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三章 還鶴玄楼と狼の贄王子

休暇と釣果

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 玄国について羽は断片的にしか知らない。なんでも広い草原が広がり、山に囲まれ閉ざされた辰国とは全く違った文化と歴史を辿っていると聞く。大きな違いといえば、彼らは家を定めない。羊や馬を飼いならし、それらとともに移動して暮らしている。辰国とは幾度か戦をしているけれど、最後に起きたのがもう80年以上も昔の事で、人々の間からはその当時の気風は消えている。その大きな原因が、玄国のある特殊な統治方法だ。
 彼らは辰国のように一人の王を定めない。七大部族それぞれが同等の権限を持ち、定期的に開かれる大部族会議《クリルタイ》という名の合同会議の場によって、それぞれの部族の領土や人口の増減、作物の出来や品物や貨幣の流通などを報告しあう。七大部族の中で議長を務める部族はそれぞれ持ち回りのため、辰国に戦を持ちかけた部族はもう議長ではなくなったため、戦の責任が霧散した、ということだ。
「家がころころ変わるって変な話だよな~」
 家にある玄国に関する書物を片っ端から広げながら羽はつぶやいた。自室に戻ってきて、寝台の上に寝転んでは本を広げていく。殿中では明日から開かれる歓待の宴の準備に追われている。羽も何か手伝う事はないかと言ってはいるのだが、相変わらず宴には出してもらえず、こうして家に戻ってきてる。
「大叔父上からの便りも絶えがちだけれど、元気でやっているそうだし」
 あれから大叔父は謹慎処分を受け、遠くの別邸に移っている。父はというとあれこれ大叔父のおこしかけたことに対して火消しを行っているようで、不在がちだ。
「兄上、また本ですか?」
「あそんでー!」
「うわっ!? 哲!? 休!」
 背中に二つ分の体重をかけられ羽は呻いた。哲も休も稽古をしているのだが、羽ほど真剣に離れない様子で、教育係が毎度毎度嘆いている。まだ10つと8つだから遊びたい盛りだろう。
(俺の時は有無も言わさず稽古をさせてたのにな)
 それ以外ないのだと、自分にも言い聞かせてきた。毎日遊んでいられる弟たちが羨ましいかと問われると、それも違う気がする。羽は寝台に腰かけて重しになっていた弟たちをどかした。
「哲、休。お前達はいつになったらでかくなったことに気づくんだ? 父上に同じことをしていないだろうな」
「父上は家にいないもん。兄上が帰ってきてくれたから兄上と遊びたい」
「父上より、兄上に遊んでほしい!」
「はぁ……」
 遊ぶと言ったって、何がある。めぼしいものはほとんど殿中の部屋に置いてきてしまったし、囲碁盤くらいなら家のどこかにあるだろう。
「俺じゃなくて子牙兄ちゃんに遊んでもらったらいいじゃないか」
 その問いかけに二人はちょっと困った表情を浮かべて互いに目配せした。
「子牙さんはいつも忙しいから……それに」
「それに?」
 いい澱んだ哲の顔をのぞき込むと、何でもない、と笑った。そういえば、弟たちと子牙との間には妙な溝がある。従兄なのだから、実のきょうだいのように接してもいいだろうに、どこか他人行儀だ。
(多分年のせいだろうな。それに、こいつらが生まれた時にはもう子牙兄ちゃんは殿中で働いてたもんな)
 短い期間とはいえ、一緒に遊んだ記憶のある実の兄と、生まれた時からもう働いている従兄なら、親近感は兄の方にあるのだろう。
「兄上、塾の先生が仰っていましたが、玄国は戦を仕掛けに来るのですか?」
 深刻な表情を浮かべた下の弟に羽は吹きだしてしまった。
「そんなことないだろう。詳しくは知らないけれど、玄国には辰国を攻められない理由があるらしいんだ」
 玄国がやってくると聞き、何度も殿中でそんな話を聞いた。噂話を真に受けるとは何事か、と父に怒られそうだけれど。
「どんな理由ですか?」
「大方黒陵将軍絡みだろう。あの方は以前の大部族会議での決定に不服を唱えて部族から追放されてここに来たって話だし」
「どんな決定だったの?」
「知るわけないだろう。大部族会議は内々で開かれているんだ。部外者の俺が知っている事なんてその程度さ」
 その事も明英から聞かされた。それくらい大部族会議の内容は機密事項らしい。
「ま、堅苦しい事は忘れて何して遊ぼうぜ。つりなら蔵からびくと竿を持ってこないとな」
「わーい!」
「兄上と遊ぶ! 兄上と遊ぶ!!」
 はしゃいで部屋を出て行く弟たちを見送ると、羽はやれやれと立ち上がった。久々に家に戻ってきたらこれだ。羽は蔵からびくと竿を持って家の回廊を渡っていく。すると、背後から声が聞こえてきた。
「お待ちなさい、羽」
 凛とした冬の気配をまとった声に羽は身を震わせた。ゆっくりと振り返ると、侍女を連れ回廊を渡ってくる母がいた。
「母上」
「明日から宴でしょう。弟たちの面倒は家の者に任せてお前は殿中に戻りなさい」
 不在がちな父の代わりに家の事を一手に担う母らしい言葉だった。
「母上、私はまだ宴に出られる実力はないのだと思います」
「だからと言って、家に戻ってきたら同じ事でしょう。あの蛮族にわたし達の楽が理解できるとは思えませんけれど」
「母上、私が妻に迎える娘をお忘れですか?」
 間、髪を入れない言葉だった。自分でも言った言葉の意味が分からないくらいだった。それくらい、自然に口から出てきた。息子の反応に母は深くため息をついた。
「………。あの娘は辰国に連れてきて、辰国の者になっています。そのような屁理屈を言うものではありません。あなたは正統後継者でしょう。周家の者としての自覚を持ちなさい」
「宴に出られずとも、他の周家の者達の指揮を執ることぐらいはできます」
「それならば、すぐに殿中に戻りなさい」
 そう言って母は羽を通り越して行ってしまう。
「母上も昔はあんな風ではなかったんだけどな」
 羽は頭を軽く掻いて、町へと出て行く。弟たちが菓子を買えとせがむので焼き菓子を一つ買い与えて都の用水路に続く道を歩く。都には火事に備えていくつかの人工池がある。自然の川はあることにはあるけれど、都の端に流れていて、しかも深いため、弟たちには向かないだろう。自分が子どもの頃は内緒で出かけたことはあったけれど、今は弟たちを見ていないといけないので、用水路に放たれたふな辺りをつかまえるのが一番いい。
「おや、周家の御曹司じゃないか」
「あ、ぼっちゃんだー! ぼっちゃーん!」
「あ、あの時の」
 羽に声をかけてきた人は、羽がまだ策の家の居候をしていた時に手習いをしにやってきた男の子とその親だった。
「坊ちゃん、お家に帰っちゃったんだってね。先生が言ってたの」
「曹符先生はお元気ですか?」
「元気も元気ですよ。この間も奥方に黙って書物を買い込んだことがばれて怒鳴られてましたよ」
 あっけらかんと笑う父親に、男の子がうんうんと大げさにうなずいてみせた。
「嶺先生を怒らせることしかしないんだよね。先生」
「それは思い当たる節しかないですね」
(あれから、会ってないな……)
 周羽が殿試に受かって、楽士になったことは嶺を通じて知っているだろう。でも、それ以降の事は知らないだろう。
(俺がいったら逃げるし……。感謝くらい言わせろよ)
「兄上、この方たちは?」
「あ、哲。この人達は……俺の知り合いだよ。挨拶」
 そう言われ、弟たちは軽く会釈をする。
「早く行こう、兄上」
「あ、ああ」
「先生は坊ちゃんの事気にしてるんだよ。嶺先生に聞いた」
「そうなんだ」
「うん! またねー」
 男の子に手を振り、羽は弟たちと歩きだした。町中に見慣れない装束の人が混ざっていることに気が付いた。玄国の首元がつまっていて、裾がすぼまっている服装だ。使者についてきた従者なのだろうか。彼らは軒並み背が高く、頭一つ分抜けているから分かりやすい。従者らしきものの一人が休のすぐ近くを通り抜ける際、ぎゅっと休が羽の袖にしがみついた。
「兄上、怖い」
「休。別に相手は熊じゃないんだから。何もしなきゃ大丈夫だって」
 ポンポンと弟の頭を撫でてやり、羽は家から一番近い人口池にやってきた。基本的に人工池には近づかないようになっているが、ここは人の出入りが激しいところということもあり、よく手入れがされている。水の中に入る以外はできるようになっている。
「兄上、大物を狙いますよ!」
「いったな! こないだ逃がして大べそかいた奴が!」
「羽兄上! 哲兄上! がんばってー!」
 休の応援のもと、日が暮れるまで釣りを楽しんだ。その日はふなが3匹という何とも微妙な釣果だった。

 ――― 曹家別邸。嶺と策が住む家に青年が一人訪れた。
「で、平兄上はなんと?」
「お前が決めなさいと」
 酒を前にしても二人は一口も呑まずにそのままになっている。策は腕を組み、青年に同情するような表情を浮かべた。
「平兄上が一番俺達の中で考えが読めないからなぁ」
(あなたが一番わかりづらいのだけれどなぁ)
 そういうつっこみを飲み込んで青年は口を開いた。
は、もう潮時なのかもしれません」
「どちらにせよ、あちらの思惑がはっきりしないうちは下手に動かないことだ。八大部族が代理人を立てたとはいえ全員いるんだ。下手に動けばお前、最悪死ぬぞ」
「いいんです。俺よりも、羽がこの事を知ったら………」
 はっ、と策が息をつくと、からからと笑った。ひとしきり笑いきると、策はうなずいた。
「あいつは間違いなく次期当主の器だよ。まぁ、見てな。お守をする時期は終わったんだってな」
 そういうと、初めて策は酒を呑んだ。そして、目の前にいる青年、子牙にも注いだ。
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