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第8章 国王の依頼
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要塞「ガルムの牙」での生活が始まった。
匠は、日の出と共に起床し、日没まで作業を続けた。弟子たちも、同様だ。
最初の一週間は、現状把握に費やされた。
匠は、「指金」を使いながら、要塞の隅々まで調査した。城壁の厚さ、石材の状態、基礎の深さ、排水溝の位置——全てを、羊皮紙に記録していく。
「タクミ、これを見てくれ」
ボルクが、匠を呼んだ。
彼は、城壁の一角を指差していた。
「ここ——石が崩れている」
匠は、近づいて確認した。
確かに、城壁の一部が崩れている。石材が数個、地面に転がっていた。
「これは……」
「指金」が、情報を伝えてくる。
——崩落原因:基礎の沈下。地盤が軟弱なため、城壁の重量を支えきれず、不等沈下が発生。放置すれば、さらに崩落が広がる。
「地盤だ」
匠は、地面を見た。
「ここの地盤が弱い。城壁を建てた時、きちんと地盤改良をしなかったんだろう」
「直せるか?」
「……時間がかかる」
地盤改良は、大工の仕事の中でも最も手間のかかる作業の一つだ。土を掘り返し、砕石を敷き詰め、突き固める。それを何層にも繰り返す。
「今は応急処置だけだ。本格的な修理は、後回しにする」
匠は、崩れた石材を見た。
「まず、これを積み直す。それから、周囲に支え柱を立てる。完璧じゃないが、当面は持つだろう」
作業を指示し、匠は次の場所へ移動した。
要塞のあちこちに、同様の問題が潜んでいた。
亀裂の入った壁。傾いた塔。腐った梁。錆びた金具。
どこから手をつければいいのか——圧倒されそうになる量だった。
「……一つずつ、やるしかない」
匠は、自分に言い聞かせた。
一本一本、丁寧に。
それが、唯一の解決策だった。
二週目に入ると、弟子たちに本格的な作業を任せ始めた。
「ガルド、この板を、ここに打ちつけろ」
「はい」
ガルドは、板と釘を手に、指示された場所に向かった。
匠は、彼の作業を見守った。
板を当てる位置、釘を打つ角度、力加減——全てを、注意深く観察する。
最初の一本。
ガルドが釘を打つ。
だが——
「止まれ」
匠が、声をかけた。
「何ですか」
「釘が曲がっている。打ち直せ」
「えっ……」
ガルドは、釘を見た。確かに、わずかに曲がっている。
「これくらい、問題ないんじゃ——」
「問題がある」
匠は、厳しい声で言った。
「釘が曲がっていると、保持力が落ちる。保持力が落ちると、板が緩む。板が緩むと——」
「崩れる。分かりました」
ガルドは、釘を抜き、新しい釘を取り出した。
今度は、慎重に打った。
まっすぐに、正確に。
「……よし」
匠は、頷いた。
「次だ」
作業は、少しずつ進んだ。
だが、予想以上に時間がかかった。
弟子たちは素人だ。教えても、すぐにはできない。同じミスを何度も繰り返す。匠が一人でやった方が早い場面が、何度もあった。
だが、匠は弟子たちに任せ続けた。
「なぜ、自分でやらないんですか」
ある夜、リーネが訊いた。
「その方が早いでしょう」
「ああ、早い」
匠は、火に照らされた手を見ながら答えた。
「でも、俺一人では限界がある。百人分の仕事は、俺一人ではできない」
匠は、焚き火の向こうに座る弟子たちを見た。
「彼らが育てば、十人で百人分の仕事ができる。百人で、千人分の仕事ができる。だから——」
匠は、目を閉じた。
「——今は、教えることが、俺の仕事だ」
リーネは、黙って匠を見ていた。
「お前、変わったな」
「そうか?」
「ああ。村にいた時より——ずっと」
匠は、何も答えなかった。
ただ、焚き火を見つめていた。
三週目の半ば。
事件が起きた。
「敵襲だ!」
見張りの声が、夜明け前の要塞に響いた。
匠は、飛び起きた。
外に出ると、北の方角——帝国側から、黒い煙が上がっていた。
「偵察部隊か」
ボルクが、剣を手に言った。
「いや——」
匠は、「指金」を発動させた。
視界が変わる。遠方の構造物が、透視されたように見える。
北から、何かが近づいてきている。
巨大な、木製の構造物。
「……攻城塔だ」
匠は、呟いた。
「攻城塔?」
「城壁を越えるための、移動式の塔だ。あれを使えば、兵士が直接城壁の上に乗り込める」
匠は、目を細めた。
「だが——まだ工事中のはずだ。こんなに早く完成するはずがない」
「何者かが、設計を手伝っているのか」
ボルクが、険しい顔で言った。
匠の脳裏に、一つの顔が浮かんだ。
蛭間正臣。
現実世界で、匠を追い詰めた男。
ファブリカが言っていた。蛭間も、この世界に転生している。敵国——ヴァルム帝国側に。
「……まさか」
匠は、攻城塔を見つめた。
その設計思想に、既視感があった。
効率重視。装飾を排した、純粋に機能だけを追求した設計。
「あいつだ」
匠は、確信した。
「蛭間が、あれを設計している」
攻城塔は、まだ距離がある。すぐには到達しない。
だが、帝国軍の偵察部隊が、先行して要塞に接近していた。
騎馬兵、約二十名。要塞の周囲を回りながら、偵察を行っている。
「迎撃するか?」
守備隊長が、訊いた。
「待ってくれ」
匠は、頭を巡らせた。
今、城壁の補強工事は、半分も終わっていない。北側の城壁は、まだ脆弱なままだ。
だが——
「俺に、考えがある」
匠は、言った。
「工事を中断するな。作業を続けろ」
「正気か? 敵が来ているんだぞ」
「だからこそだ」
匠は、城壁の設計図を頭に描いた。
「今から、急造の防御陣地を作る。仮設の足場を使って」
「足場?」
「ああ。高所からの射撃が可能になるようにする。弓兵を配置すれば、偵察部隊を撃退できる」
守備隊長は、しばらく匠を見つめていた。
「……できるのか、本当に」
「やるしかない」
匠は、弟子たちを呼んだ。
「全員、俺の指示に従え。今から、仮設の射撃台を作る」
弟子たちは、緊張した面持ちで頷いた。
ガルドの目には、恐怖と——興奮が混ざっていた。
「師匠。俺も、手伝います」
「当たり前だ」
匠は、道具を手に取った。
「さあ、始めるぞ」
作業は、猛スピードで進んだ。
匠が設計し、弟子たちが組み立てる。
木材を運び、柱を立て、板を渡す。通常なら半日かかる作業を、二時間で完了させた。
城壁の上に、仮設の射撃台が完成した。高さ約三メートルの足場で、上に立てば、遠くまで見渡せる。
「弓兵、配置につけ!」
守備隊長が、命じた。
弓兵たちが、射撃台に上った。
帝国軍の偵察部隊が、要塞に接近している。
「……射程に入った」
弓兵の隊長が、報告した。
「撃て!」
矢が放たれた。
高所からの射撃は、正確だった。偵察部隊の騎馬兵が、次々と倒れていく。
残った騎馬兵たちは、慌てて後退を始めた。
「追撃するか?」
「いや、深追いはするな」
守備隊長が、命じた。
「今は、守りを固めることが先だ」
偵察部隊は、北へ逃げていった。
要塞には、束の間の平和が戻った。
「見事だった」
守備隊長が、匠のところに来た。
「お前の判断がなければ、こうはいかなかった」
「俺は、ただ——」
「謙遜するな」
守備隊長は、匠の肩を叩いた。
「お前は、ただの大工じゃない。戦術家だ」
匠は、首を横に振った。
「違う。俺は、大工だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「だが——」
「俺にできるのは、建てることだけだ。戦うことは、お前たちの仕事だ」
匠は、城壁を見上げた。
「俺は、城を建てる。お前たちは、城を守る。それが、役割分担だ」
守備隊長は、しばらく匠を見ていた。
そして——
「……分かった」
静かに、頷いた。
「お前を信じる。この城を、頼んだぞ」
「ああ」
匠は、短く答えた。
そして、作業に戻った。
まだ、やるべきことは山ほどあった。
攻城塔が完成すれば、本格的な攻撃が始まる。
それまでに——
「……急がないとな」
匠は、呟いた。
腰の墨壺に、手を当てた。
親父の形見。
「見てろよ、親父」
匠は、城壁を見上げた。
「俺は、この城を守ってみせる」
匠は、日の出と共に起床し、日没まで作業を続けた。弟子たちも、同様だ。
最初の一週間は、現状把握に費やされた。
匠は、「指金」を使いながら、要塞の隅々まで調査した。城壁の厚さ、石材の状態、基礎の深さ、排水溝の位置——全てを、羊皮紙に記録していく。
「タクミ、これを見てくれ」
ボルクが、匠を呼んだ。
彼は、城壁の一角を指差していた。
「ここ——石が崩れている」
匠は、近づいて確認した。
確かに、城壁の一部が崩れている。石材が数個、地面に転がっていた。
「これは……」
「指金」が、情報を伝えてくる。
——崩落原因:基礎の沈下。地盤が軟弱なため、城壁の重量を支えきれず、不等沈下が発生。放置すれば、さらに崩落が広がる。
「地盤だ」
匠は、地面を見た。
「ここの地盤が弱い。城壁を建てた時、きちんと地盤改良をしなかったんだろう」
「直せるか?」
「……時間がかかる」
地盤改良は、大工の仕事の中でも最も手間のかかる作業の一つだ。土を掘り返し、砕石を敷き詰め、突き固める。それを何層にも繰り返す。
「今は応急処置だけだ。本格的な修理は、後回しにする」
匠は、崩れた石材を見た。
「まず、これを積み直す。それから、周囲に支え柱を立てる。完璧じゃないが、当面は持つだろう」
作業を指示し、匠は次の場所へ移動した。
要塞のあちこちに、同様の問題が潜んでいた。
亀裂の入った壁。傾いた塔。腐った梁。錆びた金具。
どこから手をつければいいのか——圧倒されそうになる量だった。
「……一つずつ、やるしかない」
匠は、自分に言い聞かせた。
一本一本、丁寧に。
それが、唯一の解決策だった。
二週目に入ると、弟子たちに本格的な作業を任せ始めた。
「ガルド、この板を、ここに打ちつけろ」
「はい」
ガルドは、板と釘を手に、指示された場所に向かった。
匠は、彼の作業を見守った。
板を当てる位置、釘を打つ角度、力加減——全てを、注意深く観察する。
最初の一本。
ガルドが釘を打つ。
だが——
「止まれ」
匠が、声をかけた。
「何ですか」
「釘が曲がっている。打ち直せ」
「えっ……」
ガルドは、釘を見た。確かに、わずかに曲がっている。
「これくらい、問題ないんじゃ——」
「問題がある」
匠は、厳しい声で言った。
「釘が曲がっていると、保持力が落ちる。保持力が落ちると、板が緩む。板が緩むと——」
「崩れる。分かりました」
ガルドは、釘を抜き、新しい釘を取り出した。
今度は、慎重に打った。
まっすぐに、正確に。
「……よし」
匠は、頷いた。
「次だ」
作業は、少しずつ進んだ。
だが、予想以上に時間がかかった。
弟子たちは素人だ。教えても、すぐにはできない。同じミスを何度も繰り返す。匠が一人でやった方が早い場面が、何度もあった。
だが、匠は弟子たちに任せ続けた。
「なぜ、自分でやらないんですか」
ある夜、リーネが訊いた。
「その方が早いでしょう」
「ああ、早い」
匠は、火に照らされた手を見ながら答えた。
「でも、俺一人では限界がある。百人分の仕事は、俺一人ではできない」
匠は、焚き火の向こうに座る弟子たちを見た。
「彼らが育てば、十人で百人分の仕事ができる。百人で、千人分の仕事ができる。だから——」
匠は、目を閉じた。
「——今は、教えることが、俺の仕事だ」
リーネは、黙って匠を見ていた。
「お前、変わったな」
「そうか?」
「ああ。村にいた時より——ずっと」
匠は、何も答えなかった。
ただ、焚き火を見つめていた。
三週目の半ば。
事件が起きた。
「敵襲だ!」
見張りの声が、夜明け前の要塞に響いた。
匠は、飛び起きた。
外に出ると、北の方角——帝国側から、黒い煙が上がっていた。
「偵察部隊か」
ボルクが、剣を手に言った。
「いや——」
匠は、「指金」を発動させた。
視界が変わる。遠方の構造物が、透視されたように見える。
北から、何かが近づいてきている。
巨大な、木製の構造物。
「……攻城塔だ」
匠は、呟いた。
「攻城塔?」
「城壁を越えるための、移動式の塔だ。あれを使えば、兵士が直接城壁の上に乗り込める」
匠は、目を細めた。
「だが——まだ工事中のはずだ。こんなに早く完成するはずがない」
「何者かが、設計を手伝っているのか」
ボルクが、険しい顔で言った。
匠の脳裏に、一つの顔が浮かんだ。
蛭間正臣。
現実世界で、匠を追い詰めた男。
ファブリカが言っていた。蛭間も、この世界に転生している。敵国——ヴァルム帝国側に。
「……まさか」
匠は、攻城塔を見つめた。
その設計思想に、既視感があった。
効率重視。装飾を排した、純粋に機能だけを追求した設計。
「あいつだ」
匠は、確信した。
「蛭間が、あれを設計している」
攻城塔は、まだ距離がある。すぐには到達しない。
だが、帝国軍の偵察部隊が、先行して要塞に接近していた。
騎馬兵、約二十名。要塞の周囲を回りながら、偵察を行っている。
「迎撃するか?」
守備隊長が、訊いた。
「待ってくれ」
匠は、頭を巡らせた。
今、城壁の補強工事は、半分も終わっていない。北側の城壁は、まだ脆弱なままだ。
だが——
「俺に、考えがある」
匠は、言った。
「工事を中断するな。作業を続けろ」
「正気か? 敵が来ているんだぞ」
「だからこそだ」
匠は、城壁の設計図を頭に描いた。
「今から、急造の防御陣地を作る。仮設の足場を使って」
「足場?」
「ああ。高所からの射撃が可能になるようにする。弓兵を配置すれば、偵察部隊を撃退できる」
守備隊長は、しばらく匠を見つめていた。
「……できるのか、本当に」
「やるしかない」
匠は、弟子たちを呼んだ。
「全員、俺の指示に従え。今から、仮設の射撃台を作る」
弟子たちは、緊張した面持ちで頷いた。
ガルドの目には、恐怖と——興奮が混ざっていた。
「師匠。俺も、手伝います」
「当たり前だ」
匠は、道具を手に取った。
「さあ、始めるぞ」
作業は、猛スピードで進んだ。
匠が設計し、弟子たちが組み立てる。
木材を運び、柱を立て、板を渡す。通常なら半日かかる作業を、二時間で完了させた。
城壁の上に、仮設の射撃台が完成した。高さ約三メートルの足場で、上に立てば、遠くまで見渡せる。
「弓兵、配置につけ!」
守備隊長が、命じた。
弓兵たちが、射撃台に上った。
帝国軍の偵察部隊が、要塞に接近している。
「……射程に入った」
弓兵の隊長が、報告した。
「撃て!」
矢が放たれた。
高所からの射撃は、正確だった。偵察部隊の騎馬兵が、次々と倒れていく。
残った騎馬兵たちは、慌てて後退を始めた。
「追撃するか?」
「いや、深追いはするな」
守備隊長が、命じた。
「今は、守りを固めることが先だ」
偵察部隊は、北へ逃げていった。
要塞には、束の間の平和が戻った。
「見事だった」
守備隊長が、匠のところに来た。
「お前の判断がなければ、こうはいかなかった」
「俺は、ただ——」
「謙遜するな」
守備隊長は、匠の肩を叩いた。
「お前は、ただの大工じゃない。戦術家だ」
匠は、首を横に振った。
「違う。俺は、大工だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「だが——」
「俺にできるのは、建てることだけだ。戦うことは、お前たちの仕事だ」
匠は、城壁を見上げた。
「俺は、城を建てる。お前たちは、城を守る。それが、役割分担だ」
守備隊長は、しばらく匠を見ていた。
そして——
「……分かった」
静かに、頷いた。
「お前を信じる。この城を、頼んだぞ」
「ああ」
匠は、短く答えた。
そして、作業に戻った。
まだ、やるべきことは山ほどあった。
攻城塔が完成すれば、本格的な攻撃が始まる。
それまでに——
「……急がないとな」
匠は、呟いた。
腰の墨壺に、手を当てた。
親父の形見。
「見てろよ、親父」
匠は、城壁を見上げた。
「俺は、この城を守ってみせる」
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