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第一章 ファミレス
第二章 手紙
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第二話 封印された手紙
要が独立して半年が経った。小さなカフェ「コーヒーハウス・かなめ」は、地域の人々に愛される温かい店になっていた。あのカフェ・昴での体験が、確実に要の人生を変えていた。
しかし、成功の喜びと共に、もう一つの重い記憶が要の心を締め付けていた。
二十五歳で店長になった時のこと。全国トップ10の売上を誇る店舗で、要は全国一位を目指すという野心に取り憑かれていた。本来のお客様との温かいコミュニケーションを忘れ、回転率と客単価の数字ばかりを追いかけるようになっていた。
そんな中で最も心を痛めていたのが、櫻井様への対応だった。
櫻井様は週に必ず二回、決まってチーズケーキセットを注文してくれる常連客だった。いつも穏やかな笑顔で、店が混み始めると気遣ってそっと帰られる紳士的な方だった。
ところが要は、数字に囚われるあまり、だんだんと櫻井様への対応が横柄になっていった。長居をする客として見るようになり、時には露骨に不快感を示すこともあった。
そしてある日を境に、櫻井様は来なくなった。
数ヶ月後、要のもとに一通の封筒が届いた。差出人は櫻井夫人。震える手で開けようとしたが、どうしても勇気が出なかった。櫻井様が既に亡くなられていることを知らせる内容で、生前に要に宛てた手紙を同封してくださったのだった。
しかし要は、十五年間その手紙を開けずにいた。実家の自分の部屋の天井裏に隠し、見て見ぬふりを続けてきたのだ。
---
店の営業を終えた夜、要は一人でカウンターに座っていた。独立の夢を叶えた今、なぜあの手紙のことが頭から離れないのか。
「また、あのカフェに行ってみようか…」
要はバイクにまたがり、あの山道を登った。不思議なことに、カフェ・昴は今夜も営業していた。
「お帰りなさい、要さん」
昴は要の顔を見るなり、優しく微笑んだ。
「また、何か心に引っかかることがおありですね」
要は櫻井様のことを昴に話した。十五年間封印してきた手紙のことも。
「その手紙、読まれたいのですね」
「怖いんです。きっと僕を責める内容だと思うから…」
昴は静かに首を振った。
「もし、あの時違う対応をしていたら?櫻井様に最後まで温かく接していたら、どうなっていたでしょう?」
「それは…きっと最後まで来てくださったでしょうね」
「では、その記憶を作り直してみませんか?」
再び昴の瞳が光った。要は目を閉じた。
---
新しい記憶が流れ込んできた。
あの日、要は全国一位への野心を抱きながらも、櫻井様には変わらず温かく接していた。いつものようにチーズケーキセットをお出しし、時には世間話をしながら、櫻井様の穏やかな時間を大切にしていた。
ある日、櫻井様がいつもより長く店にいることに気づいた要は、心配して声をかけた。
「櫻井様、大丈夫ですか?」
「実は…もうそう長くはないと医者に言われていましてね。この店の雰囲気と、あなたの笑顔に癒されていたんです」
要は驚いた。それからは、櫻井様が来店される度に、特別に時間をかけて接するようになった。時には閉店間際まで話し込むこともあった。
櫻井様の最後の来店日。いつものようにチーズケーキを召し上がった後、櫻井様は要に言った。
「外山店長、本当にありがとうございました。あなたのような心温かい人に出会えて、私は幸せでした」
それが櫻井様との最後の会話となった。
数日後、櫻井夫人から連絡があり、櫻井様が亡くなられたことを知った。そして一通の手紙を渡された。
手紙には、要への感謝の気持ちが綴られていた。病気と闘う中で、要の店が心の支えだったこと。若い店長の一生懸命な姿に勇気をもらっていたこと。最後まで温かく迎えてくれたことへの深い感謝…
しかし、その温かい関係も、結局は櫻井様の死という結末は変わらなかった。要は同じように悲しみ、同じように後悔していた。優しく接していても、もっと何かできたのではないかと…
---
「どうでしたか?」
昴の声で目を開けた要は、涙を流していた。
「結局…櫻井様は亡くなってしまった。僕が優しくしても、横柄にしても、その事実は変わらなかった」
「そうです。でも、櫻井様にとって、あなたとの時間はどちらの記憶でも大切なものでした」
昴は続けた。
「人は必ず別れの時が来ます。大切なのは、その限られた時間をどう過ごすかです」
「僕は…あの手紙を読むのが怖かった。きっと責められていると思って」
「本当にそう思いますか?」
要は首を振った。新しい記憶の中で見た櫻井様の優しい笑顔が蘇った。
「いえ…きっと櫻井様は、最後まで僕を思いやってくださったと思います」
「では、帰って手紙を読んでみませんか?」
---
その夜、要は実家の天井裏から封筒を取り出した。十五年間封印してきた手紙を、ついに開封する時が来た。
震える手で封を切ると、丁寧な字で書かれた便箋が出てきた。
『外山店長様
突然のお手紙を失礼いたします。
いつもお忙しい中、温かくお迎えいただき、ありがとうございました。
あなたの一生懸命な姿を見ていると、私も頑張らなければと思えました。
病気のことで気持ちが沈んでいた時も、あなたの笑顔に救われました。
最近は体調が優れず、お店に伺えない日が続いておりますが、
必ずまた、あのおいしいチーズケーキをいただきに参ります。
あなたのような心優しい方に出会えたことを、心から感謝しております。
どうかお体に気をつけて、多くのお客様を笑顔にしてください。
櫻井』
要は声を上げて泣いた。責める言葉など一つもなく、最後まで感謝の気持ちが綴られていた。
たとえあの時の対応が完璧でなかったとしても、櫻井様は要のことを大切に思ってくださっていたのだ。
翌日、要は櫻井様のお墓を訪れた。墓石の前でチーズケーキを供え、心から謝罪と感謝の気持ちを伝えた。
「櫻井様、今度は僕が、お客様一人一人を大切にします。あなたが教えてくださったように」
それから要の店「コーヒーハウス・かなめ」には、櫻井様を偲んで特別なチーズケーキが置かれるようになった。メニューには載せず、ただ静かに、来店される一人一人のお客様を大切にする心の象徴として。
要は理解した。過去を変えることはできないが、その経験から学び、今を大切に生きることはできる。櫻井様との出会いと別れは、要にとって人生の宝物だったのだ。
要が独立して半年が経った。小さなカフェ「コーヒーハウス・かなめ」は、地域の人々に愛される温かい店になっていた。あのカフェ・昴での体験が、確実に要の人生を変えていた。
しかし、成功の喜びと共に、もう一つの重い記憶が要の心を締め付けていた。
二十五歳で店長になった時のこと。全国トップ10の売上を誇る店舗で、要は全国一位を目指すという野心に取り憑かれていた。本来のお客様との温かいコミュニケーションを忘れ、回転率と客単価の数字ばかりを追いかけるようになっていた。
そんな中で最も心を痛めていたのが、櫻井様への対応だった。
櫻井様は週に必ず二回、決まってチーズケーキセットを注文してくれる常連客だった。いつも穏やかな笑顔で、店が混み始めると気遣ってそっと帰られる紳士的な方だった。
ところが要は、数字に囚われるあまり、だんだんと櫻井様への対応が横柄になっていった。長居をする客として見るようになり、時には露骨に不快感を示すこともあった。
そしてある日を境に、櫻井様は来なくなった。
数ヶ月後、要のもとに一通の封筒が届いた。差出人は櫻井夫人。震える手で開けようとしたが、どうしても勇気が出なかった。櫻井様が既に亡くなられていることを知らせる内容で、生前に要に宛てた手紙を同封してくださったのだった。
しかし要は、十五年間その手紙を開けずにいた。実家の自分の部屋の天井裏に隠し、見て見ぬふりを続けてきたのだ。
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店の営業を終えた夜、要は一人でカウンターに座っていた。独立の夢を叶えた今、なぜあの手紙のことが頭から離れないのか。
「また、あのカフェに行ってみようか…」
要はバイクにまたがり、あの山道を登った。不思議なことに、カフェ・昴は今夜も営業していた。
「お帰りなさい、要さん」
昴は要の顔を見るなり、優しく微笑んだ。
「また、何か心に引っかかることがおありですね」
要は櫻井様のことを昴に話した。十五年間封印してきた手紙のことも。
「その手紙、読まれたいのですね」
「怖いんです。きっと僕を責める内容だと思うから…」
昴は静かに首を振った。
「もし、あの時違う対応をしていたら?櫻井様に最後まで温かく接していたら、どうなっていたでしょう?」
「それは…きっと最後まで来てくださったでしょうね」
「では、その記憶を作り直してみませんか?」
再び昴の瞳が光った。要は目を閉じた。
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新しい記憶が流れ込んできた。
あの日、要は全国一位への野心を抱きながらも、櫻井様には変わらず温かく接していた。いつものようにチーズケーキセットをお出しし、時には世間話をしながら、櫻井様の穏やかな時間を大切にしていた。
ある日、櫻井様がいつもより長く店にいることに気づいた要は、心配して声をかけた。
「櫻井様、大丈夫ですか?」
「実は…もうそう長くはないと医者に言われていましてね。この店の雰囲気と、あなたの笑顔に癒されていたんです」
要は驚いた。それからは、櫻井様が来店される度に、特別に時間をかけて接するようになった。時には閉店間際まで話し込むこともあった。
櫻井様の最後の来店日。いつものようにチーズケーキを召し上がった後、櫻井様は要に言った。
「外山店長、本当にありがとうございました。あなたのような心温かい人に出会えて、私は幸せでした」
それが櫻井様との最後の会話となった。
数日後、櫻井夫人から連絡があり、櫻井様が亡くなられたことを知った。そして一通の手紙を渡された。
手紙には、要への感謝の気持ちが綴られていた。病気と闘う中で、要の店が心の支えだったこと。若い店長の一生懸命な姿に勇気をもらっていたこと。最後まで温かく迎えてくれたことへの深い感謝…
しかし、その温かい関係も、結局は櫻井様の死という結末は変わらなかった。要は同じように悲しみ、同じように後悔していた。優しく接していても、もっと何かできたのではないかと…
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「どうでしたか?」
昴の声で目を開けた要は、涙を流していた。
「結局…櫻井様は亡くなってしまった。僕が優しくしても、横柄にしても、その事実は変わらなかった」
「そうです。でも、櫻井様にとって、あなたとの時間はどちらの記憶でも大切なものでした」
昴は続けた。
「人は必ず別れの時が来ます。大切なのは、その限られた時間をどう過ごすかです」
「僕は…あの手紙を読むのが怖かった。きっと責められていると思って」
「本当にそう思いますか?」
要は首を振った。新しい記憶の中で見た櫻井様の優しい笑顔が蘇った。
「いえ…きっと櫻井様は、最後まで僕を思いやってくださったと思います」
「では、帰って手紙を読んでみませんか?」
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その夜、要は実家の天井裏から封筒を取り出した。十五年間封印してきた手紙を、ついに開封する時が来た。
震える手で封を切ると、丁寧な字で書かれた便箋が出てきた。
『外山店長様
突然のお手紙を失礼いたします。
いつもお忙しい中、温かくお迎えいただき、ありがとうございました。
あなたの一生懸命な姿を見ていると、私も頑張らなければと思えました。
病気のことで気持ちが沈んでいた時も、あなたの笑顔に救われました。
最近は体調が優れず、お店に伺えない日が続いておりますが、
必ずまた、あのおいしいチーズケーキをいただきに参ります。
あなたのような心優しい方に出会えたことを、心から感謝しております。
どうかお体に気をつけて、多くのお客様を笑顔にしてください。
櫻井』
要は声を上げて泣いた。責める言葉など一つもなく、最後まで感謝の気持ちが綴られていた。
たとえあの時の対応が完璧でなかったとしても、櫻井様は要のことを大切に思ってくださっていたのだ。
翌日、要は櫻井様のお墓を訪れた。墓石の前でチーズケーキを供え、心から謝罪と感謝の気持ちを伝えた。
「櫻井様、今度は僕が、お客様一人一人を大切にします。あなたが教えてくださったように」
それから要の店「コーヒーハウス・かなめ」には、櫻井様を偲んで特別なチーズケーキが置かれるようになった。メニューには載せず、ただ静かに、来店される一人一人のお客様を大切にする心の象徴として。
要は理解した。過去を変えることはできないが、その経験から学び、今を大切に生きることはできる。櫻井様との出会いと別れは、要にとって人生の宝物だったのだ。
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