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悠木 旭

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 新戌亥駅は内陸本土と海を埋め立てて造られた臨海地区を繋ぐ、玄関口としての役割を持つ駅だ。
 元々”特定重要港湾”として物流、旅客輸送、各種港湾施設の整備が円滑に行われるよう、私鉄、国鉄など沿線の乗り入れが活発だったところに星光学院の学院施設やそれ以外にもスポーツスタジアム、美術館、博物館、催事場、テレビ局、複合高層電波塔など、多くの施設が混在する臨海地区が出来たことで、より一層発展の度合いを加速させた。
 そんな新戌亥駅に降り立った葛城を最初に出迎えたのは、流れてくる潮の香りだった。

「そうか、海が近いから」
 どこか甘ったるいような、砂と潮と太陽の香りをふんだんに吸い込んだ暖かい風が頬を掠めて通り過ぎてゆく。
 んーっと、胸いっぱいに潮風を吸い込んで吐き出す。
 山育ちの葛城にとって、海に面した土地の空気というものはことさら新鮮に感じられるのだ。
 残念ながら今いる構内から海を望むことは出来ないが、まあ、焦らずともこれからいくらでも見る機会はあるだろうと、葛城はボストンバッグを背負いなおし、改札に向けて歩き出した。

「うっわ…………なんだこれ」
 星光学院線の乗り場へと向かうべくホームからエスカレーターで上って、自動改札を抜けた葛城の目に飛び込んできたのは、人、人、人……そして人だった。
 新戌亥駅構内は想像を絶する人の波に溢れていた。
 葛城は往来に圧倒されて、ため息と共に立ち止まった。
 
「さすが都会、千件町とは比べ物にならないな」
 いやまったく、どこにこれだけの人がいたのかと不思議になる。
 八剱村に一番近い、通称“街”と呼ばれていた千件町……といっても電車で小一時間ほどかかるのだが……には葛城も何度も出向いたことはあったが、それでも新戌亥とはあまりにも規模が違いすぎた。
 八剱村が雨で道にできた小さな水たまりだとするなら、千件町は池、新戌亥は湖か海といった印象だ。

 葛城が新戌亥駅を訪れるのは、今回で二回目になる。
 前回訪れたのはいまから三ヶ月ほど前。今年初めに行われた星光学院の入学試験の時だ。
 その時は新戌亥駅に隣接するホテルに宿泊したのだが、今と違って翌日に入学試験が控えていたり、初めての大都会に来たことだったりと、極度の不安と緊張で周りを見渡す心の余裕がなかった。
 ただタジタジとホテルに入ったきり、以降、何をしていたかもよく思い出せない。
 今にして思えば、よくそんな状態で入学試験に合格できたものだ。

 改めてこうして見渡してみると、何もかもがこれまで自分が暮らしてきた世界と異なっているのがわかる。
 一面ガラス張りのオシャレな喫茶店やチョコレートやクッキーを扱う菓子の店、和食、洋食、惣菜などを取り扱う店から本屋、ブティック、ヘアーサロンまで数多くの店が駅ビル内に所せましと軒を連ねている。
 あの日はまったく目に入らなかったが、葛城には目新しいものばかりで、ついつい足が止まってしまい、なかなか先に進めない。
 折角都会に出てきたのだし、もっといろいろな所を見て周りたい、そんな欲求が頭をもたげてくる。
 時間が許すなら自由気ままに散策してみたいところだったが、腕時計で時刻を確認した葛城は、後ろ髪をひかれつつも今回は諦めることにした。
 というのも、葛城の到着にあわせて星光日影町駅に三日月寮からの迎えの人が来てくれる手筈になっていたからだ。
 待ち合わせは十五時。葛城の時計では十四時をまもなくまわろうかというところだった。
 星光日影町駅は新戌亥駅から星光学院線で四駅、およそ十五分で到着する。
 それでもまだ四十分ちかく猶予はあるが、慣れない土地では何があるか分からない。ここは余裕をもって行動するべきだろう。
 それに海と同様、焦らずともこれからいくらでも時間を作って見学する機会はあるはずだ。

 そうして先を急ごうとした葛城のジャケットの内ポケットで、何かが揺れた。
 村から出るにあたって必要になると、両親が持たせてくれた携帯電話だった。
 ポケットから取り出して液晶画面を確認する。
 と言っても、この携帯の番号を知っているのは実家の家族と、連絡先を伝えておいた三日月寮の人だけなのだから、当然、かけてきたのもどちらかに決まっている……と、思ったのだが、

「……ん?」
 画面に表示されていたのは『非通知』の文字だった。
 誰からだろう、と胸中でつぶやいている間もコールは途切れず続いている。葛城は一寸悩んだ末に、タッチパネルの応答を押した。

「はい、葛城です。……もしもし。…………もしもし?」
 電話の向こうは無音だった。
 その後数回に渡って呼びかけても、やはり相手からの応答はなく、しばらくして唐突にブツっと切れた。
 きっと間違い電話なのだろうが、それにしてももう少し応対の仕方というか、せめて「間違えました」の一言くらいあってもいいだろうに。
 憮然としながら携帯をポケットにしまった―――その時だった。
 葛城は足下に異変を感じた。
 妙な振動。それは列車が走ることで伝わってくる揺れとは明らかに異なっていた。

「……もしかして揺れてる?」
「う、うん……」
 丁度の葛城の正面で、自分と同年代らしき二人組の女子が立ち止まって何事か話し始めた。
 ふたりの女子たちの間におびえたような空気が漂うのを感じた。
 葛城自身、そのときにはハッキリと不穏な鳴動を体感できた。
 ―――まさにその瞬間だった。
 ガンッとでも聞こえてきそうなほど激しい地震が葛城を襲った。

「きゃあ―――っ!」
「―――っ!!」
 ふたりの少女のひとりが、体勢を崩して倒れかける。

(危ない―――っ!)
 そう思ったときにはすでに葛城の身体は動いていた。
 咄嗟にボストンバックを放りだして、転倒しかけた少女に腕を伸ばす。
 強い揺れは依然続いたままだったが、即座に反応したこともあって十分な態勢を維持することができた。
 女の子を抱きかかえ、身体を支える。
 葛城の腰にまわった少女の手が、きつく指を立てる。

「……あ……」
「大丈夫か?」
 山吹色のニットワンピースに頭をすっぽりと覆う大ぶりの帽子。眼鏡をかけた少女が、葛城を見上げてコクコクと頷く。
 しばらくして揺れは完全に収まった。
 それに反比例して、駅構内の人々の興奮は激しかった。

「君、どこか怪我は?」
 喧噪冷めやらぬ中、葛城は自分の胸に顔を埋めるようにして震えている少女に声をかけた。

「…………あ、あ、は……」
 眼鏡と大きな帽子のせいで表情が伺いづらい。
 それでも恐怖で顔色が蒼白になっていることは容易に想像できた。

「つ、椿っ!」
 動揺から回復したもうひとりの少女が、血相を変えて葛城たちに詰め寄ってきた。
 
「椿、大丈夫!? 怪我してない!?」
 黄色のシャツにジーンズのジャケットとショートパンツ、バスケットシューズ、茶髪でポニーテール……と見るからに活発そうな少女が、今にも泣きだしそうに帽子の少女に問いかける。
 帽子の少女がゆっくりと葛城から離れた。

「うん、平気。この人が助けてくれたから」
「そっかぁー、あぁ……よかったぁー……」
 心からホッとしたのか、ポニーテールの少女が深い安堵のため息を零す。

「それより咲希の方こそ大丈夫だった?」
「余裕も余裕! もうこのとおりピンピンしてるよ」
 ポニーテールの少女は、眼鏡の少女に元気よく笑ってみせてから、真面目な表情で葛城に向きなおった。
 そして清々しいほどの直立姿勢から「ビシッ!」と頭を下げた。

「あ、あのっ! どこのどなたか知らないけど、あたしの友達を助けてくれて本当にありがとうございましたっ!」
「別に気にしなくていい。当然のことをしただけだから」
「ほんとに、あたし、びっくりしちゃって咄嗟に動けなくって……ああもう、マジで情けないっス……」
「情けないなんて、そんなことはない。あんな地震じゃ誰だって驚いて当然だ。それでもこうして真っ先に友達のことを気遣うなんて、むしろ優しい人だなって思った」
「え、優しいって。あ……アハハ……」
 少女がサッと顔をそらす。心なしか、頬に朱が差しているようだ。

「そっ! それにしても最近多いッスよね、地震!」
 ごまかすように、ポニーテールの少女が早口に言う。

「地震、多いのか?」
「え、知らないんスか?」
「たったいま田舎からこっちについたばかりだから、この辺のことは全然知らないんだ」
「あーそうなんスか? いやほんと、最近多いんスよ、地震。っていっても、いまみたいに大きいのは流石に珍しいんだけどさ」
 葛城とポニーテールの少女が地震の話題で盛り上がっていると、それまで黙っていた帽子の少女がポニーテールの少女の袖を軽く引っ張って言った。

「咲希。そろそろ時間、まずいかも……」
「時間? あ!? あああっ! そうだった!! ごめんなさい、お兄さん、用事があったのすっかり忘れてた! 申し訳ないけどもう行かないと!」
「あの、あの……助けていただいて本当にありがとうございました」
 揃って頭を下げるふたりに、葛城は放り出したままになっていたボストンバックを背負いなおして答えた。

「いや、本当に気にしないでくれ。それより時間がないなら急いだ方がいい」
「はい。どうもありがとうございました」
「それじゃバイバイ、お兄さん」
 少女たちはもういちど丁寧に葛城に頭を下げると、足早に雑踏の中に消えていった。
 ふと周りを見回してみれば、すでに往来で足を止めている人など葛城以外誰もいなかった。

「……なんていうか。切り替えが早いんだな、こっちの人は」
成程「都会の人間はせわしない」と聞いてはいたけれど、たかだが地震なんかにいつまでも時間を潰しているわけにはいかないのだろう。
 もしかしたら、たったいまあれだけの地震があったことすら、記憶に残っていないのかもしれない……まさかとは思うけど。
 何事もなかったかのように歩いていく人々を見ていると、不思議とそんな風に感じてしまう。
 良く言えばドライ、悪く言えば無機質的、そういったところが八剱村と都会との間にある差のひとつなのかもしれない。
 それは決して他人事ではなく、これからは自分もこうした都会の空気に慣れていかねばならないのだろう。

「おっと、こんなことをしている場合じゃなかった」
 このままでは本当に待ち合わせに遅れかねない。
 葛城は心の隅に生まれた場違い感を胸に抱きつつ、往来豊かな雑踏に足を踏み入れた。


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