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三章 還鶴玄楼と狼の贄王子

黒の兄弟

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「ちょうどいいころ合いだし、ここらで終わるか」
 釣ったふなをびくに入れ、羽は弟たちに声をかける。日も大分傾いていて、そろそろ家に戻らないと母の機嫌が悪くなってしまうだろう。それに、弟たちに暗い道を歩かせるわけにはいかない。
「はーい」
「もうちょっと遊びたかったなー」
「まぁ、また休みの日には一緒に遊んでやるよ」
 そう言いつつも、羽は次の休みはいつだろうかと思い浮かべた。どう考えても、今回の使者を歓迎する宴は1日では終わらないだろう。準備だけで何日も費やしたのだ。
 羽は市場へと戻ってくると、人々の岐路に混ざっていく。弟たちがはぐれないように時折振り返る。
(そういや、ここに来るのも久しぶりだったな)
 ふと、周策の家へと続く脇道の前を横切った。1年前は何もかもが嫌になりかけた。でも、そこで得たものはまだここに残っている。家に行こうかと思い、羽は足を止めた。
「俺は……」
 手に入れないといけないものが生まれた。後戻りなんて、もうできない。
「おい、お前」
「はい?」
 家へと歩みを始めようとしたとたん、背後から呼び止められた。20を少し超えたくらいの男が腕を組んでこちらを睨みつけている。玄国の服を着て、右側のびんの髪を伸ばし、三つ編みにしている。目じりが上がり、睨み付けている顔は威圧感で押しつぶされそうだ。
「どちらさまですか?」
「お前が周家の御曹司だな」
「え、ええ。そうですけど――――――」
 もしかすると、明英の知り合いだろうか。明英の家の位置を教えてほしい、というなら分かるが、不機嫌な顔で睨み付けながら問うことだろうか。
「お前が周羽かぁあああ―――――!!」
 急に身をかがめたかと思えば、男は怒声を上げながらこちらにつかみかかろうと走ってくるではないか。羽はいきなりの事に気が動転してしまった。
(は? え?)
 目の前の男は今にも羽に殴りかかろうとしているようだった。分かっていても、避けられない!
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「謝っても許さねぇぞ!!!」
「わああああ!??」
 頭を抱えて羽がしゃがみ、どすんと何かと何かがぶつかる音が聞こえ、羽は歯を食いしばった。いきなり殴りかかられるようなことをした覚えないけれど、羽は恐る恐る目を開けてみる。すると、眼前には鋭い白刃があるではないか。実戦で使われているような鋭い槍が羽の足元に突き刺さり、夕日を反射している。
(何が起こったんだ?) 
 場合によってはあの白刃は羽にあたっていたかもしれない、と思ったところで羽の顔から血の気が引いた。一方で、弟たちにあたらなくてよかったと、ため息をつこうとして、顔を上げた。羽の目の前に玄国の少年が立っている。刃先の根元のあたりを足で踏んで止めている。
「た、助けてくれたのか……?」
「まぁね。ここに居るときは争いは起こさない様にって言われているからね」
「あ、ありがとう」
 礼には及ばないさ、と少年は少しだけ表情を和らげる。真顔に戻ると、男に視線を戻した。
「あのさ、あきらかに武人じゃない奴に武器を使うなんて、おじい様が聞いたら説教だと思うよ。黒雷」
「黙れ! こいつには言いたいことが山ほどあるんだよ!!!」
「言いたいことがあれば屋敷ですればいいだろ。僕が止めなかったら、こいつ死んでただろ。争いごとはしてはならないって、黄花姫様にも言われてただろ」
「こいつの肩を持つのかよ! 黒雲!」
 まだ怒りが収まっていない男が槍を構えたまま、槍を足で止めた少年を怒鳴りつける。少年の方は羽とあまり変わらないように見えた。黒雲と呼ばれた少年は顎のあたりで髪を切りそろえ、首元に筒状の襟巻をしている。
「だからって急に命を狙うとか、黒狼族の今までの苦労を水泡に帰したいのかい、兄上。次期黒狼族族長にして、玄国将軍劉黒雷」
「ちっ! 命拾いしたな!」
 盛大に舌打ちした男は槍を肩に担いだ。行く人々も3人の成り行きが気になる様子で、わらわらと集まってきている。その人々にも黒雷と呼ばれた男は気にさわるようで、ぎりっとにらみつける。
「失せろ! これは見せものじゃねぇ!!」
 そう言われ、人々はびくりと身を震わせると、一目散に足を速めていく。
「あの、俺……それに、劉って……」
 劉、とはっきり聞こえた。明英の親族だろう。明英の親族なら、明英から何か聞いているに違いない。族長、とも聞こえた。
(族長なら、もっと品があるかと思ってたけど)
「お前、今失礼なこと考えただろ。首が惜しくねぇのかよ」
「!!??」
「はぁ。この馬鹿は置いておいて、立ちなよ。周羽殿。僕は劉黒雲。姉が迷惑をかけて申し訳ありません」
「姉?」
 一歩下がり、横目で黒雷をけん制しながら黒雲が手を合わせる辰国風のあいさつをする。
「劉明英が弟、劉黒雲です。そして、先程御曹司に危害を加えようとした馬鹿は劉黒雷。明英の兄です」
「弟、兄?」
「はい、そうですよ。御曹司」
 言われてみれば、黒髪の癖の付き方や目つきのわる……否、力強さは似通っているように感じる。
「あの、お兄さん???」
「はぁ?」
「ひぃっ!?」
「お前に兄なんて呼ばれる気はねぇよ。虫唾が走る」
「放って大丈夫ですよ。御曹司、あそこにいるのは弟たちでしょうか?」
「あ、ああ」
 哲と休が民家の影で手を繋いでこちらの様子を窺っている。どの場面から見たかは彼らの表情から何となく察せられる。町の往来でいきなり兄が殺されかかったら、一歩も動けないだろう。
「あ、兄上……」
「生きてる?」
「なんとかな。怖かったろ。悪かったな」
「幼子に恐怖を植え付けるなんて、最低な奴だな」
 ぐすぐすと泣いている弟たちを見た黒雲が黒雷を睨んだ。
「んだと、黒雲。いい加減兄に対する礼儀をただしてもらおうか!」
「だったら、その前に敬えるほどの功績と、人格を身に着けてもらおうか。器が小さい兄など敬う価値があるとでも?」
「ほぉ、ずいぶん口が達者になったな。辰国に置き去りにしてやろうか」
「へぇ、僕にあの山は一人で越えられないって?」
 互いににらみ合い、一歩も動かない兄弟に羽は蚊帳の外に投げ出されたというのに、逃げようという気すら起こらなかった。
「羽!」
「っ!!」
「お前には言いたいことは一つだけだ」
「……」
「返事!」
「はい!」
「あいつの夢を返せ!」
「?????」
 いきなりの事で、羽は何が何だか分からなくなってしまった。あいつとは、夢とは? 固まってしまった羽を弟たちが頬を引っ張って反応を見始めた。きょとんとした羽に黒雷は掴みかかった。胸倉をつかまれ、軽く宙に浮く。
「俺はお前を赦さねえ! たとえおじい様が認めても、黄花姫が見逃しても! 俺は……俺だけは!」
「お兄さまっ!!!」
 激昂した黒雷に割って入ったのは、明英だった。
「屋敷の者がお兄さまたちが市場にいったと聞いて、呼びに来たら……。羽になんてことを!」
「め、明英……」
「お兄さま! 手を放してくださいませ! 黒狼族があらくれ者だという印象を辰国の民に植え付けたいのですか? ただでさえ、黒狼族は他の部族より上背があるのだから!」
 どしゃ、と羽は荷物のように落とされた。明英の姿を認めた黒雷の表情は明らかに変わっている。狼狽えながら、明英と羽を交互に指さしている。
「だ、だって。明英ちゃんの許嫁だなんて、兄ちゃん初めて知ったし。市場で見かけたらこんなので……」
「こんなのとはなんです! おじい様に認められたんですよ!」
「お、おじい様はもうお歳だから、きっと騙されてる……そうだ! 明英ちゃん、お願いだから兄ちゃんと一緒に帰ろう? ずっと他国に連れてこられて閉じ込められて、帰りたいだろ?」
 何が起こっているんだ、と何度呟いただろう。黒雷の表情が明らかに緩んでいて、明英を明英”ちゃん”なんて言っている。弟とは全く違う口調になっている。
「閉じ込められてるなんて、感じたことないわ」
「そう、そう? でも、辰国では生きづらいだろう。千亥だって、あんなにがりがりで……」
「あぁもう! お兄さま、帰りますよ! そちらの方もご一緒に!」
 そちらの方、とは黒雲の事だ。羽ははっと気づいて、明英に言う。
「待ってくれよ、明英。こっちの黒雲はお前の……」
「こんばんは姉さん。いや、、姉さん」
「もしかして、あなたが黒雲?」
「そうだよ。じゃあ、戻ろうか、姉さん」
 淡々という黒雲にはどこか”それ以上言うな”という妙な圧を感じた。
「そうね。お兄さま! 行きますよ!」
「あ、あぁ。変な奴に絡まれたら、兄ちゃんが半殺しにするから!」
「それは結構ですわ!」
 豹変した黒雷を連れて明英が歩いていく。その後を黒雲がついて行こうとして、足を止めた。
「言っとくけど、これからがあんたの分かれ道だからね」
「え?」
「戦だって、言っているんだよ」
 そういうなり、ふいっと黒雷は二人の後を追っていく。取り残された周羽たち三人は夢から覚めるまで、黒の兄弟の背中を見つめていた。
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