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第1章・花のような君との出会い
第3話
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風が葉を鳴らす音が耳を抜けていく。声をかけられている。そう気付いたものの、僕は気付かないふりをして足を進める。
「ねぇねぇ」
大方、写真を撮って、か、道を教えて、か、そんなことだろう。だから逃げる。僕は映えるカメラテクニックなんて知らないし、道を教えられるほどこの土地に詳しくもない。僕は、そういう世界にいたことのない人間だ。それらについて訊ねるならば、僕では不適切だ。
「ねぇってば」
それに、相手は女の子だ。どう話せばいいのかなんて、分かるはずもない。
「君だよ、君!」
「…………」
さすがに無視できず、足を止めて振り返る。見ると、白いワンピースの少女が、僕のほうへ駆けてきていた。
「えっと……僕?」
そりゃそうだろう、とでもいうように、少女は頷く代わりの瞬きをする。
近くで見ると、さらに美しさが際立っていた。
くっきり二重の瞳を縁取るまつ毛は長く、瞬きのたびぱちぱちと音が聞こえてくるようだった。白目は青白く澄んでいて、唇は果実のように赤くみずみずしい。
その果実のような唇が、言葉を紡ぐ。
「ねぇ、君。ひとり? こんなところでなにしてるの?」
「えっと……」
一昔前のナンパを受けたような気分だ。
「……ね、猫を追いかけてて」
咄嗟に、さっき見かけた猫を理由にした。実際あの黒猫を追いかけてここへ来たのだから、うそではない。
「猫?」
首を傾げる少女に、僕はちらりと彼女の後方の舞台を見る。
僕の視線を辿るように少女が顔を向ける。そして、舞台の上に転がる黒猫を見た。
「わっ! ほんとだ、猫だっ! 可愛い~!!」
少女は弾けた声を上げて、黒猫の元へ駆けていった。勢いよく迫ってくる少女に黒猫は一瞬身構えたものの、悪意はないことを悟ったのか、すぐに警戒を解いて毛繕いを始めた。
少女は黒猫の前まで行き、その頭へ手を伸ばそうとして、怯えたように手を引っこめた。
どうしたのだろう。動物が苦手なのだろうか。まるで、生き物に触れたことのない子どものような反応だ、と思った。
なんとなく観察していると、少女が再び僕を見た。
「え」
僕は反射的に身構えた。いやな予感がする。
「ねぇ君、この子、抱っこすることできる?」
「え?」
「私、猫見るの初めてなの! 触りたいけど、その……ちょっと怖いっていうか……」
「猫が初めて?」
そんなひといるのか。この歳で?
驚いていると、少女は懇願するように顔の前で手を合わせた。
「ねぇ、お願い! 君、この子を抱っこしてみせてよ」
「僕が!?」
「うん! 一度でいいから、猫ちゃんのこと触ってみたいの。お願いお願い!」
僕だってべつに、猫が得意ってわけじゃない。飼っていたこともないし、正しい抱きかたも知らない。だが、ここまで言われてできないというのもなんだか癪だ。
「……仕方ないな」
仕方なく少女と黒猫の元へ向かう。
思いのほか黒猫は大人しく、僕がすぐ目の前まで来ても逃げる様子はない。
うしろ側からそっと脇に手を入れ、恐る恐る抱き上げてみると、黒猫はぴんと前足を伸ばして、前ならえの姿勢になった。
無事抱っこできたことにほっとしつつ、僕は黒猫を少女に差し出す。黒猫は前ならえの体勢のまま、少女をじっと見つめていた。
「はい、どうぞ」
「わぁあ、可愛い! 待って、そのままね、そのまま……」
ちょん、と少女が指の先で黒猫の眉間を撫でた。黒猫は一瞬怖がるように目を瞑ったが、すぐにごろごろと喉を鳴らし始めた。
「きゃあ~!! 可愛い!」
少女の甲高い声に、黒猫の耳がうしろ側へと折れる。少女の声に驚いたのだろう。覗いてみると、さっきまで閉じていた瞳孔は少し開いていた。
「あんまり高い声出したら猫が驚くから、静かにしてあげて」
「あっ、そっか。分かった!」
少女は僕の指摘を素直に受け入れ、静かに黒猫を可愛がり始める。だが、少女が黒猫を受け取る気配はない。
どうやら、彼女は黒猫を触りたいだけで受け取る気はないようだ。このまま前ならえをさせておくのも可哀想なので、僕は仔猫の抱きかたを赤ちゃんを抱くようなかたちに変える。
「へぇ~猫ってすごいふわふわなんだねぇ。耳のうしろとかすごいさらさらしてるー」
本気で感動している様子の彼女に、僕は思わず訊ねた。
「……本当に猫見るの初めてなんだ?」
「うん、初めて」
彼女は黒猫へ視線を落とし、ふにゃっとした顔のまま僕の問いに答えた。
「野良猫とかを見かけたこととかもないの?」
「野良猫……うーん、テレビでしかないかなぁ。あ、でもライオンとかゾウならナマで見たことあるよ! 動物園に連れて行ってもらったことはあるから!」
「動物園?」
「うん。でも猫は動物園にはいないじゃん?」
そりゃいないだろう、と心のなかでツッコミを入れる。
「いたっていいのにねぇ」
と、少女は真顔で言う。
「……いや、まぁ……」
たしかに、動物園に猫はいない。だって、いたところで猫なんてなんの真新しさもないし、わざわざお金を払って猫を見に来る客もいないだろう。
……と思うけれど、改めて考えるとたしかに不思議な気もする。
猫も動物だ。動物園にいても、べつに変じゃない。猫好きも多いし、巷には猫カフェだってあるくらいなのだから。
だけど。
「……そんなこと、疑問に思ったこともなかった」
呟くと、彼女はころころと笑った。
「そっかぁ」
「…………」
「ねぇねぇ」
大方、写真を撮って、か、道を教えて、か、そんなことだろう。だから逃げる。僕は映えるカメラテクニックなんて知らないし、道を教えられるほどこの土地に詳しくもない。僕は、そういう世界にいたことのない人間だ。それらについて訊ねるならば、僕では不適切だ。
「ねぇってば」
それに、相手は女の子だ。どう話せばいいのかなんて、分かるはずもない。
「君だよ、君!」
「…………」
さすがに無視できず、足を止めて振り返る。見ると、白いワンピースの少女が、僕のほうへ駆けてきていた。
「えっと……僕?」
そりゃそうだろう、とでもいうように、少女は頷く代わりの瞬きをする。
近くで見ると、さらに美しさが際立っていた。
くっきり二重の瞳を縁取るまつ毛は長く、瞬きのたびぱちぱちと音が聞こえてくるようだった。白目は青白く澄んでいて、唇は果実のように赤くみずみずしい。
その果実のような唇が、言葉を紡ぐ。
「ねぇ、君。ひとり? こんなところでなにしてるの?」
「えっと……」
一昔前のナンパを受けたような気分だ。
「……ね、猫を追いかけてて」
咄嗟に、さっき見かけた猫を理由にした。実際あの黒猫を追いかけてここへ来たのだから、うそではない。
「猫?」
首を傾げる少女に、僕はちらりと彼女の後方の舞台を見る。
僕の視線を辿るように少女が顔を向ける。そして、舞台の上に転がる黒猫を見た。
「わっ! ほんとだ、猫だっ! 可愛い~!!」
少女は弾けた声を上げて、黒猫の元へ駆けていった。勢いよく迫ってくる少女に黒猫は一瞬身構えたものの、悪意はないことを悟ったのか、すぐに警戒を解いて毛繕いを始めた。
少女は黒猫の前まで行き、その頭へ手を伸ばそうとして、怯えたように手を引っこめた。
どうしたのだろう。動物が苦手なのだろうか。まるで、生き物に触れたことのない子どものような反応だ、と思った。
なんとなく観察していると、少女が再び僕を見た。
「え」
僕は反射的に身構えた。いやな予感がする。
「ねぇ君、この子、抱っこすることできる?」
「え?」
「私、猫見るの初めてなの! 触りたいけど、その……ちょっと怖いっていうか……」
「猫が初めて?」
そんなひといるのか。この歳で?
驚いていると、少女は懇願するように顔の前で手を合わせた。
「ねぇ、お願い! 君、この子を抱っこしてみせてよ」
「僕が!?」
「うん! 一度でいいから、猫ちゃんのこと触ってみたいの。お願いお願い!」
僕だってべつに、猫が得意ってわけじゃない。飼っていたこともないし、正しい抱きかたも知らない。だが、ここまで言われてできないというのもなんだか癪だ。
「……仕方ないな」
仕方なく少女と黒猫の元へ向かう。
思いのほか黒猫は大人しく、僕がすぐ目の前まで来ても逃げる様子はない。
うしろ側からそっと脇に手を入れ、恐る恐る抱き上げてみると、黒猫はぴんと前足を伸ばして、前ならえの姿勢になった。
無事抱っこできたことにほっとしつつ、僕は黒猫を少女に差し出す。黒猫は前ならえの体勢のまま、少女をじっと見つめていた。
「はい、どうぞ」
「わぁあ、可愛い! 待って、そのままね、そのまま……」
ちょん、と少女が指の先で黒猫の眉間を撫でた。黒猫は一瞬怖がるように目を瞑ったが、すぐにごろごろと喉を鳴らし始めた。
「きゃあ~!! 可愛い!」
少女の甲高い声に、黒猫の耳がうしろ側へと折れる。少女の声に驚いたのだろう。覗いてみると、さっきまで閉じていた瞳孔は少し開いていた。
「あんまり高い声出したら猫が驚くから、静かにしてあげて」
「あっ、そっか。分かった!」
少女は僕の指摘を素直に受け入れ、静かに黒猫を可愛がり始める。だが、少女が黒猫を受け取る気配はない。
どうやら、彼女は黒猫を触りたいだけで受け取る気はないようだ。このまま前ならえをさせておくのも可哀想なので、僕は仔猫の抱きかたを赤ちゃんを抱くようなかたちに変える。
「へぇ~猫ってすごいふわふわなんだねぇ。耳のうしろとかすごいさらさらしてるー」
本気で感動している様子の彼女に、僕は思わず訊ねた。
「……本当に猫見るの初めてなんだ?」
「うん、初めて」
彼女は黒猫へ視線を落とし、ふにゃっとした顔のまま僕の問いに答えた。
「野良猫とかを見かけたこととかもないの?」
「野良猫……うーん、テレビでしかないかなぁ。あ、でもライオンとかゾウならナマで見たことあるよ! 動物園に連れて行ってもらったことはあるから!」
「動物園?」
「うん。でも猫は動物園にはいないじゃん?」
そりゃいないだろう、と心のなかでツッコミを入れる。
「いたっていいのにねぇ」
と、少女は真顔で言う。
「……いや、まぁ……」
たしかに、動物園に猫はいない。だって、いたところで猫なんてなんの真新しさもないし、わざわざお金を払って猫を見に来る客もいないだろう。
……と思うけれど、改めて考えるとたしかに不思議な気もする。
猫も動物だ。動物園にいても、べつに変じゃない。猫好きも多いし、巷には猫カフェだってあるくらいなのだから。
だけど。
「……そんなこと、疑問に思ったこともなかった」
呟くと、彼女はころころと笑った。
「そっかぁ」
「…………」
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