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十六、将軍頼家
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「お久しゅうござりまする」
大江広元と三善康信が平伏し、頭を下げた。声は決して大きくはなかったが、大蔵御所の大広間に響くように聞こえた。
大蔵御所は鶴岡八幡宮の東隣りに建つ。鎌倉に入部した頼朝は由比ノ若宮を遷御(せんぎょ)して鶴岡八幡宮を創建すると、自身の住む御所を定めた。最初は父義朝の源氏館を考えたが幕府の御所とするには狭過ぎる。そこで八幡宮の東、大蔵郷に新造することにした。広さは東西二・七町(約二九〇メートル)、南北二・三町(約二五〇メートル)。中小の土豪の館が一町四方、大豪族の惣領(そうりょう)家は二町四方であったから、東国武士のどの館よりも広い。御所の造営に伴い、御家人たちの館もあちこちで建てられた。御所の西の通りを挟んで三浦義村、南の通りに北条時政、若宮大路には和田義盛らの館の新築工事が進められた。そうして富士川の合戦に大勝した頼朝は、治承四年(一一八〇年)十二月十二日亥(い)の刻(午後十時頃)、大蔵御所に入る。十八間(けん・約三七・八メートル)の侍所に三一一名の武将が二列に座し頼朝を迎えたという。
二人の顔を頼家は黙って注視した。五十を少し越した広元は政所別当であり、六十に手が届いた康信は問注所執事を務めている。年も押し詰まったというのに幕府事務方の最高責任者二人が揃って顔を出したのだ。相当泡を食っているのは明らかだった。
挨拶もそこそこに、広元が言葉を続けた。
「この度の一件、何とぞ思い留まるよう願い上げまする」
「なぜだ」
「混乱が生じまする」
「一時(いっとき)のことではないか」
「中には不服を申し立てる者も出て参りましょう。不平不満は安定を揺るがす元凶となりますゆえ」
官吏として頼朝に仕えて来た広元は如才無い。つるりとした顔で縦のものを横にし、横のものを縦にすることが出来るほどの実力派だ。幕府の政務を実質切り盛りしている広元が首を縦に振らなければ、幕政は動かないと言っていい。その広元が待ったを掛けたのだ。事はすんなり運ばないということか、と頼家は少し不機嫌になった。
「一番の不服はお前たち、というわけか」
「いえ、決してそのようなことは」
「無い、と言い切れるか?」
広元は一瞬押し黙った。
代わって、康信が口を開いた。
「御家人たちの所領は、確かに多い者もおります。ですが、土地は御家人たちにとりましては命にも等しい。それを余分だからといって取り上げ、ましてや近侍に………」
康信は、頼家の脇に並んでいる近習たちに眼をやった。比企宗員(むねかず)・時員兄弟、小笠原長経、中野能成が康信を見返した。
「与えるというのは、いかがなものかと」
細野四郎は眼を落とし、それから頼家を見た。
正治二年(一二〇〇年)十二月二十八日、頼家は政所に備えてあった大田文(おおたぶみ)を取り寄せた。大田文とは国ごとに作成された土地台帳である。算術の得意な者に命じ御家人たちの所領の面積を計算させた頼家は、頼朝から与えられた所領が五百町歩を超える分は没収し、所領の無い近習に与えようとしたのである。一町は十段で、三千六百歩とされていた。現在で言えば約百アールに当たる。一アールは百平方メートルだから、五百町歩といえば五百万平方メートル、百五十万坪だ。かなりの広さになる。その分を超えた所領を没収したとしても、贅沢(ぜいたく)さえしなければ御家人は充分やっていけると判断したのだった。
大江広元と三善康信はあわてた。二人とも五百町歩を大幅に超える所領を持っている。二人だけではない。五百町歩を超す御家人は数多くいる。所領は、無いよりは多くある方がいい。もし戦いが起これば、戦費は湯水のように出て行くのだ。困窮するのは眼に見えている。それで、二人はすぐさま頼家に拝謁を求めたのだった。
「近習たちは無足だ。所領を持たない。奉公してくれているのに御恩をしないでは、上に立つ者の務めが果たせないだろう」
「所領は頼朝公から御家人たちが直接頂いたもの。それを取り上げられるというのは亡き頼朝公に対し申し開きが出来ません」
「父から貰った所領が最初から五百町歩を超える者もいれば………」
頼家は二人の顔をまじまじと見詰めた。
広元も康信も、さすがに顔色は変えなかった。
「その後、貰った所領以上に増えた者もいる。近習だけに与えるつもりは無い。御家人の中には窮々として暮らす者もいるだろう。多くを持つ者が少ない者に過ぎる分を分かつ。そのことのどこが悪い」
「いや、それは………」
「父は家臣となった上総介(かずさのすけ)広常を殺した後に、広常の支配下にあった武士に土地を与え直接の御家人とした。それに長経………」
頼家に促された小笠原長経は「はい」と頷き、頼家の言葉を受け継いだ。
「父加賀美遠光は頼朝公により甲斐源氏武田党から独立し、関東御分国の一つ信濃を与えられました。父は信濃守に、同じ武田党の安田義資(よしすけ)は越後守に任じられ、ともに『御門葉』として頼朝公のお側にお仕え致しましたが………」
長経が頼家に視線を送る。
頼家は頷いて、先を言わせた。
「ですが、後に義資殿は子の義定殿と共に頼朝公の命で討たれております」
頼家は、充分だと手で長経を制した。
「このように父は在来の豪族の勢力を減らし、その配下の者を自らの御家人として土地を与えた。だが、私は今の御家人たちの首をすげ替えると言っているのではない。せめて所領の無い者たちに余剰分を分け与えたらどうかと言っているのだ」
康信が「それにしても」と、口ごもりながら言った。
「あまりに事を急ぎなされますと」
「また乱暴だと言いたいのか?」
康信は口を閉ざした。
「あの時と同じだな。役所は土地が絡むと動きが取れん」
ちょうど七ヶ月前のことである。三善康信が大蔵御所に参上した。
康信は京都の廷臣で、頼朝が幕府を作る際、大江広元らと共に鎌倉に招き寄せた。以来、問注所を管轄し腕を奮っている。合議制の宿老の一人でもある康信が急に自分に会いに来たことが、頼家は腑(ふ)に落ちなかった。自分に取り入ろうとする気なのか。それとも合議制も一枚岩ではなく、流動的でまだ定まっていないということか。もし御家人同士が綱引きをし、その力関係の按配が康信をここに来させたのであれば、己の力を示すいい機会には違いない。頼家は、慎重に康信に眼を据えた。
康信は頭を下げ、上目遣いに頼家を見ている。薄くなった白髪を束ねた頭の頂上が、自分を値踏みしているように頼家には思われた。
「どういう風の吹き回しだ」
「こういう訴状が参っております」
康信は懐から折り畳んだ紙を取り出すと膝を進め、頼家にうやうやしく差し出した。
頼家は紙面に眼を通した。
「陸奥国の土地争いか」
「はい」
「こういうことは地頭が処理するものだろう」
「本来は問注所が取り扱わなければなりません。ですが、あまりの多さに対処し切れず、致し方なく地頭に裁決を委(ゆだ)ねておる次第です」
「それが、なぜ?」
「陸奥の惣地頭は畠山重忠殿。その重忠殿が裁決を辞退し、私の許(もと)に」
「理由は」
「葛岡郡の新(あら)熊野社の社領は朝廷と幕府との御祈祷所であるから、と」
境界線は正しく測量されているわけではない。また、川が氾濫したり土砂崩れなどで地形が変われば、それまでの目安が分からなくなることもある。土地の所有権は曖昧(あいまい)で、言い分も平行線をたどることが多い。各地でこうした土地争いが頻繁に起き、問注所はその処理に忙殺されていた。手が回り切らないために、幕府はほとんど地頭の采配に任せているのが実情だった。
畠山重忠が自分の一存で処理しなかったのは朝廷と幕府に対する遠慮であり、両者の立場を尊重したものだと頼家は感じ取った。一歩身を引き両者を立てることで、今後の幕府の在り方を問い掛けている。そう思った。
「畠山重忠か………」
頼家は、重忠の態度に感心した。こんな家臣が身近に欲しい、と心底思った。自分が真に「鎌倉殿」になるためには、重忠に応えることが出来るような裁量を下すことだ。そうすれば御家人も自分に付いて来る………。頼家は腹に力を込めた。
頼家は添えられていた絵図を自身の前に置くとしばらく眺めていたが、側にいた近習に命じた。
「筆を持て」
すぐさま硯と筆が用意され、頼家の前に置かれた。
頼家は筆に墨を含ませると、絵図にさっと線を引いた。
「あっ!」
康信も近習も、口から思わず声が洩れた。
「何をなされます!」
康信が両手を前に広げ、あわてて一つ、二つ膝を前に進めた。
「土地の広い狭いは、その者のその時の持つ運だ。本来ならば使者を遣わし実検すべきところ。だが、そのような暇も手間も掛けられないのだろう、問注所は」
「そ、それは、そうではありますが………。しかし、いかにもそれは………」
「いかにも、何だ」
「その、乱暴かと………」
「地頭任せにすれば、基準がまちまちになるのは当然だ。問注所がはっきり断じないから、次から次に訴えが出て来て頭を抱えることになる」
「土地はどこも同じということはございません。その土地の実態を知らなければ断も下しようが………」
康信の言い訳がましい言葉に、頼家は少し苛立って来た。
「土地をめぐっての争いは、どんな結果が出ても禍根が残る。中には武力で言い分を通そうとする輩(やから)が出て来てもおかしくはない。それではこれまでと何ら変わらないではないか」
言いながら、頼家は気が昂ぶって来たのを感じた。康信の薄い頭が妙に照るのも気に障る。官僚の役人仕事でものが動くか! 杓子定規(しゃくしじょうぎ)の約束ごとばかりに縛られて解決が図れるか!
一旦走り始めた昂ぶりを、頼家は抑え切れなかった。
「誰かが基準を決めねばならん。問注所が出来ないのならば、今後境界争いは自分がこのように成敗を下す。もし不服ならば、訴訟など起こすな!」
言い放って頼家は、絵図を康信に突き返し立ち上がった。
康信は苦虫を噛み潰した顔を頼家に向けた。それから、無造作に引かれた墨の線の残る絵図に眼を落とした。
康信の頭頂部がいっそう頼家の眼に焼き付く。七ヶ月前よりも薄くなりその分照りが増したな、と頼家は思った。
しばらく口を閉ざしていた大江広元が、「畏れながら」と言葉を切り出した。
「陸奥国の境界線のことは三善殿より聞いておりまする。問注所の不手際から頼家様にご負担を強いるようなことと相成りましたことは誠に申し訳なく、遺憾に存じおりまする。その件につきましては、政所も法を整え問注所と相計りながら進めておりますゆえ、何とぞご容赦賜りたい」
「あれはこちらに非がある。思慮が足りなかったと、今では反省している」
頼家は正直に謝った。確かに思慮が足りなかったのだ。頼家の即決は感性のおもむくままに下されたもので、考えを練り構築した上での裁決ではなかった。しかも、頼家の感性はまだ未熟だ。感性は、持って生まれたものにそれまでの様々の経験や知識を集合し磨き上げられるものだ。そうやって磨き上げられた優れた感性による即決は、正しい道を選ぶ場合が多い。頼家は自身の未熟な感性を知るべきだった。命を懸けて守ろうとする「一所懸命」の地に対する御家人の想いを知るべきだった。そうして、じっくり考えてから断を下さねばならなかった。畠山重忠の呆れた顔が眼に浮かび、頼家は悔しさと情けなさで眠れない数日を送ったのである。
「そう伺い、安堵致しました。ならばこの度のことも、今一度熟慮願えますまいか」
「どう熟慮せよ、と言うのか」
広元は静かに、諭すように頼家に言った。
「頼朝公の御家人に対する所領配分は、幕府創設に必要欠くべからざるものでござりました。平家打倒の旗印を掲げ頼朝公の傘下に入った者の中には、自分の利を図ることしか頭に無い者も多く、状況が変われば掌を返すかも知れません。頼朝公は真に自分の手足となるものを選別なされたのです。ですから、公自身の弟といえども追討なされた」
広元は源義経のことを言っている。頼朝は東国武士を掌握するのに全力を注いだ。一ノ谷の合戦直後、頼朝は後白河法皇に「我が家人に対する行賞においては、我れ計らい申すべく候」という一書を提出している。家臣に対する賞罰を決定する権限は朝廷ではなく頼朝自身が持つ、と宣言したのだ。ところが、義経は後白河法皇から検非違使(けびいし)兼左衛門少尉(さえもんのしょうじょう)に任じられ、これを受けた。さらに壇ノ浦の合戦の後では伊予守に任じられる。いずれも頼朝を無視し、頼朝の対抗馬として義経を起用しようと狙う法皇の策略だった。それにまんまと義経は乗ってしまったのである。頼朝は許すことが出来なかった。義経を許せば、東国武士の団結は崩れ去り、幕府設立も叶わない。頼朝の意に添うべく、広元は全国に義経追討のため守護を設置したのだった。
「頼朝公の為されようとしたことは、御家人の平均化とでも申せましょう。偏っていた豪族の勢力を削ぎ、直接仕える御家人に財政・兵力の分配をされたのですから」
頼家は頷いた。もっともだと思う。
「では五百町歩を超える分の分配も、父が為したと同様の平均化と言えるだろう」
広元は素直に肯定した。
「仰せの通りです。ですが………」
一旦、言葉が途切れた。
頼家は、嫌な気が胸の辺りに湧くのを覚えた。
「それで?」
広元が言葉を継いだ。
「ですが、今は豪族がしのぎを削る動乱期ではありません。幕府は成り、頼朝公の施政が行き届いておりまする」
「だから?」
嫌な気の色が濃くなる。
「もっともなお考えではありまするが、一朝一夕には運びません」
「なぜだ」
濃くなった気が広がり始めた。
「後々、面倒が起こりましょう。まず、法を設けなければなりません。法を設けるには時間が掛かりまする」
「他には」
広がった気が胸を息苦しくさせて来る。
「御家人たちの意見も聞かねばなりません。みなが皆、納得するわけではありますまい。御家人たちの意見の調整を図るにも時間が掛かりまする」
「どのくらい掛かるのだ」
どす黒い気が脳に上がって来ている。
「五百町歩というのが、果たして妥当な数値かどうかの吟味もしなければなりません。早くて明春」
「遅ければ?」
「判りませぬ」
「事が運ばないと言いたいのか」
「そうは申しておりません。ただ、猶予を頂きたいと」
頼家は気を静めようと大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。だが、そんなことで黒い気が晴れる筈も無かった。
「もうよい!」
「は?」
「お前たち役人の言うことはいつも同じだ。こちらのことはあちらに、あちらのことはこちらに。これは時間が掛かる。どのくらいかは判らないが、とにかく時間が、と。時間は無尽蔵にあるのではないぞ。成る時には成る。また、成らせなければならない時もある。それを決めるのは人間だ!」
「ごもっともでござりまする」
広元は頭を下げた。つられて康信も照り返る頭を頼家に見せた。
「下がれ!」
口で怒鳴りながら、頼家は頭の中に燻(くすぶ)るどす黒い煙を疎(うと)ましく思った。なぜいつもこのような結果になるのか。なぜすっきりと物事が動かない。事を起こす度に、力の無さを思い知らされる。これでは「鎌倉殿」になれる筈もないではないか。うかうかしていると将軍職は他の誰かに宣下(せんげ)されるかも知れない。自分の思うように動かない幕府とは、一体何なのか。一体誰が幕府を動かしているのか。自分ではない。それだけは、確かにはっきりしている………。
「蹴鞠をするぞ!」
頼家はじっとしていることが出来なかった。近習たちを引き連れ、頼家は部屋から立ち去った。
大広間に、二人だけが残された。
「若いな」と、広元が言った。
康信が溜息混じりに答えた。
「まだ十八だ。物事の動きが見える歳ではあるまいよ」
「正義感や理想が先に立ち、気負っておられる」
「焦っているのだろう。頼朝公の後を継がねばという想いが強過ぎる。しかしながら、少々器が小さい」
「武芸と蹴鞠の腕前は確かなのだが」
「狩りもよくするし、蹴鞠も三日にあげずやっておれば腕も上げよう」
「他の才もあろうに。惜しいことよ」
「土地の問題は、我々でも手こずっているのだ。何もご存知ない頼家様が手を下せば、一層こじれるばかりで始末がつかん。困ったものだわ」
広元は頷いた。
「何もせずにいてくれると有り難いのだがな」
「何もしないわけにもいかないから、こんなことを言い出したのだろう」
康信はほとんど舌打ちをしそうな口振りだった。はああ、と溜息を吐くと広元に訊いた。
「で、この一件は」
「以前と同様に」
「お蔵で眠って頂くか」
「その方がよいであろう、お互いに」
「まあ、そうですな」
「御家人たちに煩(わずら)わしい思いをさせることはない」
「煩わしいといえば、このところ北条の動きが眼に付くが」
「時政殿か。御家人同士のことは御家人に任せておけばよろしかろう」
「こちらにまで飛び火するということは」
「今のところ心配ないと思いまするが」
「ならば結構」
「火種は………」
と言い掛けて、広元は庭で蹴鞠に興じる声のする方へ頭を向けた。
「むしろ頼家様自身かも知れんな」
建仁二年(一二〇二年)七月二十二日、源頼家は京都朝廷より従二位に除され、併せて正式に征夷大将軍に任じられた。八月二日にその報が鎌倉に伝達されると、頼家は小躍りして喜んだ。待ちに待った征夷大将軍となったのである。これで晴れて幕府の頂点に立つことが出来る、自分の思うように施政に取り組むことが出来ると有頂天になった。
頼朝が征夷大将軍に任じられたのは、建久三年(一一九二年)七月十二日である。だが頼朝は、同五年十月十日に将軍を辞任している。征夷大将軍とは朝廷から頂いた表向きの官位に過ぎず、鎌倉幕府を軌道に乗せるのに大して役に立つものではなかった。むしろ御家人たちから「鎌倉殿」と呼ばれることの方が、頼朝にとっては重大だったのだ。
しかし、頼家は違った。頼家には、御家人の前で振る御旗(みはた)が無かった。頼朝が亡くなってからの三年以上、頼家は宙に浮いた存在のように自身を思っていた。次の「鎌倉殿」になりたいという想いが強ければ強いほど、入れた力は空回りする。近習だけでなく、自分を信頼し従ってくれる直属の御家人が欲しいと何度思ったことか。だが、安達景盛や畠山重忠は遠ざかった。それも原因は自分にあるのだ。
一度、勇猛果敢な郎党がいると聞き対面したことがある。甲斐出身の御家人工藤行光の抱える藤五郎・藤三郎・美源二の三人だ。三人とも噂に違わぬ精悍な面魂(つらだましい)をしている。頼家はひと目見るなり気に入ってしまった。
「三人のうち一人だけでも自分の近侍にしたいのだが」
行光は、頼家の申し出にこう答えた。
「源平の合戦の折、父景光はこの三人にいく度となく命を救われております。父が亡くなりました後、工藤家を継いだ私にはこの三人しか頼む者がおりません。しかし、頼家様。あなた様が敵を退治なされようとするならば、日本国中の御家人全てを頼むことがお出来になるではありませんか」
そう言われて、頼家は申し入れを自ら引っ込めた。主人にどこまでも尽くそうという郎党と、その郎党を信じ切っている行光が羨ましかった。と同時に、誰をも信じ切れない自分を寂しく思った。
将軍になった当初は、喜びも一入(ひとしお)だった。鶴岡八幡宮に参詣したり、多くの役人や御家人に祝いの言葉を述べられたり、蹴鞠に興じたり、狩りにも勤(いそ)しんだ。だが時が経つにつれ、将軍となる以前と変わらない日々がやって来た。相変わらず政務は合議制の宿老たちによって動かされ、自分の出る幕は開かれなかった。二十歳の若者が無為の日々を送ることは、心にも体にもいい筈がない。鬱屈とした日を重ねるうち、翌建仁三年の正月を迎えた。
元日、頼家は鶴岡八幡宮に詣でた。付き従った和田兵衛尉常盛に御剣を与え、廻廊より遥拝する。
思わぬことが生じたのは、翌二日のことである。
頼家の子一幡丸が鶴岡に詣で、神馬二疋(ひき)を奉納した。御神楽が行われるところだったが、巫女から八幡大菩薩の御宣託(ごせんたく)を受けた。巫女はこう言ったのだ。
「今年中、関東に事有るべし。若君家督を継ぐべからず。岸上の樹、その根すでに枯る。人これを知らずして、ただ梢の緑を持つと」
今年の内に関東に異変が起こる。一幡丸が家督を継いで将軍となることはないだろう。将軍頼家はすでに力尽きており、いずれ失脚する。人々はただ眼の前の仮の姿を見ているだけに過ぎないのだ、と。
頼家は一笑に付したかった。だが、一笑に付すほど八幡神の御宣託は軽いものではない。八幡神は源氏の守護神なのだ。その御宣託がどんなものであれ、無視することなど到底出来るものではない。仮にそれが誰かの意図するところに拠って行われたとしても、頼家は気付きもしなかっただろう。気懸かりが魚の骨のように喉に刺さり、拭い去れずに日が過ぎた。そうして三月十日、頼家は原因不明の高熱に見舞われ床に就いた。
頼家は夢にうなされた。暗い洞窟の中で大蛇に襲われる夢だ。頼家はもがき刀を振り回した。そうして思い通りに動かない重い足で洞窟をさ迷った。行けども行けども抜けられない。息が苦しくなって、思わず叫んだ。自分のその声で、眼が覚めた。
「お気付きですか」
若狭ノ局が濡れた布で額に噴き出た汗を拭いながら、ほっと安堵の笑みを洩らした。だがその笑みは、すぐさま心配の波に掻き消された。一瞬の覚醒の後、頼家が再び意識を閉じたからだ。
夢の中で、頼家は鶴岡八幡宮の一番奥にある宝物殿の頂上に立っていた。なぜ自分がこんな所にいるのか解らない。首を巡らすと、下方に経所や廻廊が見え、遥か向こうに若宮大路と街並みが見える。さらに遠くには相模の海が広がり、空の青と海の碧(あお)が一本の横線でくっきりと分けられている。
遠くで誰かが自分の名を呼んだ。頼家は返事をした。自分の声が「クゥ」と言った。おやっと思った。また自分を呼ぶ声がする。その声は若狭だった。今度ははっきりと「若狭」と答えた。だが、出て来た声は「クック、クルゥ」だった。何度も「若狭」と言ってみた。その度に、自分の声が「クック、クルゥ」を繰り返す。頼家は自分の体を見た。頭から首、下腹に掛けては紫がかった白色、背は灰褐色である。手を動かすと翼が広がった。「ああ、自分は唐鳩(からばと)になったんだ」と、ようやく理解した。
閼伽(あか)棚の上で白鳩が喧嘩をしている。激しく喰い合っているので、止めさせようと思った。頼家は足を蹴り、翼を広げ、宝物殿の上から飛び立った。だがその瞬間、人間の姿に戻った。真っ逆さまに落ちてゆく。「夢に白きを見るは災いなり」と、どこかの陰陽師が言ったことを思い出した。地に敷き詰められた白砂利の一つ一つが鮮明に眼に飛び込んで来る。周りの一切が真っ白になり、頼家は眼が覚めた。
体中が汗でぐっしょり濡れていた。息が喘いでいる。眼をきょろきょろと動かした。天井が回っている。一度、眼を閉じた。そうして恐る恐る、また眼をゆっくりと開いた。若狭ノ局が頼家の頬を手で挟んだ。「おお、おお」と涙を流し、頬をすり寄せた。
「もう三日も眠っておられたのですよ、あなた様は」
「………」
「熱もひかず、うわ言ばかりで」
頼家は手を頬の所に引き上げた。腕が鉛のように重かった。若狭ノ局がその手を握り締めた。
「このまま死んでしまうのではないかと、私は………、私は………」
頼家は若狭ノ局の手を握り返した。柔らかく、温かい手だった。
「若狭………」
「はい」
「やっと、お前の名が言えた………」
頼家は見る見る回復した。回復すると同時に、心配の芽が生まれた。自分は将軍職を追われるかも知れない、という不安だ。不安は、ひょっとしたら謀反によって命を絶たれるかも知れないという危惧を呼び、危惧は疑心を産んだ。自分に取って代わる者は誰だ。真っ先に浮かんだのが父の縁者だった。
阿野法橋全成………腹違いだが父頼朝の弟である。しかも、その妻は母北条政子の妹阿波ノ局だ。不吉な夢に出て来た白鳩は源氏を象徴し、大蛇からは北条の家紋「三鱗(みつうろこ)紋」を連想したのだ。最も謀反を起こし易い人物は全成に違いない。その推測は的を射ているように思われた。証拠があるわけではなかった。ただの思い込みに過ぎないのだが、頼家は自分の思い込みを確信にまで昇華させてしまった。
五月十九日の深夜、頼家は武田信光に命じ阿野全成を捕縛。そうして、二十五日には常陸(ひたち)国に配流させた。翌日、安心した頼家は伊豆で狩りを催した。
全成の妻阿波ノ局は、父北条時政に恨みをぶつけた。何とか夫を戻してくれるよう頼家に頼んでくれと懇願した。だが頼家を毛嫌いする時政は、頼家に頭など下げたくはなかった。阿波ノ局は政子に頼み込んだ。政子は全成捕縛の翌日、頼家から阿波ノ局を差し出すよう求められていた。だが政子は、きっぱり断っている。夫に大罪の嫌疑が掛けられていようと、その妻がいわれなく縁座の罪に服することは無い。それが政子の考えだった。その後、頼家から阿波ノ局に関しては音沙汰無しになっていた。
政子から頼家に、阿波ノ局の気持を汲むよう話があったのは六月に入って間もない頃のことである。
政子が頼家と話を交わすのは久し振りだった。
「もうすっかり良いようですね」
「はい」
返事は固かった。頼家は、母の前ではいつも畏まってしまう。頭の上に重しを乗せられているような気がしてならないのだ。
「阿波が全成殿を戻してくれるよう言っています。出来ましょうね」
頼家は返事をしなかった。
政子は頼家に、今度は優しい声音(こわね)で繰り返した。
「出来ますね」
頼家は、まだしばらく黙っていた。
政子は待った。
頼家がようやく口を開いた。
「どうして、どうしていつもそういうものの言い方をなされるのです」
「そういうものの言い方とは?」
「赤児をあやすような、それでいて意のままに導くような」
「そんなつもりはありません。あなたはもう大人です。何で赤児のように扱えましょう」
「そう言いながら、今もご自分の思い通りにさせようとしておられる」
「全成殿のことは、あなたが間違っているからです」
「景盛の時もそうだったではありませんか」
「子が間違った道を選べば、親が正すのは当たり前でしょう」
「本当に景盛は父の子ではなかったのですね」
「まだそんなたわ言を」
「しかし………」
「そのことは済んだ筈。二度と考えてはなりません」
政子の強い口調に、頼家はまた黙り込んだ。自分の言葉はいつも母に跳ね返されてしまう。叱られているように思えてならないのだ。母の前では萎縮して氷のように固まる自分を、どうしようもなかった。自分の気持ちをどう伝えたらいいのか。それすらも頭の中で言葉が堂々巡りをするばかりで、舌の先まで届かない。
「全成殿はあなたの叔父ですよ。何の不服があるのです」
夢の話などしても解ってくれるとは思えなかった。堂々巡りしていた言葉は沈殿してしまい、眉間の奥に痺れが宿り始めた。
「阿波は悲嘆にくれています。私も得心が行かない。説明すべきはきちんと説明し、皆を頷かせて初めて行動に起こす。そんな簡単なことが、どうして出来ません」
黙ったままの頼家に、政子は情けない思いが込み上げて来た。我が子に若者らしく溌剌(はつらつ)として振る舞って欲しい、率直で伸び伸びと育って欲しい。それは母親が望む素直な願いだった。だが頼家は芯が細く、鬱屈とすることが多い。心の内にマグマを溜め込み、それを時に思わぬ所で噴出させてしまう。政子はその都度、息子の撒き散らした嘔吐物の処理に追われるのだ。持って生まれた性質と、置かれた立場がそうさせるのだとは思う。しかし政子は手を貸さなかった。手を貸せば、却って頼家のためにならない。頼家が自分自身で独り立ちし、幕府という大きな屋台骨を支えるだけの力を身に着けなければ、「鎌倉殿」になど成れる筈も無いではないか。歯痒い思いを抑え、政子は自分の願いが通じるよう力を込めた眼を頼家に注いだ。
頼家は下を向き、歯を食い縛っていた。両の手に握り締められた拳が、膝の上で震えている。感情が頼家の中で満ちて来ているのだ。
この子は私の前では常にそうだ。言葉ではなく、感情で自分を語ろうとする。感情だけでは道は開かないのに………。そう思った政子は、頼家に再度言葉を促した。
「肚(はら)を割って話をなさい。私はあなたの語るのを、いつまでも待ちましょう」
肚を割って話したところで、それは違うと否定されるに決まっている。答えは母の求める答えであって、自分の答えではないのだ。母の気に入るような答えを探して口にすることは、自分を否定することに他ならない。頼家は窮した。そうして、懸命に堪(こら)え絞っていた綱がプツンと切れた。
頼家は頭を左右にぶるぶると振ったと思うと、拳を二度、三度と床に打ち付けた。言葉が言葉にならないもどかしさと、煮詰まった思いを表に出せない苛立ちが頼家の体を衝(つ)き動かしたのだ。
「なぜだ! なぜ誰も彼も解ってくれない!」
解ってくれようとする人間が周りにいないことが、頼家の腹立ちを増幅させていた。そうして解ろうとさせない自分を、頼家自身解っていなかった。
政子が頼家に声を掛けようとした。その時、若狭ノ局が飛び込んで来た。
「頼家様!」
「何です。話の最中ですよ」
「ご無礼は重々謝ります。ですが………」
「聴いていたのですか、私たちの話を」
「気になって側まで参りましたら、頼家様の叫ぶお声がしたものですから、思わず」
「まるで泥棒猫のようではありませんか。はしたない」
「御台所様。お腹立ちはごもっともです。けれど、頼家様のご心中もお察しなされて欲しゅうございます」
「心中は充分に察しています。我が子なのですから」
「いいえ。御台所様はお解りになっておられません」
「何を言います!」
「これまで我慢をして参りましたが、今日は言わせて頂きます」
若狭ノ局は食い下がった。連れ添って暮らす夫の、外には出せない苦悩を何とか理解して貰いたかったのだ。
「御台所様はなぜ合議制をお認めになられたのです。亡き頼朝公の後をお継ぎになったのは頼家様です。頼家様を守(も)り立て、幕政を執らせるべきではありませんか」
「出来ることなら、私もそうさせたい。それを願わない私だと思いますか。幕政は生半可(なまはんか)なことで為してはなりません。幕府の支柱となるには、頼家はまだ力不足です。皆が知恵を出し合い、互いに補い合わねば幕府は立ち行かないことぐらい明白でしょう」
「ですが、まるで頼家様を敵に回したような宿老たちの為さりようです」
「だからといって蹴鞠や狩りに興じていいという理由にはなりません」
「頼家様のご裁可はことごとく無視されておいでです。相談する誰もいない。導き諭してくれる誰もいない。このような状況にしておいて、頼家様お一人を責め立てるのでは、頼家様の立場がございません。仮にも頼家様は征夷大将軍ではありませんか」
「将軍ならば、なおさらでしょう。遊びなどはもっての外。為さねばならぬことが山ほどあるというのに」
話が平行線をたどる。若狭ノ局は唇を噛んだ。
政子は冷ややかに若狭ノ局を見た。
「あなたの言いたいことはそれだけですか」
「私が正室ならば………」
若狭ノ局は一番言いたいことを口にした。
「ならばどうだと?」
「正室ならば、御台所様の見よう、言いようも違っていたでしょう。私は正室辻殿や宮菊殿のように正統な源氏の血を引いてはおりません。また一品房殿のように高貴な血も流れてはおりません。嫉妬が無いと申し上げれば嘘になります。ですが私は頼家様とは幼い頃より兄妹のように育ち、頼家様のお考えになること、お感じになることが手に取るように解ります。頼家様のことは、誰よりもよく知っているつもりです」
「それは私より、と言いたいのか?」
「はい。御台所様よりもです」
「何というものの言い草じゃ!」
「御台所様は頼家様に厳し過ぎます。一度でも褒めてあげられましたか? 一度でもよくやったと抱き締めてあげられましたか? 頼家様が富士の巻狩りで初めて鹿を射止めたのはわずか十一歳の時だと聞きました。立派なことではありませんか。見事に大人の仲間入りを果たされたのです。その時でさえ、御台所様は頼家様をお褒めにならなかった。頼家様はどんなにかあなた様に認めて貰いたかったことでしょう。それをあなた様は突き放したのです。人が育つには厳しさが必要なことも承知しています。厳しさばかりで逞しく育つ子もいるでしょう。ですが、頼家様は優しい心根をお持ちです。傷つき易い繊細な心です。厳しさが却って頼家様を追い詰め、息を継ぐ場を無くしてしまっていることにお気付きになりませんか」
「そなたがそうやって甘やかすから、頼家はますます軟弱になってしまう。頼家は武士の子です。しかも、全国の御家人を束ねた源氏の棟梁の血を引く子なのですよ。鹿を射止めるくらいは当たり前のこと。それも愛甲(あいきょう)という家臣が上手く鹿に当たるように仕向けてくれたからだと言うではありませんか。頼家は頼朝公から預かった御家人たちを統率していかねばならないという大役があるのです。そんなふうに甘やかされたままでは、いつまで経っても頼家は変わりません」
「いえ。頼家様を育て上げるべきあなた様が、今の頼家様をお作りなされたのです」
「あなたに何が解ります。頼家は私が腹を痛めて産んだ子です。頼家のことは母である私が一番よく知っている。それを、何です。それがそなたの夫の母親に言う言葉ですか!」
政子は若狭ノ局を睨み付けた。若狭ノ局も政子の鋭い視線を真っ直ぐに受け止めた。
「頼家………」
政子は、無表情になり床にじっと眼を落としている頼家の横顔に眼を移した。
「お前は強い子です」
(嘘だ!)
頼家は政子の言葉を胸の内で潰した。
「必ずや御家人たちを束ね幕府を率いてくれる。そう私は信じています」
(違う! 私はそんなふうにはなれない。なぜなら、なぜなら………)
頼家はキッと顔を上げた。
「北条ではないだからだ」
「何を言うのです、頼家」
「父の血を継ぎ将軍となっても力は無い。母の血を継いだといっても私は比企で育った。北条の人間ではない。若狭も比企の娘だ。だからなのでしょう? 北条よりも比企に肩入れするから、私にも若狭にも冷たくするのだ」
政子は答えなかった。そうして、頼家と若狭ノ局の顔を交互に見ると、勢いよく立ち上がった。
「情けない! 了見が狭過ぎます。自分の足元を見なさい。これから先を見通しなさい!」
そう言うと、政子はさっさと部屋を出て行った。
張り詰めた気が抜けたのか、若狭ノ局は政子の去って行った方を呆然と眺めていた。
頼家が若狭ノ局の側に坐った。
「よく言ってくれた」
若狭ノ局は頼家の眼を見返した。
「よかったのでしょうか、これで。ますます御台所様と離れてしまうようなことになってしまったのでは………」
「いいのだ、もう。私は北条が嫌いだ。だから………」
後の言葉を、頼家は自分で探すのを止めた。そうして、若狭ノ局の手を両手で包んだ。それが自分の続けたかった言葉の代わりのように思いながら。
六月二十六日、頼家の命を受けた八田知家が阿野全成を誅殺した。全成を生かしておけば再び命乞いをして来るのは眼に見えていた。また、全成自身が恨みを頼家に向けないとも限らなかったからだ。頼家は長い間喉に引っ掛かっていた骨を嚥(の)み下したような気分になった。気持ちが落ち着いた頼家は、ようやく平穏に暮らす日々を続けた。が、それも長くは続かなかった。
七月二十日戌(いぬ)の刻(午後八時頃)、頼家は再び高熱に襲われ、病の床に臥(ふ)したのである。
大江広元と三善康信が平伏し、頭を下げた。声は決して大きくはなかったが、大蔵御所の大広間に響くように聞こえた。
大蔵御所は鶴岡八幡宮の東隣りに建つ。鎌倉に入部した頼朝は由比ノ若宮を遷御(せんぎょ)して鶴岡八幡宮を創建すると、自身の住む御所を定めた。最初は父義朝の源氏館を考えたが幕府の御所とするには狭過ぎる。そこで八幡宮の東、大蔵郷に新造することにした。広さは東西二・七町(約二九〇メートル)、南北二・三町(約二五〇メートル)。中小の土豪の館が一町四方、大豪族の惣領(そうりょう)家は二町四方であったから、東国武士のどの館よりも広い。御所の造営に伴い、御家人たちの館もあちこちで建てられた。御所の西の通りを挟んで三浦義村、南の通りに北条時政、若宮大路には和田義盛らの館の新築工事が進められた。そうして富士川の合戦に大勝した頼朝は、治承四年(一一八〇年)十二月十二日亥(い)の刻(午後十時頃)、大蔵御所に入る。十八間(けん・約三七・八メートル)の侍所に三一一名の武将が二列に座し頼朝を迎えたという。
二人の顔を頼家は黙って注視した。五十を少し越した広元は政所別当であり、六十に手が届いた康信は問注所執事を務めている。年も押し詰まったというのに幕府事務方の最高責任者二人が揃って顔を出したのだ。相当泡を食っているのは明らかだった。
挨拶もそこそこに、広元が言葉を続けた。
「この度の一件、何とぞ思い留まるよう願い上げまする」
「なぜだ」
「混乱が生じまする」
「一時(いっとき)のことではないか」
「中には不服を申し立てる者も出て参りましょう。不平不満は安定を揺るがす元凶となりますゆえ」
官吏として頼朝に仕えて来た広元は如才無い。つるりとした顔で縦のものを横にし、横のものを縦にすることが出来るほどの実力派だ。幕府の政務を実質切り盛りしている広元が首を縦に振らなければ、幕政は動かないと言っていい。その広元が待ったを掛けたのだ。事はすんなり運ばないということか、と頼家は少し不機嫌になった。
「一番の不服はお前たち、というわけか」
「いえ、決してそのようなことは」
「無い、と言い切れるか?」
広元は一瞬押し黙った。
代わって、康信が口を開いた。
「御家人たちの所領は、確かに多い者もおります。ですが、土地は御家人たちにとりましては命にも等しい。それを余分だからといって取り上げ、ましてや近侍に………」
康信は、頼家の脇に並んでいる近習たちに眼をやった。比企宗員(むねかず)・時員兄弟、小笠原長経、中野能成が康信を見返した。
「与えるというのは、いかがなものかと」
細野四郎は眼を落とし、それから頼家を見た。
正治二年(一二〇〇年)十二月二十八日、頼家は政所に備えてあった大田文(おおたぶみ)を取り寄せた。大田文とは国ごとに作成された土地台帳である。算術の得意な者に命じ御家人たちの所領の面積を計算させた頼家は、頼朝から与えられた所領が五百町歩を超える分は没収し、所領の無い近習に与えようとしたのである。一町は十段で、三千六百歩とされていた。現在で言えば約百アールに当たる。一アールは百平方メートルだから、五百町歩といえば五百万平方メートル、百五十万坪だ。かなりの広さになる。その分を超えた所領を没収したとしても、贅沢(ぜいたく)さえしなければ御家人は充分やっていけると判断したのだった。
大江広元と三善康信はあわてた。二人とも五百町歩を大幅に超える所領を持っている。二人だけではない。五百町歩を超す御家人は数多くいる。所領は、無いよりは多くある方がいい。もし戦いが起これば、戦費は湯水のように出て行くのだ。困窮するのは眼に見えている。それで、二人はすぐさま頼家に拝謁を求めたのだった。
「近習たちは無足だ。所領を持たない。奉公してくれているのに御恩をしないでは、上に立つ者の務めが果たせないだろう」
「所領は頼朝公から御家人たちが直接頂いたもの。それを取り上げられるというのは亡き頼朝公に対し申し開きが出来ません」
「父から貰った所領が最初から五百町歩を超える者もいれば………」
頼家は二人の顔をまじまじと見詰めた。
広元も康信も、さすがに顔色は変えなかった。
「その後、貰った所領以上に増えた者もいる。近習だけに与えるつもりは無い。御家人の中には窮々として暮らす者もいるだろう。多くを持つ者が少ない者に過ぎる分を分かつ。そのことのどこが悪い」
「いや、それは………」
「父は家臣となった上総介(かずさのすけ)広常を殺した後に、広常の支配下にあった武士に土地を与え直接の御家人とした。それに長経………」
頼家に促された小笠原長経は「はい」と頷き、頼家の言葉を受け継いだ。
「父加賀美遠光は頼朝公により甲斐源氏武田党から独立し、関東御分国の一つ信濃を与えられました。父は信濃守に、同じ武田党の安田義資(よしすけ)は越後守に任じられ、ともに『御門葉』として頼朝公のお側にお仕え致しましたが………」
長経が頼家に視線を送る。
頼家は頷いて、先を言わせた。
「ですが、後に義資殿は子の義定殿と共に頼朝公の命で討たれております」
頼家は、充分だと手で長経を制した。
「このように父は在来の豪族の勢力を減らし、その配下の者を自らの御家人として土地を与えた。だが、私は今の御家人たちの首をすげ替えると言っているのではない。せめて所領の無い者たちに余剰分を分け与えたらどうかと言っているのだ」
康信が「それにしても」と、口ごもりながら言った。
「あまりに事を急ぎなされますと」
「また乱暴だと言いたいのか?」
康信は口を閉ざした。
「あの時と同じだな。役所は土地が絡むと動きが取れん」
ちょうど七ヶ月前のことである。三善康信が大蔵御所に参上した。
康信は京都の廷臣で、頼朝が幕府を作る際、大江広元らと共に鎌倉に招き寄せた。以来、問注所を管轄し腕を奮っている。合議制の宿老の一人でもある康信が急に自分に会いに来たことが、頼家は腑(ふ)に落ちなかった。自分に取り入ろうとする気なのか。それとも合議制も一枚岩ではなく、流動的でまだ定まっていないということか。もし御家人同士が綱引きをし、その力関係の按配が康信をここに来させたのであれば、己の力を示すいい機会には違いない。頼家は、慎重に康信に眼を据えた。
康信は頭を下げ、上目遣いに頼家を見ている。薄くなった白髪を束ねた頭の頂上が、自分を値踏みしているように頼家には思われた。
「どういう風の吹き回しだ」
「こういう訴状が参っております」
康信は懐から折り畳んだ紙を取り出すと膝を進め、頼家にうやうやしく差し出した。
頼家は紙面に眼を通した。
「陸奥国の土地争いか」
「はい」
「こういうことは地頭が処理するものだろう」
「本来は問注所が取り扱わなければなりません。ですが、あまりの多さに対処し切れず、致し方なく地頭に裁決を委(ゆだ)ねておる次第です」
「それが、なぜ?」
「陸奥の惣地頭は畠山重忠殿。その重忠殿が裁決を辞退し、私の許(もと)に」
「理由は」
「葛岡郡の新(あら)熊野社の社領は朝廷と幕府との御祈祷所であるから、と」
境界線は正しく測量されているわけではない。また、川が氾濫したり土砂崩れなどで地形が変われば、それまでの目安が分からなくなることもある。土地の所有権は曖昧(あいまい)で、言い分も平行線をたどることが多い。各地でこうした土地争いが頻繁に起き、問注所はその処理に忙殺されていた。手が回り切らないために、幕府はほとんど地頭の采配に任せているのが実情だった。
畠山重忠が自分の一存で処理しなかったのは朝廷と幕府に対する遠慮であり、両者の立場を尊重したものだと頼家は感じ取った。一歩身を引き両者を立てることで、今後の幕府の在り方を問い掛けている。そう思った。
「畠山重忠か………」
頼家は、重忠の態度に感心した。こんな家臣が身近に欲しい、と心底思った。自分が真に「鎌倉殿」になるためには、重忠に応えることが出来るような裁量を下すことだ。そうすれば御家人も自分に付いて来る………。頼家は腹に力を込めた。
頼家は添えられていた絵図を自身の前に置くとしばらく眺めていたが、側にいた近習に命じた。
「筆を持て」
すぐさま硯と筆が用意され、頼家の前に置かれた。
頼家は筆に墨を含ませると、絵図にさっと線を引いた。
「あっ!」
康信も近習も、口から思わず声が洩れた。
「何をなされます!」
康信が両手を前に広げ、あわてて一つ、二つ膝を前に進めた。
「土地の広い狭いは、その者のその時の持つ運だ。本来ならば使者を遣わし実検すべきところ。だが、そのような暇も手間も掛けられないのだろう、問注所は」
「そ、それは、そうではありますが………。しかし、いかにもそれは………」
「いかにも、何だ」
「その、乱暴かと………」
「地頭任せにすれば、基準がまちまちになるのは当然だ。問注所がはっきり断じないから、次から次に訴えが出て来て頭を抱えることになる」
「土地はどこも同じということはございません。その土地の実態を知らなければ断も下しようが………」
康信の言い訳がましい言葉に、頼家は少し苛立って来た。
「土地をめぐっての争いは、どんな結果が出ても禍根が残る。中には武力で言い分を通そうとする輩(やから)が出て来てもおかしくはない。それではこれまでと何ら変わらないではないか」
言いながら、頼家は気が昂ぶって来たのを感じた。康信の薄い頭が妙に照るのも気に障る。官僚の役人仕事でものが動くか! 杓子定規(しゃくしじょうぎ)の約束ごとばかりに縛られて解決が図れるか!
一旦走り始めた昂ぶりを、頼家は抑え切れなかった。
「誰かが基準を決めねばならん。問注所が出来ないのならば、今後境界争いは自分がこのように成敗を下す。もし不服ならば、訴訟など起こすな!」
言い放って頼家は、絵図を康信に突き返し立ち上がった。
康信は苦虫を噛み潰した顔を頼家に向けた。それから、無造作に引かれた墨の線の残る絵図に眼を落とした。
康信の頭頂部がいっそう頼家の眼に焼き付く。七ヶ月前よりも薄くなりその分照りが増したな、と頼家は思った。
しばらく口を閉ざしていた大江広元が、「畏れながら」と言葉を切り出した。
「陸奥国の境界線のことは三善殿より聞いておりまする。問注所の不手際から頼家様にご負担を強いるようなことと相成りましたことは誠に申し訳なく、遺憾に存じおりまする。その件につきましては、政所も法を整え問注所と相計りながら進めておりますゆえ、何とぞご容赦賜りたい」
「あれはこちらに非がある。思慮が足りなかったと、今では反省している」
頼家は正直に謝った。確かに思慮が足りなかったのだ。頼家の即決は感性のおもむくままに下されたもので、考えを練り構築した上での裁決ではなかった。しかも、頼家の感性はまだ未熟だ。感性は、持って生まれたものにそれまでの様々の経験や知識を集合し磨き上げられるものだ。そうやって磨き上げられた優れた感性による即決は、正しい道を選ぶ場合が多い。頼家は自身の未熟な感性を知るべきだった。命を懸けて守ろうとする「一所懸命」の地に対する御家人の想いを知るべきだった。そうして、じっくり考えてから断を下さねばならなかった。畠山重忠の呆れた顔が眼に浮かび、頼家は悔しさと情けなさで眠れない数日を送ったのである。
「そう伺い、安堵致しました。ならばこの度のことも、今一度熟慮願えますまいか」
「どう熟慮せよ、と言うのか」
広元は静かに、諭すように頼家に言った。
「頼朝公の御家人に対する所領配分は、幕府創設に必要欠くべからざるものでござりました。平家打倒の旗印を掲げ頼朝公の傘下に入った者の中には、自分の利を図ることしか頭に無い者も多く、状況が変われば掌を返すかも知れません。頼朝公は真に自分の手足となるものを選別なされたのです。ですから、公自身の弟といえども追討なされた」
広元は源義経のことを言っている。頼朝は東国武士を掌握するのに全力を注いだ。一ノ谷の合戦直後、頼朝は後白河法皇に「我が家人に対する行賞においては、我れ計らい申すべく候」という一書を提出している。家臣に対する賞罰を決定する権限は朝廷ではなく頼朝自身が持つ、と宣言したのだ。ところが、義経は後白河法皇から検非違使(けびいし)兼左衛門少尉(さえもんのしょうじょう)に任じられ、これを受けた。さらに壇ノ浦の合戦の後では伊予守に任じられる。いずれも頼朝を無視し、頼朝の対抗馬として義経を起用しようと狙う法皇の策略だった。それにまんまと義経は乗ってしまったのである。頼朝は許すことが出来なかった。義経を許せば、東国武士の団結は崩れ去り、幕府設立も叶わない。頼朝の意に添うべく、広元は全国に義経追討のため守護を設置したのだった。
「頼朝公の為されようとしたことは、御家人の平均化とでも申せましょう。偏っていた豪族の勢力を削ぎ、直接仕える御家人に財政・兵力の分配をされたのですから」
頼家は頷いた。もっともだと思う。
「では五百町歩を超える分の分配も、父が為したと同様の平均化と言えるだろう」
広元は素直に肯定した。
「仰せの通りです。ですが………」
一旦、言葉が途切れた。
頼家は、嫌な気が胸の辺りに湧くのを覚えた。
「それで?」
広元が言葉を継いだ。
「ですが、今は豪族がしのぎを削る動乱期ではありません。幕府は成り、頼朝公の施政が行き届いておりまする」
「だから?」
嫌な気の色が濃くなる。
「もっともなお考えではありまするが、一朝一夕には運びません」
「なぜだ」
濃くなった気が広がり始めた。
「後々、面倒が起こりましょう。まず、法を設けなければなりません。法を設けるには時間が掛かりまする」
「他には」
広がった気が胸を息苦しくさせて来る。
「御家人たちの意見も聞かねばなりません。みなが皆、納得するわけではありますまい。御家人たちの意見の調整を図るにも時間が掛かりまする」
「どのくらい掛かるのだ」
どす黒い気が脳に上がって来ている。
「五百町歩というのが、果たして妥当な数値かどうかの吟味もしなければなりません。早くて明春」
「遅ければ?」
「判りませぬ」
「事が運ばないと言いたいのか」
「そうは申しておりません。ただ、猶予を頂きたいと」
頼家は気を静めようと大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。だが、そんなことで黒い気が晴れる筈も無かった。
「もうよい!」
「は?」
「お前たち役人の言うことはいつも同じだ。こちらのことはあちらに、あちらのことはこちらに。これは時間が掛かる。どのくらいかは判らないが、とにかく時間が、と。時間は無尽蔵にあるのではないぞ。成る時には成る。また、成らせなければならない時もある。それを決めるのは人間だ!」
「ごもっともでござりまする」
広元は頭を下げた。つられて康信も照り返る頭を頼家に見せた。
「下がれ!」
口で怒鳴りながら、頼家は頭の中に燻(くすぶ)るどす黒い煙を疎(うと)ましく思った。なぜいつもこのような結果になるのか。なぜすっきりと物事が動かない。事を起こす度に、力の無さを思い知らされる。これでは「鎌倉殿」になれる筈もないではないか。うかうかしていると将軍職は他の誰かに宣下(せんげ)されるかも知れない。自分の思うように動かない幕府とは、一体何なのか。一体誰が幕府を動かしているのか。自分ではない。それだけは、確かにはっきりしている………。
「蹴鞠をするぞ!」
頼家はじっとしていることが出来なかった。近習たちを引き連れ、頼家は部屋から立ち去った。
大広間に、二人だけが残された。
「若いな」と、広元が言った。
康信が溜息混じりに答えた。
「まだ十八だ。物事の動きが見える歳ではあるまいよ」
「正義感や理想が先に立ち、気負っておられる」
「焦っているのだろう。頼朝公の後を継がねばという想いが強過ぎる。しかしながら、少々器が小さい」
「武芸と蹴鞠の腕前は確かなのだが」
「狩りもよくするし、蹴鞠も三日にあげずやっておれば腕も上げよう」
「他の才もあろうに。惜しいことよ」
「土地の問題は、我々でも手こずっているのだ。何もご存知ない頼家様が手を下せば、一層こじれるばかりで始末がつかん。困ったものだわ」
広元は頷いた。
「何もせずにいてくれると有り難いのだがな」
「何もしないわけにもいかないから、こんなことを言い出したのだろう」
康信はほとんど舌打ちをしそうな口振りだった。はああ、と溜息を吐くと広元に訊いた。
「で、この一件は」
「以前と同様に」
「お蔵で眠って頂くか」
「その方がよいであろう、お互いに」
「まあ、そうですな」
「御家人たちに煩(わずら)わしい思いをさせることはない」
「煩わしいといえば、このところ北条の動きが眼に付くが」
「時政殿か。御家人同士のことは御家人に任せておけばよろしかろう」
「こちらにまで飛び火するということは」
「今のところ心配ないと思いまするが」
「ならば結構」
「火種は………」
と言い掛けて、広元は庭で蹴鞠に興じる声のする方へ頭を向けた。
「むしろ頼家様自身かも知れんな」
建仁二年(一二〇二年)七月二十二日、源頼家は京都朝廷より従二位に除され、併せて正式に征夷大将軍に任じられた。八月二日にその報が鎌倉に伝達されると、頼家は小躍りして喜んだ。待ちに待った征夷大将軍となったのである。これで晴れて幕府の頂点に立つことが出来る、自分の思うように施政に取り組むことが出来ると有頂天になった。
頼朝が征夷大将軍に任じられたのは、建久三年(一一九二年)七月十二日である。だが頼朝は、同五年十月十日に将軍を辞任している。征夷大将軍とは朝廷から頂いた表向きの官位に過ぎず、鎌倉幕府を軌道に乗せるのに大して役に立つものではなかった。むしろ御家人たちから「鎌倉殿」と呼ばれることの方が、頼朝にとっては重大だったのだ。
しかし、頼家は違った。頼家には、御家人の前で振る御旗(みはた)が無かった。頼朝が亡くなってからの三年以上、頼家は宙に浮いた存在のように自身を思っていた。次の「鎌倉殿」になりたいという想いが強ければ強いほど、入れた力は空回りする。近習だけでなく、自分を信頼し従ってくれる直属の御家人が欲しいと何度思ったことか。だが、安達景盛や畠山重忠は遠ざかった。それも原因は自分にあるのだ。
一度、勇猛果敢な郎党がいると聞き対面したことがある。甲斐出身の御家人工藤行光の抱える藤五郎・藤三郎・美源二の三人だ。三人とも噂に違わぬ精悍な面魂(つらだましい)をしている。頼家はひと目見るなり気に入ってしまった。
「三人のうち一人だけでも自分の近侍にしたいのだが」
行光は、頼家の申し出にこう答えた。
「源平の合戦の折、父景光はこの三人にいく度となく命を救われております。父が亡くなりました後、工藤家を継いだ私にはこの三人しか頼む者がおりません。しかし、頼家様。あなた様が敵を退治なされようとするならば、日本国中の御家人全てを頼むことがお出来になるではありませんか」
そう言われて、頼家は申し入れを自ら引っ込めた。主人にどこまでも尽くそうという郎党と、その郎党を信じ切っている行光が羨ましかった。と同時に、誰をも信じ切れない自分を寂しく思った。
将軍になった当初は、喜びも一入(ひとしお)だった。鶴岡八幡宮に参詣したり、多くの役人や御家人に祝いの言葉を述べられたり、蹴鞠に興じたり、狩りにも勤(いそ)しんだ。だが時が経つにつれ、将軍となる以前と変わらない日々がやって来た。相変わらず政務は合議制の宿老たちによって動かされ、自分の出る幕は開かれなかった。二十歳の若者が無為の日々を送ることは、心にも体にもいい筈がない。鬱屈とした日を重ねるうち、翌建仁三年の正月を迎えた。
元日、頼家は鶴岡八幡宮に詣でた。付き従った和田兵衛尉常盛に御剣を与え、廻廊より遥拝する。
思わぬことが生じたのは、翌二日のことである。
頼家の子一幡丸が鶴岡に詣で、神馬二疋(ひき)を奉納した。御神楽が行われるところだったが、巫女から八幡大菩薩の御宣託(ごせんたく)を受けた。巫女はこう言ったのだ。
「今年中、関東に事有るべし。若君家督を継ぐべからず。岸上の樹、その根すでに枯る。人これを知らずして、ただ梢の緑を持つと」
今年の内に関東に異変が起こる。一幡丸が家督を継いで将軍となることはないだろう。将軍頼家はすでに力尽きており、いずれ失脚する。人々はただ眼の前の仮の姿を見ているだけに過ぎないのだ、と。
頼家は一笑に付したかった。だが、一笑に付すほど八幡神の御宣託は軽いものではない。八幡神は源氏の守護神なのだ。その御宣託がどんなものであれ、無視することなど到底出来るものではない。仮にそれが誰かの意図するところに拠って行われたとしても、頼家は気付きもしなかっただろう。気懸かりが魚の骨のように喉に刺さり、拭い去れずに日が過ぎた。そうして三月十日、頼家は原因不明の高熱に見舞われ床に就いた。
頼家は夢にうなされた。暗い洞窟の中で大蛇に襲われる夢だ。頼家はもがき刀を振り回した。そうして思い通りに動かない重い足で洞窟をさ迷った。行けども行けども抜けられない。息が苦しくなって、思わず叫んだ。自分のその声で、眼が覚めた。
「お気付きですか」
若狭ノ局が濡れた布で額に噴き出た汗を拭いながら、ほっと安堵の笑みを洩らした。だがその笑みは、すぐさま心配の波に掻き消された。一瞬の覚醒の後、頼家が再び意識を閉じたからだ。
夢の中で、頼家は鶴岡八幡宮の一番奥にある宝物殿の頂上に立っていた。なぜ自分がこんな所にいるのか解らない。首を巡らすと、下方に経所や廻廊が見え、遥か向こうに若宮大路と街並みが見える。さらに遠くには相模の海が広がり、空の青と海の碧(あお)が一本の横線でくっきりと分けられている。
遠くで誰かが自分の名を呼んだ。頼家は返事をした。自分の声が「クゥ」と言った。おやっと思った。また自分を呼ぶ声がする。その声は若狭だった。今度ははっきりと「若狭」と答えた。だが、出て来た声は「クック、クルゥ」だった。何度も「若狭」と言ってみた。その度に、自分の声が「クック、クルゥ」を繰り返す。頼家は自分の体を見た。頭から首、下腹に掛けては紫がかった白色、背は灰褐色である。手を動かすと翼が広がった。「ああ、自分は唐鳩(からばと)になったんだ」と、ようやく理解した。
閼伽(あか)棚の上で白鳩が喧嘩をしている。激しく喰い合っているので、止めさせようと思った。頼家は足を蹴り、翼を広げ、宝物殿の上から飛び立った。だがその瞬間、人間の姿に戻った。真っ逆さまに落ちてゆく。「夢に白きを見るは災いなり」と、どこかの陰陽師が言ったことを思い出した。地に敷き詰められた白砂利の一つ一つが鮮明に眼に飛び込んで来る。周りの一切が真っ白になり、頼家は眼が覚めた。
体中が汗でぐっしょり濡れていた。息が喘いでいる。眼をきょろきょろと動かした。天井が回っている。一度、眼を閉じた。そうして恐る恐る、また眼をゆっくりと開いた。若狭ノ局が頼家の頬を手で挟んだ。「おお、おお」と涙を流し、頬をすり寄せた。
「もう三日も眠っておられたのですよ、あなた様は」
「………」
「熱もひかず、うわ言ばかりで」
頼家は手を頬の所に引き上げた。腕が鉛のように重かった。若狭ノ局がその手を握り締めた。
「このまま死んでしまうのではないかと、私は………、私は………」
頼家は若狭ノ局の手を握り返した。柔らかく、温かい手だった。
「若狭………」
「はい」
「やっと、お前の名が言えた………」
頼家は見る見る回復した。回復すると同時に、心配の芽が生まれた。自分は将軍職を追われるかも知れない、という不安だ。不安は、ひょっとしたら謀反によって命を絶たれるかも知れないという危惧を呼び、危惧は疑心を産んだ。自分に取って代わる者は誰だ。真っ先に浮かんだのが父の縁者だった。
阿野法橋全成………腹違いだが父頼朝の弟である。しかも、その妻は母北条政子の妹阿波ノ局だ。不吉な夢に出て来た白鳩は源氏を象徴し、大蛇からは北条の家紋「三鱗(みつうろこ)紋」を連想したのだ。最も謀反を起こし易い人物は全成に違いない。その推測は的を射ているように思われた。証拠があるわけではなかった。ただの思い込みに過ぎないのだが、頼家は自分の思い込みを確信にまで昇華させてしまった。
五月十九日の深夜、頼家は武田信光に命じ阿野全成を捕縛。そうして、二十五日には常陸(ひたち)国に配流させた。翌日、安心した頼家は伊豆で狩りを催した。
全成の妻阿波ノ局は、父北条時政に恨みをぶつけた。何とか夫を戻してくれるよう頼家に頼んでくれと懇願した。だが頼家を毛嫌いする時政は、頼家に頭など下げたくはなかった。阿波ノ局は政子に頼み込んだ。政子は全成捕縛の翌日、頼家から阿波ノ局を差し出すよう求められていた。だが政子は、きっぱり断っている。夫に大罪の嫌疑が掛けられていようと、その妻がいわれなく縁座の罪に服することは無い。それが政子の考えだった。その後、頼家から阿波ノ局に関しては音沙汰無しになっていた。
政子から頼家に、阿波ノ局の気持を汲むよう話があったのは六月に入って間もない頃のことである。
政子が頼家と話を交わすのは久し振りだった。
「もうすっかり良いようですね」
「はい」
返事は固かった。頼家は、母の前ではいつも畏まってしまう。頭の上に重しを乗せられているような気がしてならないのだ。
「阿波が全成殿を戻してくれるよう言っています。出来ましょうね」
頼家は返事をしなかった。
政子は頼家に、今度は優しい声音(こわね)で繰り返した。
「出来ますね」
頼家は、まだしばらく黙っていた。
政子は待った。
頼家がようやく口を開いた。
「どうして、どうしていつもそういうものの言い方をなされるのです」
「そういうものの言い方とは?」
「赤児をあやすような、それでいて意のままに導くような」
「そんなつもりはありません。あなたはもう大人です。何で赤児のように扱えましょう」
「そう言いながら、今もご自分の思い通りにさせようとしておられる」
「全成殿のことは、あなたが間違っているからです」
「景盛の時もそうだったではありませんか」
「子が間違った道を選べば、親が正すのは当たり前でしょう」
「本当に景盛は父の子ではなかったのですね」
「まだそんなたわ言を」
「しかし………」
「そのことは済んだ筈。二度と考えてはなりません」
政子の強い口調に、頼家はまた黙り込んだ。自分の言葉はいつも母に跳ね返されてしまう。叱られているように思えてならないのだ。母の前では萎縮して氷のように固まる自分を、どうしようもなかった。自分の気持ちをどう伝えたらいいのか。それすらも頭の中で言葉が堂々巡りをするばかりで、舌の先まで届かない。
「全成殿はあなたの叔父ですよ。何の不服があるのです」
夢の話などしても解ってくれるとは思えなかった。堂々巡りしていた言葉は沈殿してしまい、眉間の奥に痺れが宿り始めた。
「阿波は悲嘆にくれています。私も得心が行かない。説明すべきはきちんと説明し、皆を頷かせて初めて行動に起こす。そんな簡単なことが、どうして出来ません」
黙ったままの頼家に、政子は情けない思いが込み上げて来た。我が子に若者らしく溌剌(はつらつ)として振る舞って欲しい、率直で伸び伸びと育って欲しい。それは母親が望む素直な願いだった。だが頼家は芯が細く、鬱屈とすることが多い。心の内にマグマを溜め込み、それを時に思わぬ所で噴出させてしまう。政子はその都度、息子の撒き散らした嘔吐物の処理に追われるのだ。持って生まれた性質と、置かれた立場がそうさせるのだとは思う。しかし政子は手を貸さなかった。手を貸せば、却って頼家のためにならない。頼家が自分自身で独り立ちし、幕府という大きな屋台骨を支えるだけの力を身に着けなければ、「鎌倉殿」になど成れる筈も無いではないか。歯痒い思いを抑え、政子は自分の願いが通じるよう力を込めた眼を頼家に注いだ。
頼家は下を向き、歯を食い縛っていた。両の手に握り締められた拳が、膝の上で震えている。感情が頼家の中で満ちて来ているのだ。
この子は私の前では常にそうだ。言葉ではなく、感情で自分を語ろうとする。感情だけでは道は開かないのに………。そう思った政子は、頼家に再度言葉を促した。
「肚(はら)を割って話をなさい。私はあなたの語るのを、いつまでも待ちましょう」
肚を割って話したところで、それは違うと否定されるに決まっている。答えは母の求める答えであって、自分の答えではないのだ。母の気に入るような答えを探して口にすることは、自分を否定することに他ならない。頼家は窮した。そうして、懸命に堪(こら)え絞っていた綱がプツンと切れた。
頼家は頭を左右にぶるぶると振ったと思うと、拳を二度、三度と床に打ち付けた。言葉が言葉にならないもどかしさと、煮詰まった思いを表に出せない苛立ちが頼家の体を衝(つ)き動かしたのだ。
「なぜだ! なぜ誰も彼も解ってくれない!」
解ってくれようとする人間が周りにいないことが、頼家の腹立ちを増幅させていた。そうして解ろうとさせない自分を、頼家自身解っていなかった。
政子が頼家に声を掛けようとした。その時、若狭ノ局が飛び込んで来た。
「頼家様!」
「何です。話の最中ですよ」
「ご無礼は重々謝ります。ですが………」
「聴いていたのですか、私たちの話を」
「気になって側まで参りましたら、頼家様の叫ぶお声がしたものですから、思わず」
「まるで泥棒猫のようではありませんか。はしたない」
「御台所様。お腹立ちはごもっともです。けれど、頼家様のご心中もお察しなされて欲しゅうございます」
「心中は充分に察しています。我が子なのですから」
「いいえ。御台所様はお解りになっておられません」
「何を言います!」
「これまで我慢をして参りましたが、今日は言わせて頂きます」
若狭ノ局は食い下がった。連れ添って暮らす夫の、外には出せない苦悩を何とか理解して貰いたかったのだ。
「御台所様はなぜ合議制をお認めになられたのです。亡き頼朝公の後をお継ぎになったのは頼家様です。頼家様を守(も)り立て、幕政を執らせるべきではありませんか」
「出来ることなら、私もそうさせたい。それを願わない私だと思いますか。幕政は生半可(なまはんか)なことで為してはなりません。幕府の支柱となるには、頼家はまだ力不足です。皆が知恵を出し合い、互いに補い合わねば幕府は立ち行かないことぐらい明白でしょう」
「ですが、まるで頼家様を敵に回したような宿老たちの為さりようです」
「だからといって蹴鞠や狩りに興じていいという理由にはなりません」
「頼家様のご裁可はことごとく無視されておいでです。相談する誰もいない。導き諭してくれる誰もいない。このような状況にしておいて、頼家様お一人を責め立てるのでは、頼家様の立場がございません。仮にも頼家様は征夷大将軍ではありませんか」
「将軍ならば、なおさらでしょう。遊びなどはもっての外。為さねばならぬことが山ほどあるというのに」
話が平行線をたどる。若狭ノ局は唇を噛んだ。
政子は冷ややかに若狭ノ局を見た。
「あなたの言いたいことはそれだけですか」
「私が正室ならば………」
若狭ノ局は一番言いたいことを口にした。
「ならばどうだと?」
「正室ならば、御台所様の見よう、言いようも違っていたでしょう。私は正室辻殿や宮菊殿のように正統な源氏の血を引いてはおりません。また一品房殿のように高貴な血も流れてはおりません。嫉妬が無いと申し上げれば嘘になります。ですが私は頼家様とは幼い頃より兄妹のように育ち、頼家様のお考えになること、お感じになることが手に取るように解ります。頼家様のことは、誰よりもよく知っているつもりです」
「それは私より、と言いたいのか?」
「はい。御台所様よりもです」
「何というものの言い草じゃ!」
「御台所様は頼家様に厳し過ぎます。一度でも褒めてあげられましたか? 一度でもよくやったと抱き締めてあげられましたか? 頼家様が富士の巻狩りで初めて鹿を射止めたのはわずか十一歳の時だと聞きました。立派なことではありませんか。見事に大人の仲間入りを果たされたのです。その時でさえ、御台所様は頼家様をお褒めにならなかった。頼家様はどんなにかあなた様に認めて貰いたかったことでしょう。それをあなた様は突き放したのです。人が育つには厳しさが必要なことも承知しています。厳しさばかりで逞しく育つ子もいるでしょう。ですが、頼家様は優しい心根をお持ちです。傷つき易い繊細な心です。厳しさが却って頼家様を追い詰め、息を継ぐ場を無くしてしまっていることにお気付きになりませんか」
「そなたがそうやって甘やかすから、頼家はますます軟弱になってしまう。頼家は武士の子です。しかも、全国の御家人を束ねた源氏の棟梁の血を引く子なのですよ。鹿を射止めるくらいは当たり前のこと。それも愛甲(あいきょう)という家臣が上手く鹿に当たるように仕向けてくれたからだと言うではありませんか。頼家は頼朝公から預かった御家人たちを統率していかねばならないという大役があるのです。そんなふうに甘やかされたままでは、いつまで経っても頼家は変わりません」
「いえ。頼家様を育て上げるべきあなた様が、今の頼家様をお作りなされたのです」
「あなたに何が解ります。頼家は私が腹を痛めて産んだ子です。頼家のことは母である私が一番よく知っている。それを、何です。それがそなたの夫の母親に言う言葉ですか!」
政子は若狭ノ局を睨み付けた。若狭ノ局も政子の鋭い視線を真っ直ぐに受け止めた。
「頼家………」
政子は、無表情になり床にじっと眼を落としている頼家の横顔に眼を移した。
「お前は強い子です」
(嘘だ!)
頼家は政子の言葉を胸の内で潰した。
「必ずや御家人たちを束ね幕府を率いてくれる。そう私は信じています」
(違う! 私はそんなふうにはなれない。なぜなら、なぜなら………)
頼家はキッと顔を上げた。
「北条ではないだからだ」
「何を言うのです、頼家」
「父の血を継ぎ将軍となっても力は無い。母の血を継いだといっても私は比企で育った。北条の人間ではない。若狭も比企の娘だ。だからなのでしょう? 北条よりも比企に肩入れするから、私にも若狭にも冷たくするのだ」
政子は答えなかった。そうして、頼家と若狭ノ局の顔を交互に見ると、勢いよく立ち上がった。
「情けない! 了見が狭過ぎます。自分の足元を見なさい。これから先を見通しなさい!」
そう言うと、政子はさっさと部屋を出て行った。
張り詰めた気が抜けたのか、若狭ノ局は政子の去って行った方を呆然と眺めていた。
頼家が若狭ノ局の側に坐った。
「よく言ってくれた」
若狭ノ局は頼家の眼を見返した。
「よかったのでしょうか、これで。ますます御台所様と離れてしまうようなことになってしまったのでは………」
「いいのだ、もう。私は北条が嫌いだ。だから………」
後の言葉を、頼家は自分で探すのを止めた。そうして、若狭ノ局の手を両手で包んだ。それが自分の続けたかった言葉の代わりのように思いながら。
六月二十六日、頼家の命を受けた八田知家が阿野全成を誅殺した。全成を生かしておけば再び命乞いをして来るのは眼に見えていた。また、全成自身が恨みを頼家に向けないとも限らなかったからだ。頼家は長い間喉に引っ掛かっていた骨を嚥(の)み下したような気分になった。気持ちが落ち着いた頼家は、ようやく平穏に暮らす日々を続けた。が、それも長くは続かなかった。
七月二十日戌(いぬ)の刻(午後八時頃)、頼家は再び高熱に襲われ、病の床に臥(ふ)したのである。
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