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1年目春 商会令嬢対決編
第21話 責任を感じて
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アリスたちが山頂に着くまでの予測残時間、二十分──。
細い隘路を抜ける。
青白いヒカリゴケが灯る洞穴へ俺は駆け込んだ。
鼻腔を冷気が抜け、粘膜がひりつく。
苔の青臭さに満ちた空間を俺は進んだ。
レンとシモンの姿はすぐ見つかった。
洞穴の奥。開けた空間の一角で、レンが粗い麻布の上に横たえられていた。
ヒカリゴケと、彼らが傍らに置いた火晶ランタンが光を放つ。
そんな中、レンは眉を寄せたまま天を仰いでいる。
遠目からでも、目尻から涙をこぼしているのがわかった。
俺は安堵する。意識があるってことは〈飛行術〉を使用できる。
だが、なぜレンは泣いているのか。
俺はレンたちに急ぎ足で近づいた。
入口側の気配に対し、シモンは身構えている。
背後に横たわるレンを視線からかばうように、彼は手を横に差し出した。
片手には濡れた布を持つ。
彼の側には、空のポーション瓶が二本転がっている。
「ア、アイカータ様!」
やっと俺に気づいたようだ。
シモンが声を震わせる。
彼の瞳は、焦燥で濡れていた。
(俺を見て、焦る? なんでだ?)
俺は目を細める。
土のついたレンの外套──肩口が裂け、泥がこびりついている。
その脇に半壊した〈雨の杖〉が転がっていた。水晶の杖頭が割れ、霧の魔力が哀しげに漏れている。
壊れた後も、大事に持ち運んできたのだろう。
「も、申し訳ございません……。ワイルドボアと交戦した際に、吹き飛ばされて……」
シモンが唇を噛む。声がかすれ、懺悔のように床へ落ちる。
その振る舞いの端々に、俺はどことなく違和感を覚えた。
不思議に思ってレンを『視る』。
生命力は全快、状態異常は〈トラウマ(戦闘)〉だけ──俺はすべてを察する。
「──なんでわざと応答しなかった?」
独白が唇から漏れた。
□
俺は踏み出す。水溜まりを踏んだ靴底がぱしゃりと跳ね、洞穴に激しい足音が反響した。
レンは通信魔法〈念話〉にあえて応答しなかった。
谷底に落ちた己の失態を、弱さを、俺に知られたくなかったのだろう。
挙げ句の果てに、時間を待ってこの隠しエリアでやり過ごそうとしていた──。
うっすら開いたレンの翡翠色の瞳が、湿った光を宿して俺を捉える。
怯えと悔恨の色が、ヒカリゴケに反射して揺れた。
「たった一回、やらかしただけでふてくされるなよ……」
俺の硬い声が岩肌を切り裂き、蒸気を抱いた空気がわずかに震える。
シモンが傍らに置いた火晶ランタンの炎が一瞬うねった。
「違います、レン様は──」
シモンの顎から汗が落ち、濡れた岩肌に同化する。
震える肩でなにか言いかけるが、その手をレンが制した。
「……うるさい」
横たわるレンは、ゆっくりと上体を起こす。
潤んだ翡翠の虹彩が俺を射抜く。
予測残時間、十八分──。
問答している暇はない。
だが、言い負かさねば、この子は歩を進めない。
湿った息苦しい空気が肺に張り付くなか、俺は冷たく口を開く。
「落ち込んでないで、とっとと行くぞ。時間がない。──〈飛行術〉を使えば、まだ、間に合う」
ランタンの光が互いの影を濃く塗り、青と橙が混ざった輪郭が岩面ににじむ。
レンが歯噛みし、俺をにらみ返す。
「もういいだろう! 賭けのことなら、俺がお婆様に掛け合って……!」
「それで満足なのか、レン?」
苛立つ鼓動を押さえながら俺は言葉を選ぶ。
洞窟の冷気を肺深く吸い込んでから、言い放った。
「女子たちに『やっぱり男は』って言わせたままで、いいのか?」
「──わかっている!!」
洞穴中に声が響いた。
「……ううぅ」
レンの声が震え、湿った空気に溶ける。
目尻をつたう涙が彼の頬を滑り、地面に細かな波紋を散らした。
俺は返答の代わりに一歩前へ出た。
ブーツが水面を弾き、跳ねた水がレンの側へ落ちる。
レンは、後ろ向きの選択を取ったことを悔いている。
モンスターに突き落とされ、傷を負い、杖は折れ──弱い自分と、向き合った。
そしていま、言い出すことができなかった自分を恥じ、涙を流している。
予測残時間、十六分──。
「──アイカータ様、レン様を許してあげてください。レン様は、あなたの期待に応えたかっただけなんです……。どうか、お願いします」
シモンが震える声で割って入る。
レンをかばうように、黒革手袋をはめた手を横に差し出した。
「失礼。……ったく」
俺はシモンを軽く押しのけた。
レンの真正面に立つ。
追いすがって手を伸ばすシモンを無視し、レンの肩を抱き寄せた。
そのまま膝裏に左手を入れ、彼の体をすくい上げる。
途端、レンの頬が朱を差し、耳まで真っ赤に染まった。
濡れたまつげがぱちぱち瞬いている。
彼の軽く握った拳が、俺の胸板に当たった。
「な、なにをするっ……! お、俺は歩ける! 下ろせ!」
震えた声が洞内に跳ね返る。
レンの呼吸が、俺の首元に熱い霧を吐きかけた。
俺は苛立ちを隠さない。
力強く、言い返した。
「うるせーっ!! カーラがいま、ヌシ相手に粘ってんだ!! 俺たちのためにな! わめいてないでとっとと魔法使え、バカ!」
「──ッ!」
「……それと」
俺はレンの顔に、自身の顔を近づける。
囁くように、俺は言った。
「責任を負わせて、悪かった。俺のミスだ。二人だけで不安だったよな? ……もう、俺がついてる。ここから先は任せろ」
予測残時間、十四分──。
レンは顔をくしゃりと歪めた。
許しを得たことで安堵したのか。
嗚咽を上げて、俺の首へすがった。
か細い腕が震えながらも強く締まり、彼の涙は俺の襟に浸みる。
十五歳の少年が、急に責任を取る立場となったストレスを、俺は軽視していた。
この世界の男子ならばなおさらだ。
レンの背中を擦ると、ひと際大きい涙声が上がった。
□
予測残時間、十分──。
隠しエリア最奥の土中から現れた鉄箱は錆びついて重い。
蓋をこじ開けるとわずかに土埃と油臭と金属臭が立ち上る。
中に収められていたものを、俺は素早く収納魔法でシャベルと共に袋の中に送った。
ヌシとの戦いにおいても必ずや役立つであろう。
むしろ隠しエリアに寄ることができてよかったと、俺は自分を慰めた。
視線を上げれば、ヒカリゴケの淡い光が遠く離れた天井まで行き渡っている。
水の滴る音が秒針のように胸を打つ。
すべての準備が整う。
使用予定のなかったショートカットの出口の真下に俺たちは立った。
「振り落とされるなよ、二人とも」
「あ、ああ」
「はいっ」
お姫様抱っこ──いや、この世界では王子様抱っこか。
レンは俺の両腕におさまる。
シモンには俺の背へ飛び乗ってもらった。衣服の金具が俺の背骨に当たり、鈍い圧が肩へのしかかる。
「始めてくれ、レン」
胸元で身じろぎしたレンが、こくりとうなずきを返す。
折れた〈雨の杖〉の代替の樫杖を彼は両手で握る。
『〈飛行術〉』
短い詠唱が洞壁に溶け、脚から腰へ風が巻き付く。
ヒカリゴケの光粒が舞い上がり、湿った冷気が一気に払われた。
──上昇が始まった。
足裏がふっと軽くなる。
風切り音が尾を引き、淡緑の気流が洞穴の闇を裂く。
壁のヒカリゴケの光が視界を流れていく。
原作ゲームでは、隠しエリアに到達するルートが二つあった。
一つは五合目斜面からのルート。
そしてもう一つは、九合目にある割れ目からのルートであった。
「いけぇっ!」
俺の叫びに呼応してか、レンが翡翠色の魔力光を強める。
風に乗って俺たちは急上昇──地面が瞬く間に遠ざかった。
熱を帯びた空気が頬を打ち、溶岩の鉄臭と硫黄が鼻孔を突く。
隠しエリア最奥の頭上──天蓋の割れ目が近づくにつれ、火口側から吹き込む上昇気流が渦を巻く。
俺が着込んだ緑の外套の端が激しくはためいた。
予測残時間、八分──。
閃光。
俺たちは裂け目の光を抜け、そのまま開けた空間へ飛び出した。
視界いっぱいに朱色の天空が広がる。
稜線の向こうで溶岩流が遠雷のようにごうごうと鳴り、周囲で火山灰が雪のように舞っていた。
(た、たけえぇえええええ! 南無三!)
俺は恐怖を押しとどめながら周囲を見渡す。
焦げ茶の岩盤が段々畑のように連なり、ところどころで噴気孔が白い息を噴き上げた。
二十メートル真下の地面には亀裂が走り、橙の光を湛えた溶岩が脈動している。
灼熱の風が頬を撫でる。
頭上ではスカイスワローの群れが灰紺の円を描き、尖った笛声を撒き散らす。
斜面の下方ではワイルドボアの巨影が鼻息で火山灰を吹き飛ばし、岩角へ火花を散らした。
──ここが九合目、ヌシの縄張りへ続く最後の外輪。
俺はシモンの腕がぐっと強まるのを首越しに感じた。
腕の中のレンの額に大玉の汗が浮かんでいる。
彼は〈飛行術〉を切らさないように集中していた。
「──ッ! レン、〈飛行術〉でそのまま山頂へ!」
上昇する気流の縁で、三つの光景が俺の目に飛び込む。
一つ──九合目の分かれ道で山頂と反対の道を行くアリスたちの背。予想よりも早く、進行している。
二つ──山頂で橙に輝くダンジョン核の周り。炎柱のうねりの中で漆黒の羽翼を広げるヌシ〈エンバークロウ〉の姿。
そして三つ目。
その〈エンバークロウ〉の爪下、銀青の盾を構えたカーラが、今まさに吹き飛ばされている。
盾が粉々に砕け、彼女の体が宙を舞った。
「~~っ!? 急ぐぞ、レン!」
返事の代わりに、レンは樫杖を胸に引き寄せ、瞳を細めた。
風向きが変わる。そのまま山頂に俺たちは滑空し始めた。
背後からスカイスワローの群れが甲高い笛声を上げて迫ったが、気流の壁に弾かれて翼列を乱す。
俺たちは邪魔されないまま、火炎と灰の渦巻く山頂へ転がり込んだ。
「だぁぁああああ!?」
血まみれで横たわるカーラの側に、俺とシモンは着地、いや横転する。
転がる最中、俺はレンが少しばかり離れて地面に降り立ったのを見つけた。
俺は転がった勢いを活かして身を捻る。体のばねを使って立ち上がった。
硫黄と焦げた金属の臭気が鼻を満たす。
カーラと〈エンバークロウ〉の間に、俺は立った。
「カーラ様っ!」
肩越しに俺は、煤にまみれたシモンがカーラの側に駆け寄る姿を見る。
シモンは薬瓶を取り出し、赤い液を布へ垂らしてカーラの傷口へ押し当てる。
その背後では、レンが肩で息をし、指先を震わせながら膝をつく。
彼が魔力を使い果たしたのを、俺はこの目で『確認した』。
前線を支えるカーラは盾を失ってぼろぼろ。
火力担当のレンの魔力は枯渇。
シモンはこれからカーラの治療に従事するときた。
――笑えるほどの逆境だ。
だが勝ちの目はまだある。
俺は改めて〈エンバークロウ〉と向き合った。
腰の革ホルダーから俺はダガーを引き抜く。
「カーラ、よく持たせてくれた」
ダンジョン核の前、溶岩の吹き溜まりで羽を休める漆黒の巨鳥。
その輪郭にレンガ色の火が走る。
黄金の目玉が、俺を捉え続けている。
「あとは俺たちに任せろ」
アリスたちが山頂に着くまでの予測残時間──。
細い隘路を抜ける。
青白いヒカリゴケが灯る洞穴へ俺は駆け込んだ。
鼻腔を冷気が抜け、粘膜がひりつく。
苔の青臭さに満ちた空間を俺は進んだ。
レンとシモンの姿はすぐ見つかった。
洞穴の奥。開けた空間の一角で、レンが粗い麻布の上に横たえられていた。
ヒカリゴケと、彼らが傍らに置いた火晶ランタンが光を放つ。
そんな中、レンは眉を寄せたまま天を仰いでいる。
遠目からでも、目尻から涙をこぼしているのがわかった。
俺は安堵する。意識があるってことは〈飛行術〉を使用できる。
だが、なぜレンは泣いているのか。
俺はレンたちに急ぎ足で近づいた。
入口側の気配に対し、シモンは身構えている。
背後に横たわるレンを視線からかばうように、彼は手を横に差し出した。
片手には濡れた布を持つ。
彼の側には、空のポーション瓶が二本転がっている。
「ア、アイカータ様!」
やっと俺に気づいたようだ。
シモンが声を震わせる。
彼の瞳は、焦燥で濡れていた。
(俺を見て、焦る? なんでだ?)
俺は目を細める。
土のついたレンの外套──肩口が裂け、泥がこびりついている。
その脇に半壊した〈雨の杖〉が転がっていた。水晶の杖頭が割れ、霧の魔力が哀しげに漏れている。
壊れた後も、大事に持ち運んできたのだろう。
「も、申し訳ございません……。ワイルドボアと交戦した際に、吹き飛ばされて……」
シモンが唇を噛む。声がかすれ、懺悔のように床へ落ちる。
その振る舞いの端々に、俺はどことなく違和感を覚えた。
不思議に思ってレンを『視る』。
生命力は全快、状態異常は〈トラウマ(戦闘)〉だけ──俺はすべてを察する。
「──なんでわざと応答しなかった?」
独白が唇から漏れた。
□
俺は踏み出す。水溜まりを踏んだ靴底がぱしゃりと跳ね、洞穴に激しい足音が反響した。
レンは通信魔法〈念話〉にあえて応答しなかった。
谷底に落ちた己の失態を、弱さを、俺に知られたくなかったのだろう。
挙げ句の果てに、時間を待ってこの隠しエリアでやり過ごそうとしていた──。
うっすら開いたレンの翡翠色の瞳が、湿った光を宿して俺を捉える。
怯えと悔恨の色が、ヒカリゴケに反射して揺れた。
「たった一回、やらかしただけでふてくされるなよ……」
俺の硬い声が岩肌を切り裂き、蒸気を抱いた空気がわずかに震える。
シモンが傍らに置いた火晶ランタンの炎が一瞬うねった。
「違います、レン様は──」
シモンの顎から汗が落ち、濡れた岩肌に同化する。
震える肩でなにか言いかけるが、その手をレンが制した。
「……うるさい」
横たわるレンは、ゆっくりと上体を起こす。
潤んだ翡翠の虹彩が俺を射抜く。
予測残時間、十八分──。
問答している暇はない。
だが、言い負かさねば、この子は歩を進めない。
湿った息苦しい空気が肺に張り付くなか、俺は冷たく口を開く。
「落ち込んでないで、とっとと行くぞ。時間がない。──〈飛行術〉を使えば、まだ、間に合う」
ランタンの光が互いの影を濃く塗り、青と橙が混ざった輪郭が岩面ににじむ。
レンが歯噛みし、俺をにらみ返す。
「もういいだろう! 賭けのことなら、俺がお婆様に掛け合って……!」
「それで満足なのか、レン?」
苛立つ鼓動を押さえながら俺は言葉を選ぶ。
洞窟の冷気を肺深く吸い込んでから、言い放った。
「女子たちに『やっぱり男は』って言わせたままで、いいのか?」
「──わかっている!!」
洞穴中に声が響いた。
「……ううぅ」
レンの声が震え、湿った空気に溶ける。
目尻をつたう涙が彼の頬を滑り、地面に細かな波紋を散らした。
俺は返答の代わりに一歩前へ出た。
ブーツが水面を弾き、跳ねた水がレンの側へ落ちる。
レンは、後ろ向きの選択を取ったことを悔いている。
モンスターに突き落とされ、傷を負い、杖は折れ──弱い自分と、向き合った。
そしていま、言い出すことができなかった自分を恥じ、涙を流している。
予測残時間、十六分──。
「──アイカータ様、レン様を許してあげてください。レン様は、あなたの期待に応えたかっただけなんです……。どうか、お願いします」
シモンが震える声で割って入る。
レンをかばうように、黒革手袋をはめた手を横に差し出した。
「失礼。……ったく」
俺はシモンを軽く押しのけた。
レンの真正面に立つ。
追いすがって手を伸ばすシモンを無視し、レンの肩を抱き寄せた。
そのまま膝裏に左手を入れ、彼の体をすくい上げる。
途端、レンの頬が朱を差し、耳まで真っ赤に染まった。
濡れたまつげがぱちぱち瞬いている。
彼の軽く握った拳が、俺の胸板に当たった。
「な、なにをするっ……! お、俺は歩ける! 下ろせ!」
震えた声が洞内に跳ね返る。
レンの呼吸が、俺の首元に熱い霧を吐きかけた。
俺は苛立ちを隠さない。
力強く、言い返した。
「うるせーっ!! カーラがいま、ヌシ相手に粘ってんだ!! 俺たちのためにな! わめいてないでとっとと魔法使え、バカ!」
「──ッ!」
「……それと」
俺はレンの顔に、自身の顔を近づける。
囁くように、俺は言った。
「責任を負わせて、悪かった。俺のミスだ。二人だけで不安だったよな? ……もう、俺がついてる。ここから先は任せろ」
予測残時間、十四分──。
レンは顔をくしゃりと歪めた。
許しを得たことで安堵したのか。
嗚咽を上げて、俺の首へすがった。
か細い腕が震えながらも強く締まり、彼の涙は俺の襟に浸みる。
十五歳の少年が、急に責任を取る立場となったストレスを、俺は軽視していた。
この世界の男子ならばなおさらだ。
レンの背中を擦ると、ひと際大きい涙声が上がった。
□
予測残時間、十分──。
隠しエリア最奥の土中から現れた鉄箱は錆びついて重い。
蓋をこじ開けるとわずかに土埃と油臭と金属臭が立ち上る。
中に収められていたものを、俺は素早く収納魔法でシャベルと共に袋の中に送った。
ヌシとの戦いにおいても必ずや役立つであろう。
むしろ隠しエリアに寄ることができてよかったと、俺は自分を慰めた。
視線を上げれば、ヒカリゴケの淡い光が遠く離れた天井まで行き渡っている。
水の滴る音が秒針のように胸を打つ。
すべての準備が整う。
使用予定のなかったショートカットの出口の真下に俺たちは立った。
「振り落とされるなよ、二人とも」
「あ、ああ」
「はいっ」
お姫様抱っこ──いや、この世界では王子様抱っこか。
レンは俺の両腕におさまる。
シモンには俺の背へ飛び乗ってもらった。衣服の金具が俺の背骨に当たり、鈍い圧が肩へのしかかる。
「始めてくれ、レン」
胸元で身じろぎしたレンが、こくりとうなずきを返す。
折れた〈雨の杖〉の代替の樫杖を彼は両手で握る。
『〈飛行術〉』
短い詠唱が洞壁に溶け、脚から腰へ風が巻き付く。
ヒカリゴケの光粒が舞い上がり、湿った冷気が一気に払われた。
──上昇が始まった。
足裏がふっと軽くなる。
風切り音が尾を引き、淡緑の気流が洞穴の闇を裂く。
壁のヒカリゴケの光が視界を流れていく。
原作ゲームでは、隠しエリアに到達するルートが二つあった。
一つは五合目斜面からのルート。
そしてもう一つは、九合目にある割れ目からのルートであった。
「いけぇっ!」
俺の叫びに呼応してか、レンが翡翠色の魔力光を強める。
風に乗って俺たちは急上昇──地面が瞬く間に遠ざかった。
熱を帯びた空気が頬を打ち、溶岩の鉄臭と硫黄が鼻孔を突く。
隠しエリア最奥の頭上──天蓋の割れ目が近づくにつれ、火口側から吹き込む上昇気流が渦を巻く。
俺が着込んだ緑の外套の端が激しくはためいた。
予測残時間、八分──。
閃光。
俺たちは裂け目の光を抜け、そのまま開けた空間へ飛び出した。
視界いっぱいに朱色の天空が広がる。
稜線の向こうで溶岩流が遠雷のようにごうごうと鳴り、周囲で火山灰が雪のように舞っていた。
(た、たけえぇえええええ! 南無三!)
俺は恐怖を押しとどめながら周囲を見渡す。
焦げ茶の岩盤が段々畑のように連なり、ところどころで噴気孔が白い息を噴き上げた。
二十メートル真下の地面には亀裂が走り、橙の光を湛えた溶岩が脈動している。
灼熱の風が頬を撫でる。
頭上ではスカイスワローの群れが灰紺の円を描き、尖った笛声を撒き散らす。
斜面の下方ではワイルドボアの巨影が鼻息で火山灰を吹き飛ばし、岩角へ火花を散らした。
──ここが九合目、ヌシの縄張りへ続く最後の外輪。
俺はシモンの腕がぐっと強まるのを首越しに感じた。
腕の中のレンの額に大玉の汗が浮かんでいる。
彼は〈飛行術〉を切らさないように集中していた。
「──ッ! レン、〈飛行術〉でそのまま山頂へ!」
上昇する気流の縁で、三つの光景が俺の目に飛び込む。
一つ──九合目の分かれ道で山頂と反対の道を行くアリスたちの背。予想よりも早く、進行している。
二つ──山頂で橙に輝くダンジョン核の周り。炎柱のうねりの中で漆黒の羽翼を広げるヌシ〈エンバークロウ〉の姿。
そして三つ目。
その〈エンバークロウ〉の爪下、銀青の盾を構えたカーラが、今まさに吹き飛ばされている。
盾が粉々に砕け、彼女の体が宙を舞った。
「~~っ!? 急ぐぞ、レン!」
返事の代わりに、レンは樫杖を胸に引き寄せ、瞳を細めた。
風向きが変わる。そのまま山頂に俺たちは滑空し始めた。
背後からスカイスワローの群れが甲高い笛声を上げて迫ったが、気流の壁に弾かれて翼列を乱す。
俺たちは邪魔されないまま、火炎と灰の渦巻く山頂へ転がり込んだ。
「だぁぁああああ!?」
血まみれで横たわるカーラの側に、俺とシモンは着地、いや横転する。
転がる最中、俺はレンが少しばかり離れて地面に降り立ったのを見つけた。
俺は転がった勢いを活かして身を捻る。体のばねを使って立ち上がった。
硫黄と焦げた金属の臭気が鼻を満たす。
カーラと〈エンバークロウ〉の間に、俺は立った。
「カーラ様っ!」
肩越しに俺は、煤にまみれたシモンがカーラの側に駆け寄る姿を見る。
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その背後では、レンが肩で息をし、指先を震わせながら膝をつく。
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だが勝ちの目はまだある。
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※※多少意識はしていますが、主人公最強で無双はなく、普通に苦戦します……流行ではないのは承知ですが、登場人物の個性を持たせるためそのキャラの物語(エピソード)や回想のような場面が多いです……後一応理由はありますが、主人公の年上に対する態度がなってません……、後、私(さくしゃ)の変な癖で「……」が凄く多いです。その変ご了承の上で楽しんで頂けると……Mです。の本望です(どうでもいいですよね…)※※
※※楽しかった……続きが気になると思って頂けた場合、お気に入り登録……このエピソード好みだなとか思ったらコメントを貰えたりすると軽い絶頂を覚えるくらいには喜びます……メンタル弱めなので、誹謗中傷てきなものには怯えていますが、気軽に頂けると嬉しいです。※※
異世界帰りのハーレム王
ぬんまる兄貴
ファンタジー
俺、飯田雷丸。どこにでもいる普通の高校生……だったはずが、気づいたら異世界に召喚されて魔王を倒してた。すごいだろ?いや、自分でもびっくりしてる。異世界で魔王討伐なんて人生のピークじゃねぇか?でも、そのピークのまま現実世界に帰ってきたわけだ。
で、戻ってきたら、日常生活が平和に戻ると思うだろ?甘かったねぇ。何か知らんけど、妖怪とか悪魔とか幽霊とか、そんなのが普通に見えるようになっちまったんだよ!なんだこれ、チート能力の延長線上か?それとも人生ハードモードのお知らせか?
異世界で魔王を倒した俺が、今度は地球で恋と戦いとボールを転がす!最高にアツいハーレムバトル、開幕!
異世界帰りのハーレム王
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