クリーニング業×異世界転生_洗浄聖典 ~クリーニング師、異世界で万物を清める~

もしもノベリスト

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第5章「王都からの使者」

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その男は、銀色の鎧を纏っていた。

 清浄亭の入口に立つその姿は、この辺境の町には明らかに不釣り合いだった。胸当てには王国の紋章——交差する剣と盾——が刻まれ、腰には装飾の施された長剣を佩いている。

 騎士。

 それも、相当な地位の者だ。

「ここが、清浄亭か」

 低く響く声だった。四十代半ばと思しき精悍な顔つき。顎には手入れされた髭があり、眼光は鋭い。

「ああ。何か御用ですか」

 洗一は、カウンターから立ち上がった。

 背後で、セラが緊張した面持ちで控えている。

「俺はガルディス・フォン・アイゼンハルト。王国騎士団の副団長を務めている」

 副団長。

 洗一は、この世界に来てから得た知識を思い出した。王国騎士団は、この国の軍事力の中核を担う組織だ。その副団長といえば、国家の要人に近い存在のはずだ。

 なぜ、そんな人物が——

「噂を聞いてな」

 ガルディスは、店内を見回しながら言った。

「穢れを落とせる職人がいると。呪いすら浄化できると」

「噂は少々、誇張されているかもしれません」

「謙遜か? いや——」

 ガルディスの目が、洗一を真っ直ぐに見据えた。

「その目は、嘘をつく者の目ではない。ならば、事実だろう」

 洗一は、何も答えなかった。

「単刀直入に言う。騎士団の装備を、お前に任せたい」

「装備……ですか」

「儀礼用の甲冑だ。代々受け継がれてきた由緒ある品だが——近年、瘴気に侵され始めている」

 ガルディスの表情が、わずかに曇った。

「騎士団の象徴とも言える甲冑だ。これが穢れに侵されているというのは——士気に関わる」

 洗一は、考えた。

 騎士団の儀礼用甲冑。おそらく、数十着、あるいは数百着の規模だろう。これまでの依頼とは、桁が違う。

「何着ほど、ありますか」

「百二十着だ」

 百二十着。

 一着あたり、最低でも半日はかかる。単純計算で六十日。二ヶ月だ。

 一人では——無理だ。

「……正直に申し上げます」

 洗一は、ガルディスの目を見て言った。

「今の態勢では、その規模の依頼は受けられません」

 ガルディスの眉が、わずかに上がった。

「断る、と?」

「いえ。態勢を整える時間をいただければ、お受けできます」

「どれくらいの時間が必要だ」

「一ヶ月。人員を確保し、設備を整えるための時間です」

 ガルディスは、しばらく黙っていた。

 やがて、ゆっくりと頷いた。

「いいだろう。一ヶ月後に、改めて連絡する。それまでに準備を整えておけ」

「承知しました」

「だが——一つ、条件がある」

 ガルディスは、懐から布に包まれた何かを取り出した。

「これを、先に処理してほしい」

 布を開くと、中には——籠手があった。

 銀色の金属で作られた、精緻な細工の籠手。だが、その表面には——黒い染みが、不規則に広がっていた。

 【汚染鑑定】が起動する。

 ——対象:儀礼用籠手(騎士団正装)
 ——素材:銀合金(ミスリル含有)
 ——汚染:瘴気(中濃度)。表層から中層まで浸透。
 ——経過:約6ヶ月
 ——特記:魔力劣化あり。本来の防御効果が低下。

 瘴気。

 これが、ガルディスの言っていた「穢れ」だ。

「これは——俺の籠手だ」

 ガルディスの声が、静かに響いた。

「二十年前、騎士団に入団したときに授けられた。以来、ずっと使ってきた。だが、半年前から——この染みが現れ始めた」

「半年前——何かきっかけが?」

「北の国境で、魔獣の大群と戦った。そのとき——瘴気の濃い地域に足を踏み入れた」

 洗一は、頷いた。

 瘴気の濃い地域。神が言っていた「穢れに侵された世界」の一端だろう。

「これを落とせれば——騎士団全体の装備を任せる価値がある。そう判断する」

「……わかりました」

 洗一は、籠手を受け取った。

 重い。

 物理的な重さではない。二十年間、主人と共に戦ってきた籠手の——「歴史」の重さだ。

「三日、いただきます」

「頼んだ」

 ガルディスは、それだけ言って、店を出ていった。

 籠手をカウンターに置き、洗一は深く息を吐いた。

「セイイチさん——今の人、すごい人ですよね」

 セラが、緊張した声で言った。

「騎士団の副団長って——この国で五本の指に入る偉い人だって、リーナさんが言ってました」

「そうらしいな」

 洗一は、籠手を観察した。

 百二十着の儀礼用甲冑。

 一人では、絶対に無理だ。

 だが——

「セラ」

「はい」

「お前、この一ヶ月で、どれくらい成長したと思う?」

 セラは、少し考えてから答えた。

「……簡単な衣類の検品と、基本的な汚れ落としは、できるようになりました」

「そうだな。じゃあ、次のステップだ」

 洗一は、セラの目を見据えた。

「お前を、正式な弟子にする」

 セラの目が、大きく見開かれた。

「弟子——ですか?」

「今までは『従業員』だった。だが、これからは違う。俺の技術を、本格的に教える」

「私に——そんなことが——」

「できる」

 洗一は、断言した。

「お前には才能がある。観察力、記憶力、そして——何より、学ぼうとする意欲がある」

 セラは、しばらく黙っていた。

 やがて、彼女の目に——涙が浮かんだ。

「……ありがとう、ございます」

 その声は、震えていた。

「私——孤児で、誰にも期待されたことなんて、なくて——」

「過去は関係ない。大事なのは、これからだ」

 洗一は、セラの頭に手を置いた。

「厳しくするぞ。覚悟しろ」

「はい」

 セラは、涙を拭いて、頷いた。

「覚悟、します」

 その日から、洗一の生活は一変した。

 これまでは、依頼品を一つずつ丁寧に処理していればよかった。だが、今は違う。

 騎士団からの大量依頼に対応するため、「組織」を作らなければならない。

 まず、人員。

 セラ一人では、とても足りない。最低でも、あと三人は必要だ。

 洗一は、リーナに相談した。

「人を探してるの?」

 冒険者ギルドのカウンターで、リーナは首を傾げた。

「クリーニングの仕事って——正直、冒険者には向かないと思うけど」

「冒険者じゃなくていい。真面目に働ける人間を探している。できれば、若くて、学ぶ意欲のある者を」

「ふーん……」

 リーナは、少し考えてから言った。

「心当たり、あるかも」

「本当か」

「この町の孤児院に、仕事を探してる子たちがいるの。十三歳から十五歳くらい。手先が器用な子もいるわよ」

 孤児院。

 セラも、かつては孤児だった。

「紹介してくれるか」

「いいわよ。でも——ちゃんとした雇用条件、用意してあげてね。あの子たち、今まで散々な目に遭ってきてるから」

「当然だ」

 洗一は、頷いた。

「働く者には、正当な対価を払う。それが——俺の信条だ」

 翌日、洗一は孤児院を訪ねた。

 町外れにある、石造りの古い建物。壁には蔦が這い、窓は小さく、薄暗い。

 中に入ると、十数人の子供たちが、一斉にこちらを見た。

 警戒の目。

 彼らは、大人というものに、いい印象を持っていないのだろう。

「清浄亭の店主、清水洗一です」

 洗一は、院長と思しき老婆に挨拶した。

「人手を探していると聞いて——」

「ああ、リーナさんから話は聞いとるよ」

 院長は、疲れた顔で言った。

「働ける子は何人かおるが——ちゃんとした仕事なのかね? 前に来た商人は、結局、子供たちをこき使うだけで——」

「俺は違います」

 洗一は、老婆の目を真っ直ぐに見た。

「雇用条件は明確にします。労働時間、賃金、休日——全て、書面で約束します」

 老婆の目が、わずかに見開かれた。

「書面……?」

「当然でしょう。働く者の権利を守るのは、雇う者の義務です」

 老婆は、しばらく洗一の顔を見つめていた。

 やがて、深く頷いた。

「……お前さんは、信用できそうだね」

 結局、三人を雇うことになった。

 トム——十四歳の少年。無口だが、手先が器用。

 エマ——十三歳の少女。明るく社交的で、接客に向いていそう。

 ルカ——十五歳の少年。体が大きく、力仕事が得意。

 三人は、緊張した面持ちで清浄亭にやってきた。

「今日から、ここで働いてもらう」

 洗一は、三人の前に立った。

「最初に言っておく。俺は厳しい。だが、理不尽なことは言わない。質問があれば、いつでも聞け。わからないことは、わからないと言え」

 三人は、無言で頷いた。

「仕事は、まず見て覚える。セラが先輩だ。彼女の指示に従え」

 セラが、緊張した顔で三人に頭を下げた。

「よ、よろしくお願いします……」

 彼女も、まだ慣れていない。

 だが——慣れるしかない。

 組織は、こうして作られていく。

 次に必要なのは、設備だった。

 今の作業場は、一人で作業するには十分だが、五人で同時に作業するには狭すぎる。

 洗一は、ゴルドに相談した。

「作業場の拡張? そりゃ、金さえあれば何とかなるが——」

 ゴルドは、髭を撫でながら言った。

「どれくらいの規模を考えてる?」

「今の三倍。作業台を五つ置けるスペースと、大きな水槽、乾燥用の設備」

「大掛かりだな。……いくら出せる?」

「金貨二十枚」

 ゴルドの目が、驚きで見開かれた。

「二十枚だと? お前、そんな金、どこから——」

「呪いの外套の依頼と、これまでの売上だ」

 洗一は、懐から金貨の袋を取り出した。

 呪いの外套の依頼で得た「贈り物」は、金貨十枚だった。それに加えて、日々の売上から貯めた分が、約十枚。

「全財産だ。だが、投資する価値はある」

 ゴルドは、しばらく洗一の顔を見つめていた。

 やがて、にやりと笑った。

「いい目してるな、お前。……いいぜ、引き受けた。一ヶ月で仕上げてやる」

 そして、最も重要なのは——業務フローの体系化だった。

 これまで、洗一は全ての工程を一人で行ってきた。検品、洗浄、仕上げ、引き渡し——全てが、彼の頭の中にある「暗黙知」で処理されていた。

 だが、組織で仕事をするなら、それでは駄目だ。

 「誰がやっても同じ品質」を保証するための、明文化されたマニュアルが必要になる。

 洗一は、夜ごと、紙に書き出していった。

 受付の手順。

 ——まず、顧客の名前と住所を確認する。
 ——次に、依頼品を受け取り、カウンターに置く。
 ——ポケットの中身を確認する。異世界では呪具が入っていることもある。
 ——既存のダメージ(破れ、ほつれ、染み)を確認し、記録する。
 ——顧客に確認し、署名をもらう。

 検品の手順。

 ——素材を確認する。布、革、金属、それぞれで処理法が異なる。
 ——汚れの種類を特定する。油溶性、水溶性、タンパク系、タンニン系。
 ——穢れの有無を確認する。穢れがある場合は、別ラインで処理。
 ——処理の優先順位を決定する。

 洗浄の手順。

 処理の種類ごとに、詳細なプロセスを記述していく。

 温度、時間、溶剤の濃度——全てを、数値で明確にする。

 セラは、その作業を隣で見ていた。

「セイイチさん……これ、全部覚えなきゃいけないんですか?」

「最終的にはな。だが、最初は読みながらでいい」

 洗一は、ペンを置いた。

「大事なのは、『なぜこうするのか』を理解することだ。手順を暗記するだけでは、応用が利かない」

「なぜ——ですか」

「そうだ。例えば、血液の染みは冷水で処理する。なぜか、わかるか?」

 セラは、少し考えてから答えた。

「……熱を加えると、固まるから?」

「正解だ。血液の主成分はタンパク質。タンパク質は熱で凝固する。だから、冷水で処理する」

 洗一は、セラの目を見据えた。

「原理を理解すれば、初めて見る汚れにも対応できる。『これはタンパク系だから、熱は避けよう』と判断できる」

「なるほど……」

「お前は——将来、この店を任せる人間だ」

 セラの目が、驚きで見開かれた。

「私が——?」

「俺がいつまでも現役でいられるとは限らない。いずれ、お前が店を継ぐ。そのために——今から、全てを教える」

 セラは、しばらく言葉を失っていた。

 やがて、彼女の目に——決意が宿った。

「……わかりました」

 その声は、静かだが、強かった。

「私——必ず、セイイチさんの技術を受け継ぎます」

 三日後、洗一はガルディスの籠手を完成させた。

 瘴気は完全に除去され、銀色の表面は本来の輝きを取り戻していた。魔力も回復し、防御効果も元通りだ。

 ガルディスが、籠手を受け取りに来た。

「これは——」

 彼は、籠手を手に取り、光にかざした。

「素晴らしい。二十年前の——いや、それ以上だ」

「瘴気を除去し、魔力を回復させました。また同じ環境に置けば再び汚染される可能性がありますが、通常の使用であれば、当面は問題ないでしょう」

 ガルディスは、籠手を嵌めてみた。

 その顔に、穏やかな笑みが浮かんだ。

「……ありがとう」

 その言葉には、単なる感謝以上の重みがあった。

「この籠手は——俺にとって、特別な品だ。入団したとき、亡き父から譲り受けた」

 洗一は、何も言わなかった。

「父も騎士だった。俺より先に、この籠手を嵌めて戦った。この籠手には——父との思い出が、染み込んでいる」

 ガルディスは、籠手を外し、丁寧に布で包んだ。

「それを——お前は、救ってくれた」

「俺は——汚れを落としただけです」

「汚れを落とすことが、どれほど大切か——お前は、わかっているだろう」

 ガルディスは、洗一の目を見据えた。

「一ヶ月後——騎士団の装備を任せる。準備を整えておけ」

「承知しました」

 ガルディスは、金貨の袋をカウンターに置いた。

「これは——前払いだ。残りは、仕事が終わってから」

 袋を開けると、中には——金貨五十枚。

 これまで見たことのない、大金だった。

「これで——態勢を整えろ。王国騎士団は、お前を支援する用意がある」

 ガルディスは、それだけ言って、店を出ていった。

 洗一は、金貨の袋を見つめた。

 五十枚。

 これで、設備の拡張は問題なくできる。

 そして——騎士団との繋がり。

 この世界で生きていくための、強力な後ろ盾だ。

 だが、同時に——責任も増す。

 百二十着の甲冑。

 それを、一ヶ月以内に処理できる態勢を整えなければならない。

 人員教育、設備拡張、業務フローの確立——

 全てを、同時に進める必要がある。

「セイイチさん」

 セラが、隣に立っていた。

「大丈夫——ですか?」

「何がだ」

「大変そうだな、って思って……」

 洗一は、少し笑った。

「大変だな。確かに」

「私——手伝います。何でもします」

「ああ。頼りにしてる」

 洗一は、窓の外を見た。

 日が傾き始めている。

 この世界に来て、もう一ヶ月以上が経った。

 最初は、右も左もわからなかった。

 だが、今は違う。

 店がある。弟子がいる。顧客がいる。そして——大きな仕事がある。

 俺は——ここで、生きていける。

 そう確信できるようになっていた。

「さて——明日から、本格的に動くぞ」

 洗一は、セラに言った。

「忙しくなる。覚悟しておけ」

「はい」

 セラは、力強く頷いた。

 清浄亭は——新しい段階に入ろうとしていた。

【第5章・了】
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