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十四
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これで終わったのだろうか。
男の尋常ではない苦しみ方は、確かに背中が急所であったことを証明していた。
何かを“断ち切った”手応えもあった。
……一歩、
倒れている男に近づいた。
その次の瞬間、
「―――っ!」
突然、右手の刀が震え出した。
躱せ、と刀が言っている。
慌てて飛び退くと、足下から俺を絡め取ろうと無数の白い糸が飛び出してきた。
男は気を失っているのか、床に横たわったまま動いていない。
つまりこれは、あの男からの攻撃じゃない。
「……やっぱり何か潜んでいたか」
執拗に追ってくる糸の束を斬り払う。
「最初から不思議に思っていたんだ」
絶え間ない、豪雨じみた糸の舞。
全てを斬り裂き、振り払う。
「その男は襲い掛かってきたときから、ずっと“殺せ”だの“壊せ”だの変な言い回しだったんだ。でも普通、そこは“殺す”や“壊す”って言うもんだろ」
刀に巻きつこうとする最後の糸を、刃を引いて斬り落とし、空いた空間へと跳躍した。
すると俺を捉えられないと判断したのか、糸はターゲットを男に切り替えた。
そこからは一瞬の出来事だった。
完全に気を失っているのか、倒れたまま動かない男に群がった糸が瞬く間に男を包み込み繭のような形状になると、溶けるように“床の中”へと引きずり込んでいった。
* * *
「ピヨン、無事か?」
「こっちはなんとか」
用心を怠らないように周囲に気を配りつつ声をかけると、物陰から恐る恐るピヨンが出てきた。
「……終わった、のよね?」
「まだ安心と決まったわけじゃないだろうけど。どうだ、ピヨンは何か感じるか?」
しばらく目をつむって何かを探るようにしていたピヨンが、首を横に振った。
「ううん、あたいは何も。近くにプシュケーがいる感じもないわ」
「ならとりあえずは大丈夫ってことだろう」
安心したのか、自分で口に出した途端にドッと疲れが押し寄せて来た。
ピヨンも同様だったのだろう、ふたりで力尽きた様にペタンと床に座り込んだ。
ハア~っとピヨンが大きなため息を吐く。
「もうほんっと冷や冷やしっぱなしよ。プシュケーもそうだし、さっきの男にしたって一体なんだってのよ。自分で言うのもなんだけど、ちょっと危険が危なすぎるわ」
そうだね、と葛城が苦笑いした。
「それはそうと、ソーがあの男をやっつけた後に出て来た糸みたいなのは一体なんだったのかしら。あたい、色々なプシュケーを見てきたつもりだけど、あんなのは初めて見たわ」
「ピヨンに分からないんじゃ、俺にはさっぱりだ」
葛城が肩をすくめる。
「ただ……」
「ただ、なに?」
「なんて言うのか、あの糸からは意志みたいなものを感じたんだ」
「意志? 何か目的があるって事?」
セレニティでは見た目はそれほど重要ではない。現にマネキンが動いているくらいなのだから、糸が動いたとしてもなんの不思議もない。
ただし明確な意志や目的があるかというと話は別になる。
なぜならピヨンの知っているプシュケーは、ことごとくが殺意や破壊衝動という本能でのみ行動していたからだ。
「目的かどうかは分からないけど、俺の事を殺そうとしてた感じじゃなかったんだよな」
ふうん、とピヨンが面白そうに尋ねた。
「よく分かるのね、そんなこと。……ソーって不思議よね、もしかしてエスパーだったりして」
「違う違う。こいつがなんとなくそんな風に教えてくれるんだ」
葛城が刀をピヨンに見せた。
刃紋が淡い光を放っている。
ピヨンが眉をひそめて凝視する。
「そういえば、いつの間にそんなの持ってたのよ。刀ってやつでしょ。それ?」
「それが俺も無我夢中だったからよく覚えてないんだ。ただお前がやられそうになった時、助けなきゃって思ったらいつの間にか手に持ってたって感じでさ」
「あたいの為に?」
「そんなところだ。もうひとりにさせないって約束したからな」
「……そっか。ありがとね、ソー、助けてくれて」
「それはお互いさまだ」
ピヨンの頭をわしゃわしゃと撫でると、彼女は気持ちよさそうに目を細めてコテンと葛城に寄り掛かった。
「なんにせよ、今日はもう限界ね。探索は今度にして、今日のところは戻って休みましょう」
「賛成だ。実のところ、もう一度戦ってくれって言われても体が動きそうにない」
ピヨンが拾っておいた葛城の携帯を渡す。
葛城は言われた通りにアプリを起動した。
これからはこのアプリを使えば、自由にセレニティと行き来ができるらしい。
「でもこっちに来るときは必ず安全な場所を選ばないとダメだからね。下手をしたらプシュケーたちのど真ん中に出るなんて羽目にもなりかねないから」
「分かった、気をつけよう。ピヨンはどうするんだ? 俺と一緒に来るか?」
「そうしたいけど、残念ながらあたいはソーの世界には行けないんだ。だからこっちで待ってる」
「ひとりで大丈夫か? 危険だろ?」
「そこは安心して。ソーが向こうに行ってる間は、ソーの携帯の中にいるから安全よ」
「分かった」
そしてアプリを起動していざ帰ろうとしたとき、「ちょっと待って」と、ピヨンが葛城を制止した。
「どうした?」
「ねえ、あそこに何か落ちてない?」
「どこだ?」
「ほら、あそこ」
ピヨンが指したのは丁度、男が繭になって消えたところだった。
向かってみると、小さな手帳のようなものが落ちていた。
開いて中身を確認すると、どうやら星光学院の学生手帳のようだ。
氏名、生年月日、学年と続いて、顔写真がついていた。
「何それ」
「学生手帳だな」
「学生手帳? ちょっとあたいにも見せなさいよ。……んっしょっと。えーっと? ……ってソー、この写真……」
葛城の肩によじ登ったピヨンが、手帳の写真を見て眉を曇らせた。
「襲ってきたあの男だ」
「じゃあなに? あいつ学生だったの?」
写真に写っている男は凛々しくも穏やかな顔つきで、体格も襲ってきたときのような上半身が歪に肥大した体形ではなかったが、それでも間違いなく同一人物だ。
ただそれ以上に気になったのは、この手帳の持ち主の“名前”だった。
星光学院三年C組……鷹匠明弘。
それは星光日影町駅に俺を迎えに来るはずだった人の名前だった。
男の尋常ではない苦しみ方は、確かに背中が急所であったことを証明していた。
何かを“断ち切った”手応えもあった。
……一歩、
倒れている男に近づいた。
その次の瞬間、
「―――っ!」
突然、右手の刀が震え出した。
躱せ、と刀が言っている。
慌てて飛び退くと、足下から俺を絡め取ろうと無数の白い糸が飛び出してきた。
男は気を失っているのか、床に横たわったまま動いていない。
つまりこれは、あの男からの攻撃じゃない。
「……やっぱり何か潜んでいたか」
執拗に追ってくる糸の束を斬り払う。
「最初から不思議に思っていたんだ」
絶え間ない、豪雨じみた糸の舞。
全てを斬り裂き、振り払う。
「その男は襲い掛かってきたときから、ずっと“殺せ”だの“壊せ”だの変な言い回しだったんだ。でも普通、そこは“殺す”や“壊す”って言うもんだろ」
刀に巻きつこうとする最後の糸を、刃を引いて斬り落とし、空いた空間へと跳躍した。
すると俺を捉えられないと判断したのか、糸はターゲットを男に切り替えた。
そこからは一瞬の出来事だった。
完全に気を失っているのか、倒れたまま動かない男に群がった糸が瞬く間に男を包み込み繭のような形状になると、溶けるように“床の中”へと引きずり込んでいった。
* * *
「ピヨン、無事か?」
「こっちはなんとか」
用心を怠らないように周囲に気を配りつつ声をかけると、物陰から恐る恐るピヨンが出てきた。
「……終わった、のよね?」
「まだ安心と決まったわけじゃないだろうけど。どうだ、ピヨンは何か感じるか?」
しばらく目をつむって何かを探るようにしていたピヨンが、首を横に振った。
「ううん、あたいは何も。近くにプシュケーがいる感じもないわ」
「ならとりあえずは大丈夫ってことだろう」
安心したのか、自分で口に出した途端にドッと疲れが押し寄せて来た。
ピヨンも同様だったのだろう、ふたりで力尽きた様にペタンと床に座り込んだ。
ハア~っとピヨンが大きなため息を吐く。
「もうほんっと冷や冷やしっぱなしよ。プシュケーもそうだし、さっきの男にしたって一体なんだってのよ。自分で言うのもなんだけど、ちょっと危険が危なすぎるわ」
そうだね、と葛城が苦笑いした。
「それはそうと、ソーがあの男をやっつけた後に出て来た糸みたいなのは一体なんだったのかしら。あたい、色々なプシュケーを見てきたつもりだけど、あんなのは初めて見たわ」
「ピヨンに分からないんじゃ、俺にはさっぱりだ」
葛城が肩をすくめる。
「ただ……」
「ただ、なに?」
「なんて言うのか、あの糸からは意志みたいなものを感じたんだ」
「意志? 何か目的があるって事?」
セレニティでは見た目はそれほど重要ではない。現にマネキンが動いているくらいなのだから、糸が動いたとしてもなんの不思議もない。
ただし明確な意志や目的があるかというと話は別になる。
なぜならピヨンの知っているプシュケーは、ことごとくが殺意や破壊衝動という本能でのみ行動していたからだ。
「目的かどうかは分からないけど、俺の事を殺そうとしてた感じじゃなかったんだよな」
ふうん、とピヨンが面白そうに尋ねた。
「よく分かるのね、そんなこと。……ソーって不思議よね、もしかしてエスパーだったりして」
「違う違う。こいつがなんとなくそんな風に教えてくれるんだ」
葛城が刀をピヨンに見せた。
刃紋が淡い光を放っている。
ピヨンが眉をひそめて凝視する。
「そういえば、いつの間にそんなの持ってたのよ。刀ってやつでしょ。それ?」
「それが俺も無我夢中だったからよく覚えてないんだ。ただお前がやられそうになった時、助けなきゃって思ったらいつの間にか手に持ってたって感じでさ」
「あたいの為に?」
「そんなところだ。もうひとりにさせないって約束したからな」
「……そっか。ありがとね、ソー、助けてくれて」
「それはお互いさまだ」
ピヨンの頭をわしゃわしゃと撫でると、彼女は気持ちよさそうに目を細めてコテンと葛城に寄り掛かった。
「なんにせよ、今日はもう限界ね。探索は今度にして、今日のところは戻って休みましょう」
「賛成だ。実のところ、もう一度戦ってくれって言われても体が動きそうにない」
ピヨンが拾っておいた葛城の携帯を渡す。
葛城は言われた通りにアプリを起動した。
これからはこのアプリを使えば、自由にセレニティと行き来ができるらしい。
「でもこっちに来るときは必ず安全な場所を選ばないとダメだからね。下手をしたらプシュケーたちのど真ん中に出るなんて羽目にもなりかねないから」
「分かった、気をつけよう。ピヨンはどうするんだ? 俺と一緒に来るか?」
「そうしたいけど、残念ながらあたいはソーの世界には行けないんだ。だからこっちで待ってる」
「ひとりで大丈夫か? 危険だろ?」
「そこは安心して。ソーが向こうに行ってる間は、ソーの携帯の中にいるから安全よ」
「分かった」
そしてアプリを起動していざ帰ろうとしたとき、「ちょっと待って」と、ピヨンが葛城を制止した。
「どうした?」
「ねえ、あそこに何か落ちてない?」
「どこだ?」
「ほら、あそこ」
ピヨンが指したのは丁度、男が繭になって消えたところだった。
向かってみると、小さな手帳のようなものが落ちていた。
開いて中身を確認すると、どうやら星光学院の学生手帳のようだ。
氏名、生年月日、学年と続いて、顔写真がついていた。
「何それ」
「学生手帳だな」
「学生手帳? ちょっとあたいにも見せなさいよ。……んっしょっと。えーっと? ……ってソー、この写真……」
葛城の肩によじ登ったピヨンが、手帳の写真を見て眉を曇らせた。
「襲ってきたあの男だ」
「じゃあなに? あいつ学生だったの?」
写真に写っている男は凛々しくも穏やかな顔つきで、体格も襲ってきたときのような上半身が歪に肥大した体形ではなかったが、それでも間違いなく同一人物だ。
ただそれ以上に気になったのは、この手帳の持ち主の“名前”だった。
星光学院三年C組……鷹匠明弘。
それは星光日影町駅に俺を迎えに来るはずだった人の名前だった。
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