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国が揺らぐ
一橋慶喜
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一二月五日。この日、将軍後見職だった一橋慶喜が正式に一五代征夷大将軍に就任した。徳川幕府、最後の将軍である。すぐさま隊内でもその話が広まり、各々世情について語るものが増えた。もしかすればもうこの時点で、近藤から離れ伊東につこうと考えている人間がいたのかもしれない。その証拠に年が明けて、一八六七年慶応三年の六月一二日には何人もの隊士が脱局し、伊東の元へ行っている。しかし、新選組隊士の者が御陵衛士へ移籍することは許されておらず。結果的に一四日に切腹したり新選組によって放逐されたりする。
「もう慶喜さんが将軍か。時間は容赦無いね...。 」
千香は近頃、時勢のこととあれ以来藤堂に避けられているのが重なり、暇な時間は文机に突っ伏することが増えた。最初の頃と違って、隊士が食事を作るのを手伝ってくれるし、部屋だって以前より汚れることはなくなった。だから、仕事が幾分か楽にはなったけれど。こう気分が後ろ向きなときは、何かしていないとおかしくなってしまいそうになる。
「いかんいかん!今日も一日頑張らなね。 」
暗い気持ちを振り払い、昼餉の支度をするべく厨房へと向かった。
はて今日は何にしようか。めっきり寒くなってきたので、身体が温まる献立が良いだろう。千香は今日の賄い担当の隊士がまだ来ていないため、買っておいた食材をまな板に並べううむと唸った。
「ようし!しょうがようけつこうて、ぽかぽかになってもらお! 」
確か一七八九年に出版されたレシピ本の甘藷百珍に、さつまいもと生姜を使った衣かけ芋というものがあったはず。それならお腹も膨れるし、身体も温まって一石二鳥だ。
「さつまいもって、実は江戸時代初期に日本に来たんよね。それから薩摩藩で育てたけん、さつまいもって名前なんよね。...皆顔しかめんだろか。さつま、やし。ううん!こんなことまで気にしよったら、こっちの身が持たんよね。何か言よる人が居ったら、教えたげたら良えもんね。 」
たすきがけを済ませ、よしと気を引き締めたところで、丁度今日の賄い担当の隊士が来た。
「千香さん、すみません。遅くなってしまいました。 」
「あ...。今日は峻三さんなんですね。えんですよ。峻三さんもお勤めあるやろうし、気にせんで良えんですよ。手え、あろうてきて下さい。 」
「はい。 」
千香は峻三に手を洗いに行く様促した後、下準備を始めた。峻三が戻ってすぐ調理に取りかかれる様にするためだ。小麦粉と天ぷら油と生姜に、醤油と水を用意し、さつまいもと生姜を千切りにする。次に大きめの器に入れた小麦粉と水を混ぜ、醤油を入れ味付きの衣を作っていく。そこにさつまいもと生姜を入れ、油を鍋で温めていると、峻三が帰って来て申し訳なさそうに眉を下げた。
「すみません。全部、千香さんにやってもらってしもて...。 」
「えんですよ。私も何かしよらんと落ち着かんし。峻三さんは、お味噌汁お願いして良えですか?後早く終わったら、おひたしさんも作っといてもらえますか。 」
「分かりました。 」
峻三は手拭いで手を拭きながら、頷いた。早速だしをとって、具材を煮るべく野菜を切り始めて、その場がシンとなる。ふいに峻三は先程の千香の言葉を思い返した。何かしてないと落ち着かない。時勢のこともあるだろうが、やはり藤堂のことで悩んでいるのだろうか。そういえばあの日以来、千香と藤堂が話しているところを見かけていない。千香は溜め息が増えた様な気がするし、藤堂は千香にあの話をしていない。それどころか、話をするのを避ける様に以前より頻繁に伊東の講義に出ている様な...。
「っ!峻三さん!指切ってます! 」
「あ...。 」
ぼうっと考えながら包丁を扱っていると、ぽたりと音を立てて血が流れており。
「指切ってしもうたら、もう今日は包丁握らんほうが良えと思います。手当てしますので、座って待っとって下さい。道具取って来ます。 」
「はい...。 」
歳下のはずの千香の冷静な対応に、思わず敬語になってしまった。足音が遠ざかると、峻三は小さく溜め息を吐いた。
「千香さんには言えんなあ...。まあでも、これは二人の問題やし。私が関わることやない...よね。 」
曽孫の恋路の心配をする曾祖父など、これまでもこれからもなかなか居ないだろうなと、何とも言えない感情が峻三の胸中を占めていた。
「もう慶喜さんが将軍か。時間は容赦無いね...。 」
千香は近頃、時勢のこととあれ以来藤堂に避けられているのが重なり、暇な時間は文机に突っ伏することが増えた。最初の頃と違って、隊士が食事を作るのを手伝ってくれるし、部屋だって以前より汚れることはなくなった。だから、仕事が幾分か楽にはなったけれど。こう気分が後ろ向きなときは、何かしていないとおかしくなってしまいそうになる。
「いかんいかん!今日も一日頑張らなね。 」
暗い気持ちを振り払い、昼餉の支度をするべく厨房へと向かった。
はて今日は何にしようか。めっきり寒くなってきたので、身体が温まる献立が良いだろう。千香は今日の賄い担当の隊士がまだ来ていないため、買っておいた食材をまな板に並べううむと唸った。
「ようし!しょうがようけつこうて、ぽかぽかになってもらお! 」
確か一七八九年に出版されたレシピ本の甘藷百珍に、さつまいもと生姜を使った衣かけ芋というものがあったはず。それならお腹も膨れるし、身体も温まって一石二鳥だ。
「さつまいもって、実は江戸時代初期に日本に来たんよね。それから薩摩藩で育てたけん、さつまいもって名前なんよね。...皆顔しかめんだろか。さつま、やし。ううん!こんなことまで気にしよったら、こっちの身が持たんよね。何か言よる人が居ったら、教えたげたら良えもんね。 」
たすきがけを済ませ、よしと気を引き締めたところで、丁度今日の賄い担当の隊士が来た。
「千香さん、すみません。遅くなってしまいました。 」
「あ...。今日は峻三さんなんですね。えんですよ。峻三さんもお勤めあるやろうし、気にせんで良えんですよ。手え、あろうてきて下さい。 」
「はい。 」
千香は峻三に手を洗いに行く様促した後、下準備を始めた。峻三が戻ってすぐ調理に取りかかれる様にするためだ。小麦粉と天ぷら油と生姜に、醤油と水を用意し、さつまいもと生姜を千切りにする。次に大きめの器に入れた小麦粉と水を混ぜ、醤油を入れ味付きの衣を作っていく。そこにさつまいもと生姜を入れ、油を鍋で温めていると、峻三が帰って来て申し訳なさそうに眉を下げた。
「すみません。全部、千香さんにやってもらってしもて...。 」
「えんですよ。私も何かしよらんと落ち着かんし。峻三さんは、お味噌汁お願いして良えですか?後早く終わったら、おひたしさんも作っといてもらえますか。 」
「分かりました。 」
峻三は手拭いで手を拭きながら、頷いた。早速だしをとって、具材を煮るべく野菜を切り始めて、その場がシンとなる。ふいに峻三は先程の千香の言葉を思い返した。何かしてないと落ち着かない。時勢のこともあるだろうが、やはり藤堂のことで悩んでいるのだろうか。そういえばあの日以来、千香と藤堂が話しているところを見かけていない。千香は溜め息が増えた様な気がするし、藤堂は千香にあの話をしていない。それどころか、話をするのを避ける様に以前より頻繁に伊東の講義に出ている様な...。
「っ!峻三さん!指切ってます! 」
「あ...。 」
ぼうっと考えながら包丁を扱っていると、ぽたりと音を立てて血が流れており。
「指切ってしもうたら、もう今日は包丁握らんほうが良えと思います。手当てしますので、座って待っとって下さい。道具取って来ます。 」
「はい...。 」
歳下のはずの千香の冷静な対応に、思わず敬語になってしまった。足音が遠ざかると、峻三は小さく溜め息を吐いた。
「千香さんには言えんなあ...。まあでも、これは二人の問題やし。私が関わることやない...よね。 」
曽孫の恋路の心配をする曾祖父など、これまでもこれからもなかなか居ないだろうなと、何とも言えない感情が峻三の胸中を占めていた。
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