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『17.星幽の母』
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しおりを挟む劇場――
それは奇跡が息づく場所。
ほこりをかぶった古い小道具や
傷だらけの幕が、
静かに俺たちを見つめ、
かすかな記憶をささやき合っている。
この夜も、
そのささやきが紡ぐ一幕だった。
「さて……そろそろ帰ろうか」
俺、ルシファーはリハーサルを終え、
静まり返った舞台で一人佇んでいた。
すると、天幕の向こうから
何やら音が聞こえてきた。
「……なんだ?……歌…?」
それは『G線上のアリア』――
天上の光がおりなすような
旋律だった。
胸の奥がざわつき、
不思議な力に引き寄せられるように舞台袖へ歩を進めていた。
「誰かいるの?」
問いかけは虚空に消える。
代わりにただよう甘い香り――
ティラミスの香りだ。
そっと天幕を覗いた瞬間、
時が止まった。
ワイン色の幕の中。
優雅に佇む、金髪を靡かせた女性。
しかし彼女の輪郭はぼんやりと霞み、まるで蜃気楼だった。
誰だ、この超絶美人は……
でもこの横顔、どこか見覚えがあるぞ……
「こんばんは。驚かせてしまったかしら?」
振り返った彼女が微笑む。
その声は鈴を転がすように俺の心を撫でた。
「っ……!」
声が喉に詰まる。
――直感が伝える。
これは……人間じゃない。
けれど恐怖はなく、
その幻想的な美しさにただ圧倒される。
固まる俺に、
彼女はふわりと笑みながら名乗った。
「私はカリーナ――シリウスの、母です」
心臓がひときわ大きく脈打った。
シリウスの……母さん?
あり得ない。
だって、あいつの母さんは、
とっくに――
目の前の光景が夢か現か、
心の中で必死に自問自答する。
この女性がシリウスの母親――
もちろん信じられなかった。
けれど、その翡翠のまなざしに宿る温もりと、
夜空の狼を思わせる気高さ――
信じる以外の選択肢なんて、
俺には無かった。
「急にごめんなさいね、ルシファーさん。実は貴方にお願いがあるの。……私にはもう、時間がないのです」
――なぜ、俺の名を知ってるの?
そんな疑問すら口に出せないほど、
俺は何かに操られているような感覚になった。
「息子に会えるのも、これが最後かもしれない。けれどあの子は、私の記憶を深く封じ込め、思い出すのを拒み続けている……」
彼女は懐から古びたロケットペンダントを取り出し、そっと開く。
そこには幼いシリウスとこの女性、
そして今の彼によく似た男性
――プロキオンが映っていた。
「これと同じペンダントが、どこかにあります。どうかそれを、見つけていただきたいのです」
カリーナは写真を愛おしげに撫でた。
「あの子にとって私が、ただの悲しい記憶ではなく、あたたかい思い出になるように……」
言葉が胸に刺さる。
シリウスが母を語らないのは、
ただの無関心ではない。
きっと、深い悲しみを抑え込んでいるんだ――
俺の唇は、気づけば言葉を
紡いでいた。
「……わかった。探してみる」
俺の返事を聞くと、
カリーナはふっと微笑んだ。
『ありがとう』
鈴のような声が
天幕の向こうへ消える。
気づけば彼女の姿も、闇に溶けていた。
「……あれ?」
静寂が戻り、
俺はひとり立ち尽くしていた。
今のは夢だったのか。
それとも――。
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