間、二人の間に「接続(コネクト)」が確立された。


「……行けるか、チェルシー」


「問題ありません、閣下。床の摩擦係数は〇・四。ヒールの高さは七センチ。重心移動の計算は完了しています」


「よし。……開始(スタート)だ」


音楽の第一小節に合わせて、二人は同時に動き出した。

滑るように優雅で、それでいて一ミリのズレもない完璧なステップ。

通常のカップルなら「イチ、ニ、サン」とリズムを取るところだが、彼らの脳内処理は次元が違った。


「右旋回、角度四十五度。角速度ω(オメガ)を維持」


「御意。遠心力に対する姿勢制御、補正完了。……閣下、次のターンでステップ幅を三センチ拡張してください。他ペアとの接触リスクを回避します」


「了解(ラジャー)。……回避行動、実行」


ザッ、ザッ、クルッ。

二人の動きは、ダンスというよりは「精密機械の連携動作」だった。

サイラスがリードし、チェルシーがそれに〇・〇一秒の遅延もなく追従する。

互いの目を見つめ合い、顔を近づけて囁き合うその姿は、端から見れば「愛の言葉を交わす熱烈な恋人たち」そのものだ。


「……おお、見ろ。なんて情熱的なダンスだ」
「視線が絡み合って離れないわ……」
「宰相閣下、あんなに熱い目で夫人に何を囁いているのかしら?」


周囲の貴族たちは、頬を染めて噂し合う。

だが、実際に囁かれている内容はこれだ。


「……チェルシー。明日の隣国との関税交渉だが、小麦の輸入枠を二〇%拡大する案についてどう思う?」


「反対です。国内農家の保護が先決です。輸入枠拡大よりも、農業補助金の配分見直しを提案します。……ターン、逆回転入ります」


「なるほど。補助金か。……いい案だ。採用しよう。予算案の修正を頼む」


「承知しました。……今のステップ、軸が〇・五度ブレましたよ。疲労の蓄積ですか?」


「いや、君に見惚れて集中力が乱れただけだ」


「……非合理的な理由です(照)。減点一」


甘い雰囲気(に見える空間)の中で、国の経済政策が決定されていく。

あまりの高速回転と複雑なステップに、周囲のペアたちは恐れをなして道を空けた。

フロアは実質、二人だけの独壇場(ステージ)となっていた。


一方、その様子を歯ぎしりしながら見ていたのが、エリオット王子である。


「くそっ! なんだあいつらは! 見せつけやがって!」


「すごーい! お姉様たち、コマみたいに回ってますよぉ!」


ミナが無邪気に拍手する。

エリオットは対抗心を燃え上がらせた。


「ミナ! 俺たちも行くぞ! あんなロボットのようなダンスより、俺たちの愛のダンスの方が美しいことを証明してやる!」


「はいっ! 私、特訓しましたから!」


エリオットはミナの手を引き、強引にフロアに飛び込んだ。

目指すはサイラスたちの隣。

あえて近くで踊り、格の違いを見せつける作戦だ。


「よし、ミナ! あいつらが三回転なら、俺たちは五回転だ! 回るぞ!」


「えっ、五回!? 目が回っちゃいますぅ!」


「愛の力があれば三半規管など超越できる! いけぇぇぇ!」


エリオットはミナを思い切り回した。

だが、彼らは忘れていた。

物理法則は、愛では捻じ曲げられないことを。


「きゃああああ!」


遠心力に耐えきれず、ミナの手がエリオットの手からすっぽ抜けた。

ミナはピンク色の弾丸となり、フロアを横切って飛んでいく。


「あ」


エリオットが間の抜けた声を上げた時、ミナは給仕が運んでいた料理ワゴンに激突した。


ガシャーン! バシャン!


「ふぎゃっ!」


スープまみれになり、生クリームを頭から被ったミナが床に転がる。

会場が静まり返った。


「ミ、ミナぁぁぁぁ!」


エリオットが駆け寄ろうとするが、慌てすぎて自分の足がもつれ、派手に転倒。

ズザーッという音と共に滑り込み、ミナの横で止まった。

まさに、体当たりのギャグ漫画のような展開である。


その騒ぎを横目に、サイラスとチェルシーは涼しい顔でダンスを続けていた。


「……衝突事故発生。被害甚大ですね」


「ああ。だが、我々の軌道上には影響ない。……無視して続行する」


「合理的です」


音楽がクライマックス(サビ)に入る。

サイラスが合図を送った。


「来るぞ、チェルシー。最後のリフトだ」


「準備完了。跳躍角六十度、推力最大」


サイラスがチェルシーの腰を高く持ち上げる。

チェルシーは重力を無視したかのようにふわりと舞い上がり、空中で美しい弧を描いた。

ドレスの裾が花のように開き、その瞬間、彼女は本当に空を飛んでいるようだった。


「……美しい」


誰かが呟いた。

エリオットたちの騒動など忘れ去られるほどの、圧倒的な美技。

チェルシーは音もなく着地し、サイラスの腕の中に収まった。

音楽がジャン、と終わる。

完璧なフィニッシュ(着地)。

乱れたのは呼吸ではなく、周囲の観客の心拍数だけだった。


ワァァァァァ……!

割れんばかりの拍手が巻き起こる。


「ブラーボー! 素晴らしい!」
「なんて完璧な調和だ!」
「これぞ理想の夫婦像!」


称賛の嵐の中、サイラスはチェルシーの耳元で囁いた。


「……お疲れ様、チェルシー。心拍数一二〇、発汗量微小。……ナイスパフォーマンスだ」


「ありがとうございます、閣下。貴方のサポート(筋力)のお陰で、滞空時間が〇・三秒伸びました。……悪くない効率(ダンス)でした」


チェルシーも小さく微笑む。

二人は優雅に一礼し、拍手喝采の中を退場した。


その背後で、スープまみれのミナと、それを抱き起こそうとして滑って転び続けているエリオット王子の姿は、誰の目にも入っていなかった。

これが、後に「建国記念日の伝説」として語り継がれることになる、『氷と鉄のダンス』である。


会場を出て、バルコニーに出た二人。

夜風が火照った体を冷やしてくれる。


「……さて。これで私の『マーキング』も完了だな」


サイラスがニヤリと笑う。


「マーキング? ああ、あのダンスのことですか。確かに、あれほどの高難易度技を見せつけられれば、他の男性は萎縮してダンスを申し込めないでしょう」


「そういう意味もある。だが……」


サイラスはチェルシーの手を取り、自分のジャケットのポケットに入れた。


「これで、君と私の『呼吸』が誰よりも合っていることが証明された。言葉などいらない。君の次の動きが手に取るようにわかる。……最高の気分だ」


「……同期率一〇〇%でしたからね」


チェルシーはポケットの中のサイラスの手を握り返した。

その手は大きく、温かい。

効率や論理だけではない、何か確かな「安心感」がそこにはあった。


「……ねえ、サイラス」


「ん?」


チェルシーは夜空を見上げて呟いた。


「今のダンス……楽しかった、と言ったら、非合理的でしょうか?」


サイラスは目を見開き、そして優しく破顔した。


「いいや。……『楽しい』は、人生において最も効率的なエネルギー源だ。……私も楽しかったよ、チェルシー」


二人は月明かりの下、今度こそ誰にも見せるためではない、静かで甘い時間を共有した。

もちろん、その数分後には「さて、明日の筋肉痛予防のためにストレッチを行いましょう」とチェルシーが言い出し、ロマンチックな雰囲気は霧散するのだが。
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